最終話 四十八本目
最終話です。ここまで読んでくださった全ての方に、ありがとう。
一年後。
ヴェルナー・ランベルト連合領は、王国でもっとも豊かな領地の一つに数えられていた。
リーゼの改革——灌漑、教育、福祉——が実を結び、領民の暮らしは目に見えて変わった。セレナが行政を支え、マリアが領民との間を繋ぎ、エルヴィンが領の守りを担う。
リーゼは、ただの領主夫人として、穏やかに暮らしていた。
未来視は、ない。運命の音も、ない。
左目で見える、ぼんやりとした世界と、エルヴィンの声と、マリアの温かい手と——それだけが、リーゼの世界。
それで、十分だった。
* * *
ある春の朝。
庭で、紅茶を飲んでいた。
お腹が、少しだけ、膨らんでいる。
「リーゼ嬢——いや、リーゼ」
「何」
「名前を、考えないと」
「まだ早いわ。生まれてからでも——」
「僕は、早く決めたいんです」
「気が早いわね」
エルヴィンが、隣に座った。
「男の子なら」
「アレクシスは、駄目よ。殿下が、調子に乗るわ」
「考えていませんよ! ——少しだけ、考えましたが」
リーゼが、笑った。
「女の子なら——マリアが、いいわ」
「マリアに、泣かれますよ。嬉しすぎて」
「でしょうね」
二人で、紅茶を飲んだ。
穏やかな朝。鳥のさえずり。花の匂い。
「ねえ、エルヴィン」
「はい」
「私——幸せよ」
「知っています」
「でも、言いたかったの。——声に出して」
エルヴィンが、リーゼの手を握った。
「僕も、です」
* * *
その夜。
寝台で、目を閉じた。
何も、視えない。何も、聴こえない。
——隣に、エルヴィンの温度がある。
——お腹の中に、新しい命がある。
リーゼは、自分のお腹に、手を当てた。
何も、聴こえない。
運命の音は、もう、消えている。この子の運命も、自分の運命も、聴くことはできない。
——でも。
「……大丈夫」
呟いた。
「あなたのフラグは、みんなで守るわ。私だけじゃない。父親のエルヴィンと、マリアおばさんと、セレナお姉さんと——きっと、殿下も」
優しく、お腹を撫でた。
「でもね。本当は——フラグなんて、ないのが、いちばん良いの」
微笑んだ。
「普通に生まれて、普通に育って、普通に笑って、普通に泣いて。——そういう、普通の人生が」
エルヴィンが寝返りを打って、リーゼの肩に、腕を回した。
「何か言いました?」
「独り言よ」
「子供に?」
「……聞こえてたの」
「全部」
「ずるい人」
エルヴィンが、笑った。
リーゼも、笑った。
* * *
八年で、四十七本のフラグを折った。
そして、四十八本目——自分自身のフラグを折って、全部が、終わった。
もう、フラグを折る必要はない。
未来を視る必要も、ない。
——今を、生きれば、いい。
見えない目で。白い髪で。欠けた記憶で。
それでも、温かい手と、穏やかな声と、新しい命と、共に。
リーゼロッテ・フォン・ヴェルナーの物語は、ここで、終わる。
——いえ、ここから、始まる。
フラグのない、普通の物語が。
*『婚約破棄されたので、婚約者だった王子の死亡フラグを折る仕事を辞めます』*
*——完——*
*あとがき*
*最後まで読んでいただき、ありがとうございます。*
*リーゼロッテは、「誰かのために自分を壊す」ことの美しさと残酷さを描きたくて生まれたキャラクターです。*
*自己犠牲は物語では美談になりがちですが、現実には——壊れた身体は戻りません。失った記憶は戻りません。だからこそ、「助けを求めること」「一人で抱え込まないこと」の大切さを、リーゼの物語を通じて伝えたかった。*
*全てのフラグを折り終えたリーゼが見つけたのは、特別な力ではなく——普通の幸せでした。*
*それが、この物語の答えです。*
四十八本目——自分自身のフラグが、最後の一本でした。
書き始めた時は「婚約破棄された女が王子の死亡フラグを折る話」としか考えてませんでした。書いていくうちに、リーゼは「自己犠牲の美しさと残酷さ」を抱えたキャラになりました。
誰かのために頑張ることは、美しい。でも自分を壊してまで頑張り続けるのは、美しくない。たぶん。
リーゼが最後に見つけたのは、特別な力でも華やかな地位でも劇的な恋愛でもなく、「普通の幸せ」でした。それで十分だった、と思う。
最後まで読んでくださり、ありがとうございました。
ブクマ、評価、感想——全部、書き続ける力になりました。
またどこかで。
楠 光晴




