真意
「ん、んん」
クウヤに運ばれたしばし後、シルディエは身をよじりながら瞼を開けた。
何かを叩くような音がして、目が覚めたのだ。
目を開けたシルディエには、まず見覚えのない部屋が映った。
否、見覚えがないのではなく、父の手紙を読んだ部屋の隣に設置されていた寝室だった。
柄にもなく泣きじゃくったシルディエには、自らベッドに横になった記憶がない。
ということは、誰かに運ばれたのだろうとシルディエは当たりをつけた。
「……フィナリア?」
そう考えて部屋を見渡したシルディエは、隣のベッドに座るフィナリアを確認した。
「先に起きてたの……?」
しかしフィナリアに話しかけよとしたところ、フィナリアが口元に指を当てて静かにというジェスチャーをした。
「?」
その仕草の意味が分からないシルディエの前で、フィナリアはある魔法を紡ぎあげた。
『でも、俺がそんなことを思うことがそんなに不思議な事ですか?』
「!!!」
すると、突如シルディエの耳にクウヤの声が響いてきた。
実際に目の当たりにするのは初めてだが、フィナリアは音を操ることが出来るという話は聞いていた。
昨晩、シルディエの前で音を掻き消す魔法を紡ぎ続けていたことからもその実力に疑いの余地はない。
とはいえ、音を増幅させる方を体験するのはリスタコメントスで敵として対峙した時以来の事だ。
なぜ今その魔法をフィナリアが扱ったのかということに疑問を抱くシルディエだったが、フィナリアは至って真剣な表情で隣部屋に繋がる扉に目を向けている。
クウヤが誰かと話をしており、フィナリアがそれを盗み聞きしているのだということにシルディエ気が付くまでに、さして時はかからなかった。
「……」
フィナリアの性格から考えて盗み聞きなどという趣味の悪いことをするはずはない。
しかもそれを自分にまで聞かせるなどというようなことをである。
だが、逆を言えば今クウヤがしている会話は、フィナリアにそうさせるだけの何かがあるのかとシルディエは内心で首を傾げながらフィナリアの風が運んでくる声に耳を傾けた。
『異なる世界で生まれ育たれたクウヤ殿の価値観が、私達と同じであるとは限りません。
それに、フィナリア様と違って私はあまりクウヤ殿と言葉を交わしたことがありませんでしたので』
クウヤの話し相手になっている誰かの声も響いてきた。
……声から察するに、現在実質的に反乱軍を取り仕切っているジェクト将軍だとシルディエは当たりをつける。
(…異なる世界?)
会話の中に出てきた奇妙な言葉にシルディエは疑問を抱きながらも話に耳を傾ける。
『フィナリア様が信を置くわけですね。
こうして話してみて、クウヤ殿の人となりが初めて分かりました。
あなたは、真にこの世界の行く末を案じるだけの懐の深さがある。
だからこそ、アルザス様も私とフィナリア様にしか語ったことの無い魔族との共存を語られたのでしょう』
「!?」
ジェクト将軍が口にした言葉を、シルディエは一瞬理解できなかった。
(魔族との、共存!?)
魔族は帝国の国土を蹂躙した人族の大敵だ。
そんな魔族を滅ぼすために戦うのは当然のことだろう。
だというのに、扉一つ隔てた向こうの部屋ではそんな常識を完全に度外視した言葉が、さも当然のように飛び出したのだ。
そのことに動揺しながら、シルディエは耳を傾け続けた。
『クウヤ殿。魔族と戦われたあなたから見て、魔族との共存は可能だと思われますか?』
将軍の問いに、クウヤはしばし黙考したのちに口を開いた。
『可能性はなくはないと思います』
「!!!!」
魔族との共存を大前提としたようなクウヤの答えに、シルディエは絶句しながら驚愕の表情を浮かべた。
そんなシルディエを余所に二人の会話は続く。
『と言いますと?』
『魔王を名乗るヴィラルドという魔族とトリストスが、死闘の末に友としての契りを交わしていました。
魔族だからと言って話が通じない相手ばかりではないと思います』
『……なるほど。それは、現在においてはこの上ない朗報ですね』
「……」
驚愕を抑え込み、シルディエは二人の話に耳を傾ける。
ヴィラルドという魔王の名は初耳だが、トリストスという剣士とは先日共闘したばかりだ。
その剣技を直接見たわけではないが、身のこなしから察するに尋常ではない使い手なのは間違いない。
シルディエにとっては、そんなトリストスが人間界を襲撃した魔族と戦ったということ自体が初耳であるのだが、その上でトリストスが魔族と友になったというクウヤの言葉にシルディエは耳を疑った。
そんなシルディエの耳に、どちらかが立ち上がるような物音が聞こえた。
『クウヤ殿。帝国の支配はすでに終わりました。
我々が信に憂うべきは、これまでに流された涙ではなく、これから流される血です。
今、我々はこれから流れるであろう魔族と人族の血をいかに少なくするかに焦点を絞るべきでしょう』
『……そうですね。その通りです』
