差しのべられた手
皇帝陛下が処刑を命じた直後、エベルス・ホットファードはすぐさま死刑執行の準備に取り掛かった。
行軍速度こそ遅緩極まりないエベルスだが、事皇帝の機嫌を伺うためであればその行動は誰よりも早い。
だからこそ皇帝からの信任が異様に厚いのだ。
今回の処刑も、必要な事務手続きのほとんどをすっ飛ばしているので裏方にはそれこそ凄まじい負担をかけているが、皇帝の前で処刑をするという条件だけで見ればドルガーでさえも舌を巻くほどの速度でその準備を整えてのけたのだ。
「ドルガー卿。如何にあなたのご息女とはいえ、皇帝陛下の御前にてあのような暴言を吐かれては庇いようもありますまい。くれぐれも、妙な気を起こさないようにお願い申し上げますぞ」
「……ああ」
不機嫌そうに処刑場を睥睨するドルガーに対し、エベルスはそのように釘を打ったのだが、妙に聞き分けのいいドルガーの反応にエベルスは不信感を抱く。
「…繰り返しますが、くれぐれも余計なことは」
「分かっている。わしも一人の観客として、この処刑を見届けろと言いたいのだろう?」
「……分かっているのなら結構」
ドルガーの返事に、エベルスはさらに不信感を募らせるが、このようなことを明言してしまった以上、ドルガーはもとよりその配下さえもが動くことが出来なくなったも同然である。
帝国将軍たるもの、その言動にの全てに責任がある。
正直にいって、エベルスはドルガーが自分の娘を奪還するために動くものと考えていたし、上手くいけばそこをついてドルガーを帝国将軍の座から引きずり下ろせると考えていた。
しかしこの場に至るまでドルガーは全くそう言ったそぶりを見せていない。
そのことにどこか不気味さを感じながらも、しかしそれでも問題はないかとエベルスは考え直す。
今回の一件で、グランガイス家の名誉は地に落ちた。
ドルガーは帝国の英雄とも呼ばれているので、さすがにシルディエを助け出すような行動を起こさなければ失脚させるには至らないが、皇帝陛下からこれまで通りの評価を受けることはできないだろう。
そうなれば、自分の発言力がドルガーを上回るのは時間の問題に過ぎない。
「くくく」
エベルスはドルガーに聞こえないようにほくそ笑む。
シルディエはグランガイス家を継ぐにふさわしい武勇を誇ってはいたが、所詮は権力争い関わったことの無い小娘だ。
武力で劣っていても戦いようはほかにいくらでもある。
そして後継者を失った以上、グランガイス家に未来はない。
そう確信し、エベルスは処刑場を見ながらせせら笑う。
処刑人が長い口上を終え、その手に斬首用の刃を握った。
「くくくく」
今から始まる凄惨な見世物に、隣に座るドルガーがどのような表情を浮かべるのかを想像し、エベルスはニタリと口元を歪めた。
……が。
直後、エベルスの目に、信じられない光景が飛び込んできた。
一人の男がどこからともなく現れ、今刃を振り下ろそうとしていた処刑人を殴り飛ばしたのだ。
「なんだと!?」
エベルスが驚愕した。
なぜ驚愕したのか、それには二つの理由が混じっていた。
すなわち処刑に乱入者が現れたことと、その乱入者が誰もが知る人物であったことである。
その乱入者の姿は、元帝国筆頭魔導師にして、帝国から追放された超人ロウセイその人であった。
乱入したロウセイはあっという間にシルディエの戒めを破壊し、周囲を見渡しながら口を開いた。
「相も変わらず悪趣味な連中だな。そんなことだろうとは思っていたが、こうまで進歩がないと呆れを通り越して笑えてくる」
周囲に向かってそんなことを言うロウセイの一言に、呆気にとられていたエベルスの頭に血が上る。
「何をしている! 衛兵! あの不心得者を捕らえよ!」
エベルスがそう言うと、ロウセイを多数の衛兵が武器を手に取り囲んだ。
「何のつもりか知らぬが、処刑の邪魔をしたお前もこの場で血祭りに上げてくれるわ!」
エベルスはそう言って、衛兵たちに合図を送る。
その合図に従い衛兵たちはいっせいにロウセイに向かって攻め込んだ。
それに対し、ロウセイは腕を幾度か鳴らし、虚空に向かって掌底を放った。
その直後、大気が爆ぜるような音が響いたかと思うと、その数秒後に尋常ではない衝撃波が周囲に拡散した。
「な、なあああぁっぁぁぁああ!!!」
