第四章 世界の彼方(7)
けれど、僕達の対応は少しばかり遅かった。
マーマンの影の集団は、僕達目がけて一直線に突撃してきた。右腕には棒状のものが生えていて、その先端はまるで揺らめく火焔のように見えた。
「走れ! 逃げろ!」
インビンシブルが叫んだ。
「戦うな! マリオネッツも逃がせ! 足止めさせようなんて考えるなよ! いたずらに兵を散らすぞ!」
言うが早いか、彼は僕の頭からエレカだけを掴んで飛んで行く。
「あ、何を」
エレカが抗議するけれど、彼は聞かなかった。エレカを連れ去られては追わない訳にはいかない。僕はインビンシブルを追いかけて、シーヌの手を取って駆けだした。シーヌはすぐ、
「大丈夫、お互いに走りにくいだけだよ」
そう言って、僕の手を振りほどいた。尋常ではないインビンシブルの様子に、ミシルやクウ、マリオネッツも僕達に続く。全速力ではないのだろうけれど、飛び去っていくインビンシブルは速く、追いつくのにはかなり難儀した。何とか追いすがって、走りながら聞く。
「知っているマーマン?」
「ああ」
インビンシブルは頷いた。
「お前で二敗目って俺は言ったろ。一敗目が、あれだ。あいつはな、俺の無敵の耐性を、正面から突破しやがった正真正銘のバケモンだ。名前は知らねえ。聞く暇もなかった。兎に角、あいつのせいで俺は死にかけたし、そのまま、亜空間に放り込まれた。何とか怪我だけは治したが、奴に放り込まれた亜空間と変に繋がってたんでな、俺はこの通りアースウィルに放り出された。影だけに、強さは本人程じゃねえだろうが、あの数だ。追いつかれたらひとたまりもなく死ぬぞ」
なんと。世の中には化け物染みた人物はいるものだけれど、そこまでの規格外とは。果たして、アラニスとどちらが強いのだろう。
いずれにせよ、それならば確かに逃げるしかない。僕は走った。
マーマンの影はかなりの速度でおいかけて来ている。
「亜空間だから水がなくても泳ぐのか。速すぎる」
僕は思わずそう漏らした。シーヌが心配だった。果たして体力がもつのだろうか。
「馬鹿言っちゃいけねえ。普通の人魚は水の中しか泳がねえよ。あいつがバケモンなだけだ」
インビンシブルの言葉に、
「ヒィィ! 反則もいいとこじゃない。誰だ、あんな変なの呼んだの!」
ミシルが息を切らせながら叫んだ。その時点で明らかに規格外と悟ったのだろう。
「俺の思考を読んだとしか思えねえ。それ以外ねえな」
と、インビンシブルが返す。
「ゲートを開いてアースウィルに出る訳にはいかない?」
僕が聞くと、
「駄目だ。奴等は亜空間に蔓延ってるが、外に出られねえわけじゃねえ。あんな連中、アースウィルに解き放つわけにはいかねえだろ?」
インビンシブルは即座に却下した。そして、また叫んだ。
「全員、伏せろ!」
その声に呼応して、僕達は前に飛び込むように跳んでして伏せた。マリオネッツも、今回ばかりは一斉に、地面に降りて伏せる。その僕達の頭上を、直系五メートル程の炎の塊が掠めて行った。僕達を追い越し、はるか彼方に着弾。
閃光、轟音。そして、熱気。
「は……?」
冗談としか思えない。僕はすぐに起き上がれなかった。どれだけの面積に渡っているのだろう。大爆発と表現するのも馬鹿馬鹿しくなるような巨大な爆炎が、遠くで弾けた。呆然としていなかったとしても、立つことはできなかっただろう。すさまじい爆風が、向かい風となって僕達を弾き飛ばそうとした。なんとか聖者の盾を手に取り、結界を張って突風を凌ぐ。そんな荒れ狂う風の中を、マーマンの影の群れは、悠然と泳いで近づいてくる。
「まずい。追いつかれる」
立ち上がりながら、僕は呻いた。聖者の盾を構えたまま走るのは、流石に厳しい。進退が窮まった。
しかもマーマンの影のうちの二体は、左手に魔法の光を帯び始めている。あれを撃たれたら危険だ。分かっているけれど、打つ手がない。
「爆炎? 魚が火を使う? どうなってるのあれ。おかしいでしょ」
ミシルは過呼吸気味で、半ば錯乱状態だ。クウが何とか落ち着かせようとクウが背中を擦っている。彼に任せておくことにした。
「何とか一発だけ、弾いてくれるか」
