親子の会合
要塞都市ヴァルシアは帝国の中央である帝都よりもやや北西の方角にある。
そのため、ヴァルシアからの距離はリスタコメントスよりもフォルシアンの方が随分と近い。
エベルスがフォルシアンを攻撃目標にしたのは、実力者と軍の形を成しつつあるリスタコメントスよりもフォルシアンの方が攻略しやすいと考えたことに加え、その行軍距離の短さも理由の一つに挙げられる。
単純計算だと、フォルシアンとリスタコメントスの距離は倍近く違う。
今回エベルス軍が進軍したのはフォルシアン。
ドルガー軍が向かったのはリスタコメントス。
である以上、いくら大軍を率いているとはいえ、同時に進軍を開始しているのでエベルス軍の方が早く開戦しているのがふつうである。
しかし、ドルガー軍はエベルス軍がファーレンベルクに襲われるよりも早くにリスタコメントスとトルデリシア帝国の国境をまたいでいた。
ドルガーが率いていたのがエベルス軍と比べて少数であるということを加味しても、倍以上の行軍速度というのははっきり言って異常である。
エベルス軍の行軍速度が遅いというのもあるが、ドルガー軍の進軍速度が異常なまでに速いということである。
それもただ速いというだけではない。
エベルス軍は徴収という名目にて略奪まがいのことをしながらの行軍であったが、ドルガー軍は完全に自給自足である。
そもそもドルガー軍は今回の戦に合わせて召集される前は各地で魔物や盗賊狩りを主な任務としており、魔物の狩りは狩人以上にお手のものなのだ。
エベルス軍とドルガー軍では行軍ひとつとってもまるで違う。
ただ兵を並べて行軍するだけのエベルスとは異なり、ドルガー軍は常に斥候を放ちながら、並列して魔物の狩りをおこないながら兵站を確保するという荒業を行いながらの行軍である。
そんなことをしながらエベルス軍の倍ほどの速度を維持しての行軍。
最早正気の沙汰ではないが、ドルガー軍にとってはこれが当然の事である。
ドルガーという超常の指揮官と、その用兵に応える精鋭。
そんなドルガー軍がトルデリシア帝国とリスタコメントスの国境を越えたのは、クウヤ達が帝国の上空を横断している最中だった。
「初めてだな。この地へ足を踏み入れるのは」
自らの軍隊を率いながら、国境を踏み越えたドルガーはそんなことを呟いた。
ドルガーは、将軍になる前こそ帝国東部を中心にあちこちを巡り巡っていたが、あくまで一地方軍の将だったドルガーには管轄地の外へ出る自由はなかった。
将軍となってからは帝都から出る機会さえ減ってしまったため、ドルガーがリスタコメントスへと踏み入るのは何のかんの言って初めての経験だったのだ。
「ゼイン。お前はこの辺りの地理には明るいのか?」
振り向き、ドルガーは自分の副官であるゼインにそう問いかける。
呼びかけられたゼインは人族の中では平均的な体格をしていたが、その体には無数の傷跡があり、鎧越しにも分かるほどに全身が引き絞られているのが見て取れるような人物であった。
「隊の中に幾名かリスタコメントスに縁者のいる者がいました。あらかたの地形は把握しております」
「よし。ならばゼイン。この戦いの指揮はお前が取れ」
ドルガーの指示に、ゼインは迷わず頷く。
ゼインは、精鋭無比なドルガー軍を束ねるドルガーの補佐官。
ゼインにはドルガーに変わり全軍を指揮できるだけの経験と才覚があるのだ。
「では、まずは予定通りにこのノルガ平原を南下し、王都を攻めるべきかと」
「ふむ。しかしそれには一戦交える必要がありそうだな」
ゼインの進言に対し、ドルガーはそんなことを口にする。
その真意を、副官は敏感に感じ取った。
「リスタコメントス軍が、迫っていると? まだ土煙も見えませんが?」
現在ドルガー軍は国境を越えて広大なノルガ平原にいる。
しかし見晴らしの良い平原の地平線には、敵軍はおろか砂埃一つさえ見えない。
涼風の吹く平原は、実に穏やかなものだった。
だというのに、ドルガーは真っ直ぐに行軍先を鋭く睨んでいた。
「匂うのじゃよ。強者と、その者が率いる兵士どもの匂いが、な」
ドルガーのその言葉に、ゼインは頷いた後に部下に指示を飛ばした。
「これより先は臨戦態勢だ。常に奇襲を警戒しろ。上方への警戒も怠るな」
通常であれば妄言と一蹴されるようなドルガーの発言だが、ドルガー軍の兵士たち、特に古参の兵士たちはドルガーの直感がいかに鋭いかを良く知っている。
どうやって察知しているのかは誰も理解できない。
