第四章 世界の彼方(8)
アースウィルに戻る。
戻った先が海だったりはしないかと、ちらっとだけ心配になったけれど、戻った場所は、もとにいた猪人の集落の前だった。既にラーク達は旅立った後のようで、周囲に姿はなかった。
「参ったぜ」
インビンシブルが、首を振って滅入った声を上げる。
「マザー・アリスを救出するのに、あんなもんが出て来るんじゃ、俺は近づけねえな」
しかし、亜空間には行かなければならない。インビンシブルがいると、道中ですらあの影が襲ってきてしまう恐れがあるということで、つまるところ、インビンシブル抜きで、言って帰ってこなければいけないことは確実だった。マーマンの影は、勝てるとか、やり過ごせるとか、そういう問題ではなかった。あまりにも危険すぎた。
「助けてくれた人は、あんな連中を、一人で相手して平気なの?」
ミシルは不安そうに、あの場に残った人物を心配していた。それを聞いたインビンシブルは、ただ、鼻で笑っただけだった。
「問題ない。今頃全滅させて、元いた場所にもう戻ってるだろうよ」
世の中は広い。とてつもない規格外がいるのものなのだと、僕は舌を巻いた。
「桁違いだな」
僕は頭を振って、できれば忘れようと思った。インビンシブルも、それが良い、という目で言った。
「バケモンと思ってたが、訂正が必要だな。ありゃ、そんな可愛いシロモンじゃねえ」
そういうことか。
「本人?」
僕はそれ以外に言葉が浮かばなかった。
「そうだ。あの影の姿のホンモノさ。それ以外、俺がおとなしく引き下がる理由がねえだろ?」
「成程」
納得するしかなかった。出来れば二度と会いたくないと、僕は感じた。問題の種は五魔神だけでもう沢山だ。もし一緒に五魔神と戦ってくれたとして、新たな問題になるような気がした。このまま知らないままで良い。
「まあ、それは忘れようぜ。問題はこれからのことさ」
インビンシブルも同意見のようだった。そして、彼が言うように、これからのことを問題として考えなければいけなかった。
「俺はもうあの亜空間には危なくて入れねえ。これはもう確実だ。俺抜きで行って帰ってこられるヤツが必要ってこったな」
「お願いします」
チリッカが、弱々しく口を出してきた。余程怖かったのだろう。
「私も、あれからラルフ様をお守りするのは、ちょっと無理です」
エレカも若干顔色が悪い。自分では勝てないと、認めるしかない、そんな目をしていた。
「次元魔法とは違うんだろうな」
次元魔法であれば、マリオネッツが覚えられるだろう。けれど、同じ系統の魔法とは思えなかった。そもそも、亜空間は、どの次元とも違っていたように思う。アストラル界でも、エーテル界でもない気がした。
「その次元魔法ってのは、逆に俺は知らねえな」
インビンシブルは頷いた。つまり、全く新しい術を、誰かがインビンシブルに教わって、覚えなければならないという訳だ。
「だが、悪いことばかりじゃねえぞ。亜空間ポケットを使えば、マリオネッツくらいの大きさなら、千人入れてもまだ入るぜ。それに、亜空間の出入りを応用した、亜空間ジャンプを覚えれば、世界の何処へでも行けるようになる。存在を知ってさえいりゃ、別世界へも行ける」
インビンシブルはそう言って、僕達を見回した。そして、言った。
「勿論素質がないヤツが、どう頑張っても使えるようにゃならねえがな。俺が見たところ、素質があるヤツは、いる」
「それなら、素質がある者がインビンシブルから習うしかないな。誰が素質があるにしろ、頼めるだろうか? マザー・アリスを助けないという選択肢はないから」
僕は皆を見回した。すると、突然、インビンシブルに前足で小突かれた。
「何他人事みたいに言ってんだ。お前だよ、馬鹿」
「え? 僕? 僕はしがないコボルドだよ。そんな特別な素質があるとは思えない」
信じられない。何かの間違いだとしか思えなかった。僕にそんな特殊な素質があるようであれば、今まで次元を渡るのに苦労はしていなかった筈だ。
