濡れ衣
「くそっ、おのれ、おのれおのれ!!」
馬車の中で、エベルスは大いに悪態をつきながらノルガ平原を北上していた。
目的地は当然のごとくリスタコメントスと帝国の国境。
敗北した以上、いつまでもリスタコメントスに残っているのは自殺行為なので迷わず撤退したエベルスだったが、その表情は恥辱に歪んでいた。
「…エベルス様。このまま逃げ帰っては、我々は」
エベルスと同じ馬車に乗っていた副官が不安に満ちた表情でそのようなことをつぶやいた。
副官が示唆しているのは、戦果を上げずに撤退した場合の処分についてである。
シルディエが率いて勝利した相手にエベルスが率いて自軍を壊滅させたとあれば、エベルスを含め自分たちの立場がどれほど悪くなるのか分からない。
というより、今回の戦果を鑑みれば将軍という役職を剥奪され処刑されても不思議はないほどの黒星である。
だというのに、エベルスの表情には失脚に対する不安は微塵もなく、あるのはただフィナリア軍に与えられた屈辱に対する怨嗟の念のみだった。
「何が必勝の策だ! あのように真正面から潰されるような策が、戦場でどう役に立つというのだあの小娘め!」
副官の言葉など聞こえないかのようにエベルスは喚き続ける。
戦に挑む前にはシルディエの配下たちの忠告を耳に入れずに意気揚々としていたエベルスの憤慨する姿に、副官は大いに不安を覚える。
自分がエベルスの副官をやっているのはあくまでエベルスが将軍という役職についているからである。
だというのに、今回の敗戦でエベルスは敵に対する悪態をつくばかりで自分が失態したということにまるで目を向けていないことから、副官は自分たちの身の破滅を予感して縮こまっていた。
しかしエベルスは悪態をつきながらもそんな副官の気配を敏感に察知する。
エベルスは部下を大切にする人物ではないし、平然と嘘を口にはするが、人の心を読み取り利用する能力にかけては図抜けている。
そうでもなければ陰謀渦巻く帝国貴族の中で勝ち残ることなどできはしないのだ。
不安がる副官に対して、エベルスは口を開く。
「心配する必要はない。我々に今回の一件の咎が及ぶことは無い」
「…真ですか?」
エベルスの言葉に、副官の顔色がみるみるよくなっていく。
そんな副官の現金な態度に、エベルスは先ほどまでの不機嫌さを収める。
「今回の失態は我々の責ではない。それだけの話だ」
「……」
エベルスの一言に、副官はその意図を理解する。
他者の手柄を横取りし、自らの責を免れることに関して言えばエベルスの右に出る者はいない。
エベルスがそう言う以上、すでに保身のための策は出来上がっているということなのだろうと副官はほくそ笑む。
そんな副官の態度に、エベルスも口元を歪める。
「何はともあれ、まず国境まで戻らなければならない」
「お任せください。必ず将軍を安全に国境まで避難させて御覧に入れましょう」
その副官の言葉に、エベルスは大いに口元を歪ませる。
「所詮、この世を生き延びるのに必要なは権力だ。あの小娘には人身御供となってもらうとしよう」
弛んだ腹の将軍は、そんなことを口にして、今度は高笑いした。
「……どうして」
中継地点の町にて伝令から受けた報告に、シルディエは信じられないとばかりに表情を曇らせながら馬を走らせる。
伝令兵から受けた報告内容は、シルディエの部下たちが彼女に無断で軍を南下させてフィナリア軍と交戦し、完全敗北を喫したという報告であった。
フィナリア軍は、一度戦っただけではっきりとわかるほどに強い。
もう一度戦えば自分が率いても勝てるかどうかは怪しい。
自分の副官がそこを理解していないはずはない。
そう断言できるシルディエの脳裏には、一つの可能性が浮かび上がっていた。
否、それは可能性などという生易しいものではなくほぼ確信に近いものだ。
「…エベルス・ホットファード」
たどり着いた一つの答えに、シルディエは歯を食いしばる。
エベルスはこれまで陣頭指揮を執ったことなどほとんどありはしなかった。
そんなエベルスが動いたとすれば、それは先日の戦いでフィナリア相手に自分が披露した秘策。騎馬・鉄鎖陣の威力を目の当たりにしたから以外に考えつかなかった。
「なんという、愚かなことを」
確かに結果だけを見れば自分たちの圧勝だったが、先の戦の結果に見るほどに彼我の戦力差はない。
シルディエ軍は一歩間違えば鉄鎖陣を打ち砕かれてその攻撃を受け止められ、勢いを失った騎馬隊が獣人族に各個撃破されるのが目に見えていたからである。
