第六章 胡蝶の悪夢(3)
僕達はその毒蟲について、クリスタルに詳しく生態などを聞いた。クリスタルは整理された情報としてシューカのことを纏めてあって、本来僕達には読めない筈の言語で書かれているそれを、僕はずっと以前に掛けられたムイムの翻訳魔法で読むことができた。
僕とクリスタル以外、どうやらその情報の言語が理解できないようで、僕は皆に、映し出された情報の羅列を読んで聞かせた。
ただ、ゲノム編集とか、バイオテックとか、ところどころ僕には理解できない言葉が出てきて、僕自身クリスタルに質問しながらでなければ読むことはできなかった。
「退治するのに、その情報は理解できなくても支障はありません」
たいていそういった質問に対するクリスタルの回答は決まっていて、今の文明レベルの者が理解できることではないので飛ばして読んで良い、と言うだけだった。
「ラルフ様、シューカの毒が亜空間に放出される仕組みについて、何か情報は載っていませんか?」
エレカは生態詳細よりも、まず毒の正体と対処法を知りたがった。僕も研究がしたい訳ではないから、エレカの言葉に従って、情報を探した。
シューカの情報はスクリーンに丁度入りきる量ごとにページで分けられていて、見たところ、それだけで一五〇ページという分量があるようだった。
「毒についての解説は七五ページ以降に纏まっている筈です」
横でクリスタルがそんな風にガイドしてくれないと、探すだけで一苦労な状態だった。
クリスタルはすべて内容を記憶しているようで、すぐに見るべきページを教えてくれるのでとても助かった。
シューカの毒については、正直理解できない単語ばかりで、何が書いてあるのかさっぱり分からなかった。ただ、中和する方法が意外に簡単であることは分かった。問題はどうやって大量に溜まった毒素の球の所まで運ぶのかということだった。
「まさか水を掛けるだけで毒性が消えるだなんて」
僕がその方法を説明をすると、まず初めに反応を見せたのはミシルだった。ただ、やらなければならないことは単純とはいえ、その実現方法が僕には見つからなかった。
「でもどうやって水を掛けるかだね。そんなに大量の水を運んで掛けて回るのは簡単ではないな」
「水……水ですか。何とかなるかもしれません。メルサーグの状況次第ですが」
エレカが少し考えこむように言う。メルサーグの状況次第、という言葉で、不意に僕も気付いた。マリオネッツは神兵だ。
「ひょっとして、マリオネッツは、水を生成する能力か魔法が使えたりするのかな?」
「はい、勿論。天盤の者であれば、有事の備えとして、正しき道を歩む者達の支援のすべは持ち合わせているものですから」
と、エレカが頷いた。チリッカ、ルイーザ、オリビアの三人も、シーヌの傍からやってきて、その通りだと言わんばかりに頷いた。
「皆、出来ます」
チリッカの断言がとても頼もしく聞こえた。つまり、マリオネッツに命じることさえできれば、人海戦術で対処できるということだ。あとは対処の順番を考えなければならないだろう。
「とはいえ、幾つも問題が重なっているからな。何から解決していくかの順番を間違えると取り返しのつかないことになるな」
「そうですね。まずは、最優先はマザー・アリスの後任探しですね。といっても、そう簡単に見つかるとも思えないので、他の対処を進めながら並行して、にするしかないんだと思います。次に毒の元を断つことですね。水を掛けながら退治すれば何とかなりそうなんでしょうか」
「毒についてはそうだろうね。本体に水を掛けた場合どうなるかとかいう情報はある?」
エレカに頷いてから、僕は、本体についての情報のページをクリスタルに尋ねた。クリスタルは少し考えてから、
「生体構造的な特徴については二三ページあたり、生態・行動的見地については四七ページ以降です」
クリスタルにそう言われ、思わず僕は顔を顰めた。専門的な図鑑というものはどうしてこう面倒臭いのだろう。
「頭が痛くなってきそうだ」
僕が冗談交じりにぼやくと、
「私達の中に、彼女がもつ情報を読めるのはラルフ様しかいないんです。もう少しだけ頑張ってください。お願いします」
