表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

6/18

第6話 普通の朝

ヴェルナー領に戻って、五日。


 王都の地下水路から帰った夜、リーゼは自分に誓いを立てた。


 ——本当に、もう最後。次は行かない。


 未来視は、聞いてくれなかった。朝食の最中でも、湯を沸かしている最中でも、断片が滑り込んでくる。手を引かれて王都に連れ戻されそうになる。


 今朝も視えた。


 王子が階段で足を滑らせて、左足首を捻挫する。死なない。痛いだけ。


「……ふん」


 パンにバターを塗った。


「リーゼロッテ様、ご機嫌がよろしゅうございますね」


「ええ、マリア。素晴らしい朝ですわ」


 死なないフラグは、折らなくていい。捻挫くらい、自分でどうにかすればいい。


 ——これでいい。これが、正しい距離。


 バターが、少しだけ多めになった。


     * * *


 午前は領地を回った。


 ヴェルナー領は豊かな農業地帯だ。八年の間、リーゼが留守にしていたせいで、細かな問題がそのまま放置されていた。


 灌漑水路の老朽化。学校の教師不足。孤児院の資金難。


「父上は何をしていたのかしら」


「公爵様は王都で政務にお忙しく……」


「つまり、放置していたと」


 マリアが苦笑する。


 リーゼは手帳を開いた。八年間、王子の死亡フラグを管理するために使っていた手帳。暗殺者の動向、毒物の種類、建築物の劣化状態が、びっしり。


 新しいページ。


 『ヴェルナー領 改善計画』


 水路。教師。孤児院。秋の収穫祭の復活。


 書きながら、妙な気分になった。


 ——誰かの死を防ぐのではなく、誰かの暮らしを良くする。


 世の中には、こんなに穏やかな仕事があったのだ。


     * * *


 午後。


 エルヴィンが葡萄酒を持って訪ねてきた。約束通りに。


「お待たせしました。ランベルト領自慢の赤です」


「ありがとう」


 庭園のテラスで、二人で飲んだ。


 エルヴィンは穏やかな男だった。声が低く、笑い方が静かで、余計なことを言わない。話したい時は聞き、黙りたい時は黙る。そういう人間が近くにいるのは、初めてだった。


「ランベルト領では、兵の訓練をなさっているとか」


「ええ。父が引退してからは、僕が指揮を。小さな領地ですから、大したことは」


「ご謙遜を。ランベルト騎士団は精強だと」


「……そう言っていただけると、照れます」


 頬の赤いのは、葡萄酒のせいだろうか。


 ——この人は、私に何も求めない。


 そう思った。


 王子は常に「公爵令嬢としての義務」を求めた。完璧な社交。王太子妃としての教養。リーゼが影で何をしているかには、最後まで興味を示さなかった。


 エルヴィンは、ただ隣にいる。


「リーゼロッテ嬢」


「リーゼで構いませんわ」


「では——リーゼ嬢。一つ、伺っても?」


「どうぞ」


「その白い髪は、病ですか」


 リーゼの手が止まった。


 王宮で八年間、誰も聞かなかった。皆、見て見ぬふりをした。


「……病では、ありませんわ」


「そうですか」


 それ以上、エルヴィンは聞かなかった。ただ、少しだけ眉を寄せた。


 目の奥が、急に熱くなった。


「……風が、強くなってきましたわね」


「ええ。そろそろ失礼します」


 エルヴィンが立ち上がった。


「また来ても?」


「葡萄酒があるなら、いつでも」


 エルヴィンが笑った。控えめな、温かい笑い方。


 遠ざかる背中を見送って、リーゼは思った。


 ——こういう時間を、私は知らなかった。


     * * *


 夜。


 寝台に入った瞬間、未来視が走った。


 王子ではなかった。


 見知らぬ男。宰相の執務室。書類に署名する、骨ばった手。その書類の表題に——


 『ヴェルナー公爵家 領地接収に関する勅令案』


「——え?」


 跳ね起きた。


 ヴェルナー領が、狙われている。


 これは王子の死亡フラグではない。


 自分自身の、破滅のフラグだった。

パンにバター塗るだけのシーンが書きたかった。なろうってずっと事件か戦闘だから、たまには朝ごはん食べてほしい。

リーゼに。あと自分にも。

冷蔵庫に何もない。コンビニ行ってきます。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