第2話 折られなかったフラグ
昨日の投稿にブクマしてくれた方、ありがとうございます。嬉しくて三回確認しました。
婚約破棄の翌日。
アレクシス第一王子は上機嫌だった。
「今日は天気もいい。セレナ、庭園を散歩しないか」
新しい婚約者——男爵令嬢セレナ・ミュラーが頬を染めた。
「はい、殿下」
二人は薔薇園を歩いた。宮廷の者たちが遠巻きに見つめている。昨日の婚約破棄劇は既に王都中の噂だ。
「あの女も大人しく引き下がったな。もっと騒ぐかと思ったが」
「リーゼロッテ様は、聡明な方ですもの」
セレナの言葉に棘はなかった。だがアレクシスは気づいていない。彼女の瞳の奥に、計算の光があることを。
——そんなことより、と王子は空を見上げた。清々しい朝だ。
重石が取れたような気分だった。退屈な婚約者。事務的な会話。感情のない微笑。八年間、あの女といて心が躍ったことは一度もなかった。
それに引き換え、セレナは——
「殿下、あちらの噴水、素敵ですわね」
セレナが指差した方向に歩き出す。
その時だった。
頭上で、鈍い音がした。
「——殿下ッ!」
護衛騎士が叫んだ。
薔薇園の門のアーチに据えられていた石像が、突然傾いた。数百キロの石が、王子の頭上に——
護衛が王子を突き飛ばした。石像が地面に激突し、砕け散る。
石片がアレクシスの頬をかすめた。一筋の血が流れる。
「な——」
セレナが悲鳴を上げた。
護衛騎士たちが駆け寄る。大騒ぎになった。
だが、アレクシスの頭にあったのは——
——偶然だ。
それだけだった。
* * *
同日、夕刻。
王子の執務室に、毒味役が駆け込んできた。
「殿下! 本日の晩餐の前菜から、微量の毒物が検出されました」
「……何だと?」
「ベラドンナの抽出液です。少量であれば気づかれにくく、数日かけて——」
「わかった。調査しろ」
アレクシスは眉をひそめた。
石像の落下。毒物。一日で二件。
——偶然が、二度。
「騎士団長を呼べ」
「はっ」
執務室に一人残されたアレクシスは、窓の外を見た。
不思議なことに、こういった「事故」は記憶にほとんどない。幼い頃から、危険なことは起きなかった。いや——起きていたのかもしれないが、いつも未然に防がれていた。
——誰が?
その疑問は、すぐに消えた。騎士団長が到着したからだ。
* * *
同じ頃。
ヴェルナー領の屋敷で、リーゼロッテは久しぶりに十二時間眠った。
「リーゼロッテ様、もうお昼を過ぎておりますが……」
「あと五分」
「五分前にも同じことを仰いました」
「では、あと三百秒」
マリアが呆れた顔をしたが、少しだけ嬉しそうだった。王都にいた八年間、主人がこんなに穏やかな顔で眠ったことはなかったのだ。
リーゼはようやく起き上がった。
鏡を見る。左のこめかみの白髪が、陽光の中で銀色に光っていた。未来視の代償。使えば使うほど、命が削れる。
もう視ていないのに、白髪は戻らない。
「マリア、今日の予定は?」
「領地の視察と、税務報告の確認と——」
「素晴らしいわ。全部、普通のことですわね」
「はい?」
「暗殺者の配置図を確認しなくていい。毒物の入手経路を調べなくていい。天候と建築物の劣化状態から落下物の確率を計算しなくていい」
マリアが絶句した。
「……リーゼロッテ様、それ、毎日なさっていたので?」
「ええ、毎日」
リーゼは窗辺に立った。ヴェルナー領の穏やかな田園風景が広がっている。
「平和って、こういう景色のことを言うのね」
そう呟いた時——
視界が白く弾けた。
閉じていないのに、未来視が走る。
暗い路地。複数の影。刃物の光。金色の髪が——
「——っ」
リーゼは額を押さえた。
「リーゼロッテ様!?」
「大丈夫。大丈夫ですわ」
——三日後。視えたのは、やはり三日後。
王子が、暗殺される。
リーゼは窓枠を握りしめた。
——知りません。もう、私には関係ない。
唇が震えた。
——関係、ないのに。
リーゼが12時間寝るシーン、書きながら自分も眠くなりました。布団って最強の防具ですよね。
今回は王子側とリーゼ側を交互に描く構成にしてみました。どっちの視点が好きか、よかったら感想で教えてください。




