第12話 勇者は地下で働
「おい、勇者! 手が止まっているぞ!」
背後から怒鳴り声が飛んできた。
俺は慌ててツルハシを振り上げ、目の前の岩盤を叩いた。
砕けた石が足元に転がる。使えそうな鉱石だけを選び、荷車に積み込む。それを何度も繰り返していた。
ここは鉱山都市グラードの地下六層。
俺がこの世界へ来て、三日目の朝だった。
俺の名前は相田航。二十六歳。日本では港の荷役作業員をしていた。
積み荷の事故で死んだあと、女神アリエスという綺麗な女性に呼び出された。
異世界で新しい人生を与えてくれるという。
魔王軍と戦うため、勇者として頑張ってほしいとも言われた。
俺も港で鍛えた体には自信があったし、《筋力補助》というスキルまで与えてもらったので、少しは役に立てると思っていた。
それが、どうしてこうなったのか。
「相田君、少し休んだら?」
隣で鉱石を選り分けていた宮本真理さんが、心配そうに声を掛けてきた。
三十二歳。日本では工場に勤めていて、俺と同じ日に召喚された女性だ。
女神から与えられたスキルは《夜目》。
そのおかげで、暗い坑道でも鉱石を見分けられるらしい。
「大丈夫です。まだ何とか」
「顔色、悪いわよ」
「宮本さんだって、全然寝てないでしょう」
彼女は苦笑した。
この鉱山では、一日十六時間働かされる。
食事は朝と夜の二回だけ。薄いスープと、噛むのにも苦労する硬いパン。
寝床は地下の共同部屋で、石の床に藁を敷いただけだった。
昨夜は隣の男がずっと咳き込んでいて、ほとんど眠れなかった。
地上へ出たいと頼んでも、許可は下りない。
女神様の言う新しい人生とは、こういうことだったのだろうか。
◇
休憩を知らせる鐘が鳴った。
俺たちは坑道の壁際に座り、配られたパンをかじった。
「相田君、昨日来た五人を見たか?」
小野寺剛さんが尋ねてきた。
四十三歳。元は運送会社員で、俺たちと一緒に召喚された人だ。
「ええ。みんな驚いていましたね」
「そりゃそうだ。勇者として呼ばれたと思ったら、いきなり地下へ連れてこられるんだからな」
小野寺さんのスキルは《疲労耐性》だった。
俺の《筋力補助》もそうだが、どうやら女神様は、俺たちが鉱山で働くことを最初から想定していたらしい。
「そういえば、給料はどうなるんですかね」
俺が尋ねると、小野寺さんはポケットから一枚の紙を取り出した。
「今朝、監督から渡されたんだ。賃金の計算書だとよ」
覗き込んでみる。
月額賃金、銅貨二枚。
その下には、食費、宿泊費、照明費、道具使用料と、細かく金額が並んでいた。
「……あれ?」
「気づいたか?」
「引かれる金額の方が多くないですか?」
「そういうことらしい」
小野寺さんは肩をすくめた。
差額は翌月以降の賃金から差し引かれると書かれている。
「これじゃ、働けば働くほど借金が増えるじゃないですか」
「ところが、向こうはちゃんと給料を払っているつもりなんだとさ」
食事と寝床は保証する。
そう説明されたはずなのに、無料で提供するという意味ではなかったらしい。
宮本さんが呆れたように首を振った。
「私たち、契約書なんて見せてもらってないわよね」
「女神様が署名したそうですよ」
「本人の知らないところで契約されてもねえ……」
俺はパンを見つめた。
新しい人生をもらった以上、多少の苦労は覚悟していた。
だが、地下に閉じ込められ、借金を増やしながら働くことまで承知した覚えはない。
「おい! 休憩は終わりだ!」
監督の怒鳴り声が響いた。
俺たちは残ったパンを口へ押し込み、立ち上がった。
◇
騒ぎが起きたのは、その日の夕方だった。
「ふざけるな! こんな話、聞いてねえぞ!」
昨日送り込まれてきた男が、監督へ詰め寄っていた。
西川という名前だったと思う。日本では建設関係の仕事をしていたらしく、交通事故で亡くなったと言っていた。
男はツルハシを床へ投げ出した。
「俺は勇者だぞ! 魔王軍と戦うんじゃなかったのか!」
「貴様らの仕事は鉱石を掘ることだ」
監督は平然と答えた。
「だったら、まともな給料を払え! 外にも出せ!」
「命令に従え」
「てめえ、人を何だと思ってやがる!」