クウヤが呟くようにそう口にしたとき、フィナリアが紡いでいた魔法を解いた。
「……一体、どういうつもり?」
シルディエはフィナリアにそう問いかけた。
何のつもりでこんな会話を聞かせたのかという意図を込めて。
そんなシルディエに対し、フィナリアは佇まいを直してシルディエの方を向いた。
「シルディエ様に、私たちの真意を知っていただこうと思いまして」
「…真意?」
「はい」
そう言って、フィナリアは頷いた。
「先にお二人が言われた通り、私も、私の父も、魔族との和平を望んでいる、ということです」
「…本気?」
クウヤはまだしも、フィナリアはシルディエから見ても非常に優秀な指揮官である。
一度ぶつかり合っただけだが、現状を正確に把握し、現実的な判断を下せなければあのような指揮を執ることなどできない。
そんな聡明なフィナリアであれば、魔族との和平がどれほど困難な事なのかを理解できないはずはない。
だというのにそんなことを口にするフィナリアに、シルディエは絶句していた。
また、シルディエから見ても底知れぬ実力と思慮深さを兼ね備えるジェクト将軍までそんな考えを抱いているという事実が、シルディエにさらに深い困惑を与えていた。
「…本気なの?」
気が付けば再度同じ質問をしていたシルディエに、フィナリアは迷いなく頷いた。
「はい。私も、クウヤさんも、この世界のためにそれが必ず必要だと考えています」
「……それは、おそらく魔族を滅ぼす以上に困難な道よ?」
シルディエの指摘に、フィナリアは再度頷いた。
「分かっています。
ですが、私たちは魔族のことを何も知りません。
その存在が、帝国のように極めて邪悪な存在なのか、あるいはフォルシアンのように、ただ排斥された悲しみを抱いているだけなのか、私たちには推し量れません」
フィナリアの言葉に、シルディエは一度呼吸を整えた。
フィナリア達が反乱を起こす前に、シルディエの元にも魔族がシェルビエントを突破し人間界に侵攻してきたという情報は聞いていた。
だが、魔族たちが凄まじい速度で侵略し、国境警備軍である自分たちが増援に駆けつけれも間に合わないことを理解したシルディエは南方の国境から動かなかった。
ゆえに、確かに自分は魔族に対しては無知だ。
実際に言葉を交わしたことはおろか、槍を交えたこともなければ顔を見たこともない。
知っていることと言えばシェルビエントで時折見かけられるという噂話と、5000年間魔界に閉じ込められ続けたという事実程度のものだ。
……なるほど。
確かに二人の言う通り、悪であると断じることが出来るほどに自分たちは魔族のことを知らない。
「なら、二人は魔族とあったことがあるの?」
「はい」
その問いに、フィナリアは頷く。
「実は、私は魔族の侵攻のしばし前にベベルと名乗る竜人と一戦交えています。
そして、クウヤさんは帝都に侵攻していた魔族を、トリストス様と共に迎撃されました」
「……!」
シルディエの耳に届いていた情報では、侵攻してきた魔族は帝国軍が相打ちに持ち込んだと聞いていた。
それを聞き、シルディエ自身も魔族の存在を軽んじていた部分があった。
だが、冷静に考えてみれば5000年間も魔界に蓋をし続けたシェルビエントの砦を破壊した魔族を、ドルガー軍以外の帝国軍が相手にできるはずなどない。
これまで帝国側からもたらされる情報を鵜呑みにしていたが、その帝国が信に値する国ではないということは既に明白だった。
ずっと騒乱の事に神経をすり減らしていたのだが、こうして考えるとこれから戦う魔族の存在を正しく認識しているのは、一体人間界に何人いるのか怪しいくらいである。
強敵を強敵と認識していないことがどれほど危険で恐ろしいことかを良く知るシルディエは、その事実を考慮しフィナリアに向き直った。
「……フィナリア。魔族の事、あなたの知っている限りを教えてもらえる?」
「はい。ですが」
そう言ってフィナリアはベッドから立ち上がった。
「私は本物の魔族と戦った経験はありません。
この話は、クウヤさんを交えて行いましょう」
「…ええ。分かったわ」
そう言ってフィナリアと共にシルディエも立ち上がった。
「……」
ジェクト将軍が部屋を後にしてから俺はずっと交わした問答について考え込んでいた。
魔族との戦い。
俺は、人間界の騒乱に追われる日々の中でそのことを完全に失念していた。
俺は魔族を滅ぼすためにこの世界に来たのではない。
この世界に内包されている滅びの運命を回避するためにこの世界へ来たのだ。
もし滅びの因果を壊すという最終目標に焦点を絞った場合、帝国の被害者であるはずの魔族と俺たちが正面衝突することはどう作用するのだろうか。
……正直、恐ろしく嫌な予感しかしてこない。
帝国の闇を知れば滅びの因果が少しは見えてくるかと思っていたが、予想を裏切り帝国を叩き潰した現在もその滅びの因果がなんなのかが全く見えてこないのだ。
そんな状態で魔族とぶつかり合って大丈夫なのだろうか?
