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ようこそ、異世界ホテル"Aequitas"へ  作者: 嘯江 新


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33/50

第33話「四十八時間の意味」

 ノアから届いたメッセージを見つめながら、私はしばらくフロントバックの椅子から動けずにいた。


 You found the pending transfer, didn't you? Then don't touch the scale. Not yet.

 ――転送保留の記録を見つけたな。なら、天秤には触るな。まだだ。

 そして、その下に表示されたもう一つの情報。

 CONNECTION WINDOW:48 HOURS

 接続可能時間、四十八時間。

 問題は、その四十八時間が何を意味するのか分からないことだった。ノアとの通信が可能な時間なのか、境界との接続が維持できる残り時間なのか、それとも原初天秤に関係する別の制限なのか。少なくとも、これまでのノアの警告を考えれば「四十八時間以内に地下へ来い」という意味ではないだろう。

「……本当に説明が足りない人だな」

 私は小さく呟き、端末をポケットへ戻した。

 今ここで一人で考えていても答えは出ない。まずブラッドリーたちへ共有し、ルキウスやキーパーが持つ情報と照らし合わせる必要がある。

 ただし、その前に。

「ナナサキさん」

 フロント側から声が飛んできた。

「お客様がお待ちです」

「あ、はい! すみません!」

 私はすぐに立ち上がった。

 世界の境界に四十八時間の制限が出ていても、チェックインのお客様は待ってくれない。

 最近、それが妙に心地よく感じるようになっていた。

     ◇

 夕方のチェックインが一段落したあと、私は総支配人室へ向かった。

 室内にはブラッドリー、サンディー、ナナリー、ゼノが揃っている。ルキウスの警備は引き続きバルガスが担当しており、セレスには今日行われた事情聴取の内容だけ共有されていた。