西川が監督の胸ぐらを掴もうとした。
次の瞬間だった。
監督が片手で男の腕を払った。
それだけで、西川の体が床へ転がった。
「ぐっ……!」
男はすぐに起き上がろうとしたが、監督はその腕を掴み、あっさり床へ押さえつけた。
西川も体格のいい男だった。
それなのに、どれだけ暴れても監督の腕は動かなかった。
普通の人間に、あんな力が出せるのだろうか。
「勇者だろうが何だろうが、ここでは俺の命令に従え」
監督は低い声で言った。
「働けないなら、第九層へ送る。それだけだ」
「離せ、この野郎!」
警備兵が二人やってきて、西川を引きずっていった。
誰も助けようとしなかった。
俺も動けなかった。
俺の《筋力補助》があれば、多少の力仕事には自信がある。
だが、あの監督に勝てるとは思えなかった。
「見世物は終わりだ! 作業に戻れ!」
監督が怒鳴ると、全員が慌ててツルハシを握った。
遠くから西川の叫び声が聞こえたが、やがて坑道の奥へ消えていった。
◇
仕事が終わり、共同寝室へ戻ったときには、足を動かすのもつらかった。
水を飲もうとして器を持ち上げたが、指に力が入らず、危うく落としかけた。
《筋力補助》のおかげで重い物は運べる。
けれど、疲れなくなるわけではないらしい。
「あの人、どうなったのかしら」
宮本さんが小さな声で言った。
「第九層へ連れていかれたみたいですけど……」
「ここより下があるんだよな」
小野寺さんが寝床に腰を下ろした。
「明日、古株の作業員に聞いてみるよ」
「気をつけてくださいよ」
「分かってる。あんな監督に喧嘩を売る気はないさ」
小野寺さんは笑ったが、目は笑っていなかった。
俺は薄い毛布を引き寄せた。
明日も十六時間、岩を砕くのだろう。
ここには、何年も地上へ出ていないという作業員までいる。
誰もが痩せ、監督が通るたびに俯いていた。
魔王軍との戦いを支える大切な仕事。
確かに鉱石は、武器や防具を作るために必要なのかもしれない。
だからといって、こんな扱いが許されるのだろうか。
◇
翌朝、作業場へ向かう途中だった。
通路の角から監督たちの話し声が聞こえてきた。
「昨日の新入りはどうした?」
「第九層へ回した。あそこなら大人しくなるだろう」
「ほかの勇者どもは?」
「よく働いている。女神が付けた技能も、なかなか使えるな」
二人が笑った。
「執政官も喜んでいる。女神への感謝状は送ったそうだ」
「また追加で来るのか?」
「宝石を渡しておけば、いくらでも送り込んでくるらしい」
俺は足を止めた。
宝石?
何の話だ?
監督たちは俺に気づかず、そのまま歩いていった。
女神様には、俺たちがよく働いていると報告されているらしい。
確かに、それは嘘ではない。
ただし、働かなければ第九層へ連れていかれるという事情までは、伝わっていないのだろう。
俺は通路の先を見た。
ちょうど、鉱石を積んだ大きな荷車が通り過ぎていく。
荷車は貨物用の昇降機へ向かい、金属の扉の向こうへ消えた。
俺は日本で、港の貨物の積み下ろしを担当していた。
荷物をどこから入れ、どこへ出すのか。人員の動きと搬出経路を覚えるのは、仕事の基本だった。
この鉱山でも、鉱石は毎日地上へ運ばれている。
ところが、少し妙なことがあった。
昨日見かけた鉱石の荷車には行き先を示す札がついていたのに、夜間に運ばれていく荷車には何もついていなかったのだ。
しかも、その荷車だけは警備兵が付き添い、一般の作業員を近づけようとしなかった。
どこへ運んでいるのだろう。
俺は気になったが、今はそれより大事なことがある。
鉱石が上へ運ばれるなら、地上へ通じる経路は必ずある。
もちろん、昇降機には警備兵がいる。簡単に逃げられるはずがない。
それでも、何も知らずに働き続けるよりはましだった。
「相田! 何をしている!」
監督の声が飛んできた。
「すみません! 今行きます!」
俺はツルハシを担ぎ直した。
まずは、昇降機の動く時間と、荷車の行き先を覚えよう。
そのうえで、小野寺さんや宮本さんとも相談する。
俺たちは、石を掘るためだけに生き返ったわけじゃない。
いつか必ず、地上へ戻ってやる。