そもそも騎馬・鉄鎖陣はその重厚な見た目に反して非常に脆い部分があり、強敵相手に成功させるには意表を突かなければならない。
そして先日の戦いの際、シルディエは相手に鉄鎖陣を読ませないという賭けに勝ち、後は蹂躙するだけのはずだった。
であるにもかかわらず、敵の指揮官フィナリア・ノーストンは一目で正面突破という方法を見出し、そこをついてきた。
結果としてシルディエ自身がその攻撃を防いだので鉄鎖陣は揺るがなかったが、意表をついてそんな状況であったのだから、鉄鎖陣が来ると読まれていては話にならない。
ゆえに、シルディエはフィナリア相手に鉄鎖陣は二度と用いることはできないと確信しており、次は奇策抜きの正面突破をする必要があると考えていた。
そして、その際には身体能力に優れる獣人族と、正体不明の炎鳥を有するフィナリア軍の方が有利と思っていた。
である以上、敵が体勢を立て直せば不利な戦いは避けられない。
そう思っていたので、シルディエは軍の再編成が終わった直後に追撃をかけようとしたのだが、同行していたエベルスによってその絶好の好機を逃すこととなってしまったのだ。
「…急がないと」
シルディエは馬を乗りつぶす勢いで急がせる。
とにかく状況を知らなければと不眠不休で馬を変えながらシルディエは国境を目指していた。
もし報告通りならば、状況は最悪だ。
こちらの主力はほぼ壊滅し、リスタコメントスの襲撃はおろか国境の警備さえもままならなくなってしまう。
とにかく現場をみて、状況を判断しなければとシルディエは急いで5日かかった行程を僅か3日で走破する。
「見えた!」
見慣れた国境の砦を目前に、シルディエはさらに馬を急がせる。
見る見るうちに近づいた目標を前に、シルディエは息を切らせながら声をあげる。
「シルディエ・グランガイスが戻った! 門を空けなさい!」
シルディエがそう叫ぶと、幾人もの兵士が砦の上からシルディエを見下ろした。
「……え?」
しかしその光景に、シルディエは息をのんだ。
ただの出迎えにしては、兵士の数が異様に多いのだ。
それも等間隔に並んでおり、その手には弓が携えられている。
さらに着込んでいる鎧は国境警備軍のそれとは大きく意匠が異なっている。
それはエベルス軍の装備していた煌びやかな装飾過多の鎧だった。
そんな兵士たちの後方から一人の男が歩み出た。
「エベルス、将軍」
その人物の姿に、シルディエはそんな言葉を口にした。
肥満体の将軍は、その表情に気持ちの悪い笑みを張り付けながらこちらを見下していた。
「よくもおめおめとわしの前に姿を現せたなこの愚将」
「な、何を?」
目の前の将軍が何を言っているのかが理解できずシルディエは混乱しながらそんなことを口にする。
そんなシルディエに対し、エベルスは指を鳴らす。
直後、砦内部から出てきたエベルスの配下たちがシルディエを取り囲んだ。
「お主の配下たちは、わしの制止も聞かずに勝手に軍を進め、敵とぶつかり自滅した。お主は隊長でありながら、私用で戦場を離れた罪をあがなってもらう」
「な!?」
そのエベルスの発言に、シルディエは驚愕のあまりその様な声をあげた。
「馬鹿な! 私の配下たちがそのような愚行をするはずがありません! そして私は私用などではなくあなたの命を受けて皇帝陛下へ報告に挙がりました! 違いますか!?」
そう問いかけるシルディエに向かってエベルスは相も変らぬ気持ちの悪い笑みを浮かべながら口を開く。
「何を言っている? わしを脅して皇帝陛下への紹介状を無理やり書かせたのはお主ではないか」
「な!?」
エベルスのその発言にシルディエは驚愕に目を見開く。
そして悟った。
目の前の将軍が、自分に敗戦の責をなすりつけるためにそのようなシナリオを描き上げたのだと。
「部下の監督も出来ず、功績目当てに戦場を離れたお主の責は重い。今この場で拿捕し、皇帝陛下の元へ引っ立てるゆえ、その罪を贖うがいい!」
エベルスがそう言うと、砦の上から弓兵たちが矢をつがえ、シルディエを取り囲んでいた者達がゆっくりと間合いを詰める。
それに対し、シルディエは静かに槍を構える。
長い移動によって疲弊はしているが、練度の低いエベルス軍が相手であればどうにでもなる。
何より、このままおとなしく捕まることだけは御免だった。
しかしエベルスはそんなシルディエの行動を読んでいたかのように再びその指を鳴らす。
直後、エベルスの隣に幾人かの兵士が連れてこられる。
