白銀の暴風
クウヤとトリストスが帝国へと連れて行かれるまで、フィナリアはトリストスから剣技を、クウヤから魔法を学んでいた。
トリストスはフィナリアを完全に置き去りにするような剣技の持ち主であり、クウヤは魔法を覚えて間もないために魔力量こそフィナリアには遠く及ばないが、魔法に関する知識と発想には非凡なものがあった。
クウヤの魔法の理論は独特で、クウヤのとの実験に付き合っているうちにフィナリアは『浮遊』や『風響』と言ったこれまで聞いたこともない魔法を体得していった。
クウヤの魔法の発想は底が見えず、フィナリアはクウヤの理論を乾いた土が水を吸い取るように吸収していった。
だが、当然学んだすべてを試してみたわけではない。
高威力の魔法は魔力の消耗が激しく、周囲にも大きな被害を及ぼすものがあるため、気安く試すわけにはいかなかったからである。
そのため、彼女には実際には使ったことの無い大魔法というものがいくつかあったのだ。
そして今、フィナリアは長く続いた過酷な戦闘と、目の前で繰り広げられた凄惨な光景と、その光景を目にした強烈な激情のうねりを飲み込み、後先を考えることを放棄して真正面からエルリオット軍めがけて魔力を存分に開放する。
その身に滾る魔力をはゆっくりと紡ぎあげ、フィナリアは風魔法の最高峰である風龍を紡ぎあげた。
かつてテオローグとイファールが用いてのけた属性魔法の極致。
それをフィナリアは紡ぎあげたのだ。
突如現れた薄緑色の龍が現れた瞬間、その龍を中心に暴風が巻き起こった。
その防風は、上空から飛来する無数の弓矢を蹴散し、魔法を霧散させた。
その光景に、エルリオット軍の中に動揺が走った。
ほとんどの者は突如現れたその龍がなんなのかが理解できず、魔導師たちに至ってはフィナリアが属性魔法の極致である風龍を扱ったという事実に腰を抜かしている。
『行きなさい!』
フィナリアの指示に、風龍は真っ直ぐに敵陣へと飛翔する。
「げ、迎撃しろ!」
エルリオット軍の指揮官がそう叫ぶと同時に、無数の弓矢が風龍に向かって飛来した。
しかしそんなものは風龍を前に何の役にも立ちはしない。
魔導師たちはその一喝によって正気を取り戻したようだが、未だに動揺から魔法が発動できずにいた。
風龍の咢が、エルリオット軍を噛み千切る。
魔力の塊である風龍にぶつかった兵士たちはなすすべもなく吹き飛ばされた。
しかし敵の数は万を軽く上回る大軍。
いかに属性魔法の極致である風龍弾と言えども、その攻撃範囲は線。
当然その全てを蹴散らすことなどできるはずもない。
敵陣には一直線に兵士たちが存在しない空間が出来上がっていたが、エルリオット軍の兵士たちは見る見るうちにその隙間を埋めつつある。
マトワール軍とは違って練度の高い動きをする兵士たちを目に、しかしフィナリアは一切の敬意を持てずにいた。
「それだけの力を持っていて、なぜそれを人を苦しめることにしか使えないのですか!」
気が付けば、フィナリアはそう叫んでいた。
叫ばずにはいられなかった。
そんなフィナリアの叫びの一切を無視し、エルリオット軍がフィナリア達むかって進軍してきた。
それに対し、フィナリアは使い慣れたある魔法を発動させた。
『風響!』
フィナリアが魔法を紡ぐと、エルリオット軍に向かって大気が破裂したかのような炸裂音が響き渡った。
「な、なんだ!?」
「み、耳があ!!」
その強烈な破裂音をうけたエルリオット軍は、当然のごとく進軍を止めさせられる。
フィナリアは、普段『風響』という魔法を伝令目的に使っていたが、この魔法は音波という振動を増幅させるための魔法である。
ゆえに一切の加減なく放てば相手の鼓膜を破る程度はたやすいのだ。
この魔法は大きな音を出そうとすればするほどに魔力の消費量が加速度的に増幅していき、指向性を持たせればコントロールの難易度が跳ね上がってしまう。
だからこそフィナリアは情報伝達として『風響』を利用していた。
しかし今、フィナリアはあふれ出す激情に身を任せて力任せに『風響』を敵陣めがけて叩き付けた。
普段は情報伝達にしか利用できない『風響』でさえも、全力で使えば敵軍を止める音響兵器と化すのである。
『風鎚!』
足の止まった敵軍に、フィナリアはすかさず追撃の魔法を発動する。
圧縮された風が、一つの塊となってエルリオット軍を吹き飛ばす。
「突撃!」
「ウオオオオオオォォォォォォォォ!!!!!」
崩れた陣形に向かってフィナリアを先頭に義勇軍が突撃する。
のど元に食いつかれたエルリオット軍は、しかし逆に数の利を生かした包囲作戦を決行する。
カーナイル軍は連日続いた激戦のせいで疲労困憊している。
士気そのものが望むべくもないほどに高いのでどうにか対応できているが、完全に囲まれてしまえばいかにそれが高くともジリ貧となってしまう。
『断空閃!』
包囲しつつあるカーナイル軍を前に、フィナリアは手にしていた剣に風を纏わせる。
かつて竜人族であるベヘルの竜燐をも切り裂いた一撃が、エルリオット軍の兵士へと襲い掛かる。
その一閃が、エルリオット軍の兵士を得物、鎧もろとも断ち切った。
