絶対的強者
フィナリアの目の前に、視界を埋め尽くすような大軍が待ち構えていた。
総勢10万という大軍を2万で相手をしなければならないのだから、フィナリアの軍の5倍の敵と戦わなければならないのだから当然だろう。
(ですが、クウヤさんたちは二人で5万の敵と対峙しているはず。私がくじけるわけにはいきませんね)
内心でそう決心し、フィナリアは自分の手を見る。
クウヤと生きて再開すると誓い合ったのだ。
それをたがえるつもりは毛頭ない。
しかし現状が厳しいことに変わりはない。
こちらの兵力が予定よりも倍近く多いとはいえ、こちらの劣勢は動かないのだ。
「敵の獣人部隊が動き出しました!」
前衛からの伝令を受け、フィナリアは頷く。
「全軍に告げます! こちらの目的は時間を稼ぐことただ一つだけです! 彼らは敵ではなく、私達を疲弊させるための囮に過ぎません! 陣形を乱さず、極力犠牲を避けて耐え凌いでください!」
『風響』を用いて、フィナリアは全軍にそのように指示を下す。
エルリオットの政策についてはフィナリアもある程度理解している。
今前衛としてこちらに向かってきている獣人族5万名は、普段は田畑を耕し、魔物を狩ることを生業としている奴隷たちである。
彼らを滅ぼしたところでこちらに得などありはしないし、その消耗を突かれて正規軍に襲われればひとたまりもありはしない。
正面の獣人たちを相手にしながら、フィナリア達は常にその背後に控える正規兵を警戒しなければならないのだ。
「フィナリア様。防衛すべきという意図は分かりますが、ただ時間を稼ぐだけではジリ貧なのではありませんか?」
隣に立つ女性の獣人の副官がフィナリアに対してそのようなことを進言する。
彼女の名はサルラと言って、山猫の獣人だ。
女だてらに狩人をやっており、優れた弓の腕を持っている。
姉御肌だったからか、マトワール領内の獣人たちを束ねていたので、フィナリアは彼女を自分の副官にしたのだ。
サルラは頭もよく、状況も冷静に判断できる。
この疑問も、背後に敵の主力が控えている以上、下手に攻め込んでこちらが消耗すればそれが致命的なのを理解しての質問だ。
しかし援軍もない中で三倍近い数の敵の攻撃を凌ぐという作戦はあまりに無謀であり、その策に対して疑問を持つ兵士たちも当然いる。
そんな兵士たちに対し、フィナリアは出陣前に『策があるので、時間を稼げばこちらが有利になる』とだけ宣言した。
実際にフィナリアにはマトワール軍を相手に見事な立ち回りをした実績があるため、兵士たちはその言葉を信じてまとまった。
しかし終わりの見えぬ耐久戦を行うのでとても厳しい戦いになるのが目に見えていたため、兵士たちの士気はどうしてもマトワールとの戦いのときほど上がらなかった。
「前衛! 獣人部隊と接触します!」
伝令の声を聞き、フィナリアは頷く。
5万の獣人たちが、盾を構えて固まったこちらの前衛と衝突する。
「……何とか持ち堪えられそうですね」
敵の数から考えて一気に押しつぶされる可能性も考えていたが、どうやら前衛部隊は何とか持ち堪えられているようだ。
獣人族5万がその気になれば守りを突破されることも十分に考えられたのだが、隷属魔法によって無理やり戦わされている彼らの士気はこちらの想定以上に低かったのだろう。
本来であれば弓矢を用いて敵兵を減らす必要があるのだが、フィナリアはそのことを良しとしなかった。
現在、獣人たちの義勇軍はカーナイル軍の中で最大の戦闘力を持つ精鋭部隊だ。そんな彼らの前で同胞である奴隷たちに武器を向けて士気が落ちれば最悪の事もあり得る。
そしてそれ以上に、解放しようとしていた獣人たちに明確な殺意を叩き付けることを、フィナリアはどうしても良しと出来なかったのだ。
「とにかく陣形を固めてください。交代しながら相手の攻撃が収まるまで防衛に徹するのです」
『風響』を用いて、フィナリアは怒号渦巻く戦場内にて常に兵士たちを鼓舞し続ける。
常に適切な指示を下しており、守備陣形が崩れそうになるたびに後方の部隊に支援をさせているので、当面は上手くいっている。
