第12話「この扉の内側では」
「一歩たりとも、お通しすることはできません」
ブラッドリー・シュチュワードの声は、決して大きくなかった。
それなのに。
Hotel Aequitasの正面ロビー全体へ、はっきりと響いた。
正面玄関の向こう。
白銀の鎧を纏った聖騎士団。
二十名以上。
剣。
槍。
杖。
それぞれが武装している。
その先頭に立つ男は、長い翼をわずかに広げながら、ブラッドリーを睨みつけた。
「……我々を脅すつもりか」
「いいえ」
ブラッドリーは微笑んだ。
「ご案内しております」
「何?」
「当ホテルをご利用になる場合の、規則についてです」
強い。
いや。
強すぎる。
私は隣で思わず息を呑んだ。
普通、武装集団を目の前にして。
しかも“国家所属の聖騎士団”とやらを相手にして。
そんなに普通のホテル説明みたいな顔できる?
「支配人」
私は小声でサンディーに聞く。
「ブラッドリーさんって、いつもこうなんです?」
「こうって?」
「偉い人に喧嘩売る時も接客口調」
「まあ」
サンディーが肩をすくめる。
「総支配人だからな」
「その言葉、万能すぎません?」
横からナナリー。
「静かに」
「はい」
怒られた。
◇
聖騎士団の男が、一歩前へ出る。
境界線。
Hotel Aequitasの敷地と、公道。
ほんの数歩。
だが。
誰もそこを越えない。
「最後通告だ」
男が言う。
「罪人を引き渡せ」
「お断りいたします」
ブラッドリー。
即答。
「理由は先ほど申し上げた通りです」
「奴は多数の死者を出した」
ロビーがざわつく。
宿泊客たちが。
不安そうに。
こちらを見る。
私は。
黒衣の客を思い出す。
無愛想。
長命。
人間を知る者。
月蜜のホットドリンクを気に入っている。
そして。
この聖騎士団が。
“罪人”と呼ぶ存在。
何をした?
知らない。
でも。
ブラッドリーの方針は。
変わらない。
「その件につきましては」
一拍。
「当ホテルでは判断いたしかねます」
「何?」
「司法機関ではございませんので」
当たり前のことを。
ものすごく堂々と言う。
「ですが」
ブラッドリーが続ける。
「館内で犯罪行為を行った場合は別です」
「……」
「当ホテルの規則に反する行為が確認されれば、適切に対処いたします」
「では今すぐ拘束しろ」
「それもいたしかねます」
「なぜだ!」
「現在、館内規則に違反していないためです」
聖騎士団の男のこめかみに。
血管が浮いた。
「ああ……」
私。
思わず。
小さく。
「これ、絶対怒らせてる」
サンディー。
「でも間違ってない」
「そこなんですよ」
厄介だ。
◇
すると。
騎士団の後方から。
別の男が前へ出た。
先頭の男より。
少し年上。
鎧の装飾も豪華。
「総支配人」
「はい」
「我々も、あなた方の理念を知らぬわけではない」
ブラッドリー。
「ありがとうございます」
「だからこそ聞く」
男は。
冷静だった。
「Hotel Aequitasの中立とは」
一拍。
「犯罪者を匿うためのものか?」
空気。
変わった。
これは。
ただの怒鳴り合いじゃない。
正面から。
理念を突いてきた。
ブラッドリーも。
少しだけ。
表情を変える。
「いいえ」
「ならば」
「当ホテルが守るのは」
ブラッドリーは。
静かに言う。
「犯罪者という立場ではありません」
「では?」
「宿泊客としての権利です」
その言葉に。
騎士団の男。
眉が動く。
「外で何者であっても」
ブラッドリーが言う。
「ここへ宿泊客として入り」
「……」
「規則を守っている限り」
「……」
「最低限の安全と尊厳は保障される」
ホテルの。
根幹。
Aequitas。
公平。
公正。
私は。
前回読んだ。
古い手紙を思い出す。
――客として入ってきたのなら、客として扱う。
――外で何者であろうとも。
「……同じだ」
小さく呟く。
隣。
ナナリーが。
私を見る。
