表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
X  作者: x
PR
4/6

3

 反射的に傷から目を離し、ドアに顔を向ける。


 気のせいじゃない。はっきりと聞こえた。


 誰かが、歩いている。


 ——ミシッ、ミシッ。


 リビングの方からだ。


 ……いやいや、おかしいだろ。


 当たり前だ、一人暮らしをしているはずの男子高校生の部屋の中から、自分以外の足音が聞こえてきたのだから。


 心臓が止まりそうになる。


 それなのに、足音は止まらない。


 一定の間隔で、ゆっくりと。


 そこにいることを示すように響いている。


 俺はしばらくその場に立ち尽くす。


 だが、音は消えない。


 むしろ、気にすればするほど大きく感じる。


 ……見るだけだ。


 好奇心を奮い立たせるように小さく呟く。


 恐怖で床に縛り付けられた俺の足はそうでもしないと動けなかった。


 足音殺して俺は足を踏み出す。


 扉の前に立つ。


 ——ミシッ。


 音が、すぐ向こうで止まった。


 息を止める。


 いや止まる。


 いる。


 扉の向こうに。


 確実に。


 ゆっくりと、ドアノブに手をかける。


 冷たい。


 指先がわずかに震える。


 そのまま、音を立てないように回す。


 慎重に。


 少しずつ。


 そして——


 扉を、ほんのわずかだけ開ける。


 隙間から、中を覗く。


 最初に見えたのは、見慣れた床。


 テーブルの脚。


 ソファ。


 何も変わらないリビング。


 ……何もいない。


 ……なんだよ


 小さく息を吐く。


 気のせいか、と思いかける。


 だが、空気が妙だった。


 重い。


 やけに、静かすぎる。


 違和感が消えない。


 その違和感が、頭の中の恐怖が、無意識に俺の手に扉を閉めさせた。


 そのとき——


 ——カチャ。


 わずかな音が鳴った。


 ほんの少しの扉が閉まる音。


 小さな音。


 だが——


 その瞬間。


 空気が、変わった。


 さっきまでの静けさが、一瞬で崩れる。


 別になにか、音がなっているわけでもない。


 しかし、そこに静けさがあるとは、絶対に思えなかった。


 何かがこちらに気づいた。


 そうわかる。


 ……っ、ヤバい。


 反射的に、扉から離れる。


 だが遅かった。


 離れた時にはもう、あちら側からなにかが扉を開けていた。


 ——いた。


 さっきまで何もなかったはずの空間。


 その中央に、“それ”は立っていた。


 音もなく。


 最初からそこにいたみたいに。


 人の形に近い。


 だが、人じゃない。


 そんなものは見りゃわかる。


 輪郭が揺れている。


 存在が、安定していない。


 腕が長い。


 不自然なほどに。


 そして、その先——手の位置から、伸びている、3本の刃。


 ナイフのように鋭い。


 冷たい光を反射している。


 刃の先が、床にわずかに触れる。


 ——キィィィ……。


 あの音。


 耳を削るような音が、静かに響く。


 化け物だった。


 全身から、紫色の靄が滲み出ている。


 煙のように揺れているのに、消えない。


 むしろ、広がっている。


 呼吸が止まる。


 目が離せない。


 その瞬間。


 怪物の“顔”のような部分が、ゆっくりとこちらへ向いた。


 目はない。


 だが——確実に、見られた。


 ⋯⋯ヤバいっ…死ぬ。


 全身に冷たいものが走る。


 次の瞬間。


 怪物が、一歩踏み出した。


 ——ミシッ。


 さっき聞こえていた足音と、同じ音。


 それよりも、化け物から感じるあの殺気。


 俺の生物的本能が『ニゲロ』という言葉を連呼していた。


 紫色の靄が、じわじわとこちら側との距離を縮めていく。


 「……っ」


 声にならない。


 三本の刃が、ゆっくりと揺れる。


 細く、長く、異様なほど鋭い。


 ——キィィィ……。


 床を擦る音が、静かな空間に響く。


 そして化け物が、また一歩踏み出す。


 その一歩で化け物は洗面所の中に、入ってきた。


 距離が、一気に縮まる。


 圧迫感が、空気ごと押し寄せてくる。


 ……ヤバいヤバいヤバい…逃げねぇと。


 そう思った瞬間、体が勝手に動いた。


 洗面所の隣の部屋にドアを開けて入り込む。


 風呂場。


 ほとんど転び込むように中へ入り、そのまま振り返る。


 ——バンッ!!


