解放
「ひ、卑怯な!」
フィナリアの隣でサルラがそう叫びながら弓に矢をつがえた。
「いいのかな? 私が死ねば当然あの場に居る獣人たちも皆殺しになるが?」
そんなサルラに向かって、エルリオットは笑みを崩さずにそんなことを告げる。
その一言に動揺し、サルラは矢を落としてしまった。
その様子を見て、エルリオットは声をあげて笑い出した。
「はは、ははははは! いいぞ反乱軍! そうだ。お前たちはそういう人種だ。人のためにその全てを投げ出す存在だ。君たちの園崇高な理念は全くもって理解できないが、そういう連中が絶望に落ちていく以上の見世物がどこにある!」
腹を抱えながらエルリオットが笑い声を上げる。
その近くで、獣人族の子供たちを人質にとったエルリオット軍の兵士たちやエルリオットの脇を固める側近たちも笑い声を上げた。
その様子に、カーナイル軍の誰もが絶望に表情を曇らせる。
見れば逃げ散ったはずの兵たちが人質を取っているエルリオット軍の近くに集結しだしていた。
終結した兵士は、総勢で4万近く。
半数は人質を取っているため身動きが取れないだろうが、再び戦況は圧倒的に不利になった。
こちらは疲弊しきった1万以下の兵士。
向こうはほぼ無傷の2万を含めた4万に加え、獣人族の子供たちを人質に取っている。
「くくく。いいぞ。その表情が更なる絶望に染まるさまを見せてくれ。どうすればその心をもっと抉ることが出来る? またこの獣人たちに君たちを襲わせようか? それとも人質を盾に君たちを無抵抗になぶればいいのかな?」
エルリオットの質問に、配下の兵士たちが笑い声を上げる。
その嘲笑だけで、カーナイル軍の指揮は見る見るうちに下がっていった。
元々全員が疲労困憊の中、その気迫が最後の命綱だったのに、その綱が切れそうになった兵士たちは、次々とその膝を折っていった。
必死に得物を杖に立ち上がろうとしているが、その体は全くいうことを聞いていないようだった。
それを目にエルリオットはさらに口元を歪め、配下たちはその姿をあざ笑い続けた。
『黙って』
その時、フィナリアの口から自分でも信じられないほどに冷たい声が出た。
『風響』によって響き渡ったその声に場の嘲笑が止まる。
「……」
ただならぬその雰囲気に、エルリオットはフィナリアを睥睨する。
そんなエルリオットを見ながら、フィナリアは杖代わりにしていた剣から手を離した。
「その子たちを解放してください。この戦いは、私たちの敗北です」
そして、フィナリアはそんなことを口にした。
「は、はははははは! ここまで来てそれか? 所詮お前たちはその程度の存在ということだ。圧倒的な権力の前に叩き潰されるだけの屑だということだな。ははははは!」
そのフィナリアの姿に、再び場を嘲笑が支配した。
フィナリアの宣言に、兵士たちはその場に崩れ落ちる。
「フィナリア…様」
隣で副官が唇を噛みながら声をかけてきた。
そんな副官を見ながら、フィナリアはフッとほほ笑んだ。
「大丈夫です。私がいなくても、まだクウヤさんがいます」
「……」
自分の方を見ながら滂沱の涙を流すサルラの頬にそっと手を当て、フィナリアはエルリオットと向き直る。
「はははは。よかろう。だがまずはやってもらいたいことがある」
「なんでしょうか?」
「まずは跪け。そして、敗北を認め、許しを請うことだ」
エルリオットの言葉に場が静まり返り、その場にいる全員の視線がフィナリアに集る。
そんな中、フィナリアはその場に跪き、敗北を認める言葉を口にした。
「我々の敗北です。どうかお許しください」
その光景に、静寂を打ち破ってこれまで以上の下衆びた笑い声が響き渡った。
エルリオットも大笑いし、フィナリアを再び見下しながら手を挙げ、配下たちの笑い声を制止する。
「ではその剣で自害しろ。そうすれば人質は解放してやる」
「っ! フィナリア様、いけません!」
サルラが止めようとこちらに手を伸ばしたのを見て、フィナリアは右手に魔法陣を浮かび上がらせる。
「っ、フィナリア様!」
再びその身を隷属魔法の激痛に苛まれながら、サルラはその場に倒れる。
(ごめんなさいサルラ。どうか生き延びて)
心の中でそう謝り、フィナリアはふらつく体に必死に力を込めながら突き刺さった剣を引き抜く。
まるで自分の体ではないかのように重いその身は全くいうことを聞いてくれなかったが、それでもフィナリアはゆっくりと剣を持ち上げた。