その衝撃波は衛兵たちを吹き飛ばすばかりか、処刑場を囲んでいた貴族たちにまで届き、その大半をひっくり返してしまった。
衝撃波にエベルスも巻き込まれ、ものの見事に転倒してしまう。
「さて、ではさっさと逃げるとするか」
転倒したエベルスの耳に、ロウセイのその声が響く。
「ま、待て…」
じたばた動きながら起き上がったエベルスは、処刑場から逃亡しようとしていたロウセイを止めようとそんなことを口にしようとして、それをやめた。
「どこに行くつもりかな? 元帝国筆頭魔導師殿」
「…お前か」
逃亡を図ったロウセイの前に、一人の男が立ちはだかっていたからである。
それは、ロウセイを帝国から追放した張本人にして、帝国最強の魔導師である魔道総師ロイルド・インディオスであった。
「久しぶりだなロイルド」
「そちらこそ、まだ生きていたのですね。帝国を追放された恥辱に呑まれて死んだものとばかり思っていましたよ?」
シルディエの目の前で、ロイルドとロウセイはそんな言葉を交わす。
そしてロイルドはシルディエを横目で確認し、ロウセイに問いをかける。
「して、今更このような場所にあなたが何用で? まさかその罪人を逃がすつもりなのですか?」
ロイルドの問いに、ロウセイは答える。
「その通りだ。この国を救おうとする罪で処刑されそうになっている未来の希望をここから助け出すために、わしはこの場へ来た」
そんなロウセイの言葉に、ロイルドは首を傾げた。
「未来の希望? その罪人が? 相も変わらずおかしなことを言う。筋はいいのに、そんな思考をもっているからお前は帝国から追放されたのですよ?」
「抜かせ。で、わしの目的がわかったお主は、一体どうするつもりだ?」
「無論。そこの反逆者もろともお前を始末します」
そう言うと、突如ロイルドの周囲に炎がはっせいした。
かと思うと、その炎は見る見るうちにその形を変え、一匹の龍へとその姿を変貌させる。
「…相変わらずだな。その魔力。悪魔王テオローグを彷彿とさせる」
最強の火属性魔法をこともなく発動してのけたロイルドを見ながら、ロウセイはそんなことをつぶやき、シルディエの前に立つ。
「灰になるがいい。『炎龍弾!』」
ロイルドの言葉に従い、生み出された炎龍がロウセイとシルディエに向かって襲い掛かる。
武芸と共に魔道にもある程度精通しているシルディエは、迫りくる炎龍に対して身をこわばらせる。
フィナリアの風龍を迎撃してのけたシルディエだが、ロイルドの炎龍はフィナリアの魔法よりもさらに膨大な魔力を有しており、恐らくシルディエの技の中で最大の威力を誇る『投雷槍・一閃』でも歯が立たないことが見て取れた。
そして、迎撃をしようにもシルディエの体は疲労から思うように動かなかったし、何より手には槍がなかった。
「大丈夫だ」
炎龍に身をこわばらせるシルディエに、その前に立つロウセイがそんな声をかける。
直後、炎龍の咢が二人を飲み込もうと目前に迫ったのに対し、ロウセイはゆっくりと迫りくる炎龍に向かって右手を持ち上げた。
「なに!?」
「まさか!?」
その驚愕はロイルドとシルディエ二人のものだが、その場に集う全ての者の内心を代弁していた。
ロウセイは目前に迫りくる炎龍を、持上げた右手の平で受け止め、掴み取ったのだ。
「フン!」
気合と共に、ロウセイは右手でつかんだ炎龍を握りつぶす。
直後、炎龍を構成している魔力が爆散し、処刑場全体に火災旋風が巻き起こった。
「く、おのれ!」
ロイルドはすぐさま魔力を抑え込み、巻き起こった火炎旋風を中和する。
しかし、中和するために生まれた隙を突き、ロウセイはシルディエを抱えて処刑場の外円部まで逃走してしまった。
「ロウセイ」
睨みつけるロイルドの視線を軽く受け流し、シルディエを抱きかかえたロウセイは再び周囲を見渡す。
「わしの目的はこの者の救出。そう言ったはずだ。これ以上、余計な戦いをするつもりはない」
そういって、ロウセイは踵を返してその場を立ち去ろうとして、その足を止め、ある人物の方を向いた。
ロウセイが向いた方向の先には、トルデリシア帝国皇帝オルバールと、いつの間にかその皇帝をかばうようにその正面に立つドルガー将軍がいた。
「……」
「……」
しばし二人はお互い無言でにらみ合い…というよりはお互いを観察し合っていたが、突如ロウセイの方がにやりと笑い、踵を返した。