「ノアさんから、また連絡がありました」

 そう切り出すと、ゼノがすぐに反応した。

「何と言っていた?」

「転送保留の記録を見つけたことを知っていました。それから、原初天秤にはまだ触るな、と」

「こちらの動きを把握している?」

 ナナリーが眉を寄せる。

「そう見えます。少なくとも、私が記録を発見した直後に届きました」

「境界側から零号室を観測している可能性がありますね」

 ブラッドリーが答えた。

 私は端末を机へ置き、例の表示を見せる。

「もう一つ。これです」

 CONNECTION WINDOW:47:12:31

 表示はすでに減り始めていた。

「現在は四十七時間余り」

 サンディーが腕を組む。

「何の時間制限だ?」

「分かりません」

「キーパーには?」

「確認しましたが、“機能定義へのアクセス権限が不足している”そうです」

「管理者なのに?」

「私も同じこと言いました」

 ゼノが端末を睨む。

「ノアが設定したのか」

「その可能性は高いと思います」

「本人に聞けないのか?」

「返信機能がありません」

「一方的だな」

「本当にそうなんですよ」

 ゼノが苛立っている理由はよく分かる。何百年も探していた相手がようやく生きていると分かったのに、やり取りは全部ノア側からの一方通行だ。

 しかし今回は、少なくとも時間が示された。

「ルキウスさんなら何か知ってるかもしれません」

 私が言うと、室内が少し静かになった。

「もう一度話を聞く?」

 サンディーが尋ねる。

「はい。ただ、今回は事情聴取じゃなくて、情報提供をお願いする形にした方がいいと思います」

「協力すると思うか?」

「分かりません。でも、ルキウスさんも原初天秤を開きたいなら、この四十八時間が何なのかは気になるはずです」

 敵対しているからこそ、知りたい情報が重なることもある。

 ブラッドリーは少し考えたあと、頷いた。

「では、こちらから質問しましょう。ただし単独での接触は禁止です」

「分かっています」

「本当に成長しましたね」

「最近それ言われすぎです」

 少しだけ笑いが起きた。

     ◇

 ルキウスとの二度目の面会は、警備区画内の応接室で行われた。

 前回と違い、今回はブラッドリーと私、そしてバルガスだけが入る。ルキウスは拘束具こそ外されていたが、魔術を制限する術式の中に座っていた。

「また来たか、管理者」

「今日は聞きたいことが一つだけです」

「原初天秤なら、昨日話した」

「それに関係するかもしれません」

 私は端末を見せた。

 CONNECTION WINDOW:46:38:02

 ルキウスは数字を見るなり、表情を変えた。

「……どこで出た」

「ノアさんからのメッセージです」

「ノアが?」

「意味を知ってます?」

 ルキウスはしばらく黙っていたが、やがて深く息を吐いた。

「知っている可能性がある」

「可能性?」

「同じ表示を、昔一度だけ見た」

 私は思わず身を乗り出した。

「いつです?」

「人間消失事件の直前だ」

 背筋が冷えた。

「……四十八時間後に、人間が消えた?」

「正確には違う。表示が出たのは原初天秤ではなく、零号室側だった。当時、境界の接続が不安定になり、二つの設備が一時的に同じ管理領域へ入った。その時に《CONNECTION WINDOW》が表示された」

「それで?」

「残り時間がゼロになった直後、原初天秤への接続が成立した」

「接続先は?」

「分からなかった」

 まただ。

 だが今回は、その「分からない」が怖い。

「ルキウス様」

 ブラッドリーが静かに問いかける。

「あなたはその接続を利用して、原初天秤を起動した?」

「そうだ」

「では四十八時間は、原初天秤へアクセス可能になるまでの待機時間?」

「当時はそう解釈した」

「今も同じとは限らない?」

「限らない。だが無関係とは思えん」

 私は端末を見る。

 残り四十六時間。

「ノアさんは“まだ触るな”って言ってる」

「なら、接続が完全に成立する前に触れるなという意味かもしれない」

「待てば触っていい?」

「そこまでは言っていない」

 危うく都合よく解釈するところだった。

「じゃあ四十八時間後、何が起きる可能性があります?」

 ルキウスは少し考えた。

「原初天秤と零号室の接続が再び成立する。お前の到着によって休眠していた転送保留信号が再活性化したのなら、その処理が続きを始める可能性もある」

「数百年前の人間たちの転送が?」

「可能性はある」

 胸の奥がざわつく。

「勝手に始まるんですか?」

「分からない。だが原初天秤は、人間が戻ったことで《均衡回復》と判断した。なら次に、未完了の処理を解消しようとしても不思議ではない」

 もしそうなら。

 四十八時間後。

 人間たちが戻る?

 どこから。

 どんな状態で。

 何人。

 何も分からない。

「……まずいですね」

 私が呟くと、ルキウスは意外そうにこちらを見た。

「喜ばないのか」

「何をです?」

「人間が戻る可能性がある」

「戻る本人たちの意思も分からないのに?」

 ルキウスが黙った。

「それに、数百年前の人間が一度に戻ったら、この世界も混乱します。戻る先もない人がいるかもしれない。家族も、街も、何も残ってないかもしれないでしょう」

「それでも生きているなら、戻すべきだ」

「“戻すべき”って誰が決めるんです?」

 声が少し強くなったが、今度は感情に任せないよう意識して続けた。

「真壁怜司さんが来た時、本人が帰りたいと言ったから帰しました。ノックスさんは泊まりたいと言ったから受け入れた。結局、一番大事なのは本人がどうしたいかじゃないですか」