フィナリアの進撃は止まらず、結果としてカーナイル軍の勢いも止まらない。
エルリオット軍の包囲網は後手に回り、思うように囲いきれないエルリオット軍は標的をフィナリアに絞った。
無数の兵士たちがフィナリアへ向かってなだれ込む。
『浮遊』
それに対し、フィナリアは一つの魔法を発動させる。
直後、フィナリアの姿が兵士たちの眼前から掻き消える。
「な、なに!?」
「どこへ!?」
疑問を口にする兵士たちの上空から、凛とした声が響き魔法を紡ぐ。
『風鎚』
上空から、兵士たちへ風の塊が激突する。
先刻陣形の一部を吹き飛ばした風の大鎚が、今度は垂直に振り下ろされる。
押しつぶされた兵士は鎧もろとも押しつぶされ、その地面が大きく抉れる。
フィナリアが発動した『浮遊』は、風を纏うことで空を舞うという魔法だ。
クウヤが考案したこの魔法を、しかしフィナリアはその消耗する魔力量の膨大さから魔力の消耗を抑えた状態で体を軽くするに留めていた。
元々ベヘル戦の踏込で用いたように、フィナリアは風を用いた加速を得意としていたため、魔力効率を無視すれば浮遊も使用可能であったのだ。
空を舞うフィナリアは、再びその剣に薄緑色の魔力を纏わせる。
『鎌鼬』
かつてバストラング相手に用いた斬撃を飛ばす魔法が発動する。
フィナリアの剣が振るわれるたびに、彼女の眼下の敵兵士たちが切られていく。
「おのれ!」
上空からエルリオット軍を蹂躙するフィナリアめがけて、エルリオット軍の兵士の一人が弓を構える。
それを見たフィナリアは纏った風で対応しようとした。
その時、弓を構えた兵士を何者かが射抜いた。
誰が放ったのかと確認してみると、そこには先ほど自分が隷属魔法を用いた副官のサルラが弓を構えていた。
「フィナリア様に手を出させるな!」
『おおおおおおぉぉぉぉぉぉ!!!!!!』
その光景に、フィナリアは思わず胸が熱くなった。
隷属魔法とは、使い方を誤れば先ほどの獣人たちのように地獄をこの世に作り出してしまう魔法。
だからこそフィナリアはこれを使った自分はもう獣人たちを率いる資格などないと思っていたからだ。
そんな自分を、未だに信じてついて来てくれるサルラの存在に感謝の念を抱きながら、フィナリアは魔力を滾らせる。
『…風龍弾』
浮遊したまま、フィナリアは再び魔法を紡ぐ。
彼女の背後に、再びエルリオット軍を縦断した薄緑色の龍が現れる。
「ひ!」
「また、あれか!?」
『打ち砕け!』
フィナリアがそう言うと、風龍が再び戦場に舞う。
しかもフィナリアは上空から睥睨することでエルリオット軍の指揮官の位置を特定していた。
そのため、風龍がまっすぐにエルリオット軍の指揮官を飲み込んだ。
指揮官を失い、エルリオット軍は狂乱に陥った。
統率がとれなくなったエルリオット軍は、カーナイル軍にとって最早敵ではなくなっていた。
「蹂躙せよ!」
フィナリアの眼下で副官のサルラがそう言い放つ。
その指示を受け、カーナイル軍が追撃をかける。
その副官の元へ、フィナリアはゆっくりと舞い降りる。
「サルラ…」
「フィナリア様! お怪我は!?」
自分のことを見るや否や駆け寄り心配をしてくる副官に、フィナリアは内心で深く感謝の念を抱く。
あんなことをしたというのに、まだこのサルラは自分の副官でいてくれるということに対してである。
「フィナリア様! 残敵の掃討は我々が行います! ですので、フィナリア様はいったん戻って休息を!」
「…そうさせていただきましょう。どうやら、今の一撃で魔力が枯渇してしまったようです」
フィナリアは自分の状態を観察しながらそう結論付けた。
魔力欠乏症。
かつてファーレンベルクを治療したクウヤも陥った症状であり、魔導師にとっては致命的ともいえるほどに疲弊した状態と言える。
さすがに激情に身を任せた先ほどの魔法の使用はあまりにも無理があったのだろう。
「フィナリア様。今すぐにお戻りを……」
「その前に、サルラ、あなたに伝えておきたいことが」
サルラにつかまりながら、フィナリアは一つの懸念を口にした。
「なんでしょうか?」
「先ほど上空から敵軍を見たのですが、先ほど私たちが倒したエルリオット軍の数は2万…どう見積もっても3万もいなかったのです」
「……それは」
フィナリアの懸念の意味を理解し、サルラが推測を口にしようとしたその時。
「そこまでだ。反乱者諸君」
王城にいるはずの国王が、幾人かの側近を連れて現れた。
「エルリオット卿。なぜあなたがここに」
突然の来訪者に、フィナリアは困惑した。
それはカーナイル軍の兵士たちも同様で、気が付けば追撃の手が止まっていた。
しかしフィナリアもそのことをとがめることはできなかった。
フィナリア達が戦ったこの戦場はリスタコメントスの王都よりそれなりに離れた原野である。
周囲には林や森もあるが、逆を言えばそれだけだ。
断じて一国の王がいるような場所ではない。
否、それを言うならば目の前の国王はどこから現れたのか。
少なくとも先ほど上空から見渡した限りでは…。
(……まさか、森の中から?)