ドルガーの方は、相も変わらず巌のような表情をしたまま、ロウセイの立ち去った方向を見定めていた。
「ドルガー将軍!」
そんなドルガーに、もう一人の帝国将軍が血相を変えて駆け寄ってきた。
エベルスは、のろのろと駆け寄りながらドルガーの胸倉をつかみあげる。
「なんのつもりだ!? なぜ犯罪者の逃亡を見逃したのだ!? お主、自分の娘に情けをかけるつもりか!? それとも乱入者がかつての友と知って手を出すのを控えたのか!?」
胸倉をつかみながらそのようなことを喚き散らすエベルスだったが、ドルガーは全く動じていない。
いくら押しても引いても巌のようにびくともしないドルガーに、エベルスの方が先に息を切らして手を放してしまった。
「エベルス卿こそ、一体何を申しているのだ?」
そんなエベルスを見下しながら、ドルガーはそんなことを口にした。
「なに?」
ドルガーの反応に、エベルスは恨みがましく睨みつける。
しかしその眼光は、ドルガーの口から放たれた言葉によって弱まった。
「侵入者は、元帝国筆頭魔導師ロウセイだぞ? あの男が相手では、私であっても勝てると断言はできない。である以上、襲撃者から陛下の身の安全を守ることこそがあの場においての最優先事項であった。違うか?」
「し、しかし」
あまりにまっとうなドルガーの指摘に、エベルスは反論の言葉を口にすることが出来なかった。
しかもドルガーの言に従うのであれば皇帝を守るという至上目的を完遂できたのはドルガーの方であり、自分の方ではないということになってしまうという現状に、エベルスは完全に閉口してしまった。
そんなエベルスに、ドルガーはさらに追い打ちをかける。
「そもそも、この場で何が起ころうとも余計な手を出すなと口にしたのはエベルス卿、そちらだ。私はその言葉に従ったまでだが、何か問題でもあったのか?」
「ぐ……」
ドルガーの言葉に、エベルスは後ずさりさえしてしまった。
今、ドルガーの背後には皇帝陛下がいるため、先ほどのやり取りの全てを聞かれている。
予定では娘を見逃したドルガーの責を問い詰めるつもりだったエベルスは、自分の旗色が一気に悪くなるのを感じた。
そんなドルガーの背後に控えていた、オルバール皇帝は、不機嫌さを隠そうともせずに口を開く。
「……ドルガー。お主が帝国を貶した罪人を取り逃がしたことは事実であろう」
「……はい。その通りであります陛下」
そう言って、ドルガーは踵を返してオルバールの前に跪く。
その様子に、エベルスはニヤリと笑みをこぼした。
やはりシルディエの一件から、ドルガーの…というより、グランガイス家の株そのものが下がっているのだろうと、エベルスはほくそ笑んだ。
しかし、そんなエベルスの予想を裏切るような一言をオルバールは口にした。
「ならば、その汚名はお前自身の手で晴らすべきだ。違うか?」
まるでドルガーを試すようなその言葉に、エベルスは再び唖然とする。
そんなオルバールの問いに対し、ドルガーは跪いたまま頷く。
「おっしゃる通りでございます陛下。機会を頂けるなら、謀反者達を皆、我が剣の錆にして御覧に入れましょう」
暗に、娘もろとも反乱分子すべてを切って捨てると言っているドルガーの言葉に、エベルスの背筋に寒気が走った。
ドルガーにあって自分にないもの。すなわち、他者を圧倒するその覇気を目の当たりにし、エベルスはその場で尻餅をついた。
ドルガーが、背中越しに自分を威圧しているように感じられたのだ。
そんなドルガーとエベルスの二人に、オルバールは命令を下した。
「エベルス。ドルガー。これ以上反乱分子共を好きにさせるのは許さん。敵の全てを叩き潰せ」
「御意」
「た、直ちに全軍に戦闘用意をさせますので、少々お待ちを」
簡潔に答えるドルガーにつられるように、エベルスはそんなことを皇帝に告げる。
こうして、トルデリシア帝国の正規軍が、その全軍を臨戦態勢につかせることとなり、人間界の騒乱は更なる佳境を迎えようとしていた。
明日は私の誕生日。
というわけで、私から読者の皆様に対して日頃お付き合いいただいている感謝を示して明日は連続投稿いたします。
0600から3時間おきに1話ずつ、2400まで計7話投降いたしますので、よろしくお願いいたします。