 ルキウスは長い間、何も答えなかった。

「お前は、何百人、何千人いても一人ずつ聞くつもりか」

「必要なら」

「非効率だ」

「ホテルって、そういうところですよ」

 ブラッドリーの口元が少しだけ緩んだ。

 私は続けた。

「団体客でも、一人一人違うでしょう。全員まとめて同じ希望だって決める方が危ないです」

 ルキウスが小さく息を吐いた。

「ノアも似たことを言った」

「それ、最近もう褒め言葉に聞こえてきました」

「褒めてはいない」

「でしょうね」

     ◇

 面会を終えたあと、私たちは情報を持ち帰り、再び総支配人室で整理することになった。

 四十八時間後に何が起きるかは断定できない。ただし、過去にも《CONNECTION WINDOW》が表示された後、零号室と原初天秤が接続している。そして今回は、人間消失事件以来休眠していた転送保留信号が私の到着をきっかけに再活性化している。

 ならば、最悪のケースも考えて準備する必要がある。

「仮に多数の人間が到着するとしたら、零号室で受け止められますか?」

 ナナリーの質問に、キーパーの半透明の姿が答える。

「現在のロビー制御では、同時受け入れ数に限界があります」

「何人?」

「通常状態で十二名。管理領域を拡張した場合、最大百二十八名」

「百二十八……」

 多いのか少ないのか分からない。

 人間が何人消えたのかすら不明なのだから。

「それ以上の場合は?」

「到着待機状態になります」

「つまり、すぐこの世界へ出てくるわけではない?」

「はい。ロビー制御が維持されている限りは」

 少しだけ安心した。

「じゃあ、まずロビー制御を絶対に守る」

「そうなります」

 ブラッドリーが頷く。

「そして仮に人間の到着が始まった場合、Hotel Aequitasだけで対応するのは困難です」

「聖法院へ協力を求める?」

 サンディーが尋ねる。

 室内の空気が微妙になる。

「全体には知らせない方がいいと思います」

 私が口を開いた。

「エルドさんなら?」

「個人としては協力する可能性があります」

 ブラッドリーも同意する。

「ただし現在の彼が聖法院内でどのような立場にいるか確認が必要です」

「処分されてる可能性もありますもんね」

 ナナリーが続けた。

「それ以前に、人間が到着する可能性を一般スタッフへ共有するかどうかも決める必要があります」

「まだ早いでしょう」

 ブラッドリーはすぐに判断した。

「確定していない情報で混乱を招くべきではありません。現時点では管理職と零号室関係者に限定します」

 合理的だ。

 しかし準備は必要になる。

 もし本当に百人単位の人間が来るなら、食事、衣服、言語、宿泊場所、医療確認。その全部を考えなければならない。

「……ホテルとして考えると、急に現実的になりますね」

「ナナサキ?」

「いや、数百年前の人間が異世界から帰還するって聞くと壮大ですけど、ホテルに来るなら結局、部屋どうする、食事どうする、って話になるなって」

 サンディーが笑った。

「お前、本当にホテルマンになったな」

「元々ホテルマンです!」

「辞めようとしてただろ」

「それは言わないでください」

 少し空気が緩んだ。

     ◇

 その日の夜、私はノックスの客室を訪れた。

 彼が境界層に長くいたことを考えれば、転送保留となった人間たちについて何か知っている可能性がある。ノックスは相変わらず照明をほとんど使わず、薄暗い部屋の中で静かに窓の外を見ていた。

