決戦用意
フィナリアがジェクト将軍と連絡を取ってから半月後、予定通り(?)にドルガー軍はフォルシアンから撤退していった。
ドルガー将軍は陣地の拡大のさせ方もまた巧妙で、反則級の射程距離と気配探知能力を持つセレスティーナと制空権を掌握するファーレンベルクをもってしてもその拡大を防ぐのは非常に難しかった。
しかし半月程陣地拡大に努めていた帝国軍は、ある日突然全軍揃って撤退してしまったのだ。
フィナリアとジェクト将軍の言った通りになったわけだが、その目的は至極単純で、帝国皇帝オルバールからドルガー将軍に対して撤退命令…というか勅令を下させることにあったらしい。
フィナリアはドルガー軍が無敵であってもドルガーが所属している組織は無敵ではないと言っていた。
それはすなわち、ドルガー将軍に命令を下す立場にあるオルバールに圧力をかければドルガー将軍に撤退命令が下るということだ。
フィナリアがジェクト将軍に連絡をしたのは、これまで同盟に参加しながらも静観し続けた西のノーストンから帝国西部を攻撃してほしいというものだった。
要塞都市ヴァルシアは帝国中央よりやや北西部に位置している。
である以上、ノーストンが攻撃姿勢を示したということは喉元に刃を突きつけられるということになる。
そうなれば小心者のオルバールはドルガー将軍を呼び戻すしかなくなる。
現にシルディエがリスタコメントス内でドルガー将軍とぶつかり合際に、これからというタイミングでドルガー軍が撤退していったと言っていた。
苛烈極まりないドルガー将軍の気質からいってどう考えても腑に落ちないため、フィナリアとシルディエは通信水晶で情報を精査していたそうなのだが、ドルガー将軍とバストラングが一騎打ちをした日と俺たちがフォルシアンに攻め込んだ帝国軍を撃退した日と同日であったことが判明した。
バストラングが負傷したため、状況は一気にドルガー将軍側が有利になったはずだった。
そのためシルディエ達は決死の覚悟で戦いを挑もうとしていたらしいのだが、ふたを開けてみればドルガー軍は撤退していった。
フォルシアンに攻め入った帝国軍30万を撃退した翌日に、である。
夜を徹してあちこちと連絡を取り合っていたフィナリアは、状況を正確に把握するためにシルディエとカーナイルのみならず、ジェクト将軍やアルザス国王にも連絡を取って様々な可能性を検証してみたらしいのだが、その結果として一つの仮説がまとまったらしい。
その仮説とは、帝国貴族内には特別な情報伝達手段があり、その情報伝達手段によってフォルシアンの敗戦を知った皇帝がドルガー将軍を呼び戻したのではないかというものだった。
フィナリアは、フォルシアンに攻め込んできたドルガー軍を相手にこれを利用できると考え、その内容を理解しているジェクト将軍に帝国西部をかき回すように頼もうとしたのだ。
しかし状況はフィナリアの予想の斜め上をいっていた。
エベルス将軍が30万の大軍を率いてリスタコメントスに攻め入ったのである。
まだ詳細は届いていないが、リスタコメントス軍は帝国軍30万をほぼ潰走させ、エベルスは戦場から身を引いたらしい。
加えてノーストン軍が国境付近を荒らしまわったため、業を煮やしたオルバールは先日ドルガーに撤退命令を下した、と言うことらしい。
「……凄いなフィナリアは」
「ああ。全くとんでもないことをやってのけたのうノーストンの王女よ」
「慧眼お見事でございます」
ジェクト将軍との通信が終わった直後にフィナリアから伝えられた作戦は、フォルシアン内にしか目を向けていなかった三人には勿論、俺にも到底思いつかないほどに遠大なものだった。
帝国の南部と西部を荒らせばドルガー将軍は中央へと呼び戻される。
言葉にすれば簡単だが、全体の状況を俯瞰して必要な条件を整えるのは少なくとも俺の視野では不可能だ。
そのことに対し、俺たちはフィナリアに対して惜しみない賞賛を送っていた。
何しろ冗談抜きでフィナリアがいなければ俺たちは誤った選択をして無意味な犠牲を出していた可能性が高かったのだ。
俺、トリストス、セレスティーナがフォルシアンとドルガー軍のぶつかり合いのみを視野に入れていたのに対し、フィナリアは人間界全土を視野に入れて策を練り上げたのだ。
なるほどトリストスの言う通り、フィナリアはこの面子の中で一人飛び抜けた広域戦を可能とする文字通りの名将だろう。
しかしそんな賞賛を受けながら、フィナリアはかぶりを振った。
「この構想はジェクト将軍が思い描いていた物です。私が考え出したものではありません」
「どういうとこだ?」
フィナリアの言葉に、俺は疑問を返した。
俺と同様にフィナリアの言葉に疑問を抱いている全員に対し、フィナリアは説明を始めた。
「帝国は、人間界内で最も肥沃な土地を持つ代償として、ノーストン、リスタコメントス、フォルシアンに囲まれるという極めて戦略的に見て不利な立地をしています。とはいえ、フォルシアンに帝国と戦う力はなく、リスタコメントスは帝国の属国。残ったノーストンは、埋めがたい国力の差から同盟を結ぶ以外に道はありませんでした」
言われて俺は思い出す。
トルデリシア帝国は三国に囲まれるという立地の関係から、いざ戦争となれば極めて危険な立ち位置に陥りやすい。
これまで帝国が存続できたのは、災害戦争以降リスタコメントスを従属させることで人間界の過半数を支配してきたからに他ならないのだ。
「リスタコメントスの支配を打ち破った今、三国が正しく連携できれば、帝国はその国力にかかわらずに滅亡します。それを見切っていたからこそ、ドルガー将軍は同盟が完全な形になる前にリスタコメントスとフォルシアンを攻撃したのです」
「…で、今はどうなったんだ?」
俺には全体を見渡す能力などない。
この辺りの勢力情勢は完全にフィナリア任せである。
辛くもドルガー軍を二度撃退した三国同盟は、フィナリアの眼にはどう映っているのだろうか?
