ドルガーの手紙
クーデターに成功してからおよそ10日が経過した。
俺たちはひとまず当面の処置を終えて束の間の休息を取っていた。
反乱が成功したとはいえ、今後の情勢がどう転ぶかは予想できても予見できはしない。
ゆえに俺も含め反乱軍の主要メンバーは帝国内の治安維持のために帝国に残り、各所と連絡を密にとる必要があった。
とはいえ、状況はあまり逼迫してはいない。
今現在、帝国はゼインを始めとしたドルガー軍の主要メンバーが取りまとめており、着々とリスタコメントスやノーストンから人員を補給して引継ぎを行っている状態なのだ。
「で、現状は待機ってことでいいのか?」
割り当てられた私室にて、俺はフィナリアにそう質問した。
そんな俺の問いに対し、フィナリアはコクリと頷く。
「現在、帝国は反乱直後とは思えないほどに安定しています。
正直、私たちはノーストンとリスタコメントスから送られてくる人員の引継ぎが終わるまで居ればいい状態です」
「……マジかよ」
俺もこれまでリスタコメントスやらフォルシアンやらで戦後処理を行って来た身なので、内乱の厄介さは分かっているつもりだった。
内乱というのは起こしている最中も大変だが終わった後もめちゃくちゃ大変なのだ。
俺は預かり知らなかったことだが、リスタコメントスでもマトワールやエルリオット達の残党には散々手を焼かされたらしい。
よって帝国の反乱が終わった後には、その後に起こるであろう暴動を鎮圧するのに大変な労苦があるだろうと予測されていたのだが、それが肩すかしを喰らうほどにないというのだ。
「これも全部、ドルガー将軍のおかげ、ってことなのか?」
俺の問いに、フィナリアは深く頷いた。
反乱は鎮圧した後に残党やら何やらが暴れまわるもの。
そういうふうに相場が決まっていると思っていたのだが、このトルデリシア帝国に関してはそうではない。
反乱が終わった後に知ったのだが、帝国の貴族には特殊な隷属魔法が刻まれており、皇帝が死去した場合帝国貴族たちも道連れで死んでしまうのだとか。
この隷属魔法は皇帝が契約者、その世継ぎが仮契約者となり、皇帝が死去した直後に契約権が世継ぎに委譲されるというシステムなので、皇族以外がこの隷属魔法の契約者になることは実質的に不可能。
帝国の上級貴族と呼ばれる連中は、権力と引き換えにこの隷属魔法を刻まれ、皇帝に絶対の服従を誓わされる。
そしてその代償として、人間界内で最上級の権力を得ることが出来るのだとか。
何ともよくできた飴と鞭の制度で、帝国貴族は皆権益を求めて進んで皇帝の奴隷になることを望み尻尾を振る。
そして欲望に目がくらんだ連中は逆らえば死ぬという制約から反旗を翻すことなくその生涯を終える。
本当に良くできた制度だ。
隷属魔法という奇怪な魔法と、その魔法による拘束力を極限まで高める制度。
その二つが相まって、トルデリシア帝国という帝国は5000年という長きにわたって存続してきたのだ。
だが、それは内部から崩壊した。
隷属魔法と帝国の制度は人の欲望と死に対する恐怖に訴えかける代物。
ドルガー将軍のように欲望にも恐怖にも屈さない人物には皆目効果がないのだ。
オルバールにとっての最大の誤算は、ドルガーという人物の内面を最後まで知らなかったことだ。
上級隷属魔法をかけられている者は、反乱を起こさない。
なぜなら、反乱を起こせば『隷属魔法によって殺される』し、仮に反乱が成功して皇帝の首が飛んでも自分たちも道連れで死ぬ。
また、皇帝が暗殺されたとしても自分たちが死ぬため、帝国貴族たちは全力を以て皇帝を守護するのだ。
忠誠とは全く異なった歪な関係で、忠義もへったくれもない欲望にまみれた制度だが、それは見事に機能していたのだ。
だが、5000年も続いたその常識は、帝国貴族たちのような俗物には適応されてもドルガー・グランガイスという傑物には適応されなかった。
死を恐れず、欲望に呑まれなかった超人ドルガー・グランガイス。
帝国は、最後までドルガーが自らと共に現体制を破壊しようとしていたことに気が付かなかったのだ。
帝国の領民は、帝国の暴政が終わると知ってむしろ嬉々としてとして俺たちを受け入れた。
主要な上級貴族は、オルバールがファーレンベルクに焼かれた直後に隷属魔法の呪いを受けて息絶えた。
残る地方貴族は、ドルガー軍という帝国最大の戦力が寝返ったことを知り、大半が白旗を上げた。
