第9話 四十七本の棘
花粉ひどい。リーゼも目やられてるけど作者もやられてる
アレクシスは、眠れなかった。
報告書の文字が、瞼の裏にこびりついている。四十七件。八年で四十七本。あの女が、一人で折っていた。
毒を代わりに飲んだ。暗殺者を通報した。建物の崩落を予見した。魔獣の巣を潰した。
——なぜ。
婚約者としての義務か。公爵家の政治的打算か。
違うだろう。打算で、毒を代わりに飲む人間はいない。
「殿下。セレナ嬢がお待ちです」
侍従の声で、現実に戻った。
「後にしろ」
「しかし」
「後にしろと言った」
侍従が下がった。
窓辺に立つ。東の方角——ヴェルナー領のある方角を、気づけば見ていた。
* * *
同じ頃。ヴェルナー領。
リーゼは領地の学校を視察していた。
「子供たちの読み書きの習熟度は?」
「正直に申し上げますと、十歳以上で文字が読める子は、三割ほどで……」
教師が、申し訳なさそうに俯いた。
「教師が私一人では、とても——」
「わかりました。王都の学院に求人を出しましょう。給与は領の予算から上乗せします」
「本当ですか」
「教育は投資ですわ。十年後に税収として戻ってきます」
教師が深く頭を下げた。
学校を出ると、子供たちが駆け寄ってきた。
「お姫様! お姫様の髪、きれい!」
白と栗色の混じった髪を、小さな手が指差している。宮廷では「奇病」と囁かれた白髪が、ここでは「きれい」と呼ばれる。
「……ありがとう」
リーゼは初めて、自分の白髪を、嫌だと思わずに済んだ。
* * *
夕方、エルヴィンと合流した。
「査察官、終わりました。帳簿は完璧。指摘できる点はゼロ」
「さすがですわ」
「いえ、リーゼ嬢のおかげです。あの帳簿の整理方法、どこで学んだんですか」
「王宮で、暗殺者の行動パターンを分析する手法を応用しただけですわ」
「……普通、令嬢はそういうことを言わないと思います」
「私は普通の令嬢では、ありませんもの」
エルヴィンが肩で笑った。すぐに、表情を引き締めた。
「リーゼ嬢。もう一つ、気になることが」
「何かしら」
「査察官が帰り際、こう言ったんです。——『次は軍備の査察に来る』と」
リーゼの表情が変わった。
「軍備の査察。領地の騎士団の規模を調べに来る、ということね」
「それが何を意味するか——」
「わかりますわ。軍事力を把握した上で『過剰な軍備は反乱の意図あり』と断じる。宰相の常套手段です」
リーゼは空を見上げた。沈みかけの陽が、雲を橙に焼いている。
「エルヴィン様。ランベルト騎士団の規模を、一時的に縮小できますか」
「縮小?」
「見せかけだけで構いません。査察の間、騎士の一部を農作業に回すのです。軍服を脱げば、農民ですわ」
「牙を隠す、と」
「ええ。牙は、必要な時に見せればいい」
エルヴィンの目に光が宿った。
「あなたは、本当に——面白い方だ」
リーゼは少し、頬が熱くなった。
宮廷で「退屈な女」と呼ばれた自分を「面白い」と言う人間が、世の中にはいるらしい。
* * *
深夜。
寝台で、未来視が走った。
王宮の廊下。アレクシスが一人で歩いている。手には報告書。リーゼの八年間の、行動記録。
王子の目に、涙の光があった。
「……リーゼロッテ」
その声は、八年間、一度も聞いたことのない響きだった。
後悔。
リーゼは未来視を閉じた。
「遅いですわ、殿下」
枕に顔を埋めた。
綿に吸い込まれる呟きが、自分の耳にだけ聞こえた。
「——何もかも、遅すぎます」
*第9話 完*
白髪を「きれい」って言う子供のシーン、この話で一番書きたかったとこ。
王宮で「奇病」って噂されてるのに、田舎の子供はまっすぐ言える。住む場所で見方が変わる、っていうのが書きたい。
あと累計1000PV超えてた。ありがとうございます。なろうの管理画面眺めてニヤニヤしてました。




