第5話 死神との商談
「ノクス、今、話せる?」
通信の鏡に呼びかけると、しばらくして黒髪の男が映し出された。
『おや、アリエス様。お久しぶりですね』
整った顔立ちに、人当たりのよさそうな笑顔。人間界でバーを経営しているだけあって、愛想だけはいい男だ。
もっとも、その正体は死神なのだけれど。
『今日はどのようなご用件でしょう?』
「ちょっと頼みたいことがあるのよ」
『なるほど。今度はどなたです?』
相変わらず話が早いわね。
わたしは別の鏡を出現させ、先日から目をつけていた男を映した。
「この男よ。なかなかいい男でしょ?」
『ほう。随分とお気に召したようですね』
「そうなの。だから、こちらに呼びたいのよ」
ノクスは男の顔を眺めると、手元の黒い帳簿を開いた。
『早瀬律、三十二歳。独身で、職業は建築士ですか』
「どう? 頼めそう?」
『少々厄介ですね。健康状態も良好ですし、当分は死ぬ予定がありません』
「だから、あなたに頼んでいるんじゃない」
生きている人間を、わたしの権能で勝手に召喚することはできない。不幸にして死んだ人間だけが対象なのだ。
その点、死神は便利である。
ノクスたちは人間の運命に干渉し、本来なら助かるはずの命を奪うことができる。ただし、事故を何もないところから作り出せるわけではない。もともと存在していた危険や、偶然が重なる機会を利用するらしい。
「それで、いくら?」
『一千万円でいかがでしょう』
「はあ? ちょっと高すぎない?」
以前頼んだときは、もっと安かったはずだ。
『今回は健康な男性を、それも早急にというご依頼ですから』
「あなた、人間を殺せば寿命が延びるんでしょ? それだけでも十分じゃない」
『寿命は寿命、報酬は報酬です。こちらも商売ですので』
何て強欲な男なのかしら。
「八百万円にまけなさいよ」
『それでしたら、急ぎの仕事としてはお受けできませんね。いつ結果が出るか分かりませんが』
「今月中には何とかしてほしいのよ」
『では、一千万円で。三日以内に一度仕掛けてみましょう。ただし、成功するとは限りません』
ずいぶん自信のない死神ね。
とはいえ、先日五千万円も稼いだばかりだし、少しくらい使っても問題ないだろう。
何より、あの男を手元に呼んで、ゆっくり話をしてみたい。
もちろん、今月のノルマもある。別に男目当てというわけではないのよ。
「分かったわ。一千万円でお願いする」
『ありがとうございます。前金二百万円、残り八百万円は対象者が死亡した場合にいただきます』
「失敗したら前金は返してくれるんでしょうね?」
『調査費用ですので、返金はできません』
「何よ、それ!」
失敗しても金を取るなんて、随分と図々しい商売をしているものだ。
ノクスはわたしの文句を聞き流し、帳簿に何かを書き込んだ。
『それでは、手続きを進めましょう。なお、運命への干渉には限界がありますので、対象者が危険を回避する可能性もあります』
「分かっているわよ。とにかく、なるべく早くお願いね」
わたしは人間界の協力者に送金を指示し、通信を切った。
◇
翌日の夕方、ノクスから連絡があった。
『アリエス様。早瀬律の件ですが、今日、少し仕掛けてみようと思います』
「あら、早いじゃない」
『ちょうど条件のよい機会がありましてね。ご覧になりますか?』
もちろん、見るに決まっている。
わたしは人間界を映す鏡を取り出した。
そこには、仕事帰りの人間たちで賑わう商店街が映っていた。早瀬は鞄を肩に掛け、のんびりと歩いている。
「それで、どうするつもりなの?」
『しばらく見ていれば分かりますよ』
ノクスはそう言うと、通信を切ってしまった。
気取った男ね。
早瀬は一軒の書店の前で足を止めた。
何か気になる本でも見つけたのだろう。店先に並んだ雑誌を眺めている。
そのとき、頭上で小さな音がした。
書店の軒先に取り付けられた看板が、わずかに傾いたのだ。
あれが落ちるのね。
わたしは鏡に顔を近づけた。
ところが、早瀬は足元に落ちていた財布に気づき、それを拾い上げた。
前を歩いていた女性のものらしい。
早瀬はすぐに女性を追いかけ、声を掛けた。
「ちょっと! どこへ行くのよ!」
わたしの声など届くはずもない。
そして次の瞬間、大きな音を立てて看板が落下した。
早瀬が先ほどまで立っていた場所だった。
「あーあ。逃げられちゃった」
そう思ったところで、通行人たちの悲鳴が聞こえた。
見ると、一人の男が倒れている。
ちょうど看板が落ちるところへ通りかかり、頭に直撃を受けてしまったらしい。
周囲の人間たちが駆け寄り、誰かが救急車を呼んでいる。
早瀬も戻ってきて、倒れた男を助けようとしていた。
せっかく助かったのに、また危ないところへ近づくなんて、変わった人間ね。
そのとき、机の上で鈴が鳴った。
新しい書類が現れる。
死亡者一名。
死因は、落下物による頭部への強い衝撃。
書類に記された名前は、早瀬律ではなかった。
「ちょっと、ノクス!」
わたしはすぐに通信をつないだ。
『はい。何でしょう?』
「違う男が死んだじゃない!」
『申し訳ありません。早瀬律が予定外の行動を取りまして』
