第17話 闇の中の光
今回、ちょっと重い話です。
教育十日目の夜。
リーゼは暗い部屋で、天井を見上げていた。
——見上げている、つもりだった。実際には、天井がほとんど見えない。
「……あと、どれくらい保つかしら」
未来視を使うたび、現実の光が削られる。止めようとしても、止まらない。眠っている間も、王子の危機が、宰相の陰謀が、セレナの次の一手が、流れ込んでくる。
手探りで引き出しを開けた。手帳を取り出す。
書こうとした。
文字が、見えない。
ペンを握ったまま、動けなかった。
八年、この手帳に全部を記録してきた。死亡フラグの管理。毒の種類。暗殺者の癖。今は、領地の改善計画。
それが、書けない。
涙が一粒、手帳の角に落ちた。
インクが、少しだけ滲んだ。
* * *
翌朝。
教育の時間、リーゼは異変を悟られないよう振る舞った。
セレナの顔は見えない。声の位置と、気配で方向を取る。教材は、前夜のうちに暗記した。
「セレナ嬢。今日は歴史です。建国王アルベルトが北方連合と結んだ同盟の意義を、述べなさい」
「北方連合との同盟は、南部の蛮族への対抗のため——」
「不十分。同盟の本質は軍事ではなく、交易路の確保です。建国王が欲したのは、兵ではなく、北方の鉄と穀物でした」
目が見えなくとも、知識は揺るがない。
——教室を出た、その瞬間。
壁に、ぶつかった。
「あっ——」
「リーゼロッテ様?」
女官が驚いて声をかけた。
「ええ。少し、ぼんやりしていただけ」
壁に手をつきながら、廊下を歩いた。右手で壁を辿る。左目の、残った視界で、足元を確かめる。
角を曲がった先に、人影。
「リーゼロッテ」
アレクシス。
「殿下」
「……目、見えているのか」
リーゼの心臓が跳ねた。
「何のことですか」
「さっき壁にぶつかった。今も、俺の顔を見ていない。声の方向を向いているだけだ」
鋭い。
否定しても無駄だと悟った。
「右目は、もう見えません。左目も——あまり」
「いつからだ」
「一ヶ月前から、少しずつ」
「なぜ言わなかった」
「言って、どうなりますの」
アレクシスが息を呑んだ。
「これは——お前の、力の代償か」
「……殿下は、私の力のことを」
「ハインリッヒの報告書に、推測が書いてあった。『リーゼロッテ嬢は、何らかの予知能力を持っている可能性がある』——八年の行動パターンから、そうとしか説明がつかないと」
リーゼは壁にもたれた。
「そうです。未来視。視るたびに、命が削れます。髪が白くなり、視力が落ち、やがて——」
「やがて?」
答えなかった。
第三段階。記憶が、消える。
それだけは、言えなかった。
「殿下。お願いが」
「言え」
「このことは、誰にも仰らないでください。特に——宰相と、セレナ嬢には」
「当然だ」
「それから——私に、構わないでください。仕事をしに来ただけです。教育が終われば、帰ります」
「リーゼロッテ——」
「お願い、です」
声が、震えた。
構われると、揺らいでしまう。
戻らないと、決めたのに。
守らないと、決めたのに。
この人に優しくされると、また——
「……わかった」
アレクシスが一歩、下がった。
「だが、一つだけ、言わせてくれ」
「何ですか」
「今度は——俺が、お前の目になる」
リーゼは、何も言えなかった。
ぼやけた左目の視界で、金色の髪が揺れるのが、かろうじて見えた。
それだけが、見えた。
リーゼの視力がほぼ失われるシーン、書きながら手が止まった。
「俺が、お前の目になる」——殿下、かっこいいこと言うけどそれリーゼのセリフの受け売りでは?