魔族の力は驚異的だ。
フィナリアもファーレンベルクも強くなったし(俺は相変わらず戦闘能力ゼロのままだが)あの時とは違ってバストラング、シルディエ、セレスティーナといった練達者もいるとはいえ、それでも勝てるとは断言できない。
出来るなら、戦いは回避したい。
だが、出来るのだろうか?
「クウヤさん」
「ん?」
突如、声をかけられ俺はその声の主の方を向いた。
気が付けば、フィナリアとシルディエが俺の隣にやって来ていた。
「二人とも起きたのか?」
声をかけてきたフィナリアの方を向いた俺は、その後ろからシルディエも一緒について来ていることに気が付いた。
思考に没頭するあまりに二人がこの部屋に入ってきていたことに全く気が付かなかったようだ。
「随分深刻そうな顔をしてたけど、大丈夫?」
「ええ。大丈夫、です」
突然俺の顔を覗き込むようにそう問いかけるシルディエに、俺はややどもりながら大丈夫だと告げる。
だってシルディエもフィナリアに負けず劣らずの美人なのだ。
そんな彼女に突然顔を覗き込まれて驚かない方が難しいだろう。
「それより、昨日はありがと。散々情けない姿を見せたけど、その…」
少し居心地悪そうに俯くシルディエに、俺は何となく口が開いた。
「俺たちの前では、肩肘張らなくても大丈夫ですよ」
「そう?」
「ええ。弱さをさらけ出せないのは、それ自体が弱さですから」
「…ぷっ」
フィナリアからの受け売りをテキトーにアレンジしてそんなキザったらしいことを言う俺に、シルディエが突然吹いた。
「クウヤ。似合わない」
「……」
滑った。
滑ってしまった。
やってしまった感があり、俺はしばし固まっていた。
「でも、ありがと。元気が出たわ」
「あ、ああ。そうですか」
シルディエはそんなことを言って俺が座っているソファーの近くの椅子に腰を下ろした。
続いてフィナリアが俺の座っていたソファーの端に座る。
「それと、その言葉遣いはどうにかならない?」
「へ?」
思わぬ指摘に、俺は目を点にした。
「クウヤ。あなた、フィナリアと他の人だと言葉遣いがまるで違うわよね? 別に全員にそうしろとは言わないけど、私には遠慮しなくてもいいのよ?」
シルディエにそう言われ、俺は目を丸くした。
フィナリアは俺と同い年くらいだがシルディエの場合は一回り上。
俺にとってもフィナリアにとっても頼れる姉と言えなくもない存在だ。
そんなシルディエにフィナリアと同じ言葉遣いというのは……。
「追々ということで」
「…ま、別にいいわ。今の本題はそこじゃないし」
そう言って、シルディエは俺の座っているソファーの近くの椅子に腰を掛けた。
同様にフィナリアも椅子に腰かける。
「クウヤさん。まず先に一つ謝らせてください」
「ん?」
突如祖女ことを言ってきたフィナリアに、俺は眉を寄せた。
そんな俺に、フィナリアは頭を下げてきた。
「まことに勝手ながら、先ほどの会話を聞かせていただきました」
「ん? ああ、そうなの?」
「…思ったより淡白な反応ね」
フィナリアの謝罪を流した俺に、シルディエがそんなことを口にする。
「知られて困ることを話してはないと思うんだが?」
「……魔族と和平を結びたいなんて馬鹿な考えを、知られて困ることじゃあない、ね」
呆れまぎれにシルディエはため息を吐いた。
……なんか認識がずれてるのか?
