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聖騎士レイダークの手記  作者: 奥雪 一寸
アースウィルの勇者
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第六章 胡蝶の悪夢(2)

 皆の目が覚めるのを待って。

 僕はマザー・アリスがあのフェアリーに殺されたことを告げた。ミシルはもう一度気絶せんがばかりで、いつも表情を表に出さないクウも、あまりの事態に顔を青ざめさせた。シーヌは先程まで自分の中にあったマザー・アリスの魂が、見るも無残な肉の塊の何処かにまだ残っているのではないかと探しているように凝視していた。

 状況は最悪で、打つ手は思い浮かばない。少なくともクリスタルに助けを求めることだけは考えなかったし、考えたくもなかった。コチョウと同等の力を持っているのなら止めることもできた訳で、それをしなかったということは僕達に協力するつもりがないのは明らかで、それでなくとも目の前でひとが死ぬのを黙って見ている時点でコチョウの同類と考えて良かった。

 だから僕は、クリスタルはいないものとして扱うつもりで、声を掛けることもしなかった。

 けれど、それはすべて僕の間違いだった。

 クリスタルの方はそうではない態度をとった。血溜まりと肉の塊になったマザー・アリスに歩み寄る。

 そんな彼女に、僕は思わず、触るな、と叫びそうになった。でも、彼女の思わぬ言葉に、僕はその言葉を飲み込んだ。

「ごめんなさい」

 彼女は自分が汚れるのも厭わずに、その塊を胸元に抱き上げた。そして、目を伏せて謝罪の言葉を口にした。

「防ぎきることができませんでした」

 表面上は何かをしてくれていたようには見えなかった。だからこそ、その言葉が気になった。

「ひょっとして、牽制してくれていたの?」

 僕は自分の認識違いを恥じながら聞いた。大きな間違いを犯すところだった。

「弁解はしません。防げなかったのですから、何もしなかったのと一緒です」

 クリスタルは首を振るばかりで。詳しく話そうとはしなかった。ただ責任を感じている表情には、僕も共感を覚えた。守っていてくれていたのだ。

 そして、気付いた。

「互角って、そういうことか」

 冷や汗を感じる。一撃一撃が即死級の駆け引きの中で、一撃繰り出されたら負けの騙し合いの中で、クリスタルは僕達全員を守らなければならなかったのだ。

 僕は大局が見えていなかった自分自身を心の中で叱りつけ、ようやくクリスタルを見た。マザー・アリスだった物体を抱きかかえる彼女は悲しげで。そして、僕は、彼女の左手の人差し指がなくなっていることに、やっと気付いた。

 なくなった人差し指には、およそ生物とはかけ離れた無機質な構造体が覗いていて。時折火花が散っていた。指をもがれて火花が出るような生物を、僕は知らない。魔法生物であったとしても、そんなことは起こらない筈だ。

「君は」

「はい、私を消すのが一番難しいことは彼女にも分かっている筈という油断がありました。ですが、私のことは心配いりません。私自身の体は、私自身が直せます」

 そう言って微笑むクリスタルの笑顔は暗い。どんな応酬があったのか、何となく想像がついた。

「あいつは、自分が狙われることがないだろうと君が考えていることを読んでいた。だから敢えて直接狙い、君の対応を後手に回らせた。そしてその隙にマザー・アリスを殺し、君の報復がある前に退散したんだな」

 僕がコチョウから最後に言葉を掛けられた瞬間には、まだマザー・アリスは生きていた。気配があったから間違いない。そのあとの、コチョウが消えた一瞬でそれだけの駆け引きがあったのだ。僕にはほんの少しも読み取れなかったけれど、おそらくそれだけのことが起こっていたのだ。クリスタルの傷と、マザー・アリスの有様がそれを物語っている。

「経過がどうあれ、私がマザー・アリスをコチョウから守れず、自分の身にも傷を負ったということだけが変わらぬ事実です。今更申し開くことなど、ありません」

 クリスタルが俯く。そんな彼女の傍に、僕の横を抜けて、シーヌが歩み寄って行った。

「待って。まだかすかに、アリスの魂が残ってる。さっきまで私の中にあったからかな。どうしてか分からないけど、私には分かる」

 そして、マザー・アリスだったものに、手をかざした。

「おいで。一緒に、あなたの力を受け継げるひと、探そう」

 シーヌの手が、僅かに光ったように見えた。けれど、ほんの一瞬で、目の錯覚か確かめる間もなく消えてしまった。

「うん、大丈夫。良かった。アリスの力は回収できた。今すぐにアリシオンが崩壊することはなくなったよ。だけど、消えかかった魂の欠片だから、そんなに長くはもたないと思う。アリスの存在を受け継ぐひとを、見つけないと。その時こそ、アリシオンが崩壊する時だ」