「…私見ですが、フォルシアンの軍備が整えば私たちの勝ちです」
「その時間稼ぎのために、ドルガーとかいう将軍を撤退させたのかのう?」
フィナリアの解答に、セレスティーナがそんな疑問を投げかける。
それに対し、フィナリアは頷き応じた。
「ノーストンとリスタコメントスはいつでも戦いを挑むことができる状況にあります。である以上、このフォルシアンが整い次第こちらから帝国に攻撃できるようになるでしょう」
「あい分かった。ならば用意を急がせよう」
「事情は分かりました。私たちも、全力を尽くさせていただきます」
この場の取りまとめ役ともいえるセレスティーナとガインは、そう言うと天幕を出て行った。
指導者に当たる彼らはいろいろとやることがあるのだろう。
二人が出て行ったことで、天幕の中には俺、フィナリア、トリストスが残された。
「……フィナリア。戦士としての技量はともかく、お前の人を束ねる器は尋常じゃあないな」
「ありがとうございます」
トリストスがそんな世辞を送り、フィナリアは素直にそれを受け取った。
「トリストス様。今私達にお手伝いできることはございますか?」
「とくにはないだろう。ドルガー軍が引いた以上、俺たち戦士の仕事はしばらく休業だ」
「休業、ね」
トリストスの一言に、俺は軽く脱力した。
ドルガー将軍率いる軍と対峙している間は本気で気が気ではなかったので、正直非常にありがたかった。
クウヤ達がフォルシアンの軍備を整えていたころ、ドルガーはオルバール皇帝に強制召集を受け要塞都市ヴァルシアへと帰還していた。
皇帝陛下からは到着し次第謁見の間へ来るようにと言われており、背に刻まれた隷属魔法も常に明滅している。
今回の謁見は間違いなく荒れる。
情報収集をするまでもなく、自分に二度目の帰還命令が下った時点でドルガーはそのことを明確に悟っていた。
要塞都市へと戻り、仮設として造られ既に長い謁見の間へと足を踏み入れた。
相も変わらず貴族たちがずらりと並び無意味な威圧感を醸し出している。
反吐が出そうな欲望渦巻く謁見の間だが、しかしドルガーにはそんなことはどうでもよかった。
何しろ自分は今何一つ付け込まれるようなことをしているわけではない。
皇帝陛下に呼び出されてこの場に居るからだ。
「ドルガー・グランガイス。ただいま帰還いたしました」
ある程度歩み寄ったのち、ドルガーは皇帝陛下の前に膝をつける。
「…ドルガー。よく戻った」
不機嫌さを隠そうともせず、オルバールはドルガーに対してそんなことを口にした。
この憤りが自分に対してではなく、現状帝国の置かれている状況に対して抱いているものだということ理解しているドルガーは、そのオルバールの言葉に眉一つ潜ませずに口を開く。
「陛下、私も道すがら情報は集めておりましたが、現状はいかがな状態なのでしょうか?」
ドルガーがそう問いかけると、オルバールは近くにいた側近に顎で指示する。
それに頷き、その側近が現状を報告する。
「ドルガー将軍。エベルス将軍が先走ったことはご存知ですかな?」
「ええ。帝国軍30万を引き連れ、リスタコメントスを襲撃し、あえなく敗走したとか。それで、エベルス将軍は今どちらに?」
「戦死されました」
その情報にドルガーは耳を疑った。
「…エベルス将軍が戦死されたと?」
「はい。皇帝陛下の隷属魔法をもってしても何の反応もございませんでした」
側近の説明に、ドルガーはちらりと皇帝陛下の方を向いた。
オルバール陛下は否定も肯定もしておらずただ憮然としている。
それが何よりも饒舌に側近の言葉を肯定していた。
隷属魔法とは、刻まれた側は間違いなく解除することはできない。
たとえ解除できるだけの技量があったとしても、そんな叛意を抱いた時点で隷属魔法がその身を戒めるゆえにである。
上級貴族にかけられる隷属魔法はさらに特殊で、隷属魔法を刻まれた対象の位置を特定することも可能である。
となれば今でもオルバール陛下はエベルスに帰還命令を下すことも出来れば、今エベルスがどこにいるのかを把握できる。
それができないとなると、エベルスは既に死に、隷属魔法の戒めが解かれたということになる。