ともすれば、ドルガー自身でさえも説明できないのかもしれない。
しかし、事戦においてドルガーの直感が外れたためしがないことは誰もが周知の事実であった。
「……この気配。シルディエと、もう一人腕利きがいるな」
そう呟き、ドルガーは進軍を指示する。
行き先にいるであろう強敵の気配を、ただ磨き上げてきた自分の直感のみで敏感に感じ取りながら。
その口角は、本人も気づかぬほどではあるが、僅かに上がっていた。
「本当に来やがったよ」
リスタコメントス軍特攻隊隊長ヌーアは、ノルガ平原に現れたドルガー軍を前にそんなことを口にする。
「シルディエ様の読み通りでしたね。流石です」
そんなヌーアの隣にいた補佐官サルラがシルディエに対してそう告げる。
そんなサルラの一言に、シルディエは頷いた。
「私に兵法を教えてれたのは父上よ。逆を言えば、父上の考えていることはある程度分かるわ」
そう言ってシルディエは地平線から迫りくるドルガー軍を見据える。
見据えながら、シルディエはドルガー軍と対峙しながら昔父から教えてもらった、あることを思いだしていた。
シルディエが父ドルガーから受けた教えの中に『剣を抜いたなら振ることをためらうな』というものと『剣を振るうべき時は敵の戦意をくじくときのみ』という教えがある。
速い話、敵対する者には容赦する必要はないが、相手が戦意を持たなければそれ以上は戦うなという話である。
敵対した者は殲滅するという考え方が一般的なトルデリシア軍において、ドルガーのこの考え方は異質なものである。
そのため、ドルガーはこのことをあまりおおっぴらに広めず、副官をはじめとする幾名かの腹心と、娘であるシルディエにのみ伝えていた。
その言葉の真意を、幼いころのシルディエはまだ察しきれなかった。
しかし今ならわかるとシルディエは迫りくるドルガー軍を見据える。
単純に弱者を叩きのめすだけなら、強者でなくてもできる。
しかし制するのは強者でなければできない。
おそらくそれが父ドルガーの思考の根本なのだ。
昔、父の盟友であったロウセイも似たような考え方を持っていたとシルディエは思い出す。
ロウセイという人物は他者と競い合うことに興味を示しておらず、ただ自分を磨き上げることにのみ固執しているような人物であった。
同様に、父ドルガーも真の強者という者がどういう存在なのかという事を明確に見据え、それを体現しようとし続けていた。
それが、武門に名を連ねるグランガイス家史上最強と謳われた父ドルガーその人の人生なのだ。
そんなドルガーは、自分同様に民衆を巻き込むような戦をすることを好まない。
ゆえにシルディエはドルガー軍がこのノルガ平原を真っ直ぐに南下する可能性が高いとにらんでいたのだ。
しかし予想通りに接敵できたとはいえ、勝てるかどうかは分からない。
先日戦った獣人部隊の戦闘能力は驚異的だったため、単純な戦力という観点で見れば現在シルディエが率いている連合軍はかつて自分が率いていた国境警備軍よりもはるかに上だろう。
しかし帝国最強の名をほしいままにするドルガー率いるドルガー軍は、竜号という災害を凌ぐほどの力を有している。
「シルディエ。だいじょうぶ、か?」
ドルガー軍を見据えるシルディエに、バストラングが声をかけてきた。
どうやら相当に表情が硬くなっていたのだとシルディエは思い直す。
「大丈夫、と言いたいところだけど、相手は帝国最強の将軍。緊張するなと言うほうが無理な話ね」
「おいおい。戦う前からそんなんで大丈夫かよ」
シルディエの言葉にヌーアが眉間にしわを寄せる。
そんなヌーアに、サルラが口を挟む。
「おバカ。相手は帝国最強の将軍よ。警戒してしすぎることなんてないわよ」
「……ドルガー将軍ってのは、そんなにやばいのか?」
ヌーアの問いに、シルディエは頷く。
「私は一度も父上に勝ったことがないの。一騎打ちでも、軍略でもね」
「あんたが?」
シルディエの言葉に、ヌーアが眉をひそめる。
ヌーアは決してシルディエのことを軽蔑しているわけではない。
むしろフィナリアに一泡吹かせた彼女に対して一定以上の敬意を払ってはいる。
狩人上がりゆえに言葉遣いが乱暴なだけなのだ。
そんなヌーアの言葉に、シルディエは頷いた。
「私の父上、ドルガー・グランガイス率いる軍と戦うということは、帝国軍の全軍を敵に回す以上に危険なことよ。そのことだけは覚えておいて。父上の軍は、帝国において唯一本物の実力を持った軍よ」