「問題は、いつまでもつかですね」
いくら守りに徹しているとはいえ、兵同士が衝突している以上どうしても消耗は発生する。
その消耗がある一定限度を超えた場合、敵の主力は迷わずこちらに向かってくるだろう。
均衡が決して崩れないように、フィナリアは細心の注意を払いながら部隊の指揮に当たった。
「うお、スゲ」
俺の眼下に死の嵐が巻き起こっている。
帝国軍の一角から、目見見えてわかるほどに血しぶきが舞い上がっているのだ。
死の嵐を巻き起こしているのは巨漢の獣人バストラング。
幾度かトリストスとフィナリアの立ち合いを目にして剣戟になれた俺の目には、フィナリアの剣筋位は見える程度にはなった。
だというのに、そんな俺の目にバストラングの大斧の軌道が全く見えない。
と言うより、大斧を振るっている腕も見えない。
右手でふっていたかと思えば左手に持ち変えており、その持ち変える瞬間さえ見て取れないのだ。
つまり、バストラングはあの戦斧をトリストス並みの速度で振るっているのだ。
そのせいで帝国兵はまるで木の葉のように切り裂かれ……否、はじけ飛んでいる。
「あ、アアアアアアアア!!!!」
「ギャアアアアア!!!」
バストラングが戦斧を振るうたびに眼下から悲鳴が巻き上がる。
対峙している帝国兵に最早戦意などなく、逃げ惑うものや武器を捨ててへたり込んでいる者もいる。
バストラングはそう言った連中を狙わず、自分を仕留めようとしている兵士の一団を見つけてはそちらに向かって突撃を繰り返している。
「ま、魔導師部隊、用意!」
そんなバストラングめがけて魔導師部隊が詠唱を開始する。
バストラングは常に帝国兵と肉薄しているため、恐らくは味方ごと焼くつもりなのだろう。
「は、」
放て。
指揮官らしき人物がそう口にしようとした時、標的となる巨漢の獣人の姿が掻き消えた。
否、掻き消えたように見えた。
「……後ろだよ」
そんな指揮官に、俺はぽつりとそんなことを告げる。
バストラングは、魔法が放たれる直前に魔導師部隊の後方に回り込んだのである。
上空から俯瞰していたからこそ俺もそれに気が付けたが、目の前で対峙している指揮官や魔導師部隊には何が起こったのかさっぱりわからないだろう。
ズバン!!!
再びドルガー将軍もかくやと言わんばかりのような轟音と共にバストラングが大斧を振るう。
振るわれた魔導師たちは自分が死んだことも気づかず、その近くにいた魔導師たちは後方に陣取っていた仲間の返り血を浴びてようやくバストラングの存在に気付いた。
「ああ、ああああああ!!!」
絶叫と共に魔導師たちが逃げ惑う。
前衛でさえ木っ端みじんにしてのけるバストラングである。
魔導師部隊など勝負になるはずもなかった。
「……こんな化け物だったのかよ」
眼下に広がる光景に、俺はそんなことを呟いた。
バストラングの強さは明らかにフィナリアをぶっちぎっている。
手にした大斧は、振るわれるたびに掻き消え、掻き消えたかと思えばいくつもの首がすっ飛んで戦場に血しぶきをまき散らす。
そして大斧を振るうバストラング自身も時折掻き消えるような高速移動をしている。
先ほど遠距離から仕留めようとした魔導師部隊が完全に見失うほどの速度で、である。
戦場に破壊の嵐を巻き起こすバストラングの姿は、フィナリアのような華やかさはおろか、トリストスのような鋭さゆえの機能美さえ捨て去った、ただの暴力の化身だった。
その圧倒的すぎる強さは、敵の戦意をなえさせるなどと言う生易しいものではなく、獲物を求めて闊歩する獣そのものだった。
リスタコメントスで戦った時のバストラングは完全に手を抜いていたのだ。
本気で戦うバストラングの強さは、見ているこっちが身の毛がよだつほどに恐ろしいものだった。
「……十分すぎるな。俺たちも行くぞ。ファーレンベルク」
「ピュイ!」
バストラングが大暴れしたおかげで地上は完全に大混乱。
逃げ惑う兵士たちの恐怖が伝播し、5万もの大軍の一部が大きく揺れている。