「ドルガー将軍がここまで周到に用意を整えていてくださらなければ、帝国がここまで急速に安定することはありえなかったでしょう。
最悪、ドルガー軍が残党側と結託する可能性もありましたので」
「そのドルガー軍が、俺たちの傘下に入って内乱を抑え込んでいる、か。
いろいろと出来すぎだな」
「すべては、用意されていたということなのでしょう」
残った問題と言えば新体制が始まるまで不安定な時期が続くということだったが、ドルガー将軍は俺達と戦う直前にオルバールから全権を預かっており、貴族たちの私財を全て徴収しておいたのだとか。
そして現在、帝国はその蓄えられた莫大な私財を用いて急速に復興が進んでいる。
それらドルガー領の文官方が回しているのだ。
「……ドルガー将軍とは、一緒に戦うことできなかったのかな?」
俺のそんな呟きに、フィナリアは難しい表情を浮かべる。
「私にも、良く分かりません。
ジェクト将軍の話では、ドルガー将軍は『封隷』の使用を拒まれたそうです。
なぜドルガー将軍がそのような選択をされたのかは分かりません。
いったいなぜ、ドルガー将軍が私達と戦われたのか。
そして、なぜ私達と戦われた将軍がここまで周到に戦後の用意を整えられていたのかが」
「……だよなー」
副官のゼインならいろいろ知っていそうだが、今ゼインはドルガー軍と新帝国陣営を取りまとめる立場にあるため、非常に忙しい。
のんびり話をしている暇はないのだ。
コンコン。
そんなことを考えている俺の耳に、扉をノックする音が響いた。
「どうぞ」
すかさず返事を返すと、扉が開けられ、シルディエが入ってきた。
「二人とも、今時間は大丈夫?」
「おう。俺は大丈夫だ」
「私もです」
シルディエの問いにそう答え、俺は椅子を引く。
用意した椅子に腰かけ、シルディエは一息ついた。
「新しい軍配備の状況はいかがでしょうか?」
フィナリアの問いに、シルディエあ「ああ」と頷いて答える。
「軍配備そのもの終わったわ。
シェルビエントに向かうのはドルガー軍の獣人部隊。
残りは帝国の治安維持に残していくことになったわ」
「指揮官はどなたに?」
「帝国側の指揮官はゼイン。
獣人部隊の指揮官はジェクト将軍ね」
シルディエとフィナリアの会話に耳を傾け、俺は現状を思い出す。
俺たちは帝国国内のいざこざが片付いた後に魔族との最前線であるシェルビエントへと移動する手はずになっている。
その際に、シェルビエントに向けて戦力を送る必要があるのだが、そのための戦力をドルガー軍の獣人部隊にすることになったのだとか。
その指揮系統がどうなるのかを決めるのがジェクト将軍とゼイン、シルディエの三名が担当していたのだが、その話がまとまったということだ。
ゼインが人間界の治安維持に残るのは妥当だし、シルディエとジェクト将軍がいなくとも現状ノーストンとリスタコメントスは十分に回る。
帝国という脅威がなくなった今、リスタコメントスはサルラとヌーア、そしてカーナイルに任せておけば十分だし、ノーストンの方も問題はないらしい。
「で、獣人部隊はどのくらい送る予定になるんだ?」
「全軍1万名を投入する予定よ」
シルディエの答えに、俺は唖然とした。
リスタコメントスの獣人部隊は、何のかんのいってまだ軍としての日が浅い。
それに対し、ドルガー軍の獣人部隊はドルガーの庇護の元で鍛え上げられた正真正銘の精鋭部隊なのだ。
その実力はトリストスとバストラングをもってしても手を抜いては梃子摺るほどらしく、はっきり言って人間界の最強部隊と言っても過言ではないのだとか。
そんな面々が1万。
もしフォルシアンやリスタコメントス戦で用いられれば、間違いなく猛威を振るったであろうドルガー軍の隠し玉。
それを全てフォルシアンへと送る用意をしてあったというのだから、本当にドルガー将軍がどれだけ用意を整えていたのか分からない。
「……ねえ、二人とも」
そんなことを考える俺に、シルディエが声をかけてきた。
懐から、一束の羊皮紙を取り出して。
「それは?」
「昨日、ゼインが渡してくれたの。
……父上の、遺言書らしいわ」
その一言を聞き、俺とフィナリアは顔を見合わせた。
そんな俺たちを尻目に、シルディエは話を進めた。
「たぶん、この中には父上の全てがかかれているわ。
二人には私と一緒にこれに書かれていることを見届けてほしいの」
「……よろしいのですか?」
フィナリアの問いに、シルディエは頷く。
「あなたたちは私と私の父の恩人。
だから、一緒に見届けてほしいの」
(俺が恩人?)