そうでなければ……。
「結果として、エベルス将軍が引き連れた30万の帝国軍のほとんどは帰還することさえできておりません。よって、現在我が帝国軍の総数はおよそ60万ということになります」
側近の説明にドルガーは浮かべた仮説を消し去った。
今重要なのはエベルスがいなくなったということと帝国軍の兵力の3割がなくなったということにある。
「さらに、ノーストンの国境付近で不穏な動きがあり、リスタコメントス軍もいつ攻め込んでくるのか分からない状況にございます。ゆえにドルガー将軍に帰還をお願いした次第でございます」
エベルスの死亡はドルガーにとっても予想外だったが、それ以外は想定内の範囲に収まった。
ゆえにドルガーは次に来るであろう命令も予測済みだ。
「ドルガー将軍。以上を踏まえたうえで、貴公にはリスタコメントス、フォルシアン、ノーストンの三国の討伐を行っていただきたい」
予想通りの命令に、ドルガーは頷き用意していた言葉を口にした。
「不可能です」
そのあっさりとした返答に、謁見の間は一度静まり返った。
「……今なんと申した。ドルガー」
オルバールが威圧するかのようにドルガーに声をかける。
それに対してドルガーは再度同じことを口にする。
「不可能と申し上げました」
その一言に、謁見の間は喧騒に包まれた。
誰もがドルガーに対して口汚い罵声を浴びせている。
当然と言えば当然だろう。
帝国は完全に三方向を取り囲まれており非常に危険な状態にある。
いかに軍事に疎い貴族たちでもここまで追い詰められればさすがに危機感を覚える。
逆を言えば、ここにいるボンクラ共はここまで追い詰められなければ危機感など芽生えないともいえるが。
「……黙れ」
オルバールが一言そうつぶやくと貴族たちの喧騒が止んだ。
その気になれば隷属魔法でいつでも自分たちの命を奪える皇帝陛下に対しては、この場に居る全員が常に気を配っているのだ。
そんな貴族たちを見ず、オルバールはドルガーに対して疑問を口にする。
「ドルガー。貴様は余の敵を滅ぼすことが出来ぬと、そう申すのか?」
その問いに、ドルガーは首を横に振る。
「相手が一国であれば陥落させることは可能です。しかし、私が制圧に出向いている間に背を突かれればひとたまりもございません。この度もノーストンに国境を荒らされたことからもそれは明白ではありませんか?」
「……ならば貴様は、余に刃向う愚か者どもを放置しろと申すのか?」
「いえ、放置すれば奴らは必ず我が帝国領内に攻め込んでくることでしょう。放置することはできません」
ドルガーの言葉に、再び喧騒が巻き起こる。
この場に居る貴族たちの誰もが権力争いに躍起になるばかりで、いざ戦いとなれば一国を相手にしてもエベルスの二の前になるのは目に見えているからである。
そんな国が三国同時に攻め込んで来れば、いかにドルガーと言えども対処のしようがない。
その程度の危機感は彼らも抱いているのだ。
「ならば、ドルガー。お主に打つ手はないと?」
返答次第では容赦せぬという威圧感を込めてオルバールがドルガーに対してそんなことを口にした。
それに対し、ドルガーは再度首を横に振った。
「一つだけ、ございます。しかし、そのためには陛下に一ついただきたいものがございます」
「…申してみよ。何が必要なのだ?」
そのオルバールの問いに、ドルガーは一拍おいて口を開く。
「全権を」
ドルガーがその言葉を口にしたと同時に、一度謁見の間に静寂がおり、直後貴族たちから怒号が上がった。
全権とは皇帝陛下にのみ与えられた権限の事。
それを欲するということは、ひいては限りなく皇帝と同じ権限を持つということでもあり、貴族たちの中で完全に頭一つとびぬけた存在となることを意味している。
謁見の間に集う誰もが渇望しながらも、現実的には手を出すことのできなかった絶対的権限。
それを手にしようとしているドルガーに対し、誰もが全力を持って阻止せんと避難を集中させた。
『黙れ』
しかしその非難の嵐は、オルバールの一言によって封殺される。
皇帝に与えられた絶対権力を象徴する隷属魔法。
