第4話 真面目な女神は損をする
待ちに待った香水が届いた。
人間界から取り寄せた限定品で、ミレーネが欲しがっていたものだ。小さな瓶に入っているくせに、値段はちっとも可愛くない。
まあ、五千万円も稼いだばかりだし、これくらいの贅沢は許されるだろう。
「うん。いい香りね」
手首につけた香水の匂いを楽しんでいると、机の上に一通の通知が現れた。
『女神セレスの異世界現地調査を承認する。なお、調査期間中も召喚ノルマの減免は認めない』
「あら、本当に行くことになったのね」
昨日、セレスはスキルを与え忘れた人間を探しに行くと言っていた。魔王軍に占拠されたケルド砦まで出向くなんて、正気とは思えない。
しかも、今月もノルマを達成できなければ、罰として現地派遣を命じられるかもしれないのだ。
わざわざ危険な場所へ行って、さらに仕事まで遅らせる。あの女神の考えることは、わたしには理解できなかった。
もっとも、本人が好きでやっているのだから、止める義理もない。
わたしは通知を脇へ寄せ、香水の瓶を化粧台に飾った。
◇
昼過ぎ、セレスから連絡が入った。
『ケルド砦の南にある避難所へ到着しました。砦は現在も魔王軍に占拠されており、周辺には敵部隊が展開しています。新たな召喚者をこの地域へ送り込まないでください』
わたしは召喚先の一覧を取り出した。
ケルド砦は以前から使っている転送先の一つで、今も登録されたままになっている。別の場所へ変更するには、受け入れ先を確認して登録し直さなければならない。
「面倒ねえ」
どうせ、今すぐ誰かを送り込む予定はない。そのときになったら考えればいいだろう。
続けて、もう一通届いた。
『秋山修司さんの安否は、まだ確認できていません。砦から逃れてきた人々にも話を聞いていますが、避難所では負傷者の手当てや食料の配給が追いついておらず、調査には時間がかかりそうです』
あらまあ。
人間を探しに行ったはずなのに、今度は避難民の世話までしているらしい。
セレスらしいといえば、それまでだけれど、そんなことをしていては、いつまで経っても帰ってこられないだろう。
わたしは返信を書いた。
『それは大変ね。ところで、わたしが先月送り込んだ残り二十九人の安否も、ついでに調べてくれない?』
しばらく待っても返事はなかった。
忙しいのかしら。
まあ、向こうが落ち着いたら連絡してくるだろう。
それより問題なのは、わたし自身の生存報告書だった。
昨日の会議で、先月送り込んだ人間の生存状況を一週間以内に報告するよう命じられている。
机の引き出しから用紙を取り出した。
三十人分。
名前と召喚先、生存状況を記入する欄が並んでいる。生きているか死んでいるか分からない場合は、消息不明として報告してもよいらしい。
「だったら、全員消息不明でいいじゃない」
そう思って注意書きを読むと、現地への照会記録を添付するように書かれていた。
なるほど。消息不明と書くには、一度は問い合わせなければならないらしい。
なんとも面倒な決まりだ。
わたしはしばらく考え、いい方法を思いついた。
問い合わせたことにすればいいのよ。
早速、三十人分の報告書に『現地照会済み。回答待ち』と記入した。照会先にはそれぞれの受け入れ先を書き、日付も今日にしておく。
実際にはどこにも問い合わせていないが、どうせ戦争中だ。連絡が取れない場所だってあるだろう。
これで書類上は問題ないはずだ。
わたしは出来上がった報告書を眺め、満足して頷いた。
「ふふっ。やればできるじゃない」
これなら三十人分の確認作業が、あっという間に終わってしまう。
真面目に調べているセレスにも教えてあげたいくらいだが、あの女神のことだから、また余計な説教を始めるに違いない。
わたしは報告書を提出した。
もちろん、照会記録には実際の問い合わせ履歴が残っていない。しかし、異世界からの報告書を集めるだけでも大変なのに、神がそこまで調べるとは思えなかった。
そもそも、神がもう少し若くて元気なら、こんな仕事を女神に押しつける必要もないのだ。
あのよぼよぼの老人にも、少しは頑張ってもらいたいものね。
◇
夕方になって、ミレーネから連絡があった。
『アリエス、聞いた? セレスが避難所で人間の治療を手伝っているんですって』
「知っているわよ。本人から連絡があったもの」
『しかも、秋山って人間はまだ見つかっていないそうよ』
「そうみたいね」
『あの子、今月もノルマを達成できないんじゃない?』
「でしょうね」
異世界へ行っている間は、新しい人間を召喚できないわけではないが、現地調査をしながらでは仕事もはかどらないだろう。
ましてセレスは、もともと召喚する人間を慎重に選ぶ女神だ。残りの日数で三十人も送り込めるとは思えない。
『ところで、アリエスは何人送り込んだの?』
「まだゼロよ」
『えっ、ゼロ? もう月が替わって何日も経っているのに?』
「仕方ないでしょ。先日は蘇生を希望する人間が来たんだから」
『ああ、五千万円の人ね。でも、蘇生させたら召喚実績にはならないじゃない』
「分かっているわよ」
余計なことを言う女ね。
ミレーネは今月すでに五人送り込んだらしい。先月も三十一人と、わたしより一人多かった。
だからといって、偉そうにされる筋合いはない。
わたしだって、やろうと思えばすぐに三十人くらい集められるのだ。
『まあ、頑張ってね。わたしはこれからお風呂に入るから』
「はいはい。またね」
連絡が切れると、わたしは人間界を映す鏡を取り出した。
ミレーネにあんなことを言われては、少しは仕事をする気にもなる。
とはいえ、不幸にして死んだ人間しか召喚できないので、こちらから好きなだけ呼び寄せられるわけではない。
誰か都合よく死んでくれないかしら。
鏡に映る街並みを眺めていると、見覚えのある男が目に留まった。
「あら、あの男じゃない」
先日、お風呂で見つけた好みの男だった。
背が高く、顔立ちも整っている。あれから何度か様子を見ているが、健康そのもので、死ぬ気配などまったくない。
ところが、今日は様子が違った。
男は道路脇に車を止め、別の運転手と言い争っていた。どうやら、車をぶつけられたらしい。
相手の運転手は随分と興奮しており、今にも殴りかかりそうな勢いだ。
これは、ひょっとすると。
「頑張って。もう少しよ」
わたしは鏡に顔を近づけた。
相手の男が拳を振り上げる。
しかし、目当ての男はひょいと身をかわし、あっさり相手を取り押さえてしまった。
「あーあ。何よ、つまらない」
せっかく期待したのに。
どうやら、偶然の事故を待っているだけでは駄目らしい。
わたしは鏡を閉じ、しばらく考えた。
人間の死を操るのは、本来わたしたち女神の仕事ではない。だが、世の中にはそういうことを専門にしている連中もいる。
以前、少しばかり世話になった男がいたはずだ。
確か、金さえ払えば大抵のことは引き受けてくれた。
「久しぶりに、あいつに連絡してみようかしら」




