第40話 北の神殿
クライマックス。
ヴェルナー領の北の山は、秋の色に染まっていた。
リーゼには見えない。エルヴィンが、教えてくれた。
「紅葉が見事です。赤と、金と——」
「あなたの目を通して、見えている気がするわ」
山道は、険しかった。リーゼはエルヴィンの腕に掴まり、一歩ずつ、進んだ。
セレナとマリアも一緒だった。マリアは食料と薬草を、セレナは古い文献の写しを抱えていた。
「リーゼロッテ様。この文献に、神殿の記述が」
セレナが読み上げた。
「『北の神殿に鎮座する大水晶は、古の魔術師が千年をかけて育てたものと伝わる。大水晶は魔力を吸い、魔力を吐き、あたかも呼吸するかのごとし。触れる者の願いに応え、魔力の流れを変える、という』」
「魔力の流れを、変える。——灰を、吸い出せるかもしれない」
「ただし、続きがあります」
「何」
「『ただし、大水晶は対価を求む。与えるものなくして、受け取るものなし』」
対価。
リーゼは足を止めなかった。
「対価なら、もう、十分に払ってきたわ」
* * *
三時間、登った。
苔むした石柱。崩れかけた屋根。長い間、人気のない場所。
——だが、リーゼには、わかった。
空気が違う。魔力が、濃い。
暗い回廊を抜けた先に。
「ありました」
エルヴィンの声が、反響した。
「大水晶です。僕の背丈ほどある。——淡い、青白い光を、放っています」
リーゼは、手を伸ばした。
指先が、水晶に、触れた。
瞬間——
音が、爆ぜた。
ゴォォォン——!
深い、圧倒的な鐘の音。死の音ではなかった。もっと根源的な、生命そのものの音。
全身が、震えた。
水晶が、リーゼの中の「灰」を、感知したのだ。八年分の、燃えかすを。
「リーゼ嬢!」
「大丈夫——大丈夫よ。——応えてる、この水晶」
水晶の表面が、脈打つように光った。リーゼの指先から、何かが、動き始めた。
灰が、動いている。体の奥の、冷たい灰が、指先に向かって集まってくる。
痛い。血管が、焼ける。
「あ——っ」
「リーゼ嬢!」
「離れないで。でも、触らないで。——今」
灰が、リーゼの指先から、水晶に流れていく。黒い靄のようなものが、水晶に、吸い込まれていく。
水晶の光が、青白から、鉛色に、変わっていく。
「対価——」
リーゼは、呟いた。
水晶が、声を発した。いや、声ではない。音。運命の音と同じ種類の、深い音。
それが、頭の中で、意味を結んだ。
——何を、対価に差し出す。
「未来を視る力を。——もう、未来は、要らない」
水晶が、脈打った。
——それだけか。
「……運命を聴く力も。全部。——私の、力の全部を」
水晶が、輝いた。
リーゼの内側から、灰が一気に、抜かれた。八年分の代償が、魔力の燃えかすが、全部、水晶へ流れ込んだ。
同時に、リーゼの中から、力が消えた。
未来視も。運命の音も。——全部。
手が、水晶から、離れた。
膝が崩れるのを、エルヴィンが、抱き留めた。
「リーゼ嬢——!」
「大丈夫……」
身体が、軽い。
八年、背負い続けていた重りが、消えた。
「終わったわ」
エルヴィンの腕の中で、リーゼは、笑った。
神殿の天井の穴から、一筋の光が、落ちていた。
大水晶のシーン、書いてて一番気持ちよかった場面。
「未来を視る力を。もう、未来は要らない」。リーゼが八年間で一番強かった瞬間。
力を捨てて身体が軽くなるの、書きながら自分も肩の力が抜けた。




