通じ合う心
撤退を完了させた俺たちは、後ろ備えの5000と合流した。
1万の軍勢のうち、半数は敵の鎖騎馬に押しつぶされ、さらに半数は手負であったため、現在その重症者たちを500の兵士と軽傷者に任せて近くの町へと撤退させた。
現在7000の軍勢を立て直したが、兵士たちの誰もが敗北という事実を受け止めきれずにいた。
「バストラングさん。体は、どうですか?」
俺は重傷を負いながらもこの場に残ったバストラングにそんな質問をした。
その質問に、巨漢の獣人は腕や肩を回して答える。
「すこしなら、全力で戦える」
「無茶はしないでください」
バストラングに対して、俺はそう言って釘をさす。
実際、バストラングの自然治癒力は異常の一言であり、白魔法を定期的に使っているとはいえ、僅か半日で動けるまでに回復したのだ。
しかもその時点で他の獣人たちよりもはるかに動ける状態であった。
それでも重症者であることに変わりはなかったためバストラングには怪我人の面倒を見てもらいたかったのだが、本人が断固として断ったため、代わりにヌーア隊がけが人たちを連れて近くの町へ向かったのだ。
あらかたの治療を終えた俺は、リスタコメントス軍からやや外れた場所に向かった。
先ほどまで俺と共に白魔法を用いて怪我人の治癒を行っていたフィナリアは、今現在、やや軍営地から外れて、まっすぐに地平線を眺めていた。
「フィナリア」
そんな彼女の背に、俺はそんな声をかける。
フィナリアは俺が声をかけたのにもかかわらず、振り向こうとしなかった。
「その、すまん」
「…どうして、クウヤさんが謝るんですか?」
なぜか謝罪の言葉を口にしていた俺に、フィナリアがこちらを向かずにそう答えた。
フィナリアは治療が終わってからずっとある一点を見据えていた。
俺たちが敗北を喫した、ノルガ平原の方角である。
「俺の、俺の力が足りなかったから、フィナリアの指示を実行できずにこんなことになったから…」
「それは違います」
何となく口から出てしまった謝罪の言葉に、適当に思いついた理由をつけようとした俺の言葉を、フィナリアはそう言って切って捨てた。
「先の敗戦は、シルディア様の策を見抜けなかった私の失敗です。例えば、クウヤさんを上空に待機させていたとすれば、相手の策を見抜くことも出来たかもしれなかったのに、私はかつてない強敵とぶつかるという緊張からその判断を下すことが出来なかったのですから」
「…フィナリア」
こんな時、ジェクト将軍ならば、かつてフィナリアが俺を諭したときのように適切な言葉を選ぶことが出来るのだろう。
しかし、俺にはそれが出来なかった。
先ほどの戦いで、俺たちは自分たちの無力をあまりに深く痛感した。
そんな状況でフィナリアを慰める言葉を紡げるような言葉を放てるほどに、俺の積み上げてきた実績は深くはなかったからだ。
「フィナリア。体の方は大丈夫か?」
「ええ。私は大丈夫です」
そう言って、フィナリアはただひたすらにノルガ平原の、俺たちの敗北した土地を見続けていた。
見るに見かねた俺は、思ったことをそのまま口にすることにした。
「フィナリアは、失敗なんてしてないさ」
「…どうして、そう思われるのですか?」
話を聞けるだけの心の余裕はあるのかと、俺は内心で安堵する。
そして、一度深呼吸をして自分の心の内にある思いを言葉にする。
「フィナリアは、あの鎖騎馬の事に誰よりも早く気が付いた。一目見て、あの陣形の対策方法を打ち立てた。俺たちが失敗した直後に、兵士を撤退させて、騎馬隊を足止めした。どれもフィナリアじゃないとできなかった。もし俺が指揮官だったら、味方は全滅していた」
フィナリアは、あれほど絶望的な状況下でありながら、半数近い兵士を生還させた。
改めて考えてみれば、あの鎖騎馬の陣形は一種のギャンブルのようなものだ。
来ると分かっていれば対策がいくらでもたてられる。
それを察知できなかった時点で、俺たちは賭けに敗北していたのだ。
にもかかわらず、フィナリアは賭けに負けながらも多くの兵士たちを生かした。
誰にでもできることではない。少なくとも、あの場にいたフィナリア軍の誰にもそんな指揮は出来なかっただろう。
「だから、フィナリアが自分を責める必要はない」
