奴隷たちの悲願
「右翼が崩れかかっています! 後詰は入れ替わりを!」
フィナリアの指示に答え、獣人族の攻撃を受けていた前衛が後ろ備えと入れ替わる。
こちらの兵に犠牲を出さぬように、そして僅かな隙も生まぬように、フィナリアは徹底して防御態勢を維持さるために神経を集中させていた。
そんな戦がすでに丸二日。
その様な長時間にわたって、フィナリア達は戦い続けていた。
兵士に犠牲が出れば、未だにこちらの様子をうかがっているエルリオット軍が動き出すのは目に見えている。
否、すでにいつ動き出しても不思議ではない。
その状況に、フィナリアは神経を研ぎ澄ませて『風響』を用いて指示を下し、僅かな隙も作らぬように指示を出し続けていた。
すでに気力、体力、魔力の全てにおいてかなり消耗していた。
エルリオット軍が使役している奴隷たちとの戦いは、すでに40時間以上にわたって繰り広げられている。
兵士たちも休み休み戦っているとはいえ、さすがに疲労の色が色濃く出ている。
そして、フィナリア自身はこれまで一切休むことなく指揮を執り続けてきたのだ。
はたから見れば、むしろよく指揮を続けていられると感心するほどだ。
だが、フィナリアは指揮を降りることをしなかった。
否、出来なかったのである。
なぜなら、こちらの前衛部隊は交代しながら戦い続けているのだが、敵の獣人たちは一切休まず戦わされ続けているからだ。
(隷属魔法によってむりやりたたかわされているのでしょうが、だからと言ってあまりにも)
その獣人たちも、丸二日にわたる戦いで完全に憔悴しており、その動きは目に見えて悪い。
しかし取り押さえるには人数が多すぎることに加え、そんなことをして陣形が乱れればすぐにでもエルリオット軍が攻め込んでくる。
だからこそフィナリアはただ防ぐことしかできない状況で、突破を許さないようにしていたのだ。
「くっ…」
突然、フィナリアは軽く眩暈を覚えた。
原因は当然のように疲労。長い間張ってきた緊張の糸が、今にも切れかかっているのである。
「ふぃ、フィナリア様。少しお休みを」
「出来ません。私が引けば、この戦いは終わってしまいます」
隣で獣人の副官が心配そうに声をかけるが、フィナリアはそれを制した。
副官のサルラにしてもフィナリアのような指揮能力と、『風響』という優れた情報伝達手段を持っているわけではないので強制的に休ませることも出来ない状況に歯噛みをしていた。
「まだ、まだです」
そう言ってフィナリアが気力を振り絞り姿勢を正す。
(あと少し、あと少しだけ辛抱すれば)
そう考え、フィナリアが自分を奮い立たせようとした時、エルリオット軍の方から角笛の音が響き渡った。
その直後、敵の獣人たちの動きが変化した。
突如獣人たちが中央に集まりだしたのだ。
「まさか、中央突破を!」
これまで獣人族はばらばらに波状攻撃を仕掛けてくるばかりで、統率も何もあったものではなかった。
だからこそフィナリアの指揮により作られる堅固な守りを突破することが出来ずにいたのだ。
しかし、前衛部隊が疲弊している今、あの大軍を真正面から受ければ、まず間違いなく崩される。
おそらくエルリオット軍は、あらかじめ獣人たちに角笛が鳴ったら中央を突破をするように指示をしていたのだ。
契約者の命令に逆らった場合、隷属魔法が奴隷の身を苛む。
ゆえに直接細かい指示を下さなくとも、こういった形で陣形を組ませることは可能なのだ。
「私が出ます! 義勇軍を前に!」
「いけません! その体で戦われては!」
フィナリアに向かって副官のサルラが止めようとした。
その制止を、フィナリアは振りほどく。
「私が出なければあの突撃は防げません! そこをどきなさい!」
「どけません! あなたを死なせることはできません!」
「どきなさい! 軍令です!」
「だとしても従えません! あなたは我々獣人族の希望なのです! あなたが死地へ赴くことを容認することを、この場に居る誰も望んでおりません! 今は退いて立て直すべきです!」
サルラの進言に、フィナリアは強く睨み返す。
「この場で退けば、再びあなたたちの同胞の血が流れます。今回で消耗した獣人たちの代わりに、エルリオット卿は新たな奴隷たちを使役してこちらに攻め込んでくることでしょう。だからこの場で引くことはできません」
「て、敵にはまだ正規軍も残っています!」