「何がです?」
「手紙と」
「……」
「今、ブラッドリーさんが言ってること」
ナナリーは。
何も言わなかった。
でも。
少しだけ。
頷いた。
◇
聖騎士団の男は。
しばらく黙っていた。
そして。
「では」
低い声。
「正式な面会を申し込む」
ブラッドリー。
「承知いたしました」
私は。
思わず。
「通すんですか?」
小声。
サンディー。
「正式ならな」
「本当にホテルだな……」
「ホテルだからな」
「いや、この状況でそれ通すのがすごいんですよ」
ブラッドリーが続ける。
「ただし」
騎士団。
視線。
「武装は」
一拍。
「お預かりいたします」
「……何?」
「館内へ武器を持ち込むことは認められません」
「我々は騎士だぞ」
「存じております」
「武器を手放せと?」
「はい」
笑顔。
「面会をご希望であれば」
一拍。
「こちらが条件となります」
強い。
またしても。
強い。
後方。
騎士団員。
ざわつく。
「ふざけるな!」
「剣を置けるか!」
「侮辱だ!」
私は。
眉をひそめる。
このまま。
揉める。
そう思った瞬間。
年長の騎士が。
手を上げた。
静まる。
「分かった」
「隊長!」
「ただし」
男がブラッドリーを見る。
「三名だ」
「代表者三名での面会」
「そうだ」
ブラッドリー。
「承知いたしました」
本当に。
話が進んだ。
◇
そこからが。
Hotel Aequitasだった。
「正面玄関では混雑を招きます」
ナナリー。
「別導線を使用します」
「面会室の準備」
サンディー。
「警備担当、二名」
「飲み物は?」
アシュリー。
いつの間にか来ている。
「いる?」
「何で普通に聞けるんですか」
私。
「面会でも客は客でしょ?」
「この状況で飲み物出すの!?」
「出すわよ」
「強いな、このホテル!」
黒衣の客。
聖騎士団。
国家。
犯罪。
中立。
そして。
お茶。
情報量が多い。
「ナナサキ」
ブラッドリー。
「はい」
「面会室の準備を手伝ってください」
「私ですか!?」
「研修です」
「出た!」
もう。
この言葉。
何でも通る。
◇
面会室。
長机。
椅子。
中央。
余計な装飾なし。
出入口。
二つ。
警備しやすい。
逃げ道もある。
私は。
飲み物を配置しながら。
サンディーへ聞く。
「こういう場合」
「うん」
「ホテル側はどこまで立ち会うんです?」
「ケースによる」
「今回は?」
「立ち会う」
「理由」
「揉める可能性が高い」
納得。
「あと」
サンディーが言う。
「黒衣の客が拒否したら、面会自体なし」
「え?」
「当然だろ」
「向こうが正式に申し込んでも?」
「宿泊客本人が会いたくないなら」
肩をすくめる。
「それまで」
私は。
少し驚く。
でも。
それもそうだ。
部屋番号。
滞在情報。
面会。
ホテルは。
宿泊客のプライバシーを守る。
「宿泊客の情報って」
私が言う。
「こっちでも厳しいんですね」
「むしろ」
サンディー。
「こっちの方が危ない場合もある」
「……種族とか政治とか?」
「そう」
「なるほど」
ホテルでは。
宿泊客の滞在情報を。
不用意に他者へ漏らさない。
部屋番号。
滞在有無。
行動。
そういった情報は。
ゲストプライバシー
として。
慎重に扱う必要がある。
この世界では。
下手に漏らせば。
本当に。
命に関わる。
「……怖」
「今さら?」
「今さらです」
◇
やがて。
黒衣の客。
現れる。
ローブ。
いつもの。
無表情。
いや。
表情は見えない。
でも。
空気が。
いつもより。
少し重い。
「本当に会うんですね」
私が小声。
「本人が了承した」
ナナリー。
「……」
黒衣の客が。
私の横を通る。
「アラタ」
「はい?」
「離れていろ」
「え」
「巻き込まれるな」
その言葉。
少し。
意外だった。
「……心配してるんです?」
「違う」
「即答」
「面倒が増えるだけだ」