そう言った俺に、フィナリアは相も変わらず一点を見つめながら答えた。
「クウヤさん。少し、弱音を吐かせてもらってもいいですか?」
「ん? ああ。勿論」
フィナリアの一言に、俺は頷き応じた。
以前フィナリアは俺に対して信頼できる人に対しても弱音を見せないというのは決して強さではないと言っていた。
そんなフィナリアが弱音を吐きたがっているということは、俺が信頼に値するということを言外に示しているように思え、間髪入れずに俺は頷いた。
そんな俺に対し、フィナリアはなおもノルガ平原の方を眺めながら口を開いた。
「私は、自分の判断で人を殺しました」
「……」
「私の命令で、私を信じて着き従ってくださった兵士を、私達と敵対する方々の命を奪いました」
そう言って、フィナリアは自分の手を見つめた。
「目を逸らしているつもりはありませんでしたが、私の手は既に血にまみれているのですね。勝利を重ねている間は、そのことが気が付きませんでした。いつの間にか、私はたくさんの人々の命を奪っていたのですね」
フィナリアが自嘲と自傷を含んだその言葉を口にしたとき、俺は無性に腹が立った。
フィナリアに、ではない。
彼女にそんな決断をさせた状況に対して腹が立った。
「…フィナリア。確かに、俺もお前も、人殺しだ」
俺の言葉に、フィナリアは一瞬ビクリと体を震わせた。
しかしそんな彼女に、俺はさらに言葉を紡ぐ。
「だけど、フィナリアにそんな決断をさせたのは、この時代と、統治者だ。フィナリアの人殺しが罪だと言うのなら、こんな状況を造り上げて放置しているトルデリシア帝国の連中の罪は計り知れないぞ?」
本来であれば普通のお姫様としてその一生を終えたかもしれないのに、フィナリアは皇帝に見初められたせいで国を捨て、騎士となり、その才覚と慈愛の心から権力者たちと戦う道を選んだ。
「確かに俺たちは人殺しかもしれない。だけど、そのことでフィナリアが自分を責めるのは筋違いだ。少なくとも、この場に居る誰もがそう思ってる」
「……」
なおもフィナリアは地平の果てをながめていたが、その目から一筋の涙が零れ落ちるように見えた。
「本音を言えば、私も父と同じく誰もが殺し合いなどせず、平和に暮らすことのできる世の中であってほしいと願っていました。いえ、今でもそう願っています。たとえそれが、殺し合いをした間柄の相手であっても、人間界を荒らした魔族であっても」
「……」
フィナリアの言葉を、俺はただ聞いていた。
今、彼女は自分の心と向き合うために独白をしているように見えたので、それを邪魔してはいけないと感じたからだ。
「ですが、現実は残酷ですね。どう頑張ってみても、私の力では誰を救うこともできなかった。帝国がこのまま独裁を続ければ、人族が滅びると思ったからこそ帝国と敵対しました。帝国と戦うための障害になるからこそ、敵対した兵士を手にかけました。敵対した人を殺さなければならないのであれば、せめて味方だけは死なせないように考えて、先ほど多くの味方を失いました」
そこまで言って、フィナリアは僅かにこちらを向いた。
彼女の白銀の髪と涙が、風に流れた。
「本当に、自分の無力さが嫌になります」
フィナリアがそう口にしたとき、気が付けば俺はフィナリアに駆け寄り抱きしめていた。
俺のその行動に、フィナリアは目を丸くして驚いていたが、拒んでは来なかった。
「そうだ。俺も、お前も、弱い人間に過ぎない。俺たちの腕は、たった一人を抱えることも満足にできない位に細くて小さいんだ」
「……」
そんな俺の言葉を、フィナリアはただ無言で聞いていた。
「だけど、俺は前にフィナリアに誓ったよな。俺が力になるって。俺みたいな細腕でも、フィナリアを少し、ほんの少しだけ支えることくらいは出来るつもりだ。俺たちは弱い。だから、何もかもを抱え込むことなんてできっこない。だから頼むフィナリア。お前が悩んで苦しんでいるのなら、その悲しみを、苦しみを、俺に分けてくれ。でないと、俺は…」
その先を言葉にすることは、出来なかった。
その先を語るには、俺の中にある言葉は少なすぎた。
だというのに、フィナリアは俺の腰にそっと手を回した。
「いいのですかクウヤさん。あなたに頼っても」
その一言に、俺は頷く。