 それから、シーヌは振り返った。僕をでなく、エレカを。

「エレカに、アリスから、伝言が残ってる。ひとや魔物を狂暴化させてる力について、大事な話だって。直接説明できなくてごめんなさいとも、詫びているよ」

「私に、ですか」

 エレカは不思議そうな顔をした。

「何故ラルフ様でなく私なんでしょうか」

「それは分からない。その選出の理由について、伝言を残す時間はアリスにはなかったんじゃないかな。彼女には答えることはできないし、きっとその答えはもう誰にも分からないんだと思う。兎に角、アリスはラルフでなく、あなたを指名してるの、エレカ」

 シーヌは首を振って答えると、エレカにマザー・アリスの伝言を話し始めた。深い苦悩の話だった。

「まず、アリスにも、あの狂暴化の力を止めることはできなかったみたい。だからこそ、あなたに頼りたかったんだって。あなたへのメッセージはこうだよ。『発生源は分かっていて、アースウィルの地下深くに眠る毒蟲の毒なのです。毒蟲の正体は分かりません。体長三〇メートル以上ある、背が赤で、体の中央に橙の筋がある、それに腹が薄緑色の昆虫の幼虫のような姿をしてる生物です。普通に傷つけると、体液が飛び散るように毒が溢れ出すから、私では殺すに殺せませんでした。あなたが“マリオネット・オブ・ジャスティス”の二つ名の経歴を忘れたいと思っていることは知っています。けれど、私には、あなた以外に、解決できそうな人の名を思い浮かべることができませんでした。どうか、アースウィルを救うのに、もう一度だけドゥーム・オブ・トリビューナルとしての経験と知恵をお貸しください』……。アリスはあなたのことを知ってたのね」

「ううん、“正義のマリオネット”のことは黙っていてほしかったです。恥ずかしいから。私はもうマリオネッツですし、“依頼”はもう受け付けてないんですけど、これ、断ったらたぶん私、とんでもなく下衆っぽくなりますよね」

 エレカは苦々しそうに渇いた笑い声を上げて。

 ゆっくりと困ったようなため息を吐きながら言った。

「とはいえ、私も似たような虫は見たことがありますが、狂暴化の毒素を吐く虫は知らないですよ。唯一似た性質を持つ虫がいるとすれば、イクリプスラーヴァですが」

「イクリプスラーヴァというのは?」

 僕がエレカに聞くと、ほぼ同じ瞬間に、クリスタルがまた口を開いた。

「確かイクリプスが進化した虫を原種とした改造種だったと思います。おぞましい環境破壊型の生物兵器です」

 彼女は床に抱えていた肉の塊をおろし、人差し指のない手を空中にかざした。すると、幻影魔法に似た光のスクリーンが現れ、その中に、一体の奇妙な虫の姿を映し出した。その背は赤で、体の脇に橙の筋があり、腹の方は薄緑色、まさにマザー・アリスが残した言葉と一致する姿だった。

「SHOOKA、と呼ばれています。ショーカ、または、シューカと読まれていますが、発音は安定しません。ショッカと読む人もいます」

 そして、クリスタルは少しだけ言葉に迷ったようなしぐさを見せてから、

「あなた達は知らないでしょう。当然です。未来の生物ですから」

 と、あいまいに笑った。

「この生物の存在が確認できるのは、長い宇宙の歴史の中で、六五〇万年後という遥か未来の、僅か五〇年の間だけです。この虫を知り得るものは、よほど天文学的な偶然でその僅か五〇年間の時に辿り着いたことがあるものか、最初からその時代を知っているものだけです。宇宙の歴史の中から、この虫の存在を無作為に取り出すことは、およそ天文学的な勝律の中から砂の一粒を摘まみ上げるようなもので、それがあったと考えるのは現実的ではないと予想します。ですから、今の時代に、おそらくこの虫を知っているのは、私か、もしくは、コチョウだけでしょう」

「あのフェアリーが持ち込んで放ったといことでしょうか」

 エレカがスクリーンを覗き込みながらクリスタルに尋ねる。可能性としては、クリスタルが持ち込んだという可能性も考えるべきで、しかも、クリスタルの途方もない話が作り話でないという証拠すらどこにもなかった。それでもエレカはクリスタルの言葉を信じた顔をしていて、おそらく、僕も同じ表情をしていることだろう。僕も、エレカも、クリスタルがそんなことをするひとには思えなかった。そしてコチョウが厄介な虫を今ではないどこかから持ち込んだのだとしても、さもありなんといった感想しかなかった。

 邪悪と呼ぶことすら生ぬるい何かを、あのフェアリーには感じたから。


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