第31話 音
ヴェルナー領に戻って、一週間。
リーゼは、穏やかに暮らしていた。目は見えない。マリアとエルヴィンが、交代で傍にいてくれる。
領地の運営は、リーゼの指示で動いていた。書類はマリアが読み上げ、リーゼが裁可する。口頭で指示し、マリアが書き取る。
視力がなくても、頭は回る。
そして——未来視は、完全に消えていた。
何も、視えない。未来も。現実も。ただの、闇。
不安は、ある。
同時に、安堵もあった。
もう、誰の死も、視なくていい。
* * *
それが起きたのは、八日目の朝。
孤児院に顔を出した時のこと。
子供の一人が、リーゼの手を引いて庭に連れ出した。
「お姫様、見て! 子犬が生まれたの!」
「あら、素敵ね。——見えないけれど」
「触って!」
小さな手が、リーゼの掌に、温かい毛玉を乗せた。
子犬が、リーゼの手の中で鳴いた。
——その瞬間。
音が、聴こえた。
子犬の声ではない。もっと深い、低い、鐘のような音。
ゴォン。
一度だけ。
「……え」
見下ろした。見えないのに、感じた。この子犬に、何か。
「この子犬——怪我、していない?」
「ううん、元気だよ」
「そう。——でも、体が少し弱いかもしれない。温かくしてあげて。ミルクは、多めに」
「うん!」
子供が、子犬を抱いて去った。
リーゼは、その場から動けなかった。
——今の音は、何。
* * *
午後。庭で、エルヴィンと過ごしている時。
挨拶代わりに、エルヴィンの腕に、そっと触れた。いつもの動作。
——また、音。
チリン。
小さな鈴のような、かすかな音。
「エルヴィン様。怪我、していません?」
「え、いえ——」
「本当に? 左の肩とか」
エルヴィンが、自分の左肩を触った。
「……実は、昨日の訓練で、少し痛めたんですが。——なぜ、わかるんですか」
リーゼは、しばらく黙った。
——死亡フラグではない。もっと小さなもの。怪我。病。危険の、予兆。
未来視が消えた代わりに——別の力が、来た。
触れた相手の、「運命の音」が、聴こえる。
死が近い者ほど、音が大きい。小さな危険なら、小さな鈴。致命的なら——鐘。
「……変わったわ」
「何がですか」
「私の力が。——形が、変わった」
視る力は、消えた。
聴く力が、生まれた。
代償は、もう払っている。視力と記憶の一部という、戻らないものを。
新しい力は、新しい代償を、求めない。
——そうであってほしい、と、リーゼは祈った。
指の先で、エルヴィンの袖を、軽く握った。
子犬触って「運命の音」聴こえるシーン、最初から決めてたわけじゃなくて書いてたら降りてきた。
五感のバランスが変わる設定、気に入ってます。