「はいはい」
でも。
たぶん。
心配してる。
少しだけ。
嬉しい。
◇
面会。
始まる。
聖騎士団。
代表三名。
武装なし。
黒衣の客。
Hotel Aequitas側。
ブラッドリー。
サンディー。
ナナリー。
そして。
なぜか。
私。
「何でいるんですか、私」
「記録係」
ナナリー。
「新人に任せる仕事!?」
「補助です」
「なら最初にそう言ってください!」
黒衣の客。
「うるさい」
「あなたまで!」
騎士団。
目の前。
なのに。
軽口が出る。
たぶん。
緊張しすぎてる。
◇
年長の騎士が。
黒衣の客を見る。
「……久しいな」
黒衣。
「そうだな」
「逃げ続けるつもりか」
「逃げてはいない」
「ではなぜ」
一拍。
「聖都へ戻らない」
私は。
耳を澄ます。
聖都。
騎士団。
やっぱり。
ただの犯罪者じゃない。
何か。
大きなものに。
関わってる。
「戻る理由がない」
黒衣の客。
「ある」
騎士。
「お前には」
一拍。
「裁きを受ける義務がある」
「誰の裁きだ」
「聖法院」
「興味がない」
強い。
「多数を殺した」
「殺されたくなければ来なければよかった」
空気。
一気に。
冷える。
私。
息を止める。
やっぱり。
殺してる。
騎士団。
嘘じゃない。
「……あなた」
私。
つい。
声が出た。
全員。
こちらを見る。
やばい。
「ナナサキ」
ナナリー。
低い。
「すみません」
黙る。
でも。
頭が。
ぐるぐるする。
私が。
普通に。
月蜜の飲み物を届けて。
冗談を言って。
人間の昔話を聞いていた相手。
その人が。
大量に。
人を殺している。
現実。
少し。
重い。
◇
騎士が続ける。
「お前が殺したのは」
「……」
「我々の同胞だけではない」
「……」
「市民もいた」
黒衣の客。
沈黙。
「違うと言うか」
「言わない」
私は。
また。
息を止める。
否定。
しない。
「なら」
騎士。
「なぜ逃げる」
「逃げていない」
「同じことを――」
「私は」
黒衣の客が。
一拍。
「ここへ泊まりに来ただけだ」
「…………」
その言葉。
前にも。
聞いた。
最初に。
Hotel Aequitasへ来たとき。
――泊まりに来ただけだ。
ただ。
その意味が。
今は。
少し違って聞こえる。
「何のために」
騎士。
黒衣の客。
しばらく。
答えない。
そして。
「忘れないためだ」
小さな声。
「何?」
「お前たちには関係ない」
騎士の顔が。
険しくなる。
◇
話は。
平行線。
黒衣の客は。
自首しない。
騎士団は。
連行したい。
Hotel Aequitasは。
館内での強制連行を認めない。
「では」
年長騎士が。
ブラッドリーを見る。
「期限を設ける」
「期限?」
「三日」
一拍。
「三日後」
「……」
「我々は再び来る」
「その際」
「罪人が自主的に出てこなければ」
騎士。
静かに。
「Hotel Aequitasそのものを」
一拍。
「敵対勢力と見なす」
空気。
凍る。
私。
思わず。
「それは脅しじゃ」
ナナリー。
「ナナサキ」
「……はい」
黙る。
ブラッドリー。
表情。
変わらない。
「承知いたしました」
「総支配人!」
私。
今度こそ。
声。
「承知って!」
ブラッドリー。
こちらを見る。
「期限を聞いたという意味です」
「……あ」
なるほど。
怖い。
この人。
言葉選び。
上手すぎる。
「では」
ブラッドリーが騎士団へ。
「本日の面会は以上でよろしいでしょうか」
年長騎士。
「構わない」
「ありがとうございます」
本当に。
ホテルの締め方。
◇
騎士団。
退館。
武器返却。
玄関外。
撤収。
ロビー。
少しずつ。
日常へ。
戻る。
私は。
放心。
「…………」
隣。
アシュリー。
「大丈夫?」
「大丈夫に見えます?」
「見えない」
「ですよね」
「甘いもの食べる?」
「今はいいです」
「重症ね」
そういう問題?