「ノックス様、少しよろしいですか?」

「ああ」

「境界層にいた時、人間を見たことはあります?」

 白い目がこちらへ向く。

「人間?」

「たくさんの人間です。数百年前、この世界から一斉に消えた人たち」

 ノックスはしばらく考えていた。

「見たことはない」

「やっぱり境界層にはいない……」

「だが」

 私は顔を上げた。

「声は聞いた」

「声?」

「遠くから。長い間、同じ場所から」

 胸が高鳴る。

「何て言ってたんです?」

「言葉にはならない。眠っている者が夢の中で出す声に近い」

「場所は?」

「境界の下」

 聞き慣れない表現だった。

「下?」

「世界と世界の間ではない。そのさらに外側でもない。落ちていく場所だ」

 ノックスの説明は抽象的だったが、私は一つのものを思い浮かべていた。

 Hotel Aequitasの地下。

 原初天秤。

「それって……基底区画と関係ある?」

「知らない」

 さすがにそこまでは分からないらしい。

「ノアさんは、その声について何か?」

「知っていた」

「何て言ってました?」

 ノックスが少しだけ首を傾ける。

「“まだ起こすな”」

 私は息を止めた。

 原初天秤に触るな。

 まだだ。

 ノアからのメッセージと。

 ほぼ同じ。

「……やっぱり、眠ってる?」

 数百年前の人間たちは、死んだわけでも、普通の意味で転移したわけでもない。

 どこかで。

 処理が止まり。

 眠っている。

 そして四十八時間後。

 何かが。

 それを起こそうとしている。

     ◇

 ノックスへの聞き取りを終え、私は廊下へ出た。

 ここまでの情報を繋げても、まだ結論は出ない。それでも一つだけ、以前よりはっきりしてきたことがある。

 ルキウスは人間を取り戻そうとしている。

 ノアは人間を「まだ起こすな」と言っている。

 どちらも、人間が完全に失われていないことを前提にしている。

 違うのは、その方法だ。

 ルキウスは世界の境界を壊してでも戻そうとする。

 ノアは何かが整うまで待てと言っている。

 そして私は、その間にある零号室の管理者として、どちらかを盲目的に信じるのではなく、到着する者自身の意思を確認しなければならない。

 四十八時間という数字が、残り四十五時間を切っていた。

 焦るべきなのかもしれない。

 でも、焦った末に原初天秤へ触れれば、数百年前と同じ失敗を繰り返す可能性がある。

 だから今は、準備する。

 零号室を守り、必要な人員を整え、何が起きても最初に話を聞ける状態を作る。

 ホテルで大型団体の到着が予定されている時も同じだ。到着時間が分からないからといって、ロビーで右往左往しても意味はない。客室を確認し、フロントの人員を増やし、荷物の導線を整え、必要な情報を共有しておく。

 規模が世界単位になっただけで、やること自体は大きく変わらない。

「……規模だけがおかしいんだよなあ」

 私は苦笑しながら、本館へ戻ろうとした。

 その時、端末が震えた。

 またノアからかと思った。

 だが違う。

 表示されたのは零号室からの自動通知だった。

 TRANSFER QUEUE DETECTED

 転送待機列を検出。

 その下に数字が表示される。

 私は数秒、その意味を理解できなかった。

 WAITING:1

 一名。

 誰かが。

 転送保留から。

 到着待機へ移った。

 カウントダウンは、まだ四十五時間近く残っている。

「……予定より早くないですか?」

 私はすぐにキーパーへ接続した。

「キーパー、この一名って何です?」

『転送待機状態への移行を確認しています』

「人間?」

『種族情報を取得中です』

 数秒後。

 画面が更新された。

 SPECIES:HUMAN

 私はその場で立ち止まった。

 数百年前に消えた人間なのか。

 それとも別の誰かなのか。

 まだ分からない。

 ただ、四十八時間後を待つ前に、最初の一人が動き始めている。

「到着はいつ?」

『現時点では未定です。ただし、零号室への転送経路は形成され始めています』

 私は端末を握り直した。

 大規模な帰還が始まったわけではない。

 まだ一人。

 だからこそ。

 この一人を。

 きちんと迎えなければならない。

 数百年前から止まっていた転送が本当に動き出したのだとすれば、これから何が起きるのかを判断する最初の手掛かりになる。

 私は本館ではなく、再び旧館へ向かって歩き始めた。

 Hotel Aequitasの零号室に、久しぶりの「人間の客」が到着しようとしている。

 そして今度は、真壁怜司のような一時的な人格情報ではない。

 キーパーの表示には、はっきりとこう記されていた。

 BIOLOGICAL ARRIVAL:CONFIRMED

 肉体を伴った、生きた人間。

 私以外の人間が、本当にこの世界へ戻ろうとしていた。


――第33話 完

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