「……分かった」
シルディエの言葉に、ヌーアは頷く。
ヌーア以外にも、サルラ、バストラングもその表情を一層引き締める。
しかしシルディエ自身も自分で口にした言葉に確信は持てずにいた。
ドルガー軍は本来であれば100人単位で帝国各地を巡りながら、野盗や山賊、魔物の相手をしている少数戦闘を主としている。
帝国の治安が維持されているのは、ドルガー軍があってこその話なのだ。
そんなドルガー軍1万名が一か所に集う。
竜号を防いだ功績としてドルガーが将軍に赴任してから、そんなことは一度としてなかった。
獣人たちを率いている以上、兵士の能力だけでいえば決して劣ってはいないと断言はできる。
しかし、兵の練度でいえば完全にこちらが負けているということもまた断言できる。
何より、竜号以降一度も編制されることの無かったドルガー軍の実力は、シルディエから見ても未知数のものだった。
各地にて戦い続けたドルガー軍の練度は相当なものなのは間違いなく、それを帝国最強の武人であるドルガー将軍が率いるというのは恐ろしい話だ。
強くあることに対して、自分の父ほどに執念を燃やす人物は他にいない。
強くあるためならば、災害の一つと数えられる竜号をもねじ伏せるような軍を造り上げてしまうような人物がドルガー・グランガイスなのだ。
その目は常に高みに向けられており、他の帝国貴族たちのように弱者をいたぶり嘲笑うような事は時間の無駄でしかないと考えるような人物が自分の父親なのだ。
(……だけど)
ならば、なぜ父は帝国側にいるのか。
シルディエは、リスタコメントスに来るはるか以前から抱き続けていた疑問が浮かび上がってくるのを感じた。
帝国将軍という地位を確たるものとした彼女の父は、しかし将軍になりながらも各地に自分の軍を送り、平定するということを繰り返していた。
そんなドルガー軍の在り方は、シルディエから見ても軍隊として正しく完成している。
正しくというのは、軍本来の目的を成すための力があり、その力を正しく振るっているということだ。
軍とは、本来であれば国内の安全を保障するために必要な武力を有する組織である。
今でこそエベルスを初めとする将校のほとんどは自分たちの私利私欲のためにのみしか軍を動かしてないが、ドルガー軍そうではなく先に挙げた方法で帝国の治安維持を行っている。
現在、実質的に治安維持のために動いているのはドルガー軍と国境警備軍くらいのものであり、ドルガー軍は僅か一万名という人数で(大雑把にではあるが)帝国の治安を維持しているのだ。
それだけの軍を有していながら、しかしドルガーはその力を民衆の守護に当てているのだ。
シルディエが民衆を守るために国境警備軍に赴任したのも、そんな父の在り方を見て育ったからだと断言できる。
腐敗した帝国に居ながら、あの悍ましい帝国貴族たちの権力争いに巻き込まれながら、しかしドルガーは民のために動くという軍人本来の在り方を片時も忘れたことは無いのだ。
そして、だからこそシルディエは眼前に迫りくる父ドルガーに対して疑問を抱く。
なぜ、そんなあなたが帝国の将軍であり続けているのかを。
そう考え、シルディエは片手を上げてリスタコメントス軍の進軍を止める。
眼前にはこちらへ向かって進軍してくるドルガー軍がいる。
リスタコメントス軍の進軍を止めたシルディエは、騎馬に乗ったまま一人前へ出る。
その光景に、こちらへ向かって進軍してきたドルガー軍が停止する。
かつてフィナリア率いるリスタコメントス軍を相手にしたときと同様の作法。
下劣な野盗や貴族軍には通じないだろうが、フィナリアやドルガーのような高潔な人物は、見るからに対話を要求するこのような状況に対して応じてくれる。
戦う前に相手のことを少しでも知っておく。
一流の指揮官であればだれもが行う常識である。
とはいえ、シルディエのような方法で敵を知ろうとするのは、自分以外にあと一人くらいのものだろう。
そしてその一人も、案の定自分の軍隊をかき分けてこちらへ向かってやってきた。
シルディエの父。ドルガー・グランガイス本人である。
シルディエとドルガーは、軍より離れ、それぞれの軍のちょうど中間地点で馬を止める。
それはつまり、互いが手を伸ばせば届きそうなくらいに近づいたということであった。
帝国最強の将軍の懐に潜り込んだシルディエに、リスタコメントス軍は大いに動揺するが、シルディエ本人はどこ吹く風である。
