第3話 勇者召喚、月30人
天界の会議ほど退屈なものはない。
わたしは円卓に頬杖をつきながら、人間界から取り寄せた香水のことを考えていた。
五千万円も手に入ったのだから、少しくらい贅沢してもいいだろう。昨日注文した限定品が届くのは、明日になるらしい。
「ねえ、アリエス。何をにやけているの?」
隣に座っているミレーネが、小声で話しかけてきた。
「別に。ちょっといいことがあっただけよ」
「もしかして、また何か買ったの?」
「限定品の香水よ。あなたが欲しがっていたやつ」
「えっ! あれ、もう売り切れたんじゃなかったの?」
「探せばあるものよ。少し高かったけどね」
ミレーネは悔しそうに唇を尖らせた。
いい気味だわ。先月は散々自慢されたのだから、これくらい許されるだろう。
「そこ、私語を慎まんか!」
円卓の奥から、しわがれた声が飛んできた。
大神オルディスだ。
長い白髭を生やした、よぼよぼの老人。昔は随分と力のある神だったらしいが、今では椅子から立ち上がるだけでも一苦労である。
「すみませーん」
わたしが返事をすると、オルディスは咳払いをして書類をめくった。
「では、先月の召喚実績を発表する。まず、ミレーネ。三十一人」
「はい!」
ミレーネが得意げに胸を張る。
「アリエス。三十人」
「きっちり達成しました」
わたしも胸を張った。最終日に滑り込んだとはいえ、達成は達成だ。
「セレス。十九人」
オルディスの声が険しくなった。
「これで二か月連続の未達じゃな」
「申し訳ありません」
セレスは深々と頭を下げた。
彼女は真面目すぎる女神だ。召喚する人間の素質を調べたり、異世界での生活について説明したりと、余計なことに時間を使っている。
その結果が十九人なのだから、世話がない。
「規定により、そなたの私的な権能使用を一部制限する。今月も未達なら、異世界への現地派遣を検討せねばならん」
あらまあ。
現地派遣とは、異世界へ直接赴いて召喚者の支援をする仕事だ。もちろん、魔族に襲われる危険もある。
そんなところに行かされるくらいなら、多少無理をしてでもノルマを達成した方がいい。
「あなた、もう少し要領よく仕事をしたら?」
わたしが声を掛けると、セレスは困ったような顔をした。
「ですが、戦う力のない人間を無理に送り込んでも、犠牲者を増やすだけです」
「スキルを与えているんだから、あとは本人の努力次第でしょ」
「それだけで済む問題ではありません」
融通の利かない女神ね。
人間一人ひとりの事情なんて聞いていたら、三十人も送り込めるはずがない。
「セレスの言いたいことも分かる」
オルディスが口を挟んだ。
「じゃが、異世界の戦況は厳しい。魔王軍の侵攻によって国境の防衛線は崩れかけておる。兵の補充が追いつかんのじゃ」
つまり、今月もノルマは減らないということだ。
せめて二十五人くらいにしてくれないかしら。
「それと、もう一つ問題がある」
オルディスは別の書類を取り出した。
「異世界の各国から、召喚者による犯罪の報告が相次いでおる。住民への暴行、金品の強奪、命令違反。中には盗賊団を結成した者までおるそうじゃ」
盗賊団とは、なかなか行動力のある人間もいるものね。
「召喚する人間の選定を、もっと慎重に行うべきです」
セレスが発言した。
「最初から犯罪を犯す危険性の高い人物を避ければ、こうした問題も減らせるはずです」
「しかし、それでは人数が足りん」
オルディスは白髭を撫でながら考え込んだ。
わたしには何を悩んでいるのか分からない。
「犯罪を犯したなら、異世界の法律で裁けばいいんじゃないですか?」
そう言うと、セレスがこちらを向いた。
「アリエス。そもそも、そういう人物を送り込まなければよいのです」
「そんなこと言われてもねえ。人間の性格なんて、少し話したくらいじゃ分からないわよ」
もっとも、わたしはろくに話も聞かずに送り込んでいるのだけれど。
「とにかく、召喚人数は維持する」
オルディスは話を打ち切った。
「その代わり、今後は召喚者の生存状況についても報告してもらう。各国から届いている名簿と、自分たちの召喚記録を照合するのじゃ」
「ちょっと待ってください!」
思わず声を上げた。
「送り込んだ人間が生きているかどうかなんて、いちいち調べていられませんよ!」
「生死が確認できん者は、不明として報告すればよい。まずは先月分を一週間以内に提出するように」
冗談じゃないわ。