「あんた、ちゃんと仕事をしているの?」
『運命に干渉はできても、人間の行動を完全に操ることはできませんからね』
ノクスは悪びれた様子もない。
『今回の失敗について、成功報酬はいただきません。前金は契約どおりですが』
「当たり前よ。注文した男と違うんだから!」
わたしが怒っていると、ノクスは妙に機嫌のよさそうな顔をした。
「何を笑っているのよ?」
『いえ、こちらにも多少の収穫がありましたので』
「収穫?」
『今回の事故は、わたしが運命に干渉した結果です。亡くなったのが別の方でも、寿命はいただけます』
つまり、この男は仕事に失敗したくせに、寿命だけは手に入れたらしい。
「それって、あなただけ得しているじゃない」
『そうとも言えますね』
「だったら、前金くらい返しなさいよ!」
『契約は契約ですので』
腹の立つ男ね。
もっとも、今回はわたしにも少しばかり利益があった。
机の上に置かれた死亡者の書類を見る。
四十二歳の男性会社員。仕事帰りに商店街を歩いていたところ、突然の事故に巻き込まれたらしい。
不幸な話だが、死んでしまった以上、異世界への召喚条件は満たしている。
「まあ、いいわ。今月のノルマが一人分減るんだから」
『では、早瀬律の件は引き続き進めますね』
「今度こそ間違えないでよ」
『できる限り努力いたします』
わたしは通信を切り、召喚の準備を始めた。
せっかく死んだ人間を、そのまま放っておくのももったいない。
指を鳴らすと、床に白い光が広がり、その中から一人の男が現れた。
「……え? 何だ、ここは?」
男は自分の体を見下ろし、慌てて頭に手をやった。
「俺、看板の下敷きになって……」
「あら、覚えているのね」
男は顔を上げた。
「あんたは誰だ?」
「女神アリエスよ。残念だけど、あなたは死んでしまったの」
「……死んだ?」
男の顔が青ざめた。
突然の事故なのだから、信じられないのも無理はない。
「おかしいんだ……」
「何が?」
「あの看板が落ちる前、変な男がいたんだよ」
わたしは書類をめくる手を止めた。
「変な男?」
「黒い服を着た男だ。あいつ、看板を見上げて笑っていたんだ」
黒い服の男。
まさかね。
「気のせいじゃない?」
「いや、確かに見たんだ。俺が近くを通ったとき、そいつがこっちを見て……」
男はそこで口を閉じた。
わたしは机の上の書類を裏返した。
「まあ、その話はもういいじゃない。それより、あなたには異世界へ行ってもらうわ」
「待ってくれ! 異世界って何だよ! 俺を元の世界に戻してくれ!」
また始まった。
男の服装を見る限り、あまりお金を持っていそうには見えない。蘇生料金を払えるかどうか尋ねるのも面倒だ。
それに、今回は事情が違う。
「無理ね。看板が頭に直撃したんでしょう? 肉体の損傷がひどすぎるわ」
「そ、そんな……」
「魂を戻してあげても、すぐに死んでしまうわよ。諦めなさい」
男は頭を抱え、その場にしゃがみ込んだ。
気の毒だけれど、どうしようもない。わたしだって、何でもできるわけではないのだ。
しばらくすると、男は顔を上げた。
「……それじゃ、異世界に行けば生きられるんだな?」
「そうよ。新しい肉体も用意してあげるわ」
「だったら、強いスキルをくれ!」
「スキル?」
「異世界って、魔物がいるんだろ? だったら、戦える能力が必要じゃないか!」
まあ、間違ったことは言っていない。
前に送り込んだ男にはスキルを付与し忘れたし、今回はちゃんと与えておこう。
とはいえ、いちいち適性を調べて選ぶのも面倒だ。
わたしはスキルの一覧を開き、適当なものを選んだ。
「はい。付与したわよ」
男の体が一瞬だけ光った。
「おっ! 何のスキルだ?」
「《トイレ我慢》よ」
「……は?」
「普通の人間より、一時間長くトイレを我慢できるスキルね」
男はしばらく黙っていた。
「……それだけ?」
「そうよ」
「ふざけるな! そんな能力で魔物と戦えるか!」
「何よ。ちゃんとスキルを与えてあげたじゃない」
「剣術とか魔法とか、もっと役に立つ能力があるだろ!」
「贅沢を言わないでちょうだい。こっちは無料で与えているのよ」
男は顔を真っ赤にして怒鳴り始めた。
せっかく新しい人生を与えてあげるというのに、文句ばかりね。
わたしは指を鳴らし、次元の扉を開いた。
「それじゃ、頑張ってね」
「ちょっと待て! スキルを変えてくれ!」
「もう付与しちゃったもの。変更はできないわよ」
「そんな馬鹿な話があるか!」
「ほら、行った行った」
わたしが手を振ると、男の体が扉へ向かって引っ張られていく。
「ふざけるな! このクソ女神! うわああああ!」
男は散々悪態をつきながら、扉の向こうへ消えていった。
「まったく、失礼な人間ね」
わたしは扉を閉じ、召喚実績に一人と記入した。
ようやく今月一人目だ。
月が替わってから、もう何日も経っているというのに、まだ二十九人も残っている。
このままでは、月末に苦労することになりそうだ。
「明日からは、もう少しペースを上げないとね」
わたしは書類を片付け、仕事を終えることにした。