「勿論だ」
「無茶なお願いを、たくさんするかもしれません」
「やって見せる。フィナリアのためだ」
「死ぬような目に合うかもしれませんよ?」
「今は、死ぬことより、怖いことがある」
俺がそう言うと、フィナリアは腕をほどき、俺の胸をそっと押し返した。
拒絶と取られない程度に、そっと押し返したのだ。
「では、クウヤさん。約束してください。私を守ってくれると、絶対に死なないと」
「ああ。絶対だ。だからフィナリアも……」
もう一人で泣かないでほしい。
俺の思いが伝わったのか、フィナリアはにこりと微笑み、頷いた。
気が付けば、俺たちは手を取り合っていた。
「戻ろう」
「はい」
そう言って、俺たちは駆け出した。
斥候に出てきた兵士が持ってきた情報を聞くために。
クウヤさんに抱きとめられた体が今もあたたかい。
否、温かいのは体だけではなく、冷え切っていた心も同様だった。
これまで獣人たちをカーナイル様の私兵を率いて戦い続けてきた。
その最中で、数多の人たちが倒れて行った。
誰もが、私が父から受け継いだ志に賛同していた同志たちだった。
その同志たちが、自分の失策のせいでたくさん死んだ。
いや、失策などではなく、シルディエ・グランガイスという敵を恐れる私の弱さが彼らを殺したのだ。
初めからバストラング様を先頭に立たせておけば。
クウヤさんとファーレンベルクを上空に待機させておけば。
そんなもしもを考えずにはいられなかった。
そして、考えれば考えるほどに我が身かわいさから二人を傍に置くという判断を下す事しかできなかった自分の弱さが嘆かわしかった。
クウヤさんも、バストラング様も、とても頼もしい人物だ。
だからこそ、自分はシルディエ・グランガイスという強敵と戦うに当たり二人を傍に置いてしまったのだ。
本人たちの最大の持ち味を生かせない場所に。
我が身かわいさに判断を誤り、同志たちを数多く死なせてしまった。
これでは、帝国貴族と何も変わらない。
その事実に対する自責の念が、私の心を摩耗させていった。
はたして、こんな自分が本当に人々を率いていいのだろうか?
自分の失態のせいで多くの同志が死んでいった。
自分の失策の償いを、その命を持って払わされたのだ。
彼らの命を奪うだけの価値が自分にあるようには到底思えなかった。
かつてジェクト将軍が自分のために左腕を失った時の絶望感を数十倍に濃縮したような負の感情が自分の中を蠢いているのが分かる。
いっそ、この場で彼らの後を追うべきではないのかとさえ思った。
そう思うたびに、心の奥底が凍えていくように感じた。
だというのに。
「フィナリアにそんな決断をさせたのは、この時代と、統治者だ。フィナリアの人殺しが罪だと言うのなら、こんな状況を造り上げて放置しているトルデリシア帝国の連中の罪は計り知れない」
私と共に戦場を駆け抜けたクウヤさんは、私に対してそんなことを言った。
「俺は前にフィナリアに誓ったよな。俺が力になるって。俺みたいな細腕でも、フィナリアを少し、ほんの少しだけ支えることくらいは出来るつもりだ。俺たちは弱い。だから、何もかもを抱え込むことなんてできっこない。だから頼むフィナリア。お前が悩んで苦しんでいるのなら、その悲しみを、苦しみを、俺に分けてくれ。でないと、俺は…」
抱きしめられた腕から、クウヤさんの鼓動と共に温もりが伝わってきた。
盗賊団、竜人、魔族を経て、今もなお共に帝国軍と戦おうとしているクウヤさんの言葉は、まるで自分の心の内を代弁しているかのようだった。
だから、そんなクウヤさんが支えてくれると口にしてくれたことが、何よりもうれしかった。
「いいのですかクウヤさん。あなたに頼っても」
気が付けばそんなことを口にしていた。
「勿論だ」
そんな私の問いに、クウヤさんは力強くそう答えた。
「無茶なお願いを、たくさんするかもしれません」
「やって見せる。フィナリアのためだ」
「死ぬような目に合うかもしれませんよ?」
「今は、死ぬことより、怖いことがある」
たったそれだけのやり取り。
しかし、気が付けば私の心を凍らせる楔は、引き抜かれていた。
私が剣を引き抜いて迷えば、私に温もりを与えてくれたクウヤさんが死ぬかもしれないのだ。