その姿を、エルリオットはただ笑いながら眺めていた。
これも見せものだというのなら、時間をかけたからと言って人質を殺すようなことはしないだろう。
フィナリアはそう思いながら、剣を持ち上げ自分の首に当てた。
「ごめんなさいクウヤさん。約束、守れませんでした」
そうつぶやき、フィナリアは自分の首元に当てた剣を引こうとした。
その目に信じられない光景が飛び込んできた。
「あ? が?」
少し離れたところから自分のことを見下ろしていたエルリオットの胸を、背後から何かが貫いていた。
いや、なにかではない。
それは氷の塊だった。
氷柱のように鋭い氷の刃がその胸を貫いていたのだ。
「な、何?」
口から血を流しながら、エルリオットは背後を振り向いた。
そこには、杖を持った隻腕の男が立っていた。
「…え?」
その男の姿に、フィナリアは驚愕に目を染めた。
「久しぶりですね。フィナリア様」
「き、貴様! どこから現れた!」
突如現れたその隻腕の人物に対し、エルリオットの側近たちが剣を振るった。
フィナリアから見てもかなりの手練れたちと思える側近たちの一斉攻撃が隻腕の男に迫る。
が、その刃は一つとして届かなかった。
隻腕の男が、手にしていた杖で近衛兵たちを瞬時に叩き伏せたからである。
「せ、隻腕の杖術士! き、貴様、まさか!」
エルリオットがそう言うと、隻腕の男は手にした杖をクルリと回した。
その直後、八方から氷の刃がエルリオットを貫いた。
「な、なぜ貴様がここにいる! ジェクト!」
「そこにいるのは私の教え子です。手を貸すのに、それ以上の理由が必要ですか?」
「ば、馬鹿な。ノーストンの将軍である貴様が、あの娘の師匠だと?」
「おしゃべりはそこまでです。人質は解放していただきます」
ジェクトと呼ばれた男は、そう言うと杖を地面に叩き付ける。
直後、エルリオットの全身を貫いていた氷の刃が青く輝きだす。
「な、ぐああああああ!!!!」
『封隷』
ジェクトが魔法を紡ぐと、それまで苦しそうにしていた獣人族の子供たちが突然自分の身の変化に気が付いた。
「獣人族の少年少女たちよ! その身を縛る束縛は解かれた! 今こそ戦いのときだ!」
ジェクトと呼ばれた隻腕の杖術士がそう宣言すると、獣人族の子供たちは叫び声を上げながら近くにいた兵士たちに襲い掛かった。
獣人たちは子供でありながら人族の大人の兵士並みの力がある。
それでありながら小柄で素早く身軽なので、兵士たちは攻撃が当たらぬばかりか同士討ちすらする始末であった。
「ば、馬鹿な、隷属魔法を封じただと?」
困惑するエルリオットに、ジェクトはフッと笑みを浮かべる。
「いかがですか? 私が、いえ、私たちが長年かけて作り上げた隷属魔法専用の封印魔法は」
「な、なんだと、そんなことが……」
絶句するエルリオットは、磔のまま唸りながら、しかし突然何かに気が付いたように目を見開いた。
「まて、フィナリアという名、あの容姿、そしてノーストンの将軍である貴様の弟子…まさか、あの女は」
「さすがに気が付きますか」
なんでもないことのように、隻腕の魔導師ジェクトはにやりと笑いながらそんなことを言った。
「馬鹿な! あの女は死んだはずだ!」
「それは表向きの話ですね。とりあえず、今は黙していてください。あなたには聞きたいこともありますのでね」
そう言ってジェクトは手にしていた杖でエルリオットを殴り気絶させた。
「……ジェクト、将軍?」
「ええ。遅れて申し訳ありませんフィナリア様」
そんな返答に、フィナリアは目を細めた。
「……間に合った、のですか? 私は、役割を、果たせたのですか?」
「はい。十分すぎるほどに」
隻腕の魔導師は、そう言ってフィナリアの元へと歩み寄り、その肩に手を置いた。
「まずはお休みください」
なおも意識を振り絞ろうとするフィナリアを尻目に、ジェクトは突然上空を見上げた。
「どうやらお仲間もいらっしゃったようですしね」
「え? あ…」
ジェクトが見上げた方角には、見慣れた巨大な神鳥と、その乗り手が猛スピードでこちらに向かってきていた。
「クウヤ、さん」
「フィナリア!」
猛スピードで近づいてきたファーレンベルクは、大きく羽ばたいて急停止し、その背からクウヤが飛び降りてきた。
「フィナリア! 大丈夫か!?」
そう言ってクウヤがその手に魔力を集めてフィナリアに魔法をかける。
「ッ! なんだよこれ! お前、どれだけ無茶してんだ!」
「す、すみません」