エレカに本気で応援された。エレカが読めれば楽なのに、と、僕は本気で思った。
それでも現実には僕が情報を探さないでいて誰かが分かってくれるわけでもない。ぼやいていても状況が良くなることはないので、諦めてページを戻していく。
その途中で、突然、ミシルが声を上げた。
「あれ、今の、気のせいかな。私達の文字が映った気がしたんだけれど」
僕は手を止めて、ミシルに頷いた。それから、ページをもう一度進めていく。丁度五〇ページというページ数がぴったり表示された時、
「それだ」
と、ミシルがまた声を上げた。何かの碑文のようなものが映っているページで、そこにはその碑文が元になり、シューカという生物兵器は廃れたことが記載されていた。
「このページによると、古代文字の石碑に刻まれた文章を解読したところ、酷似した怪物についての記録であり、そこに残っていた記述から弱点が判明し、対処が容易になったことから兵器としての有効性が激減し、急速に廃れたと書かれているね。人造生物であり、繁殖能力もないことから、絶滅まで長くは掛からなかったそうだ」
僕はミシルにそう説明し、ミシルも頷いた。そして、まじまじと碑文の映像を見つめ、
「もう少し大きければ読めそうなのに」
と、ため息をついた。何となく、それに対するクリスタルの答えが分かる気がして、僕はクリスタルに目配せをしてみた。案の定、帰って来たのは、肯定の頷きだ。
「こうかな」
石碑の幻像に手を触れると、途端にそれは五メートルほどの高さの立体像になった。ひょっとしたら、これが原寸大サイズなのかもしれない。
「どういう情報記録魔法なの、これ」
ミシルが目を丸くし、
「さあ」
僕も肩を竦めるほかなかった。全くもってこの情報記録方法が何なのかの方がさっぱり分からなかった。ただ、これもゲートと同じで、魔法ではない、そんな確信はあった。だから、僕に理解できるとも思えなかったし、その話を穿り返したいとも思わなかった。
「それよりも、碑文の内容だ」
だいいち、僕達には時間がない。それを理解するために費やす時間のうちに、おそらくアースウィルが滅んでしまうのだろうという確信めいた思いもあった。僕はミシルの疑問を流し、石碑に意識を向けるように促した。
「何だろう。言い回しと表現のせいかな、ちょっと文章が、難しい。文字は確かに私達のものだけど、私には、難しすぎるみたい」
ミシルは頷いて碑文に挑んだけれど、すぐに音を上げた。隣で読んでみたけれど、僕も、少しばかり首を捻った。意味の分からない単語が多い。
「独特な言い回し、だ」
と、クウが口を挟む。
「見せて」
と、ミシルと場所を変わる。クウはしばらく黙々と文章を追ってから、誰に向かってでなく頷いた。
「これから起きること、書いてある。吃驚だ。簡単に言うと、アースウィルの深奥で、シューカは討伐された。勇者の剣にてその腹は裂かれ、勇者の号令により、火による洗礼でその穢れた身は討ち払われ、水による洗礼で溢れる毒は洗い流された。我等が勇者により狂暴化の毒は濯がれ、二度と人と魔物は狂うことはない。マザー・アリスは斃れた。その大いなる犠牲の上の平穏であることを、我等は忘れてはならぬ。そして新たなる女神の御名の元に、我等はアースウィルを守らねばならぬ。勇者の名と女神の名を永遠に語り継がねばならぬ……」
クウはそこで、言葉を切った。困ったように首を振り、言った。
「綴りが、俺達の言葉じゃない。その先が、読めない」
けれど。
その綴りは、逆に僕は読めた。
「勇者の名は、エレカ。女神の名は」
僕も、その次の名前を読む前に、自分を落ち着かせるために、ほんの少し時間が必要だった。そして、その言葉を読めたのは、僕だけではなくて。
「私の名前だね」
と、何となく覚悟していたと言いたげな声で、シーヌがつぶやいだ。
「そうなるんじゃないかと思っていたよ。私はアリスの魂の仮宿主になれた。私は多分、アリスの力を継げると思う。同じヌークだから」
そう言ったシーヌの顔には、けれど、怯えた涙が浮かんでいた。その目が居た堪れなくて、僕が思わず視線を外すと。
ふと気付いた。いつの間にか、マザー・アリスだった肉の塊は、何処にも見当たらなくなっていた。