その兵士たちは皆、誰もが縛り上げられており、拷問を受けたような跡が見て取れた。
「……そんな」
連れてこられた兵士たちを見た時、シルディエは目を疑った。
エベルスの隣で縛り上げられているのは国境警備軍の兵士たちであり、シルディエが寝食を共にした配下たちであった。
「かわいそうにのう。主が自らの愚行を改めぬから、その部下たちが代わりに責を負うことになってしまった」
そう言って、エベルスは縛り上げた警備軍の一人を蹴りあげる。
「止めなさい!」
思わず、シルディエはそんな叫び声を上げていた。
その反応に、エベルスはいつも通りの気味の悪い笑みをその表情に張り付けたままシルディエを城壁から見下ろした。
「誰に向かって口をきいている。身の程をわきまえよ。それとも、お前は愚将ではなく反乱分子だったのか?」
「くっ…」
笑みを浮かべながらそのようなことを口にするエベルスを前に、シルディエは言葉を詰まらせる。
「…エベルス将軍。部下を解放してください」
シルディエは、絞り出すようにそんな言葉を口にした。
しかしエベルスはニタニタと笑いながらシルディエを見下したまま口を開く。
「それが将軍に対する口の聞き方なのか? お主の父君は口の聞き方も教えていないと見えるな?」
エベルスの言葉に、シルディエは内心で強くエベルスを睨みつける。
勝手にシルディエの配下を動かし、無理やり戦わせた上で多くの将兵を殺すような真似をし、あまつさえその責任をなすりつけるためにこんな真似をしているのに、どの口がそのようなことを言うのかと怒鳴りつけたくなるが、愛する配下の命を取られているため強く出ることはできなかった。
「申し訳ありませんエベルス将軍。どうか私の部下を解放してください」
そう言ってシルディエは頭を下げる。
正直に言えば屈辱でしかないが、この程度の事で配下の命が救われるのならば安いものだと思ったうえでの行動だったが、そんなシルディエの頭上で、鼻に来る笑い声が上がる。
「お主が素直に従わぬなら、この場でこの者の首をはねることとなる。だがお前がおとなしくお縄に付くというのなら、部下たちの安全は保障しよう」
「……」
頭を下げたまま、シルディエは手に取った槍を強く握る。
隙あればその脳天を貫いてやると敵意を込めるが、エベルスはそれを見越したかのように腰の獲物を配下に突きつける。
「妙なまねはしない方がいいぞ? 自分の命だけではなく、配下の命を預かるのが指揮官というものだ。まずはその武器を捨て、馬から降りて跪け」
「なりません! シルディエ様!」
「私達のために、あなた様が屈する必要はありません!」
エベルスに剣を突きつけられながら、シルディエに対して警備軍の兵士たちはそのようなことを告げた。
そして、その健気な言葉がシルディエの心を折った。
敵意や殺意をいくら叩きつけられてもシルディエの心は折れなかったが、配下の心遣いが何よりも彼女の心に響いた。響いてしまったのだ。
馬を降り、獲物である槍を放り出し、シルディエは地に額を当てた。
「どうか、私の配下だけは見逃してください。この通りです」
ここまでのことをしでかしたエベルスは、恐らく国境警備軍の多くの兵士を人質に取っているだろう。
下手にここで逆らえば、その多くが血を流し、国境付近の賊や魔物を抑え込むことさえ難しくなってしまう。
そうなれば、被害をこうむるのはこの近辺に住む民だ。
ただでさえエベルスの無謀な策のせいで警備軍の主力は壊滅状態であるというのに、この上さらに配下の血を流すようなことはあってはいけないと、シルディエは自分の保身をあきらめる。
エベルスが狙ってかどうかは知らないが、彼の行動は実質的にリスタコメントスの国境付近の民さえも人質に取っているのだ。
本当の意味で槍を捧げると誓った民を人質に取られてしまったシルディエに、選択の余地はなくなってしまった。
そして、これまで共に守るべき民のために戦いぬいてきた兵士たちを見捨てるという選択肢が、彼女には無かったのだ。
「なりません! シルディエ様!」
兵士たちが自分に向かってそんなことを口走るが、シルディエは行動を変えるつもりはなかった。
「捕らえよ!」
エベルスの言葉に従い、兵士たちがシルディエを縛り上げる。
そんな自分の様子を、どこか他人事のように感じながら、シルディエは微睡に落ちる。
数日間、不眠不休で動き続けた彼女が、折れた心でその意識を繋ぎ止めることは不可能であった。