「それはともかく、クウヤ」
突如、シルディエがその表情を引き締める。
それに応じるようにフィナリアが頭を上げた。
「教えてほしいの。あなたが戦ったことのある魔族のことを」
「魔族の、話?」
「ええ。フィナリアから聞いたわ。
あなた、トリストスと一緒に帝都に攻め込もうとしていた魔族を撃退したそうね?」
「ああ、はい」
「私は、帝国軍が魔族を撃退したと聞いていたの」
言われて俺は思い至る。
ヴァルシアに連行されたとき、エベルスの野郎は魔族を帝国軍が撃退したと認識していた。
エベルスがそれを本気で信じていたかどうかは別問題として、それが帝国軍の共通認識出会った場合、シルディエを始めとする帝国軍の大半がその情報を鵜呑みにした可能性が高い。
実際問題、シルディエも初めてフィナリアと対峙した時はそのことを信じ込んでいたように思える発言をしていた。
ドッタンバッタンしていたせいでそのあたりの話が全くできていなかったことに、俺は今更気が付いた。
「はっきり言ってほしいのだけど、私はこれまで魔族が攻めてきても、帝国軍で撃退できるのなら問題ないと考えていたわ。
その認識は、あなたから見てどう?」
「……甘すぎる」
シルディエの問いに、俺はそう答えた。
「魔族の連中は、まともな帝国兵なんて歯牙にもかけないほどヤバイ連中が揃っている。
ドルガー軍ならまだしも、まともな帝国軍なら正面から潰されて終わりだ。
まして、ヴィラルドとか名乗ってた魔王だったらドルガー軍でも全滅させられる」
「……それほどの怪物なの?」
シルディエの問いに、俺は頷いた。
「トリストスさんとロウセイ師匠の話だと、ファーレンベルクがとどめを刺さなかったらそいつ一人に人間界が滅ぼされても不思議無いって言っていた」
「……ロウセイ様も、その魔族と戦ったの?」
「いや、ロウセイ師匠は帝都を襲撃したテオローグとかいう魔族と戦っていたらしい。
追い詰めはしたらしいが、空間転移で逃げられたといってました」
「……」
俺がそう言うと、シルディエは黙り込んで何かを考え込んでいるようだった。
「私は…というより、帝国軍は魔族の強さを相当に測り間違えていたようね。
考えてみればこの情報はエベルス将軍が公表した物。
そんな情報を鵜呑みにしていたとは、我ながら情けない話ね」
そう言うと、シルディエは改めてこちらを向いた。
「で、クウヤ。
あなた、そんな危険な魔族と和平を結びたいなんて、本気なの?」
「……」
シルディエの質問に、俺は再び先ほどジェクト将軍と話をした直後から考え続けている問題が浮上したことに気が付いた。
俺の目的は世界の滅びの因果を解くことにある。
魔族を滅ぼすことがそれにつながるなら、俺は迷わずそうする。
だが、俺をこの世界に送り込んだ張本人である女神レンシアは言ったのだ。
この世界の人々を救ってほしいと。
その人々というものに、果たして魔族は含まれていないのだろうか?
……俺にはそうは思えないのだ。
「魔族は、人族のせいで長い年月を魔界に追いやられ続けた被害者だ。
だから、もしかしたらと思うんです」
「……そう」
俺の言葉に、シルディエはそう答え、天井を眺めた。
さっきの問答から察するに、シルディエは魔族との和睦など考えていなかったのかもしれない。
というより、フィナリアを始めとするノーストン勢の中核以外にそんなことを考えている人たちはいないのかもしれない。
そう簡単に答えの出る問題ではないだろう。
俺と違って、シルディエはたくさんの部下の命を預かっている立場なのだ。
フィナリアやジェクト将軍のようにあらかじめ腹をくくっている人たちのようにはいかないだろう。
「あ、そう言えば」
沈黙流れる場の空気に、俺は先ほどジェクト将軍に伝言を頼まれていたのを思い出した。
本日もお付き合いいただきありがとうございました。
さて、ようやく序章でうった布石が使えるようになってきました。
長らく出番のなかった魔族の皆様から『早く出番よこせ!』と言われそうなので、出来るだけ長引かせずに登場していただこうと思います。
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非常に励みになっております。これからも是非よろしくお願いいたします。