「だからこそ、陣形を崩すわけにはいきません」
「なら、私が行きます! 私にご命令を!」
サルラの懇願に、フィナリアは首を横に振った。
「いけません。あなたでは彼らを止めることはできない」
「フィナリア様!」
なおも食い下がるサルラを尻目に、フィナリアは自軍の前衛を見た。
前衛部隊は崩れかけており、今にも突破されそうになっていた。
それを見て、フィナリアは右手に魔力を込めた。
「命令です。下がりなさい。サルラ」
「な、フィナリ、ア様…」
フィナリアがそう言うと、サルラは突然胸を押さえて苦しみだした。
「……ごめんなさい。こんなものは使いたくなかった」
そう言ってフィナリアは自分の右手に浮かんだ魔法陣を見下ろした。
それは、先日の反乱でマトワールから奪い取った隷属魔法陣。
暫定的にマトワール領を治めるフィナリアが、その手に刻み込んだ契約者の証である。
「私のわがままで、こんな目に合わせてごめんなさい。その痛みはすぐに解けますから、少しだけ我慢してください」
そう言ってその場から飛び去ろうとしたフィナリアの足を、サルラは片手で胸を抑えたまま掴んだ。
苦しい中でも、その目にはフィナリアを思いやる念が浮かんでいた。
そんな瞳を見ながら、フィナリアは真っ直ぐに戦場を見据えた。
「ごめんなさい。必ず生きて帰りますから」
そう言って、フィナリアはサルラの手を振りほどいてその場から飛び出した。
『浮遊』によって風のように軽くなった彼女は、弾丸のような速度で真っ直ぐに獣人たちが突破しようとしている前衛へと駆けつける。
『大旋風!』
フィナリアの魔法が紡がれると同時に、獣人たちは後方へと大きく吹き飛ばされる。
突然吹き付けられた強烈な突風が、獣人たちを吹き飛ばしたのだ。
「陣形を立て直してください! 戦いはこれからです!」
フィナリアの指示を受け、その後方で兵士たちが陣形を組み直す。
そんなカーナイル軍へ、再び獣人たちが攻め込んできた。
その光景を見て、フィナリアは思わず叫びだしそうになった。
こちらへ突撃をかけてくる獣人たちの誰もが、やつれ、歩くのがやっとという状態であったためである。
元々過酷な労役を課せられていた彼らは、徴兵された直後もずさんな管理の元で寝ず飲まず食わずで無理やり戦わされ続け、とうの昔に満身創痍であったのだ。
そもそも、あれだけの数で中央突破をかければすぐにでも突破できて不思議はなかったのに、フィナリアとサルラが言い合いをしているほどの時間、彼らは攻めあぐねていた。
それはつまり、もうすでに彼らは到底た戦えるような状態ではなかったということなのだ。
(…どうして、こんなことが)
その光景に、フィナリアは唇をかみしめた。
その唇から血が流れる。
「どうしてこんな非道なことが出来るのですか!?」
誰にでもなく、フィナリアはそう叫んだ。
叫ばずにはいられなかった。
目の前で武器を手にしている獣人奴隷たちは、足を引きずり、涙や鼻水で顔を皺くちゃにしながら、それでも前に進むしかなかった。
そうしなければ、死よりも苦しい痛みに襲われるからだ。
「こ、殺して…」
フィナリアの耳に、そんな言葉が響いた。
言葉の主は、自分と歳の変わらぬ獣人の少女だった。
「お願い、殺して。私たちたち、は、もう戦いたくない。でも、じぶんでは、どうにもできない。お願い、殺して」
泣きながら、その手に剣を手にしてその少女はフィナリアに歩み寄った。
その後方から、同じように殺してくれと懇願しながらこちらに駆け寄ってくる獣人たちがいた。
誰もが動かぬ足を無理やり動かしており、そのせいで歩むように遅かった。
「そのようななこと、出来ません」
気が付けば、フィナリアの瞳からも涙がこぼれていた。
目の前に広がる地獄のような光景に、しかし目を背けられずにいた。
少女が手にした剣を振り下ろしてきた。
フィナリアは腰から剣を引き抜き、少女の剣を受け止める。
その剣は、信じられないほどに軽かった。
鍔迫り合いとも呼べないほどに軽いその剣を受け止めた時、その剣を振るった少女がフィナリアに対して言葉を投げかける。
「あなたたちは、私たちの同胞を解放しようと戦ってくれた希望。どうか、私達のことを踏み越えて。他のみんなを、解放してあげて」
「……ッ!」
その言葉に、フィナリアの中の軸がぶれた。
