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聖騎士レイダークの手記  作者: 奥雪 一寸
アースウィルの勇者
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第六章 胡蝶の悪夢(8)

 コチョウが消えた後、最初に動いたのはクリスタルだった。彼女はシーヌの傍に歩いて行き、コチョウが残した宝石を、左手で摘まみ上げた。いつの間にか左手には人差し指が戻っていて、僕はそのことに疑問を覚えた。

「いつの間に」

 尋ねると、クリスタルは、ああ、と短く声を上げた。宝石を摘まんだ手を眺めて、彼女は静かに頷いた。

「あなたがコチョウと会話している間に、修復に専念していました。あなた達を襲わないことは分かっていましたので」

 何故そう言い切れるのかは、僕達には理解できないことなのだろうか。聞いてみたいのは確かだけれど、無駄話に費やしている時間は、今はなかった。

 クリスタルも、僕にわずかに首を振ってから、もう一度宝石を持った手を眺めた。

「コチョウのことなので心配でしたが、罠はないようです。どうやらアースウィルの為に力を貸すつもりがあることに嘘はないようです」

 どうやら心配してくれたらしい。クリスタルはシーヌに宝石を差し出し、

「間違いなくあなたには必要なものが納められているのでしょう。手に持って念じれば、残留思念が見えるでしょう。それであなたが何を知ることになるのかは私にも分かりませんが、見るべきことだけは確かなようです」

 そう言って、微笑んだ。

 シーヌはしばらくためらった後で、おずおずと掌を差し出した。クリスタルはその上に宝石を乗せ、両手でシーヌの手を包むように握らせると、彼女の前を離れてきた。

「おそらく彼女がアリスの残留思念から必要な知識を知るにはそれなりに時間が掛かる筈です。この場所で彼女に時間を上げるか、アリスの庭園に戻ってからにするかを決めてあげるべきでしょう」

「それなら、ここで時間を貰っていいだろうか。コチョウの気が変わったら危険だと思うし、エレカ達のことも心配だから、出来るだけアースウィルに近い場所で待機していたい」

 僕の答えに、クリスタルは微笑んだまま頷いた。クリスタルの視線の先にほとんど入っていないネーラが不意に声を上げた。

「私も守ってもらえますか? 数に入ってますよね?」

「もちろん」

 と、クリスタルは笑う。

「あなただけは除外、なんて薄情なことは言わないので安心してください。大丈夫ですよ」

「ありがとうございます!」

 泣きそうな声を上げるネーラが、正直を言うと僕は不憫になった。彼女は出るタイミングを失っていただけで、もともとはこんな大きな騒動に巻き込まれる謂われなどないのだし、彼女自身その決意ができている訳でもない。

「早いうちにスターティアに迎えに来てもらおう」

 僕が声を掛けると、

「コボルドに慰められた。情けない」

 そんなつぶやきが聞こえてきた。気持ちは分かる気がする。最近はなんとなく話の大きさに慣れてきてしまったけれど、それでも僕はコボルドだ。ずっと強いモンスターである筈の吸血鬼を、僕が同情するというのはどう考えてもおかしい。もっとも、僕はエストリエのことをよく知らないから、僕にはそういう実感は皆無だ。それも少し悪い気がしている。

「無理して頑張ることはないよ。変に意固地になって死んだらつまらないだけだよ。それは情けないとか、そういうレベルの問題じゃない。君がもし僕達に付いてくる意志を固めているというのなら、僕は何も言わないけれど、今の君はどう見てもそうじゃない。君は自分の意思で来たわけじゃないから、君を連れて旅をすることはしないよ」

「分かります。分かるけれど、もっと私が強ければ、と思う気持ちも分かってください。力でなくて、心が」

 分からなくはない。でもそれは危険な考え方だと僕には思えた。僕は自分が誰よりも強い心を持っているとは思っていないし、何ならもともとはコボルドらしく臆病だとすら思っている。そして、それが僕の強さだとも。

 だから、自分の心が弱いということが認められるネーラは、十分に心が強いのだと僕は思うのだ。それ以上の心の強さを無理に求めたら、きっと自分の心を壊してしまうのだと、僕は思う。

「それはきっと、僕が君より心が強いとか、そういう話ではないと思う。単に僕と君が愛しているものの違いなんだ。だから、君が愛せないものを、無理に愛そうとしなくて良いのだと思う。そんなことをしては君を壊してしまうから」