 勢いよく扉を閉める。


 壁にぶつかるほどの勢い。


 手が震える。


 意味のないことだとわかっていながら風呂場の薄い扉に鍵をかけようとした。


 「……っ、くそ……!」


 指がうまく動かない。


 滑る。


 焦る。


 向こうから、気配が迫ってくる気がする。


 ようやく鍵に触れる。


 回す。


 ——カチ。


 ……よ、よし!


 小さな音。


 それでも確かに、ロックされた。


 身体を扉に押し当ててはいけないと思った。


 あの化け物の爪はこんな風呂場の扉一枚なんて簡単に貫通すると思った。


 扉から離れ壁際に寄る。


 全身が震えている。


 呼吸が荒い。


 心臓がうるさい。


 外の気配に耳を澄ます。


 ——キィィィ……。


 すぐ向こうだ。


 扉一枚隔てただけの距離。


 しかもその扉も扉と呼べるかすら怪しいもの。


 近すぎる。


 静かだ。


 逆に、それが怖い。


 何もしてこない。


 だからこそ、次が来るのがわかる。


 「……来んな…」


 無意識に呟く。


 意味なんてない。


 そんなことはわかっている。


 逃げられるはずもない。


 それでも、言わずにいられなかった。


 その瞬間——


 ——ドンッ!!


 衝撃音とともにドアが身体に叩きつけられた。


 ドアが吹っ飛んできたのだ。


「……っ!!」


 体が壁に押しつけられる。


 扉ごと押しつけられる。


 肺の空気が一気に抜ける。


 息ができない。


 吹っ飛んできただけだと思っていたドアは化け物の爪に串刺しにされていた。


 そして爪は俺の右脚をも貫通していた。


 化け物の貫通した爪は俺をドアごと振り上げた。


 ——ドンッ!!


 「——グハッ」


 地面に叩きつけられた。


 ドアの破片が飛び散る。


 破裂するような音。


 扉が悲鳴を上げる。


 紫色の靄が一気に流れ込む。


 化け物が風呂場にまで入り込んできた。


 背中から叩きつけられた俺は、なんとかよろめきながらも立ち上がり化け物に視線を向けた。


 やはり——


 化け物は殺意をこちらに突き刺しながら一歩また一歩と進んできていた。


 紫の靄が、濃い。


 空間そのものが歪んで見える。


 逃げ場がない。


 背後は壁。


 距離は、数歩もない。


 「……っ、くそ!」


 とっさに、手を伸ばす。


 目に入ったものを掴む。


 シャワー。


 ホースごと引き寄せる。


 軽い。


 頼りない。


 それでも、何もないよりはマシだった。


 両手で握る。


 振りかぶる。


 怪物に向かって、振り回す。


 当たれば。


 少しでも止まれば。


 そんな期待が、一瞬よぎる。


 だが——


 足元が滑った。


 「……っ!」


 体勢が崩れる。


 視界が揺れる。


 次の瞬間——


 ——ドンッ!


 背中から倒れた。


 激痛が走る。


 息が詰まる。


 手から力が抜ける。


 シャワーが暴れる。


 その拍子に——


 蛇口が、ひねられた。


 ——シャァァァッ!!


 一気に水が噴き出す。


 強い勢い。


 シャワーヘッドが暴れ、水が四方に飛び散る。


 顔に直撃する。


 冷たい。


 息が乱れる。


 目が開けていられない。


 視界が滲む。


 それでも、必死に起き上がろうとする。


 腕に力を込める。


 だが、滑る。


 体が言うことをきかない。


 恐怖で、力が入らない。


 そのとき——


 影が、視界に入った。


 顔を上げる。


 すぐ目の前に、怪物がいた。


 距離は、ほとんどゼロ。


 ゆっくりと、こちらへ歩いてくる。


 一歩。


 また一歩。


 ——キィィィ……。


 刃が床を擦る音が、耳元で鳴る。


 近い。


 近すぎる。


 逃げられない。


 …もう、無理だ。


 そう理解した瞬間。


 全身から力が抜けた。


 抵抗する気力が、消える。


 視界が暗くなる。


 音が遠ざかる。


 水の音だけが、やけに大きく残る。


 冷たいはずなのに、感覚が鈍い。


 ぼやけていく。


 怪物の輪郭も、紫の靄も、滲んでいく。


 最後に見えたのは——


 振り上げられる、三本の刃。


 ……死んだな。


 そして——


 俺は死より先に恐怖で意識を失った。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