第10話 戻ってくれ
第一章ラストです。ここまで読んでくれた方、ありがとうございます。
馬蹄の音が、街道に響いた。
王旗を掲げた一団が、屋敷に向かってくる。
「リーゼロッテ様! 王都から——」
マリアが駆け込んできた。リーゼは窓から一団を見下ろし、金色の髪を認めた。
「……来たわね」
予想通りだった。未来視で、昨晩すでに見ていた。
* * *
応接室。
アレクシス第一王子が、リーゼの前に立っていた。
別人のような顔だった。目の下に隈。頬がこけている。地下水路で会った時より、さらに憔悴している。
「リーゼロッテ」
「元殿下。遠路はるばる、ようこそヴェルナー領へ」
「その呼び方は、やめてくれ」
「では何と? 殿下の婚約者ではございませんので、『殿下』と呼ぶのも僭越かと」
アレクシスの唇が、震えた。
「知った。全て——ハインリッヒの報告で」
「何を、お知りになったのかしら」
「四十七件だ。お前が——いや、あなたが、八年間で四十七回、私を救っていた」
リーゼは、表情を動かさなかった。
「大袈裟ですわ。偶然が、重なっただけです」
「偶然で、毒を代わりに飲む者がいるか!」
王子の声が、震えた。
「なぜ——なぜ、何も言わなかった」
「言って、信じていただけましたか」
沈黙。
「……信じなかっただろうな」
「ええ。殿下は私を『地味で退屈な女』と仰っていましたもの」
アレクシスの顔が、蒼白になった。
「それは——」
「事実でしょう? 少なくとも、殿下の目にはそう映っていた。八年間、一度も、私を見てくださらなかった」
「リーゼロッテ」
「毒を飲んで三日寝込んだ時も、見舞いの花一つ届きませんでした。雪の中を三日歩いて、一週間寝込んだ時も、気にも留めなかった。——でも」
リーゼは微笑んだ。
「恨んではおりません。殿下は、知らなかったのですから。知らないことを責めるのは、不公平ですわ」
「……戻ってくれ」
アレクシスが、頭を下げた。
王子が、元婚約者に、頭を下げた。
「宮廷に戻ってくれ。もう一度——婚約者として」
長い沈黙のあと、リーゼは言った。
「お断りいたします」
* * *
「なぜだ」
「理由は三つあります」
リーゼは指を折った。
「一つ。殿下にはセレナ嬢という婚約者がいらっしゃる。二度目の婚約破棄は、王家の威信に関わりますわ」
「セレナは——」
「二つ。私にはもう、殿下をお守りする力がありません。代償で、身体が限界に近い。——白髪だけではありません。視力も、落ち始めています」
アレクシスの目が、見開かれた。
「三つ」
リーゼは窓の外を見た。ヴェルナー領の、のどかな風景。
「私は今、自分の領地を守る仕事をしております。影で死亡フラグを折る人生ではなく、自分の足で立つ人生を。——それを手放す気は、ありません」
アレクシスは、何も言えなかった。
リーゼは王子に背を向けた。
「お帰りください、殿下。——ご自分の足で、立ってくださいませ」
一拍。
「殿下には、それができるはず。八年間、私がそのための時間を差し上げたのですから」
* * *
王子の一団が去った後。
リーゼは応接室の椅子に、崩れるように座り込んだ。
「リーゼロッテ様!」
マリアが駆け寄る。
「大丈夫。少し、疲れただけ」
嘘だった。
胸が痛かった。期待していたのだ、と、今ようやくわかった。八年のどこかで、いつか気づいてくれると、いつか「ありがとう」と言ってもらえると、心の底に残していたのだ。
気づいてもらえた。頭も下げてもらえた。
なのに——戻れない。
戻りたくないのではなく、戻れない。
身体がもう、限界を超えている。これ以上、未来視を使えば、命が先に尽きる。
それを知っているのは、リーゼだけだった。
「マリア。明日の予定を」
「孤児院の視察と、水路工事の確認です」
「素晴らしいわ。——普通の予定ね」
「……はい。普通の予定です」
リーゼは手の甲で目元を拭って、立ち上がった。
第一章、完。
「お帰りください、殿下。ご自分の足で立ってくださいませ」
このセリフ、最初はもっと長かった。削って削ってこの形になりました。短い方が刺さる、と思う。たぶん。
明日から第二章。寝ます。
第一章ここまでで、印象に残ったシーンやキャラがあれば教えてもらえると嬉しい。リーゼへの印象が序盤と変わったかどうかも気になってる。




