重い一撃
ドルガー軍とリスタコメントス軍がノルガ平原にて対峙して2日目。
互いに陣形を整えた両軍が、昨日とほぼ同じ距離を取って対峙する。
互いの軍が対峙する間を、涼風が流れる。
その光景を見ながら、シルディエは慎重にドルガー軍の様子を見る。
その表情は、先日に比べてはるかに険しかった。
なぜなら、彼女にとって本番は二日目以降だからである。
先日、シルディエはドルガー軍の動きを読み切ることが出来たために迎撃に辛くも成功した。
自分の父親であるドルガーの剛毅な気質を知り抜いていたからこそ、その動きを読みきれたのだ。
しかし最早その手は通用しないだろう。
エベルスならまだしも、ドルガー将軍に同じような方法は通用しない。
また、囲い込んだにもかかわらずドルガー軍の指揮系統は全く乱れず、どころか見事に局所的に押し返してさえのけた。
これが示すことは、軍の練度だけで見ればドルガー軍に軍配が上がっているということである。
リスタコメントス軍の武器は、戦歴にしてはありえないほどの高い士気と、獣人族の得意な身体能力。そして遠吠えによる特殊な情報伝達方法によるところが大きい。
そして、ドルガー軍の最大の武器はその兵士たちの練度の高さと連携の巧みさだ。
魔道騎馬隊も驚異的な代物ではあったが、それを生かせるのもドルガー軍が一つの体のように柔軟かつ反射的に動くからである。
ゆえにシルディエにとって厳しくなるのは二日目以降からである。
奇策を用いてしまった今、ドルガー軍とは正面からの削り合いになる可能性が高い。
そうなれば、いくら身体能力で優れる獣人部隊を有するリスタコメントス軍であっても苦戦は免れない。
ゆえにシルディエは幾つか用意した策を頭の片隅に置きながらドルガー軍を慎重に観察していた。
敵の士気、配列、密度、編成、どんな僅かな情報でも見落とさないようにと。
しかし、観察をしながらシルディエは内心で眉をひそめる。
いくら観察してもドルガー軍から闘志を全く感じないのだ。
敵の軍は先日と同様の陣形が組まれている。
最前衛の兵士たちも、魔道騎馬隊かどうかまでは解らないが、騎馬隊が揃って装備を固めている。
であるにもかかわらず、敵の部隊には戦前特有の剣呑さがまるで感じ取れないのだ。
ドルガー軍は精鋭無比である。
こちらをだますために敵意と闘志を隠すようにという命令が下っているのかもしれないし、その命令を忠実に実行しているのかもしれないが、それを考慮に入れたとしても敵意がなさすぎる。
そもそも、シルディエの知るドルガーは戦意を隠して敵の虚を突くよりも、むしろ戦意を極限まで高めて正面突破する気質の持ち主だ。
だというのに、そんな人物率いる軍からなぜ敵意を感じ取れないのかがシルディエには分からなかった。
(一体、どういうつもりなのかしら?)
ドルガー将軍の性格から考えると、朝日が昇った時にはすでにこちらに突撃をかけても何の不思議もない。
だというのに、敵は全く動いていない。
どころか全く動く気配がない。
いったいどういうことなのかと不思議に思い、同時に不気味に思ったシルディエは、直後信じられないものを目にする。
敵陣から、一人の男が出てきてこちらに向かって歩いてきたのだ。
そして、こちらに歩み寄ってきた人物とは、帝国将軍ドルガーその人だった。
「な!?」
あまりの光景にシルディエ自身が驚きの声をあげる。
一軍の将…というより、帝国の将軍が騎馬ではなく歩兵としてこちらに歩み寄ってきたのだ。
そのあまりの光景に、シルディエばかりかリスタコメントス軍の兵士たちにも動揺が走る。
何かの策略か何かかと疑いたくもなるが、父であるドルガーという人物が小細工を仕掛けたりするような……というより、小細工をするくらいなら玉砕を選びそうな剛毅な存在だということを誰よりも知るシルディエだからこそ、その行動の真意が読み取れずにいたのだ。
そんなリスタコメントス軍の動揺などどこ吹く風とばかりに歩くドルガーは、ちょうどドルガー軍とリスタコメントス軍の中間地点で足を止め、口を開いた。