シルディエの一言に、俺は小首を傾げた。
が、当のシルディエは俺の事情など知ったことではないといわんばかりに封を切る。
俺とフィナリアはシルディエの両隣に立った。
そして、シルディエはゼインから受け取った羊皮紙のひもを解いた。
『ゼインがこの手紙をお前に渡しているということは、革命は成功し、わしはすでにこの世にいないだろう。
それを踏まえた上で、お前に伝えておきたいことがある。
わしは、グランガイスの家に生まれ、帝国のためにこの身を捧げるつもりだった。
帝国の上級貴族となれば、それが叶うと本気で信じていたわしは、帝国の敵を打ち砕く刃となる最強の軍を造り上げた。
竜号を防ぎ、その武勲を持って上級貴族に取り立てられた時、わしはこの帝国を内側から変えて行けると、本気で信じておった。
だが、帝国はそのようなぬるい場所ではなかった。
実力や誠実さなど、あの地では全く意味を成さなかった。
むしろ、真に国を憂う者や真の強者は権力争いの妨げになるとばかりに排斥されていった。
……あれは今から10年前だったか。
帝国において、わしが最も信を置いていた友であるロウセイが追放され、ロウセイの元に預けていたゼインを受け入れた日。
わしは帝国貴族を叩き潰すことを生涯の目的と定めた。
上級貴族どもに感づかれぬようにグランガイス領から連れ出した兵士たちを野に散らし、表面上は忠誠を誓いながら、わしは時を伺った。
だが、知れば知るほどに帝国貴族を滅ぼすことの困難さを、わしは知ることとなった。
隷属魔法と複雑にからみあう帝国の既得権益制度は、単純に頭を潰せば終わるという単純な代物ではない。
もし皇帝陛下を始末したとして、その先に待つのは突如できた空白の玉座を取り合う血で血を洗う戦争の未来しかわしには見えなかった。
この国は、隷属魔法という蓋の下に数千年間の怨念が積もっている。
ゆえに、皇帝陛下を始末するということは、その蓋をあけ放ち、5000年前の災害戦争に匹敵する戦争を引き起こすことに他ならない。
世界を巻き込んだ戦争を起こしては、わしが守ろうとした民の多くが死に絶えてしまう。
そんな未来を、わしは選ぶことが出来なかった。
最悪の未来を回避するには、数千年にも及ぶ怨嗟を受け入れることのできる器を持った国が現れなければならない。
だが、そのことに気付くものがこの世界にいったいどれだけいる?
そして、知ったとしてそんなことをしようとする酔狂な者など存在するのか?
本来であれば、わしが行うべきことだったのかもしれぬが、隷属魔法を刻まれたこの身はすでにそんな選択肢を失っていた。
魔族がシェルビエントの砦を破壊し、人間界に乗り込んできたという報告を受けたのは、そんな鬱屈とした日々を過ごしていたある日のことだ。
エベルスの間抜けは人間界に踏み込んだ魔族どもを帝国兵が撃退したと本気で信じているようだったが、冗談ではない。
5000年間も人間界を守り続けた鉄壁のシェルビエントが破られたというのであれば、その勢力に数だけしかとりえのない帝国軍が敵うはずがない。
クウヤ、トリストスという名の二人の若者が連れてこられた時、わしは理解した。
魔族を蹴散らしたのは、帝国軍ではなく間違いなくこの者達だと。
この者たちならば、あるいは。
そう思ったわしは、二人を切り捨てたふりをして逃がそうと思っておった。
結局、良く分からん炎鳥に連れ去られてしまったがな。
しかもその炎鳥に乗り二人を助け出したのがかつて死んだと報告されていたノーストンの姫ときたものだ!