せっかくノルマを達成したのに、また仕事を増やされるなんて。
◇
会議が終わると、ミレーネが話しかけてきた。
「ねえ、アリエス。あの報告書、どうする?」
「どうするって?」
「わたし、先月送り込んだ人間が何人生きているかなんて知らないわよ」
「わたしだって知らないわ」
そもそも、異世界から届く報告書は膨大な量だ。そんなものを一枚ずつ確認していたら、買い物を楽しむ時間がなくなってしまう。
「適当に書けばいいんじゃない?」
「適当って?」
「全員生きています、とか」
ミレーネは吹き出した。
「あなた、本当にいい加減ね」
「どうせ神様だって、全部は確認できないわよ」
オルディスは随分と衰えている。かつては異世界の隅々まで見通せたらしいが、今では各国からの報告に頼りきりだ。
女神たちの権能を管理する力は残っているものの、細かい仕事まで手が回らないのだろう。
ミレーネと別れ、次元の狭間へ戻ろうとしたところで、背後から呼び止められた。
「アリエス、少しよろしいですか?」
セレスだった。
「何よ。まだ説教するつもり?」
「先月の召喚記録について、確認したいことがあります」
彼女は一枚の書類を差し出した。
「共通台帳を調べていたのですが、あなたが最後に送り込んだ人間のスキル付与欄が空白になっています」
秋山修司、三十九歳。
心筋梗塞による突然死。
ああ、あの男ね。
そういえば、スキルを与えるのを忘れていたんだった。
「それがどうかしたの?」
「まさか、スキルを付与せずに送り込んだのですか?」
「ええ。うっかり忘れちゃったのよ」
セレスは目を見開いた。
「うっかりって……! 召喚後は、こちらからスキルを付与できないのですよ!」
「知っているわよ」
「では、なぜ確認しなかったのですか!」
そんなに怒鳴らなくてもいいじゃない。
「別にいいでしょ。ほかに二十九人も送り込んでいるんだから」
「人数の問題ではありません!」
セレスは額に手を当てた。
「受け入れ先に連絡して、安否を確認してもらいます。あなたも報告書には正確に記載してください」
「はいはい。分かったわよ」
今さらスキルを与えられないのだから、どうしようもないじゃない。
それに、わたしだって悪気があって忘れたわけではない。
セレスが立ち去ろうとしたので、わたしは呼び止めた。
「ねえ、セレス。ついでに、わたしの分の生存報告書も作ってくれない?」
「どうしてそうなるんですか!」
随分と大きな声ね。
「冗談よ、冗談。ちょっと頼んでみただけじゃない」
セレスは呆れた様子で首を振り、もう一度書類に目を落とした。
「ところで、秋山さんはどこへ送り込んだのですか?」
「どこって、異世界よ」
「それは分かっています。転送先のことです」
そんな細かいことまで覚えているわけがない。わたしが答えずにいると、セレスは召喚記録を調べ始めた。
「……灰の国境、ケルド砦ですね」
「ああ、そうだったかしら」
砦の名前を聞いても、さっぱり思い出せない。
セレスはさらに異世界からの報告書を確認すると、急に顔色を変えた。
「アリエス。この砦、三日前に魔王軍に陥落しています」
「へえ。そうなの」
「守備隊は撤退していますが、召喚者の安否はまだ確認できていません」
それは気の毒な話ね。
もっとも、戦争中なのだから砦の一つや二つ、落ちることもあるだろう。
「それで、どうするの?」
「現地へ行って確かめます」
「えっ? あなたが?」
思わず聞き返した。
異世界には魔族がいるのよ。見つかったら命の保証なんてない。それなのに、たった一人の人間を探しに行くつもりなのだろうか。
「受け入れ先の人たちも大変でしょうから、できるだけ早く確認してきます」
「でも、あなた、今月もノルマを達成しないと現地派遣になるんでしょ?」
「分かっています」
「だったら、そんな余計なことをしている場合じゃないじゃない」
セレスは書類を抱え直した。
「放っておけませんから」
そう言い残して、彼女は足早に立ち去っていった。
わざわざ危険な異世界まで行くなんて、理解できないわ。しかも、そんなことをしている間にノルマが未達になれば、今度は罰として現地派遣になるかもしれないのだ。
わたしは小さく肩をすくめ、次元の狭間へ戻ることにした。
それにしても、あの男はどうなったのかしら。
まあ、生きていようと死んでいようと、わたしの召喚実績が減るわけではない。
それより、明日届く香水の方が気になっていた。