「リスタコメントス軍の諸君! 先日の戦いは誠に見事であった! 僅かな期間でリスタコメントスという国と、奴隷民族であった獣人族の解放を行ってのけたお主らは、この帝国軍将軍ドルガー・グランガイスから見ても、迷うことなき英傑である!」
落雷のような叫び声と共に、ドルガーの轟声が戦場に響き渡る。
その言葉は、リスタコメントス軍に対する惜しみない賞賛だった。
なぜ帝国軍であるドルガーがこのようなことを口にするのかが分からず、リスタコメントス軍は更なる困惑を抱く。
そんな敵軍の困惑を無視し、ドルガーは言葉を続けた。
「お主らのような猛者を相手にすれば、我が帝国軍をもってしてもただではすむまい! しかし、我らと正面からぶつかり合って、お主らもどれだけ生き残れるかは分かるまい!」
そんなドルガーの言葉に、リスタコメントス内の兵士たちは身構えた。
脅しとも取れるその言葉に、動揺するでもなく反射的に戦闘態勢を取るリスタコメントス軍を見ながら、ドルガーは感心しながらその本題を口にした。
「お互いに兵力の削り合うのは望ましくなかろう! そこで、わしは帝国将軍の名において、この場で一騎打ちを提案する!」
突然そんなことを大声で宣言したドルガーに、臨戦態勢を取っていたリスタコメントス軍は大いに動揺した。
「われこそはと思うものは前に出るがいい! 帝国最強の将軍、ドルガー・グランガイスが相手をしてやろう!!!」
一層盛大な爆声と共に、ドルガーが高らかにそう歌い上げる。
そのあまりに突拍子もない提案に、シルディエは表情を変えないまま内心で頭を抱えた。
剛毅、豪快、豪放を絵にかいたようなあの姿は、かつて竜号を防いだときの父親そのものだ。
要塞都市ヴァルシアで見た父は、まるで鉄仮面を被ったような厳めしい表情を崩さなかったが、あれが本来のドルガー将軍なのだ。
だとすれば、あの発言には何の嘘偽りもない。
このままリスタコメントス軍1万名全員と順に一騎打ちさえしてのけるつもりなのだろう。
あるいは、真正面からぶつかっても勝てる自信があるのかもしれない。
事実、昨日のバストラングとドルガーの戦いは、他の兵士が割って入ることなど決してできないような戦いであった。
二人がまき散らしていた衝撃の余波だけで、並みの兵士はもとよりドルガーの騎馬隊や獣人部隊までも巻き添えになっていたのだ。
そんなドルガーと一騎打ちが出来る人物など、現リスタコメントス軍には一人しかいない。
戦斧使いバストラングである。
シルディエとて奥義を使いこなし、たとえドルガー軍や獣人部隊相手であっても単身で相手にできる超人であるという自覚はある。
しかし、ドルガーとバストラングの二人は、そんなシルディエさえも一歩及ばぬ超人を上回る怪物である。
シルディエは、自分の隣に立つ巨漢の獣人へと目を向ける。
巨漢の獣人は、その視線を横顔に受けながら、大きく頷いた。
「行ってくれる?」
そんなシルディエの問いに、バストラングは返事もせずに歩みだした。
あの男の相手は自分がすると言わんばかりに。
「改めてみるとデカいのう」
対峙したバストラングを見上げ、ドルガーはそんなことを口にする。
先日刃を交えた時点で当然気が付いていただろうが、こうして対峙するとバストラングとドルガーは大人と子供ほどに体格が違う。
ドルガーでさえまともな兵士と比べれば大人と子供ほどに見えるような巨漢なので、バストラングがどれほど大柄なのかがよく分かる。
そんなのんきなことを口にしながら、ドルガーは剣を引き抜いた。
「お主とは昨日やりあったばかりだが、あのままでは昨日の二の舞いじゃということは理解しておるのか?」
そのドルガーの問いに、バストラングは頷いた。
どこか師弟のようにも見えるその光景に、ドルガーはニヤリと笑みを浮かべる。
「よろしい。ならばその勝算を見せてみよ。下らぬものであれば我が剣の錆にしてくれる!」
そう言って、ドルガーがバストラングめがけて突撃する。
何の工夫もないただの特攻。
その一撃を、バストラングは真正面から大斧で迎撃する。
ズドオオォォォォン!!!