◇
フロントバック。
管理職。
集合。
私も。
端。
いる。
「三日」
サンディー。
「短いな」
「十分長いです」
ナナリー。
「何か起こすには」
「そういう言い方やめて」
私。
「怖いので」
ブラッドリー。
静か。
「まず」
全員。
見る。
「宿泊客への影響を最小限にします」
「営業続けるんですか?」
私。
「当然です」
「この状況で?」
「ホテルですので」
「またそれ!」
でも。
その言葉。
今は。
少し。
違って聞こえる。
営業。
続ける。
客が。
いるから。
「警備強化」
「はい」
「宿泊客への案内」
「必要最小限」
「噂」
「完全には止められません」
「キャンセル」
「出る可能性があります」
現実的な話。
一気に。
ホテル運営。
に戻る。
「ナナサキ」
ブラッドリー。
「はい」
「怖いですか」
突然。
私は。
少し。
止まる。
「……はい」
正直に。
答えた。
「怖いです」
「そうですか」
「このホテル」
一拍。
「本当に」
少し。
笑う。
「命懸けなんですね」
サンディー。
「普通はここまでじゃない」
「普通って何なんです?」
「……難しいな」
「でしょうね」
◇
その夜。
私は。
黒衣の客の部屋へ。
行くか。
迷った。
でも。
結局。
行った。
月蜜。
ホットドリンク。
いつもの。
コンコン。
「失礼いたします」
扉。
開く。
黒衣。
「……来たか」
「来ました」
「離れていろと言った」
「仕事なので」
「頑固だな」
「ホテルマンなので」
「それは理由になるのか」
「最近なってきました」
中へ。
カップ。
置く。
しばらく。
沈黙。
私は。
聞きたい。
たくさん。
でも。
まず。
「一つだけ」
「何だ」
「聖騎士団の話」
黒衣の客。
無言。
「本当なんですか」
「何が」
「人を」
一拍。
「殺したこと」
沈黙。
長い。
「……本当だ」
胸。
重い。
分かってた。
でも。
直接。
聞くと。
違う。
「市民も?」
「……ああ」
私は。
目を伏せる。
月蜜の湯気。
揺れる。
「じゃあ」
声。
少し。
低くなる。
「あなたは」
「……」
「悪い人なんですか」
自分でも。
子どもみたいな質問だと思った。
黒衣の客は。
少し。
驚いたように。
私を見る。
そして。
「知らん」
「え?」
「私にも」
一拍。
「分からん」
「……」
「正しかったとは思っていない」
「じゃあ」
「だが」
声。
低い。
「間違っていたとも」
一拍。
「言い切れない」
複雑。
簡単じゃない。
私は。
少しだけ。
息を吐く。
「……嫌ですね」
「何が」
「白黒つかないの」
「人間は白黒つけたがる」
「そうかもしれません」
私は。
椅子。
座らない。
立ったまま。
「でも」
「……」
「一つだけ」
黒衣を見る。
「ここで」
一拍。
「誰かに危害を加えるつもりはあります?」
黒衣の客。
即答。
「ない」
「じゃあ」
私は。
少しだけ。
笑う。
「今の私は」
「……」
「ホテルマンとしては」
一拍。
「それで十分です」
黒衣の客。
何も言わない。
「外で何をしたか」
「……」
「私には」
「……」
「まだ分かりません」
「……」
「でも」
Hotel Aequitas。
ここでは。
客。
「このホテルの中では」
一拍。
「あなたはお客様です」
黒衣の客。
目。
少し。
細くなる。
「……本当に」
小さな声。
「似ているな」
「誰に?」
「……」
答えない。
昔の。
人間。
旅人。
たぶん。
あの人。
「アラタ」
「はい」
「三日後」
「……」
「私は」
一拍。
「ホテルを出る」
私。
驚く。
「え?」
「騎士団に従うわけではない」
「じゃあ」
「ここを」
窓。
見る。
「巻き込めない」
「…………」
「だから」
黒衣の客。
「それまでに」
「何を」
「お前に」
一拍。
「話しておく」
胸。
ざわつく。
「人間のこと?」
「ああ」
「Hotel Aequitasのこと?」
「ああ」
「手紙を書いた人のこと?」
沈黙。
そして。
「それも」
私は。
完全に。
目を開く。
ついに。
「名前」
「……」
「教えてくれるんですか」
黒衣の客は。
しばらく。
答えない。
やがて。
「名前だけではない」
低い声。
「何者だったのか」
「……」
「なぜ」
「……」
「この世界へ来たのか」
私の心臓。
強く。
鳴る。
「そして」
黒衣の客が。
私を。
真っ直ぐ。
見る。
「なぜ」
一拍。
「帰れなかったのか」
息。
止まる。
私と。
同じ。
別世界から。
来た人間。
でも。
帰れなかった。
「……帰れなかった」
私。
小さく。
呟く。
「そうだ」
「じゃあ」
一拍。
「私も?」
言葉。
止まる。
黒衣の客。
答えない。
でも。
その沈黙が。
怖かった。
夜。
Hotel Aequitas。
あと三日。
聖騎士団が。
再び来るまで。
そして。
黒衣の客が。
このホテルを去るまで。
三日。
その短い時間の中で。
私は。
この世界へ来てから。
最も大きな真実に。
触れることになる。
――第12話 完




