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第1話 最後のフラグ

はじめまして、楠光晴です。初投稿です。

婚約破棄モノ×死亡フラグ回避という、好きなもの全部乗せみたいな話を書きました。よろしくお願いします。

王宮の大広間に、アレクシス第一王子の声が響いた。


「——リーゼロッテ。私は、真実の愛を見つけた」


 予知していた。


 三日前の夜、未来視ヴィジョンが見せてくれた。王子が壇上で婚約破棄を宣言する光景。隣に立つ男爵令嬢の得意げな微笑。そして——群衆の嘲笑。


 だから、リーゼロッテ・フォン・ヴェルナーは微笑んでいた。


「左様でございますか」


 声は震えなかった。八年間、この瞬間のために心を整えてきたのだから。


「……それだけか?」


 アレクシスが眉をひそめた。もっと取り乱すと思ったのだろう。泣き叫び、すがりつき、醜態を晒すと。


 リーゼは静かに頭を下げた。


「殿下のお幸せを、心よりお祈り申し上げます」


 大広間がざわめいた。公爵令嬢の品格に、誰もが言葉を失った。


 だが、リーゼの胸の内にあったのは品格などではない。


 ——ああ、やっと終わる。


 安堵だった。


 そして——悲しかった。


     * * *


 リーゼロッテ・フォン・ヴェルナー。ヴェルナー公爵家の長女。十七歳。


 そして——《未来視》の持ち主。


 この力が目覚めたのは九歳の時。王子との婚約が決まった、まさにその日だった。


 だが、力よりも先に、記憶がある。


 婚約の顔合わせの日。九歳のリーゼは緊張で足が震えていた。ヴェルナー家は名門だが、リーゼ自身は社交が苦手な、内気な少女だった。宮廷の華やかさに目が眩み、廊下の端で一人、壁に背をつけて俯いていた。


 ——私なんかが、王子様の婚約者だなんて。


 その時だった。


「おい。なんで隠れてるんだ」


 顔を上げると、金色の髪の少年が立っていた。九歳のアレクシス王子。まだ偉そうな口調を覚える前の、ただの男の子。


「こ、隠れてなんて——」


「隠れてるだろ。顔が見えないぞ」


 アレクシスがリーゼの顔を覗き込んだ。無遠慮で、不器用で——でも、まっすぐな目をしていた。


「ふうん。お前がリーゼロッテか。——髪、きれいだな。栗色って好きだ」


 それだけだった。


 それだけのことで、九歳のリーゼの心臓は、壊れるかと思うほど鳴った。


 それが——全ての始まり。


     * * *


 未来視が目覚めたのは、その夜だった。


 最初に視えたのは、婚約の翌週に王子が馬車から転落して死ぬ未来。


 九歳の少女は震えながら走った。馬車の車軸に仕込まれた細工を見つけ、侍女に報告した。事故は未然に防がれた。王子は何も知らなかった。


 それが始まりだった。


 なぜ走ったのか。九歳のリーゼは理屈では考えなかった。ただ——あの金色の髪が血に染まる未来が、嫌だった。「髪、きれいだな」と言ってくれた、あの笑顔が消える未来が、耐えられなかった。


 好きだったのだ。最初から。


 十歳。宮廷の晩餐会で、王子の杯に毒が盛られる未来を視た。リーゼは自分の杯をわざと王子のものとすり替え、三日間高熱にうなされた。「風邪をひいた」とだけ伝えた。


 見舞いには来てくれなかった。でも——生きていてくれれば、それでよかった。


 十二歳。狩猟祭で、王子を狙う矢が放たれる未来を視た。リーゼは前日に森の茂みを「散歩」し、暗殺者の潜伏場所を偶然騎士団に通報する形で処理した。


 その頃から、アレクシスの態度は変わっていた。リーゼに対して素っ気なく、社交の場では他の令嬢と笑い合い、リーゼには事務的な会話しかしなくなった。


 ——それでも、好きだった。


 十四歳。王宮の回廊で天井の石材が崩落する未来。リーゼは王子との待ち合わせ場所を変更させた。理由は「あの回廊は風通しが悪くて、お肌に悪いですわ」。


 アレクシスは退屈そうに「変な女だ」と言った。


 ——変な女でいい。生きていてくれるなら。


 十五歳。十六歳。十七歳。


 毒。暗殺。事故。呪術。陰謀。


 数え切れないほどの死亡フラグを、リーゼは一本一本、折り続けた。


 王子はその全てを知らない。


 知っているのは——「婚約者は地味で退屈な女だ」ということだけ。


 好きだった。ずっと好きだった。


 あの廊下で「髪、きれいだな」と言ってくれた少年のことが。


 でも——八年間、一度も振り向いてくれなかった少年を、いつまでも好きでいることには限界があった。


 報われない愛は、やがて——疲弊に変わる。


     * * *


「リーゼロッテ様、本当によろしいのですか」


 馬車の中で、侍女のマリアが涙ぐんでいた。


「よろしいも何も、破棄されたのは私ではなく、殿下の方ですわ」


「え?」


「殿下は今日、この国で最も優秀な護衛を失ったのです。ご本人が気づいていないだけで」


 窓の外を流れる王都の景色を眺めた。


 八年間、一日も休まず視続けた未来。眠れぬ夜。薬を飲んでも治まらない頭痛。未来視の代償で白くなった左のこめかみの髪。


 そして——報われることのなかった、長い片想い。


 全て、終わる。


「マリア」


「はい」


「私ね。最初は好きだったから守っていたの。でも途中から——好きだから守ってるのか、守っているから離れられないのか、わからなくなった」


 マリアが息を呑んだ。リーゼが本音を語ることは、滅多にない。


「だから——これでいいの。やっと、自分を取り戻せる」


「リーゼロッテ様……」


「泣かないで、マリア。私は泣いていないのだから」


 嘘だった。泣きたかった。でも、ここで泣いたら——八年間が崩れてしまう。


「ヴェルナー領に帰りましょう」


「……はい」


「久しぶりに、ぐっすり眠れそうですわ」


 馬車が王都の門をくぐった。


 リーゼは目を閉じた。


 ——もう、視なくていい。あの人の未来を追いかけなくていい。


 だが。


 閉じた瞼の裏に、最後の未来視が走った。


 暗い部屋。倒れた人影。金色の髪が血に濡れて——


 リーゼは目を開けた。


「……」


 心臓が跳ねた。今のは。


 ——王子の、死。


 三日後。


 リーゼは唇を噛んだ。


 好きだった。もう好きではいたくない。でも——死んでほしくない。


 この感情に名前をつけるなら、それはもう愛ではないのかもしれない。ただの——癖。八年間、染みついた、離れられない癖。


 リーゼはゆっくりと息を吐いた。


「知りませんわ」


 呟きは、馬車の車輪の音にかき消された。


 ——知らない。知りたくない。もう、あの人の未来は。


 でも、視えてしまった。


 リーゼは白くなったこめかみの髪を、指で撫でた。


 ここに刻まれた八年間は——愛の証であり、愚かさの証でもあった。

読んでいただきありがとうございます!

書き始めたら止まらなくなって、気づいたら深夜2時でした。明日仕事なのに。

感想・ブクマ・評価いただけると、睡眠時間を削った甲斐があります。

次回「折られなかったフラグ」——リーゼがいなくなった王子の周りで、何が起きるのか。

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