双方の得物が振り抜かれ、再び大地を穿ち、大気を振るわせる衝撃波がまき散らされる。
振り抜かれた双方の得物は、間髪入れずに再び目の前の敵を討たんと、まるで得物自体が意思を持っているかのように相手に襲い掛かる。
再び、ノルガ平原に轟音が響き渡る。
ドルガーとバストラングは、保身など一切考えずにその肉厚の刃と巨大な戦斧を叩き付けあう。
鍔是りあうようなことは無い。
双方の戦士の握る得物は、ただ真っ直ぐに相手の命を狩りつくさんと周囲の空気さえも飲み込みながら敵に迫る。
既に戦場となった大地には、先日の軍同士のぶつかり合いを遥かに超える爪痕が刻まれている。
軍と軍がぶつかったとしても揺るぐことの無いはずの大地に、無数の爪痕が刻み込まれていく。
それがたった二人のぶつかり合いだということを、一体だれが信じるだろうか。
少なくとも、この戦場に立っている兵士たちでさえ目の前の光景の異常性に理解が追い付いていないのだから。
「ハアアアアア!!!」
「……!!」
人族の怪物は大気を揺るがすような裂帛の気合をその剣に乗せ。
獣人族の怪物は淡々とその静かな闘志をその戦斧に込め。
互いに一歩も引くことなくその獲物を真正面から打ち合わせた。
幾十合と続いた打ち合いの後、二人はどちらからともなく距離を取った。
「ほう。たった一晩で、奥義を使いこなしておるわ」
砕け散った大地のど真ん中で、バストラングに向かってドルガーがそんなことを口にする。
「全く。わしが何年もかけて体得してきた技をこうもあっさり模倣されるとは。全くもって恐ろしいまでの才よな」
どこか嬉しそうに、ドルガーはそんなことを告げる。
バストラングがドルガーと数十合に渡って切りあえたのは、昨晩シルディエから受けた手ほどきが原因である。
手ほどきといっても、シルディエがバストラングに教えたことは魔力の効率的な運用方法のみ。
それも口頭で伝えただけである。
バストラングはその極めて特異な素養から、加減して戦っても相手になる敵がほとんどおらず、全力で戦えば軍隊ですらも屠れるだけの戦闘能力を有している。
しかし、だからこそバストラングの戦い方には無駄が多かった。
手加減しても大概の敵を倒せるバストラングは、手加減しながら長時間戦うか、全力を振り絞り短期決戦を挑むかのどちらかであった。
これに対し、ドルガーを初めとした本物の超人たちは、全力を出しながらそれを完璧に制御している。
バストラングが力を爆散させているのに対し、ドルガーは力を集約させながら戦っているのである。
威力はともかく、爆散させるのと集約させるのでは当然後者の方が燃費が格段にいい。
昨日、バストラングが奥義を用いてドルガーに相対したとき僅かな時間で魔力が枯渇してしまったのは、奥義に宿る力を集約させずにただ炸裂させていたからに他ならない。
それを理解していたのは、バストラングと対峙していたドルガーと、同様に奥義を用いることのできるシルディエの二人だけであった。
そして、シルディエは昨晩の内に伝えたのである。バストラングに足りないのは戦いの捉え方であり、ただ単純に力を解放すればいいものではないということを。
解放された力を己の制御下に置き、集約させること。
これを行うだけで、魔力消費量を抑えながら奥義を扱い続けることが出来るようになるのである。
事実、今のバストラングはドルガー同様にその大斧に薄く黄土色の魔力を宿している。
先日は垂れ流し状態だった魔力が、今は手にしている戦斧同様に鋭さと重さを宿している。
口にしてしまえば簡単に聞こえるかもしれないが、まともな者であれば己の全力を引き出すことさえままならないのが世の常である。
元から全力を引き出すことが出来たからと言って、それを制御下に置くのはその力を引き出せるようになってからさらに長い修練を必要とするのは言うまでもないことなのだ。
だというのに、バストラングはそれをたったの一晩で、それも口頭で伝えられただけでやってのけてしまったのである。
これにはさすがのドルガーも驚きを隠せずにいた。
何しろドルガー自身が同様の技法を身に付けるのに長きに渡る修練を積んだのだからだ。
「お主の天賦は獣人族の中でも極めて異例な存在のようじゃ」
そんなことを言いながら、しかしドルガーは全く気負いなく再び剣を構えた。
「しかし、まだまだ馴染んでおらんな」
「……」
