第19話 目を閉じても
教育十五日目。
リーゼの左目は、光と影の区別がつく程度まで落ちた。
それでも、教育は完璧にこなしていた。
未来視で全部を補う。セレナの回答を先読みし、適切に指摘する。教材は暗唱。一字一句、外さない。
女官たちは、リーゼの指導力に感嘆していた。目のことに、誰も気づかない。
——アレクシスを除いて。
「リーゼロッテ。今日の教育の後、少し時間をくれ」
「殿下。構わないで、と申し上げたはずです」
「構わないのではない。報告だ」
「報告?」
「宰相の動きを調べた。——お前の言った通りだ。セレナは、宰相の養女だった」
リーゼは足を止めた。
「ご自分で、調べたのですか」
「ハインリッヒがいない以上、自分でやるしかない。お前に言われたとおりだ。王子であるなら、自分で確かめろと」
少し、驚いた。この男が、自分で動くとは。
「何がわかりましたか」
「セレナ・ミュラーは、十年前に宰相が引き取った孤児だ。以来、宰相の私邸で教育を受けている。戸籍上は男爵家の養女。実質は、宰相直轄の駒」
「よく、お調べになりましたわね」
「それだけじゃない。宰相は、第二王子ルートヴィヒに接触している。定期的な密会の情報を掴んだ」
「情報源は」
「……自分の侍従だ。父上——陛下にも近い男だが、俺に忠誠を誓ってくれた」
リーゼは微笑んだ。見えない目で。
「殿下。——成長なさいましたわね」
「褒められている気がしないな」
「褒めていますわ。本心から」
* * *
その夜。
リーゼの部屋に、密かに訪問者があった。
「リーゼ嬢」
「エルヴィン様!? なぜ、王都に——」
「言ったでしょう。迎えに行く、と」
「迎えは不要、と返事したはずです」
「不要かどうかは、僕が判断します」
穏やかな声。けれど、譲らない強さがあった。
「精鋭十名を連れて、王都に拠点を構えました」
「……十名も」
「足りないかもしれません。暗殺未遂があったと、聞きました」
リーゼは、黙った。
エルヴィンが近づいた。リーゼの顔を、覗き込んだ。
「リーゼ嬢。僕の目を、見てください」
「……」
「見えて、いないんですね」
リーゼの身体が、強張った。
「右目は、もう。左目も——」
「なぜ、誰にも言わないんですか」
「言っても——」
「治らないから?」
「……ええ」
エルヴィンが、リーゼの手を取った。
今度は、振り払わなかった。
「原因は、あの白髪と同じものですか」
「……はい」
「止められないものですか」
「使わなければ、遅くはなります。——でも、使わずにはいられないの。視えてしまうから」
「何が、視えるんですか」
長い沈黙ののちに、リーゼは言った。
「未来が」
エルヴィンは、驚かなかった。
いや——驚いたかもしれない。声には出さなかっただけかもしれない。
「それで、八年間、王子を守っていたんですね」
「はい」
「今は——僕たちの領地を、守ろうとしている」
「はい」
「それで——自分を、壊している」
リーゼは、答えなかった。
答えの代わりに、エルヴィンの指が、少しだけ、強く握り返された。
「リーゼ嬢。——僕は、あなたの目にはなれません。未来を視ることも、できません」
一拍。
「でも」
「でも?」
「あなたが視えなくなった世界を、代わりに視ることはできます。——あなたの、隣で」
リーゼの、見えない目から、涙が落ちた。
「……ずるいわ、エルヴィン様」
「ずるくて、結構です」
「あなたが視えなくなった世界を、代わりに視ることはできます。あなたの隣で」
エルヴィン反則。プロポーズより先にこれ言うのずるい。
今日の夜食:卵かけご飯。安くてうまい、正義。