それだけは、絶対に許してはいけない。
ファーレンベルクを扱うクウヤさんは、最早リスタコメントスの……人間界の希望なのだ。
たとえ、この身に代えても守らなければならない存在なのだ。
そして、何より……。
その先を考え、私はそれを頭から追い出した。
今やるべきことは敗戦の立て直しをすること。
敗戦の責は、この身で払わなければならない。
そう考え、私はクウヤさんと共に陣営へと戻っていった。
そこで、驚く報告を耳にすることになるとは知らずに。
「…それは本当ですか?」
斥候の兵士が持ってきた情報に、フィナリアが懐疑的な表情を浮かべる。
「はい。シルディエ軍は、ノルガ平原を真っ直ぐに南下し、大都市アモルネイスに向かっております」
「あそこは軍事拠点でもなければ、戦略的な要地というわけでもないはずです。そこをシルディエ様が狙うはずは…」
フィナリアの一言が気になり、俺は疑問を口にする。
「その、アモルネイスって町はどんな街なんだ?」
「一言で言えば商業都市ですね。アモルネイスは、王都と共にリスタコメントスの物流をつかさどる都市なのです」
そう言ったフィナリアの表情には、なぜそのようなところをシルディアが狙うのかが分からないという事に満ちていた。
「それって、つまり略奪をしようと思えば格好の的ってことだよな?」
「ええ。そうですが…シルディア様がそのようなことをするでしょうか?」
顎に手を当て、心底分からないとフィナリアが疑問を抱く。
しかし、俺の方は一つだけ確信に近いものがあった。
「今、軍の主導権をエベルスが握っているとしたら説明はつかないか?」
「…私もそれは考えましたが、エベルス将軍が指揮を執るようなことがあるでしょうか?」
俺の提言に、フィナリアはそんなふうに返答する。
「フィナリアはエベルスにあったことはある?」
「いえ、直接お会いしたことは…」
そう答えるフィナリアに、俺は俺が見たエベルスという人物の印象を伝える。
「俺が見たかが入りだと、エベルスは醜い欲望の塊だ。ちょうどシルディエ隊長と対極にいる奴だといってもいい。そんなエベルスが、シルディエが指揮を執るような状況に、いつまでも甘んじているとは俺には考えにくい」
「…では、シルディエ様はどうなっていると思われますか?」
「そこまでは解らない」
俺の言葉に、フィナリアは再び考え込む。
「緊急報告!」
そんな俺たちの元に、また一人、今度は伝令兵がやってきた。
そしてビシッと敬礼した伝令兵は驚くべき情報を口にした。
「国境警備軍の内通者より密告! シルディエ殿が国境を越え、トルデリシア帝国へ踏み入ったとの報告が挙がりました!」
「ほんとか!?」
その報告に、俺は驚きを隠せなかった。
「その密告者が偽の情報をもたらしたという可能性は?」
フィナリアの問いの伝令兵は敬礼を崩さずに答える。
「この情報は疑われるだろうから、そのまま伝えて判断を仰げとのことでした!」
「…そこだけ聞くと嘘には聞こえないな」
俺がそうぼやくと、フィナリアはその身をひるがえす。
「全軍に通達。急ぎアモルネイスへ向かいます」
「行くのか?」
俺の問いに、フィナリアは頷く。
「シルディエ様がいようといまいと、私達のすべきことは変わりません」
「勝算は?」
「相手が鎖騎馬を仕掛けてくれば、私たちの勝ちです」
静かにそう宣言するフィナリアに、俺は無類の頼もしさを覚えた。
いつも通りの彼女に戻った。
ただそれだけなのに、敗戦の直後であるのに、こうも頼もしく思えるものなのかと、俺は胸を高鳴らせた。
そんなフィナリアは、直後シルディエの情報を持ってきた伝令兵の方に向き直る。
「あなたに一つ、大至急行っていただきたい仕事があります。お願いできますか?」
「は! 何なりと!」
敬礼をしながらそう言った伝令兵に、フィナリアは頷き指示を出す。
「いまから私が一筆認めますので、大至急その文章をカーナイル様の元へと届けてください」
「は! 分かりました!」
「何をするつもりなんだフィナリア?」
俺の問いに、フィナリアは声を潜めて耳打ちした。
「万が一の保険です」
そう言って、フィナリアは踵を返して筆を執った。
その姿は、いつも通り生気に満ちている綺麗なフィナリアだった。