状況を鑑みて、フィナリアは目の前の国王がどこから現れたのかを察する。
しかし、エルリオットほどの立場の人物が何のためにそんなことをしてまでこの場に現れたのかがさっぱりわからなかった。
「白銀の騎士。噂にたがわぬ美貌の持ち主……まてよ? その顔立ち、どこかで」
突如フィナリアを眺めながらそんなことを口にするエルリオットに、フィナリアは眉を寄せる。
その表情からは彼女にしては極めて珍しく嫌悪感がにじんでいた。
「エルリオット卿。なぜあなたのような御仁がこのような辺鄙な場所へいらっしゃたのですか?」
フィナリアの問いに、エルリオットは肩を竦める。
「なに、私の描いた物語がどのような結末を迎えるのかをこの目で見届けたくてね」
「…物語、ですって?」
フィナリアの隣で、サルラがそんな声をあげる。
フィナリアはエルリオットを見つめながら視線で先を促す。
「ああ。知っているとは思うが、この地には血が流れたことが無い。なぜかと言えば、それは私が立てた政策が完璧だったからだ。しかし完璧すぎる政策だったため、誰も私に刃を向けることをしなかった」
「…彼らを奴隷として使役し、領民に最低限の生活しかできないような重税をかけ続け、領民同士に殺し合いをさせると脅すことがあなたのいう政策なのですか?」
フィナリアの質問に、エルリオットは首肯する。
「その通り。しかしそれにもいささか飽きてね。どこかで反乱でも起こって、見せしめに血を流したかったのだが、王が自分で定めた法律を破っては示しがつかないからねぇ。無意味な虐殺をしても何の面白味もないしな」
フィナリア達に向かってそんなことを告げるエルリオットの表情は愉悦に歪んでいた。
「そこに現れたのが君たちということさ。獣人族の解放を謳う反逆者。その反逆者たちにけしかけられる獣人族。ただただ耐えるばかりの君たちの姿、存分に堪能させてもらったよ」
気持ちの悪い笑みを浮かべ、エルリオットはそう言った。
堪能した。
その一言に、フィナリアは叫びだしそうになる衝動を抑え込んで唇をかみしめた。
「世迷言を! このような場所へやって来て、生きて帰れると思うな!」
フィナリアの隣でサルラがその弓を構え、即座に矢を放った。
だが、サルラの放った矢を側近の一人が難なく叩き落とした。
サルラの弓の腕は獣人族の中でも群を抜くというのにである。
相当武芸に長けた側近が数名、エルリオットの周りを囲っているのだ。
そのことに歯噛みするフィナリア達を眺めながら、エルリオットはにやりと笑うとその指をパチンと鳴らした。
するとエルリオットの近くの森から兵士たちがわらわらと現れる。
「・・・・・!!!!」
その光景にフィナリアは絶句した。
兵士たちが出てきたということではない。
数が少ないと思った時から伏兵の覚悟はしていた。
驚愕の理由は別だ。兵士一人一人が獣人族の奴隷たちに刃を突きつけているからだ。
それもそのすべてが幼い子供たちばかりである。
その誰もが苦しそうに息を荒げていた。
エルリオットの右手に隷属魔法の魔法陣が描かれており、隷属魔法で抵抗できないようにされていることが見て取れた。
「君たちは予想以上に粘って実力を示してくれたのでね。念のために我が軍の半数を用いて人質を追加しておいたのだよ」
ニヤニヤとこちらを眺めるエルリオットに、フィナリア達はただただ唖然とするしかなかった。