終いには炎鳥の担い手と呼ばれておったクウヤとかいう男とノーストンの聖女が手を結び、帝国に反旗を翻したと来た!
あまつさえ、連中は獣人族を解放し、リスタコメントスという国を瞬く間に帝国から奪い取り、ノーストンと共に帝国に敵対したのだ!
生まれたのだ!
わしが望んでいた国が!
帝国貴族となってから待ちわび続けてきた希望が、突如野から湧き上がったのだ!
これが喜ばずにいられるだろうか!
その時から、わしの心は定まった。
彼らが外から帝国を壊すのであれば、わしは帝国を内から滅ぼそうと。
彼らの作った国が帝国を飲み込む最後の一手で、わしは帝国貴族を滅ぼすと。
シルディエ。わしがお前をリスタコメントスへと送ったのは、わしが見た希望の光を、お前にも見せたかったからだ。
聡明なお前なら、あるいはこの下らぬ帝国から抜け出し、連中と共に帝国に挑む道を選ぶかもしれんと思ってな。
だが、ままならぬものだ。
何のつもりか、エベルスの奴がお前についていき、あまつさえお前を陥れるような真似をするとは。
始末の悪いことに、お前を反逆者として処刑しようとするとは、お前にはなんと詫びていいのかが分からん。
だが、わしは動けなかった。
いずれこの帝国を滅ぼすまで、わしは皇帝陛下に忠誠を誓っていなければならぬ。
そのためには、たとえお前であろうと見捨てなければならなかった。
新たにこの人間界に芽生えた希望のために、わしがお前を助けるわけにはいかなかったのだ。
……だというのに、お前が処刑される直前に、わしは自分の目を疑った。
かつてわしが友と呼んだ唯一の男が、お前を助け出したからだ。
あ奴は、ロウセイは、反乱軍の側についておった。
それが、わしの決意をさらに堅くした。
シルディエ。
お前がわしと帝国の元から離れ、この世界の希望と共に歩んでくれることを心から嬉しく思う。
そして、だからこそ、わしはお前たちと全力で戦わなければならなかったことを侘びよう。
皇帝陛下に忠臣であるということを示すために、お前たちに向かって全力で剣を振るわなければならない。
旧帝国が崩壊したのちに、速やかに帝国を立て直すためには、内部から帝国を切り崩し、速やかに立て直せる反逆者を作っておかなければならないからだ。
ゆえにわしは表面上はお前たちと真っ向から敵対し、武を示すことだろう。
お前たちと共に戦えればと、幾度も思った。
だが、長い長い年月を将軍として過ごしたわしは、すでに帝国の暴虐を長年見過ごし、看過してきた罪がある。
お前たちの歩もうとしている世界は、わしには眩しすぎる。
そんなわしにできることは、新たな世界のために障害となるすべてを排除するのみだ。
シルディエ。
どうか立ちはだかるわしを倒し、お前たちが未来を託すに値する存在だということを示してほしい。
我が愛しの娘よ。
一人の父親として、お前に何もしてやれなかったことが、わしには唯一の心残りではある。
だが、幸か不幸か、この先に待つ激動の時代にもっとも必要になるであろうものをお前に教えることができたことに、わしは僅かばかりだが胸をなでおろしている。
お前の事だ、これから先も身に付けた武を振るうことだろう。
そんなお前に、わしが出来ることはただ一つだけだ。
生まれ持った天賦の才ゆえに、本物の死闘を経験していないお前は、これから来るであろう魔族との戦いで、必ず己の限界にぶつかることだろう。
ゆえに、お前には、このわしが最後の稽古をつけることとなる。
その最後の稽古こそがこの不器用な父から送ることのできる最後の贈り物だ。
……ハハハ。
娘への最後の贈り物が死闘とは、わしもどうしようもないな。
おそらくこの戦いの果てに、わしはお前の前に帝国を護る最後の敵として立ちはだかることだろう。
そして、戦いが始まれば手加減をすることは出来ん。
どうか、生き延びてくれ。
そして、願うなら、わしを越えてほしい。
旧帝国と共に滅びることしかできなかった、この愚かな父を。
残された我が部隊は、お前に預ける。
後の事はゼインにすべて任せてある。好きに使うといい。
願わくばお前たちが作ろうとしている世界を見届けたかったが、帝国に長くいすぎたわしにはお前たちのいる場所は眩しすぎる。