それによって怒声を上げていた貴族たちは一人残らずひれ伏せさせられていた。
「…ドルガー、貴様全権を得て何をしようとしている」
オルバールの問いに、ドルガーは答えた。
「現在の状況からすれば、我々帝国はまず国境の防御を固め、長期戦に持ち込む必要があります。そのため軍の維持に莫大な費用が必要になります。ですので、まずはこの場に居る貴族たちの私財を徴収し、軍費に回そうと思っております」
「「……!!!!!!」」
ドルガーの発言に、ひれ伏した貴族たちから無言の抗議が行われる。
しかし隷属魔法によってその身を苛まれているせいか、誰一人としてそれを言葉にすることはできなかった。
そんな帝国貴族たちには目もくれず、オルバールは質問を続けた。
「…ほかには?」
「この場に集った諸侯の身の安全を保障するために、この要塞都市ヴァルシアにすべての上級貴族を匿いたいと思っております。この二つを迅速に行うために、陛下の全権をお借りしたく思う次第です」
ドルガーは傅きながらそんなことを口にする。
そのドルガーを見下しながら、オルバールは隷属魔法を解いた。
直後、これまで跪いていた貴族たちが解放される。
「よかろう。お前に全権を預ける」
「へ、陛下!?」
オルバールの言葉に、再び幾名かの貴族たちから制止を求めるように声を荒げる者達が現れる。
しかし先ほど隷属魔法を使われたせいか、それ以上を口にする者はいなかった。
ドルガーは貴族たちを無視してオルバールの元に歩み寄る。
そして、オルバールはドルガーに対して隷属魔法の仮契約者認証を行おうとした。
「ドルガー。余の敵を滅ぼせ。一人残さずな」
「はい。敵は、私が一人残らず始末します」
そう言うと、ドルガーは立ち上がり貴族たちに命令を下した。
「聞いての通りだ。皇帝陛下に変わり、このドルガー・グランガイスの名において、全帝国貴族たちは私財を持ちより、このヴァルシアに留ることを命じる」
そんな命令を下したドルガーに対して、帝国貴族の誰もが再び怒声を上げる。
「ふ、ふざけるな! 誰が貴様のような奴に…が、ああああ!!!」
直後、逆らおうとした貴族に対してドルガーが容赦なく隷属魔法を発動させる。
即座にその口を閉じさせた後、ドルガーは口を開く。
「貴公らの中に三国の一か所でも抑えることが出来る猛者がいるのなら私もこのような真似はしない。しかし帝国がここまで追い込まれている上に軍務を行うことが出来るのが私だけである以上、諸君らには私に協力してもらう義務がある。異を唱えることは許さぬ。今は帝国の瀬戸際であることを重々に理解されよ。今一度命じる。諸侯の皆は迅速に私財をまとめこのヴァルシアへと集まれ!」
ドルガーがそう告げると、全ての貴族たちを隷属魔法が縛り上げる。
ドルガーの命令に背かなければ何もないのだが、全員がドルガーの命令に逆らおうとしているのだろう。
何しろヴァルシアへと持ち寄った私財は全て没収されるのだ。
なるほどまともな神経を持つ帝国貴族なら拒否したくもなるだろう。
しかしその程度の甘い考えを、隷属魔法は問答無用で打ち砕いた。
一人、また一人と隷属魔法から与えられる苦痛に耐えきれずに謁見の間を後にしていった。
「では、陛下。私もこれで失礼いたします」
「ふん。ドルガー。全権を持っているからと言って妙な気を起こすなよ? 所詮お前は仮契約者。余がその気になればお主を始末することなど容易いのだからな」
「重々承知しております」
そう言ってドルガーは謁見の間を後にした。
「将軍」
その場に、ドルガーを待っていたゼインが声をかける。
「ゼイン。後の事は、分かっているな?」
「は! すでに国境には指揮官を配備しております。我ら本隊は予定通りこのヴァルシアの防衛の任に付きます」
よどみなく応えるゼインを見ながら、ドルガーは満足そうに頷いた。
「それで、切り札の用意はできているか?」
「滞りなく」
ゼインがそう答えると、その背後にとある兵士たちが集まってきた。
その兵士たちの容貌は、人のそれではなく、獣人のそれだった。
「よろしい。では、戦いの準備を始めようか」
そういうと、ドルガー将軍はマントを翻して歩みだした。