「愛するものの、違い」

 と、ネーラが呟く。

「そういう考え方をしてみたことはありませんでした。そう思うと納得できた気がします」

「うん。だから心配はいらないと思うんだ。自分の心が弱いと思える君は、きっと、強いひとだよ」

 僕の本心であることは言うまでもない。だけど、彼女は世界を愛せるひとではない。皆が広い世界を自分の中に映せるひとばかりではないのだ。だからといって、それがいけないということでもない。自分自身と、自分の隣や見守りたいものを抱えられる人たちで、世界は回っているのだから。

 僕は、ともすれば、そういった、すぐそばが見えなくなってしまう方だから。僕が一番大事にしたかったものは、それしか大事にしたいと思ったものは、いつの間にか、僕にはよく見えなくなっているから。

「僕は神々達と世界を背負うと決めた。だから、僕がそこまでしか手が伸ばせないと思っていた、僕の手の届く範囲が、逆に見えにくくなってしまった。だから、君には、手に届く範囲を、大事にしてほしいと思うんだ」

 僕は善神の軍勢を配下に持ち、悪神の軍勢の力を得た。僕は次元宇宙を背負う道を進んでいる自覚がある。でもそれは、皆が日々の自分を大切にしてくれなければ何の意味もない道なのだと思うのだ。

「君は情けなくなんて、たぶん、ないんだ」

「ありがとう」

 ネーラは合成血液の容器を再び手に取って、すぐにテーブルの上に戻した。容器の中身は既に空になっていた。

「話の腰を折ってしまって、ごめんなさい」

 ネーラが落ち着いた表情で頭を下げると、クリスタルがそれを待っていたようにまたシーヌに向かって、

「それで、あなたはどうでしょうか。この場所で残留思念を読み取るということで良いのでしょうか」

 聞いた。

 シーヌは言葉で応えようとしたけれど、結局何も言わずに無言で頷いた。宝石を握った拳に視線を落として、細いため息をつく。

「すぐに始めるのですか?」

 さらに問うクリスタルに、シーヌはまた頷きで答えた。本来一人にしてあげた方が良いのだろうけれど、気まぐれなコチョウの行動が信用できない以上、シーヌを一人にするのも不安だった。僕の考えを伝えようとクリスタルを僕が見ると、同じ意見と言いたげなクリスタルの瞳と目が合った。

「本来、一人で落ち着いて残留思念と対話したほうが集中できるのでしょうが、身の安全を優先させるべきです。それに気晴らしも必要でしょう」

 クリスタルはそう言って大部屋の壁の一角に近づき、右手で触れた。その場所にパネルが現れて、壁一面に映像が映り始めた。わずかにうっすらと見えた映像は、一秒も経たないうちにはっきりと見えるものになった。

 石造りの建物が並ぶどこかの都市。

 見覚えのある人影が一直線に飛んでいる。そのあとを追うように、映像の中の、周囲の景色が流れてゆく。飛んでいるのは、エレカだ。

 映像と一緒に、彼女を取り巻く景色の中の騒音が聞こえてくる。剣や槍がぶつかり合い、魔法が飛び交う乱戦の音だった。

「心配でしょうし、エレカ達の状況を映像に流しておきます。こちらから話しかけることはできませんが、あちらの音も拾えるように合わせました。もし必要であれば、助けに行くのも良いでしょう」

 クリスタルは僕に優しい微笑を向けると、自分は見ないと言いたげに、そして、僕達との交流を積極的には望まないという態度を示すように、僕からも、シーヌ達からも離れた席に、映像に背を向けて腰掛けた。彼女はまるで作り物のように、そのまま微動だにしなくなった。

「ありがとう」

 エレカ達の状況が知れるのは、確かに有難いことだ。僕はクリスタルにお礼を言って、映像に視線を戻した。クリスタルは答えなかった。

 映像の中のエレカの周囲にはマリオネッツの姿が時折映り、さらに、ミシルとクウも一緒であることが、聞こえてくる声や時折映る彼等の影から知ることができた。

 事前の情報から考えれば、おそらくメルサーグの中にいるのだろう。映像のあちこちで粗暴に戦う人間達の姿が見え、それ以上の死体や半死半生の重傷者が石畳や植え込みに倒れているのが見えた。聞きしに勝る地獄絵図だった。そんな中を、エレカは臆することなく進んでいた。手にしているのは剣と盾ではなく、大剣で。避難しようとしている市民たちを守るマリオネッツの進路を切り開いて進んでいるのだということが、映像から理解できた。

 エレカは戦っていた。

 僕はシーヌを守る為に、この場所から動けないから、エレカの戦いを見届けることだけが、僕に出来ることだった。

 だから、せめて。

 エレカの戦いの記録を、書き留めておこうと、僕はそう決めた。


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