この世界を、人間界に住む全ての民を、その武を持って守れ。
そして、お前が信じた者達と共に理想の未来を求めてあがき、いつかそれを掴みとれ。
あの者達なら、それが出来る。
いつか訪れる平和を、必ずお前たちの手で成し遂げろ。
それが、史に悪名を刻むわしに対する唯一の手向けとなるだろう。
もし、わしをまだ父と思ってくれるなら、我が最後の願いを聞き届けてほしい。
ドルガー・グランガイス』
「っ……」
手紙を読み終わった時、シルディエがその手紙を握りつぶした。
羊皮紙なので握りつぶしてもどうということは無いが、普段感情を表に出すことの無いシルディエの行動に俺もフィナリアも言葉を失っていた。
ドルガー将軍は、ずっと強い葛藤の中にあったということが、何よりも克明に伝わってきた。
思えば、ドルガー将軍は俺たちを相手に戦果らしい戦果を一度として上げてない。
フォルシアンでの一戦はともかく、リスタコメントスでの戦いではその気になれば二日目でリスタコメントス軍の主力を全滅させることは十分に可能であったとシルディエは言っていた。
これはつまり、ドルガー将軍は初めから俺たちを打ち負かすつもりがなかったということだ。
フォルシアンの一件にしても、ドルガー将軍が攻め込んできたおかげでフォルシアンの民がまとまったという見方も出来なくはない。
そして、先日この決戦の地ヴァルシア内でドルガー将軍が俺達を相手に苦戦したという事実も、全て納得がいく。
疑問が氷解した。
将軍は、初めから俺たちを倒すのではなく、俺たちと戦うことで帝国を欺き、最後にすべてを終わらせるために動いていたのだ。
シルディエを始めとする、反乱軍の主要メンバーと戦い、実戦の中で鍛え上げるというおまけをつけて。
俺とフィナリアの間で、シルディエは肩を震わせて嗚咽を堪えていた。
手紙には、シルディエのことを愛しの娘と書いてあった。
この遺言がシルディエのためだけのものだということを何よりも如実に示していた。
「私は、父上のことを、何も、知らなかった…」
こみあげる嗚咽を堪えながら、シルディエはそんなことを口にした。
「父上は、ずっとこの国の人々のために歩んできていたのに、私は、そんな父上のことを何も知らないまま……」
そう言って、シルディエは俯いた。
その頬を伝い、床に幾滴かの涙が零れ落ちた。
「…シルディエ」
そんなシルディエに対し、気が付けば俺は口を開いていた。
「多分、ドルガー将軍は、シルディエの涙を見たくないと思う」
「……」
俺の言葉に、シルディエはこちらを睨むように見据えてきた。
そんなことは分かっているという意思が瞳からは感じ取れたが、その表情は万軍を率いる武人の姿ではなくあふれ出る悲しみをこらえる少女の姿だった。
「だから、さ」
その姿を前に、俺の口が勝手に動く。
「もう二度となかないために、今泣けるだけ泣いた方がいいと思う」
「……!!!」
月並みのセリフを俺がそう言うと、シルディエは涙を流しながら俯いた表情を上げて驚いていた。
「…フィナリア」
俺がそう言うと、フィナリアはコクリと頷いた。
『風響』
フィナリアが魔法を紡ぎあげると、俺たちの周りの音が消え去った。
『風響』は音を操る魔法。音を増幅させることも出来れば、逆に消音させることも出来る。
そして、フィナリアが今行っているのは音を消す魔法。
部屋の中には音が響くが、部屋の外の音は聞こえなくなり、逆に部屋の中の音も決して外にはもれなくなる魔法だ。
「私の魔法で、この部屋の中の音が外に漏れないようにしました。
今、この場であれば、どれだけ泣かれても誰にも分かりません」
「……」
フィナリアの言葉に、シルディエはさらに驚愕の色を深める。
そんなシルディエに対し、フィナリアは諭すように声をかけた。
「今だけは、どれだけ泣かれても大丈夫です」
「……」
フィナリアがそう言うと、しかしシルディエは涙をぬぐい俺の方を向いた。
「クウヤ。一つだけ、恥知らずな頼みをお願いしたい」
「…なんでしょうか?」
頭を下げるシルディエは、一つ、本当に些細な願いを口にした。
「しばらく、そのまま動かないで」