シルディエには確信していることがある。
話し合いであるこの場で、相手が武器を抜くことは無いと。
ドルガーも同様なのか、あるいはシルディエが手にした槍を振るったとしても対処できる自信があるのか、話に応じるかのように何の敵意も闘志も抱いていなかった。
「おひさしぶりです。父上」
「久しいなシルディエ。ロウセイにさらわれたと思ったら、今度はリスタコメントス軍で指揮官の真似事か?」
久々の会話だというのに淡白な言葉を返す父ドルガーに、シルディエは僅かばかりに苦笑する。
「真似事ではありません。今の私はリスタコメントス軍の指揮官です」
「ふむ。つまり、これからわしと戦おうというのに、指揮官であるお前がノコノコと目の前に現れたということか?」
そう言ってドルガーはシルディエに向かって殺気を放つ。
一個人から放たれているとは思えないほどの濃密な殺気は、シルディエを通り越してリスタコメントス軍にまで届いた。
その殺気に当てられ、獣人たちをはじめとするほとんどの部隊は武器を構えたが、殺気を間近で当てられた張本人は涼しい顔をしている。
「父上。あなたは使者を切るようなお方ではありません。そのような偽の殺意は収めてください」
「……ほう」
感心したようにドルガーがそうつぶやくと、先ほどまで放たれていた殺気が瞬時に霧散した。
「お主はこの場に話し合いをしに来たと?」
「分かっていたからこそ、父上もこの場に出てこられたのではありませんか?」
「で、何の用だ?」
シルディエの指摘に、ドルガーは鼻を鳴らして応じる。
そんな父に対し、シルディエは疑問を口にした。
「父上。なぜあなたは帝国軍に居続けるのですか?」
「・・・・・・・・・」
シルディエの問いに対するドルガーの答えは無言。
しかしその沈黙と共に、話の先を促すような視線が投げかけられる。
その無言の返答に対し、シルディエは質問を続けた。
「あなたは民のために軍を造り上げ、その力で帝国臣民を守り続けました。そんなあなたが、なぜ今の帝国に味方し付けるのかが私には分かりません」
まっすぐドルガーを見つめながら、シルディエはそう告げた。
その問いを聞き、ドルガーは口を開く。
「何を言うかと思えば。わしは帝国軍の将軍だぞ。帝国の臣民を守るのは当然の事であろう」
「その当然のことをしているのは、今の帝国軍の中では父上のみです。父上。あなたは臣民を思いやることのできる方です。なのになぜ」
あなたはそちら側にいるのですか?
言葉にならぬその一言だったが、ドルガーは娘の一言を察したようだった。
その上で、ドルガーの厳めしい表情は崩れなかった。
「言ったはずだ。わしは帝国の将軍だと。敵国を守護し、帝国に仇名すものを屠るのがわしの役割だと。わしがお主と敵対していることに、それ以上の意味はない」
「……」
ドルガーの答えに、シルディエは唖然とする。
「では、父上、あなたは帝国さえよければ、他の国の民がどうなろうといいというのですか?」
「わしは帝国の将軍だ。帝国に仇なすというのなら、わしはそれが誰であったとしても排除する」
何の迷いもためらいもないその一言に、シルディエは言葉を失った。
民衆を守り愛した父を心底尊敬していたのに、その父の視野が極端に狭かったということに今の今まで気が付かなかったということが、深く自分の心を穿った。
「……人間界を救うために戦おうとしている彼らを、殺すと?」
「必要とあればな」
短くそう告げるドルガーの視線は、鋼の刃のように鋭く、冷たかった。
「……分かりました。であれば私はあなたの敵になります。クウヤとフィナリアには悪いけれど、この反乱はここで終わらせるわ」
父上ではなく、敵としてぶつかる。
そんな意図を込めた一言に、ドルガーは頷いた。
「それでいい。それでこそ我が敵よ」
ドルガーの言葉を聞き、シルディエは馬の手綱を引いて反転する。
同様にドルガーも反転する。
話すことは終わりだと言わんばかりに、双方の将は自陣へと戻っていった。
「よかったのですか?」
腹心ゼインの問いに、ドルガーは頷く。
「これでいい。準備は整っているか?」
「はい。『狭槍』の用意はできております」
「よかろう。ならば打って出るぞ」
そう言って、ドルガーは自陣の奥深くへ戻っていった。
クウヤ達が帝都の上空を横断している最中、リスタコメントス・ノルガ平原にて本物の戦が始まろうとしていた。