チリッカに僕は言った。
「なんとか、頑張って、みます」
チリッカも、先ほどの爆発の規模を見て、自信がなさそうだった。
「マリオネッツ、……あ、あの、魔法を、なんとか、防護壁で、と、止めましょう」
声が震えているのが分かる。マリオネッツだって、怖いものは怖いのだ。
それでも、チリッカの側に、五人、少し離れた場所に六人のマリオネッツ達が、何とか恐怖を振りほどいて、マーマンの影の魔法を防ごうと浮き上がった。
轟音と共に、マーマンの影から電撃が放たれる。それは最早雷撃というよりも、雷撃に似た極大の光線だった。
マリオネッツ達が弾くためにすかさず魔法の防護壁を協力して張る。雷撃は何とか受け止めたものの、
「申し訳、ありません。逸らす、余裕は、ないです」
チリッカが僕に告げただけだった。
「なんとか、耐えて、みます。ルート上から、皆様は、退避、願います」
その姿に、動けなかった他のマリオネッツが浮き上がり、防護壁の強化を行うものの、聖者の盾の結界から出ると暴風に吹き飛ばされてしまうので、参加できる人数に限りがあった。あまり状況が好転したようには見えなかった。彼女達の邪魔にならないように、ミシル、クウ、シーヌを結界の隅に移動してもらった。僕は移動する訳にはいかない。チリッカ達が爆風で飛ばされてしまうからだ。
「もう良い。大丈夫だ」
チリッカに、声を掛けた。
「はい。これ以上は……申し訳、ありません」
チリッカが、その性格からは信じられないような、歯ぎしりの音を響かせた。そして、マリオネッツに命じた。
「マリオネッツ、退避、しなさい」
防護壁が砕け散ったように破られる。
僕達は地面に突っ伏し、何とか雷撃のダメージを減らそうとした。けれど、雷撃は辺り一面を焼き尽くすようで、背中の鱗が焼けて溶けるような激痛を覚えた。
そして、次の瞬間、雷撃では通常あり得ないことが起こった。
爆発とは違う方向に風が吹きつけてくる。雷撃のあまりの熱と圧が、周囲の空間を押し流していく。聖者の盾のおかげで幾らかは和らいではいたものの、未だ収まらない爆風との両方を、完全に打ち消すことは、聖者の盾の結界でもできなかった。
「あ」
と、声を上げて、チリッカが飛ばされた。枝から千切れた木の葉のように、押し流されて行く。そして、結界の外で爆風に晒された彼女は、複雑に荒れ狂う風に弄ばれて、最後は上空に跳ね飛ばされた。はるかに、放物線を描いて、チリッカの小さな姿が落ちて行く。
その先で。
誰かが、その小さな体を、受け止めた。
僕達以外に誰かがいる。しかし、雷撃が発生させた風を耐えるのが精一杯の僕には、その姿をはっきりと確認する余裕はなかった。
「有象無象の偽物ね」
チリッカを、僕の前に置いて。そんなことを言いながら。その人物は、風など吹いていないかのようにマーマンの影に向かっていく。
浮いている。それだけは分かった。
「見えざる力の場よ。彼の者達を守れ」
唱えているのはインビンシブルと同じ技術の魔法だとすぐに分かった。その人物の詠唱が終わると、僕が張った聖者の盾の結界の周りに、一回り大きい魔力のドームが出来上がる。それと同時に、風はピタリと止んだ。
「あー。ああ、名前知らなかったわ。聞く暇も惜しいし、全員を亜空間から出しなさい。当然、あなたもよ」
無風になったことで、僕は起き上がった。助けてくれたらしい人物を見たい思いはあったけれど、それ以上に皆が心配で、皆の様子を見て回ることを、僕は優先した。
「私がそもそもの原因なのは分かっているから、今回は助けてあげるわ。この出来損ないは引き受けるわ。さっさと行って」
「分かった。一応、礼は言っとく」
結界の外の人物と、インビンシブルが話している声を聞きながら、僕はまず、シーヌ、ミシル、クウの様子を確かめた。全員、怪我はない。エレカやプリックは、確かめるまでもなく無事だ。それから、チリッカの様子を窺うと、既に浮き上がっていて、
「マリオネッツ、全員、問題、ありません」
と答えてくれた。
僕は、それで、インビンシブルに、頷いた。
助けてくれた人物の姿は、結局見なかった。