「…分かった」
シルディエの頼みに、俺は首を縦に振りそう答えた。
今、その真意を問いただすべき時ではないと思ったからだ。
「…ありがとう」
そう言って、シルディエは突如俺の元に歩み寄って俺に縋り付いた。
「う、ああ」
直後、俺の胸にその顔を押し付けながら、その口から嗚咽が漏れだした。
「うあ、あああ、ぁぁあああああ」
まるで堰を切ったようにシルディエの悲しみがあふれ出した。
偉大な父を失ったという心の空洞と、その父が残した最後の言葉に、シルディエは行き場を失った思いの全てを吐露するかのように泣いていた。
「ああああああああ、あああああああああああ!!!! うああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!」
いつまでも収まることの無いその嘆きを前に、気が付けば俺はシルディエを抱きしめていた。
そのあまりの悲しみに、彼女が膝を折ってしまわないようにと。
「あああああああ!!! 父上! 父上!」
シルディエの眼からあふれ出す涙はとどまることなく彼女の頬と俺の胸を濡らした。
そこにあるのは、これまでのように鉄仮面を被ったリスタコメントス軍の指揮官シルディエ・グランガイスではなく、ただ父の死を嘆く少女のシルディエだった。
果てなく涙を流し、叫び声を上げるシルディエを抱きしめながら、気が付けば俺も涙を流していた。
ドルガー将軍は、シルディエと同時に魔族と戦う俺たちを鍛えるためにその命を以て俺たちに挑んだのだ。
ドルガー将軍との戦いで、俺たちは皆誰もが一回り以上強くなった。
それこそが、ドルガー将軍の残した何よりも尊い遺産なのだ。
「ああああ、ああああああ、あああああああ!!!!!」
しがみつきながら泣きじゃくるシルディエを抱き留める俺に、フィナリアがゆっくりと歩み寄ってきた。
そして、フィナリアはゆっくりとシルディエの背に寄り添い、その細い腰に手を回した。
「うああああああああああああ、ああああああああ、ぁああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!」
響き渡るシルディエの声は、俺たちの耳以外には届かない。
だから、ここでいくらシルディエが泣いても、誰も気づかない。
膝が折れそうになっても、俺達が支える。
だからいいんだ。
この場では、どれだけ泣いても。
だって、シルディエは心の底から尊敬していた父を失ったばかりなのだから。
俺もフィナリアも、泣きじゃくるシルディエをさらに強く抱きしめた。
今、シルディエは決して一人ではないと言わんばかりに、支えてくれる人がいると伝えるために。
「……果たします。必ず」
気が付けば、俺はそんなことを告げた。
元々俺がこの世界に来たのは、女神レンシアから俺の命の対価としてこの世界の救済を頼まれたからに過ぎなかった。
この世界に来てから、俺は俺なりに全力を尽くすつもりだったが、最早そんな甘い考えを抱いていいような状況ではなくなったのだ。
シルディエの流す涙が、その慟哭が、ドルガー将軍という傑物の存在が、託した物の大きさを何よりも如実に伝えてきたからである。
この世界を、この命にかけても救う。
そう決意した俺の耳に、野太い声が響いた。
『頼んだぞ。炎鳥の担い手よ』
突如耳に響いた声に、俺は部屋の中を見渡した。
が、どれだけ探しても声の主は見つからなかった。
それもそのはずだ。
今俺の耳に響いた声は、いや、頭の中に響いた声は、鬼神のごとき超人ドルガー・グランガイスの声に他ならなかったからだ。
「必ず」
だが、俺は再度そう告げた。
幻聴であれ何であれ、俺のやるべきことは変わらないのだ。
世界の滅びが未だに何を揶揄しているのかは分からない。
世界を救ったのちに、俺がどうしたいのかもまだ分からない。
だが、この世界を救うために、その生涯を賭した賢人、傑人たちがいたことだけは揺るぎようのない事実なのだ。
そして、俺はその遺志を託された。
なら、迷っている暇なんてない。
俺のひそかな誓いに対し、答える者も言葉もなかったが、俺にはドルガー将軍が笑って頷いたような姿を幻視した。