「あるんだから受け入れとけよ。まあ、お前だけじゃねえから安心しろ。シーヌとエレカも覚えられる筈だ」
インビンシブルの言葉は辛辣だったけれど、揶揄っている響きはなかった。もしそうであれば、僕は自分で次元を渡れるのかもしれない。それは今後の旅に大きな強みになるだろう。
「分かった。覚えられるなら、僕も覚えたい。ただ、野外での練習は避けた方が良いだろう」
忘れてはならないこととして、アースウィルの野外は、魔物が多い。落ち着いて魔法の練習をするのには向いていない。僕はエレカを見て、それから、ミシルとクウを見た。
「エレカ、ミシル達の為にも、一度モーデン村に戻ろうか。カルドにも、猪人の脅威が取り除かれたことを、伝えてあげると良いと思う」
「そうですね」
エレカも賛成して。それから、言われている内容が何なのかに気が付いて声を張った。
「猪人の集落の駆逐、お疲れさまでした。ミシル、クウ。モーデン村に戻って、村長のカルドに報告しましょう」
リーダーの顔に戻ったエレカが二人に告げ、
ミシルとクウも頷いた。
「いっぱい予想外のことがありすぎて、忘れてたわ」
ミシルは笑って、でも、と感慨深そうに、猪人の集落を振り返って見上げた。
「モーデン村、守れて良かった」
「安心は帰ってみて、猪人の集団の一部が、村を襲ってないかを確かめてからです」
すっかりリーダーの思考に戻れたようで、エレカはまだ完全には終わっていないことを、ミシルに告げる。間違いなくその通りだった。
「急いで戻りましょう。村に何事もないことが確認出来たら、その時に喜びましょう」
「ええ。そうね。そうと決まればすぐ出発ね」
ミシルが笑い、エレカが頷く。
僕はその会話を聞きながら、マリオネッツを無限バッグへの収納を急いだ。彼女達が大挙して村に押しかけたら、村人達が吃驚してしまう。
チリッカは、ルイーザ、オリビアだけを残し、他のマリオネッツ達を無限バッグに待機させると、猪人の集落に来た時と同じように、シーヌの周りを三人で取り囲んだ。
「自分で戦えるけど」
シーヌがチリッカに声を掛けると、
「駄目です。主殿から、護衛は解任されておりません」
チリッカでなく、ルイーザが即座に申し出を拒否した。隙を突かれたことに、チリッカが口を開いたまま言葉を出せないでいた。
「副隊長、たまには私達を頼ってくれても良いと思います」
チリッカに、オリビアもそんな風に声を掛けて笑っている。つい先程、チリッカはマーマンの影の魔法で跳ね飛ばされて、酷く恐ろしい思いをしたばかりなのだ。その気遣いに、僕も自分の口元が綻ぶのを感じた。
「チリッカ、二人に任せて良い。君はこっちにおいで。少し休んだ方が良い。お疲れ様」
僕もチリッカを労った。チリッカは、一瞬困ったような顔をしたけれど、すぐに皆の申し出を素直に受け取った。
「分かりました。ルイーザ、オリビア。しばらく、お願いします」
チリッカは、エレカの代わりに僕の頭の上に乗った。実はエレカが羨ましかったと言いたげに、少しだけ楽しげな雰囲気が伝わって来た。
そんな彼女達のやり取りに、護衛はいらないとそれ以上突っぱねにくくなったらしく、シーヌもおとなしく護衛されることにしたようだった。
「それじゃ、有難く護衛してもらおうかな。ルイーザ、オリビア、引き続きお願いね」
「承知しました」
「頑張ります」
二人の、シーヌへの返答は固かった。
「ちょっと寂しい」
シーヌが、ため息をついた。二人は、顔を見合わせて笑った。
「冗談です、ごめんなさいシーヌ様」
「魔物が襲ってこない限り、私達が知る限りの、主殿の足跡のお話など如何でしょう」
「あら、いいね。是非聞きたいな」
シーヌも、二人に笑顔で答えた。
ただ。
僕は一人思案の中にいた。
あの少女が、クリスタルが言った通り、僕達はもう一度、近いうちに亜空間へ行かなければならない。マザー・アリスを救出する為に、必要なのだ。
その時までに、僕はクリスタルの存在を、受け止められるようになれるのだろうか。
分からない。
その為に何をすればいいのかさえ、まだ、分からなかった。