動揺しているクウヤを見て、フィナリアは思わず謝罪していた。
「もういいから、とにかく休め。後はどうにかするからよ」
「…」
その言葉に、フィナリアは何も言わずにその瞼を閉じた。
クウヤの手から感じる温かい魔力に癒され、その言葉に荒んでいた心が現れ、フィナリアの全ての緊張が解けた。
残っていたのは、あらがいようのない疲労と、クウヤの腕から感じていたぬくもりだった。
「おい、フィナリア!」
「お静かに」
白魔法をかけながら取り乱すクウヤに、隻腕の魔導師が静かにするよう言ってフィナリアの寝顔を指さす。
静かな寝息を立てながら安堵したような表情を浮かべていたフィナリアを見て、クウヤも落ち着きを取り戻した。
(あの責任感の強いフィナリア様がここまで無防備になるとは。それだけ信用できるということですか。このクウヤ殿という炎鳥の宿主は)
そんなことを考え、ジェクトはクウヤの方に声をかける。
「クウヤ殿ですね。敵陣をかき乱したいので、少々ご助力願えますか?」
「え、ああ、はい。どうすれば?」
「敵陣の中で敵が固まっているところを攻撃していただきたい」
「分かりました。ファーレンベルク!」
「クルルゥ!」
クウヤの言葉に、ファーレンベルクと呼ばれた炎鳥が舞い上がる。
「では、私も」
ファーレンベルクに向かって魔法を放とうとしている一団に向かって、ジェクトは魔法を紡ぎあげる。
『氷龍弾』
直後、その場に氷の龍が生み出される。
その光景にエルリオット軍の魔導師たちが大いに動揺して魔法の構築に失敗してしまった。
突如現れた魔導師に主君が串刺しにされ、さらに上空から炎を纏った巨鳥が舞い、氷属性魔法の最高峰である氷龍が現れたのだから無理もない。
『喰らい尽くせ!』
ジェクトがそう宣言すると、水龍が敵陣へ向かって飛び出した。
その動きはフィナリアの風龍のように直線的ではなく、蛇のようにうねりながら敵兵士を飲み込んで行っていた。
そのせいでエルリオット軍はその一撃で半壊する。
上空からはファーレンベルクが炎をまき散らし、孤立した兵士たちは獣人の子供たちの集中攻撃を受けていた。
「ふ、こうも見事にやられては、こちらの完敗だな」
氷に全身を貫かれたエルリオットが、その様子を見てそんなことを口にした。
「意識があったのですか」
「…聞きたいことがあると言っていたな。なんだ?」
ジェクトの嫌味を無視し、エルリオットはジェクトに対してそんなことを質問した。
そんなエルリオットに対し、ジェクトは眉を顰めながら問いを返す。
「…どういう風の吹き回しでしょうか?」
「この戦いはこちらの完敗だ。生き恥をさらすつもりはない。さっさと聞きたいことを聞いて殺せ」
そのエルリオットの言葉に、ジェクトは魔法による攻撃の手を緩めないままに質問した。
「あなたほどの御仁が、なぜこのリスタコメントスで油を売っているのですか?」
ジェクトのその質問に、エルリオットは質問した本人を見る。
その目には純粋な疑問が浮かんでいた。
「あなたの行った政策は見事なものです。そしてあなたの統治能力もまぎれもなく一級品だった。反乱の一つも起こらせずに、見事に領民を飼殺しにしていました。そしてこの場における潔さ。どれをとっても腐敗した貴族の方とはわけが違う。そんなあなたが、なぜこんなところでそんな腐敗した領主の真似事をしているのですか?」
「……」
ジェクトの質問に、エルリオットは一度空を見上げた。
「青いな。青く広い空だ。思えば、私はそれを望んでこの地へ来たのかもしれないな」
「……」
独白のようなその一言に、ジェクトは黙して応じた。
そんなジェクトに向き直り、エルリオットは答えた。
「これから帝国と戦おうとしているお前たちに一つだけ忠告しておこう。帝国には、底知れぬ闇が存在している。私は、その闇に飲み込まれるのが嫌で逃げ出した臆病者に過ぎない」
「…あなたほどの御仁が逃げ出すほどの闇、ですか」
「聞きたいことはそれだけか?」
エルリオットの問いに、ジェクトはしばし黙してのち頷いた。
「ではさっさと引導を渡してくれ」
「分かりました」
そう言うと、ジェクトはエルリオットの上に氷塊を生み出した。
「…厳しい戦いになるぞ」
「承知の上です」
エルリオットの忠告にそう答え、ジェクトは氷塊を叩き付けた。
こうしてカーナイル軍は帝国軍を打ち破り、リスタコメントスを掌握し、人間界全土にその名を知らしめることとなる。