彼女たちを救いたいと願う心と、彼女たちを切り捨ててでも前に進むべきという矛盾と葛藤がフィナリアを硬直させた。
だが、そんなフィナリアの視界の端に、獣人と打ち合っている兵士たちの姿が映った。
彼らは、フィナリアが後方から指示を下す中でずっと獣人たちの殺してくれという懇願を拒み続けてきたのだ。
将である自分の指示だけでできるようなことではない。
彼らは、誰もが皆獣人たちを解放したいという自分の考えに賛同して集まってくれた兵士…否、同志たちなのだ。
「私達が、あなたたちを見捨てることはありません」
毅然と、フィナリアは目の前の名も知らぬ少女にそう告げた。
少女は目を丸くして驚き、その口元にわずかばかり笑みを浮かべた。
だが直後、フィナリアの目に更なる絶望が映った。
エルリオット軍から無数の魔法と矢が放たれたのだ。
その光景に、戦場にいる誰もが固まってしまった。
獣人たちは、エルリオット軍から見れば変えの効く道具。
だからこそ、フィナリアが出てきたことを見て取ったエルリオット軍は獣人もろともフィナリア達を打ち滅ぼそうと遠距離攻撃を放ってきたのだ。
その突然の攻撃に、カーナイル軍は誰も対応できなかった。
フィナリアさえも、その絶望的な光景に身動きが取れなくなってしまった。
彼女の技量なら自分一人が助かることは可能だ。
しかし、その後に味方と獣人族たちの屍が広がるという光景が目に浮かび、フィナリアの体を痺れさせた。
「危ない!」
突如、声が響き、フィナリアは鍔是りあっていた少女に押し倒された。
直後、あたりに無数の矢と、魔法の爆音が響き渡った。
そんな中、フィナリアの目に映ったのは、自分の代わりにその背にすべての魔法と矢を受ける少女の姿だった。
魔法と弓矢の雨が止んだ時、少女はフィナリアを向いて微笑んだ。
「よ、かった」
そう言って、少女は崩れ落ちる。
フィナリアは目の前で起きている光景が信じられなかった。
その頬を濡らす鮮血が、誰のものかが分からなかった。
「お、おい!」
「お前ら、なんで!」
茫然自失するフィナリアの耳に、声が聞こえてきた。
その声の主は、見間違えようもないカーナイル軍の兵士たちの声だった。
あの時、フィナリアと戦っていた少女だけではなく、兵士たちと戦っていた獣人たちも戦っていた敵を守るためにその身を盾にしたのだ。
迷いやためらいがあって出来るようなタイミングではなかった。
彼らは真摯に、自分たちの身が滅んでも獣人族の未来のための礎となるつもりだったのだ。
全員が、あの一瞬、同時に隷属魔法の戒めに抗ったのだ。
目の前の光景が、何よりも雄弁にその事実を語っていた。
「……さない」
その光景を目に、フィナリアは立ち上がった。
「…るさない」
フィナリアの心身はすでに満身創痍。
だというのに、なぜかその体はこれまでよりもはるかに軽かった。
フィナリアの眼前にて、エルリオット軍5万がこちらに向かって進軍してくる。
恐らくは完全に疲弊したこちらにとどめを刺すためだろう。
しかしフィナリアの背後で、獣人たちに庇われたカーナイル軍が一人、また一人と立ち上がった。
誰もが、言葉もいらず、思いを一つにしていた。
「許さない!」
「あの悪魔どもを滅ぼせ!」
「獣人族の、いや、友の無念を晴らしてやる!」
『オオオオオオオオオ!!!!!』
恐ろしいまでの怒号が戦場に響きわたる。
すでに万を切ったはずのカーナイル軍は、しかし大気をも焦がすような気迫を放っていた。
その怒号を背に浴びるフィナリアの体から、小気味いいほどに底力が湧いてくるのを感じた。
「全軍突撃!」
『オオオオオアアアアァァァァァァ!!!!!』
まるで一つの巨人のように、一糸乱れぬ進軍が始まった。
最早フィナリア達の心に保身というものはなかった。
二日にわたり愛すべき獣人たちを敵にし、その獣人たちに殺してほしいと懇願され、獣人たちもろとも滅ぼされそうになり、最後には守ろうとした獣人たちにその命を救われたことで、彼らは完全にタガが外れていた。
「迎え撃て!」
エルリオット軍の指揮官がそう告げ、無数の魔法と矢が再び放たれる。
それに対し、フィナリアはその身を焦がすほどの魔力と怒りを滾らせ、その手を振った。
『風龍弾』
そして、フィナリアはクウヤと共に学んだ魔法の全てを用い、風魔法の極致を発動させた。