ドルガーの一言に、バストラングは内心で苦虫を噛み潰したような表情を浮かべる。
ドルガーの言う通り、バストラングは急遽この戦い方を身に着けたせいで、未だにその力を維持するのに激しく神経をすり減らしているのである。
対してドルガーは奥義の維持を苦もなくこなしている。
それはつまり、二人の練度に雲泥の差があることを意味しているのである。
だが、そんなことはバストラングにも理解できている。
ゆえにバストラングが挑むのは長期戦ではなく、短期決戦である。
「む?」
突如、バストラングの行おうとしている行動を見てドルガー将軍が眉をひそめる。
それは、バストラングが戦斧に宿した魔力を十全にコントロールしながらその出力を大きく上げたからである。
「ふむ。次の一撃に全力をかけるということか? 面白い! 受けて立つぞ!」
そんなバストラングに対し、ドルガーも手にした刃に魔力を大きく乗せる。
黄土色の魔力を乗せた双方の武器は、それぞれが強大な魔力を発する魔剣と魔斧となった。
「行くぞ!」
そして、二人は真正面から激突した。
同じ黄土色に輝く一振りの魔剣と一振りの魔斧が正面からぶつかり合う。
その一撃の威力は拮抗しており、両者は今日の果し合い始まって以来初の鍔迫り合いになだれ込んだ。
互いの全身全霊をかけた一撃の拮抗は、筋力と衝突の勢いのみならず、魔力によって強化された奥義同士のぶつかり合いに他ならない。
よって雌雄を決するのはどちらの奥義がより極まっているかという一点に集約される。
どちらが強いか。
どちらがより極めているか。
その答えはこの拮抗の果てに結果として現れる。
言い訳も、理屈もそこには介入する余地などない。
「ハアアアアアアア!!!!」
二人の巨漢が、裂帛の気合と共に互いの得物をぶつけ、相手の全てを押しつぶそうとその刃を押し込んでいる。
互いの魔力がぶつかり合い、衝突し、ただ鍔是りあっているだけにもかかわらず周囲には衝撃波がまき散らされる。
大地が、大気が悲鳴を上げるようなその激突は、永遠に続くかのように見えていた。
まき散らされる余りの衝撃波の前に、誰一人として観戦することなど叶わずにいた。
突如、まき散らされていた魔力と衝撃派が収まる。
爆心地で鍔是りあっていた二人は、その波動が収まった時にはすれ違っていた。
「……受けきりおったな。わしの全力の『断地斬』を」
ドルガーがそう言うと、鎧の右肩部分が欠け落ち、そこから鮮血が舞った。
「しかし」
そう言って、ドルガーは振り向いた。
バストラングは動かない。
否、動けない。
「やはり年季が違い過ぎたな」
ドルガーがそう言うと、バストラングの戦斧が真っ二つにへし折れた。
柄の部分ではなく、刃の部分が、である。
切断された戦斧の上辺が地面に落ちた時、バストラングの胸板からドルガーを遥かに上回る鮮血が飛び散った。
その結果は、誰の目を見るよりも明らかだった。
バストラングは確かに全力の奥義を用いてドルガーと拮抗していた。
しかしバストラングが初めてそれを使うのに対し、ドルガーは既に奥義を深く習得していた。
この差が、二人の勝敗を分けてしまったのだ。
奥義を維持するだけで精一杯だったバストラングでは、ドルガーの全身全霊の一撃と拮抗するので限界だったのである。
もし、バストラングが以前から奥義が使えれば結果は違っていたかもしれない。
奥義が体に馴染んでいれば、あるいは倒れていたのはドルガーだったかもしれない。
だが、初めて自分を上回る強敵を相手に、限界を超えたばかりのバストラングは相手に一矢報いるのが精いっぱいであったのだ。
胸に刻まれた深い真一文字の傷跡から鮮血が舞い散り、バストラングはその場に倒れ込んだ。
その巨漢の獣人を見下ろしながら、ドルガーは口を開いた。
「見事だ。前線を退いて久しいとはいえ、このわしに深手を負わせるとは」
そう言って、ドルガーは自軍へと戻っていった。
バストラングに、とどめを刺すことなく。
「ば、バストラング様!!!」
その光景に、リスタコメントス軍の一部の兵士たちがバストラングへと駆け寄った。
その兵士たちを、しかし彼我の軍はどちらも止めなかった。
自軍へと戻ったドルガーは、振り向き声高に宣言する。
「見事な闘志であった! その者の奮戦に免じて、明日まで我が軍が貴様らを攻撃しないことをここに宣言しよう!」
そんなことを言い残し、ドルガーは軍を引き連れて後退していった。