その近辺の魔導師部隊も、いつ自分たちが襲われるか気が気ではないためかファーレンベルクに対する牽制が目に見えて弱まっている。
「薙ぎ払え!」
「ピュゥゥゥアアアアア!!!」
俺の指示に、ファーレンベルクの口内から熱線が放たれ、敵陣を一掃する。
火炎放射に比べて攻撃範囲が狭いのが難点ではあるが、速度と貫通力に優れるこちらの魔法なら敵の魔法をかいくぐって敵に一撃を入れやすい。
バストラングに気を取られていた帝国軍は、上空から受けた熱線の一撃によって更なる大混乱に陥る。
地上と上空。
両方から脅威にさらされた帝国軍は、見る見るうちに瓦解していった。
「逃がすなファーレンベルク!」
「ピュアアアアア!!!」
ここは既にリスタコメントス領内である。
下手に帝国兵を逃がせば逃亡兵が集落を襲いかねない。
帝国領内へ逃げ込むなら問題はないが、あちこちに散られては敵わない。
「確実に仕留めるぞ!」
「ピュアアアアアアア!!!」
一層甲高い鳴き声を上げ、ファーレンベルクが全身の炎を燃え上がらせる。
逃げ惑う兵士相手には、下手に遠距離攻撃を仕掛けてもさらにばらけさせておしまいだ。
なら、やることは一つ。
「回り込め!」
俺の指示に従い、ファーレンベルクは逃げ惑う帝国兵がリスタコメントス領にこれ以上踏み込まないように飛び回る。
南を中心に扇状に飛び回るファーレンベルクの体当たりによって数多の帝国兵が焼き尽くされ、残った帝国兵も北側にしか退路がないことを悟ったらしい。
「て、帝国に逃げろ!」
「撤退だ! 撤退!」
飛び回るファーレンベルクの包囲網を突破できないと悟った賢しい帝国兵が真っ直ぐ北を目指して撤退していく。
あの面々を追撃する理由は無い。
「……」
ファーレンベルクに乗ったまま、大方片付いた戦場を見渡す。
すでに戦場は血と焼け焦げた匂いの立ち込める地獄と化していた。
「うップ」
こみあげる吐き気を堪える。
こんな凄惨な光景など見たこともないが、帝国に挑む以上、これからもこんな光景を山ほど目にすることになるのだろう。
そして、今俺がやらなければならないことがほかもある以上、蹲ってなどいられない。
こうしている今も、フィナリアは南西の方で絶望的な戦いを強いられているのだから。
フィナリアの助けになると誓った以上、こんなところでつまずいているわけにはいかないと自分を叱責し、俺はファーレンベルクに乗ったままバストラングを探す。
そして、戦場の中心地点にて、返り血で真っ赤に染まったバストラングの姿を見つけた。
「……バストラング」
俺が声をかけると、返り血に真っ赤に染まったバストラングがこちらを振り返った。
「悪い。疲れてるかもしれないが、手伝ってもらえるか?」
俺の問いに、バストラングはコクリと頷く。
あんな苛烈極まりない戦いを繰り広げた後だというのに、バストラングは呼吸一つ乱していなかった。
ありあわせの布で大雑把に返り血を吹いたバストラングを乗せて、俺は再びファーレンベルクに命じて上空から戦場を俯瞰する。
大半の帝国兵は北の国境目指して撤退していったが、中には逃亡してリスタコメントス内に逃げ込んだ兵士たちも少数だがいる。
目こぼしして南西の戦場へ駆けつけたいのは山々なのだが、フィナリアからはそれを禁止されている。
『ヌーア隊を1000名送りますので、その部隊が到着するまでに帝国兵を一人でも多くリスタコメントスから追い払ってください。ヌーア隊が到着するまで、こちらの戦場に来てはいけません』
それがフィナリアから下された厳命だった。
何を考えているのかは知らないが、フィナリアには勝算があるらしい。
「……たのむから、死ぬなよな」
そうつぶやき、俺は東西へと散っていった帝国軍の残党に向かってファーレンベルクを飛ばさせた。
そしてそれから約2日後、俺とバストラングはようやく到着したヌーア達に国境付近の警備を任せてフィナリア達の戦っている戦場へと向かった。
その先では、リスタコメントスの内乱でも最大の激戦が繰り広げられていることを知らずに。




