巨人の過去
獣人族は生まれた時に領主から隷属魔法をかけられる。
これは人間界の不文律であり、カーナイルのような差別思想の極めて嫌う人物であっても破ることのできない法律だ。
もしこれを破った場合は叛意有とみなされ、帝国の将軍が直々に大軍を率いて領内の獣人全員を調べ上げ、領主は解任されるようになっている。
帝国は定期的に監査を行い、領土内の村人たちを無作為に調べる。
これがあるためこの不文律は決して破られないまま続いてきたのだ。
それは、マトワールの領土に生まれた樋熊の男児にも例外はなく、当然のように隷属魔法の魔法陣が刻み込まれた。
ここまでならば何も特別なことではない。
しかしその少年は特別だった。
他の獣人たちよりも一回り以上に大きな体躯を持ち、子供ながらに大人たちよりもはるかに強大な力を持っていたのだ。
その少年の名はバストラング。
生まれた時に泣き声ひとつあげなかったことからたくましく育つと確信した両親がつけた名である。
その少年には二つ、他の獣人たちとは違うものがあった。
一つは先天的な病から、生まれつき言葉をしゃべることができないということ。
もう一つは獣人の中でも異常なほどに優れた身体能力を持っていたということだ。
そんな特異な境遇からか、その少年は生まれ育った村の中でもどう扱っていいのか分かりかねる部分があり、特に同年代の子供たちとは一緒に遊ぶことも出来なかった。
言葉がしゃべれない上に少し気を抜くと相手に重傷を負わせてしまいかねないのだから当然と言えば当然だ。
だが、そんな少年が心を許せる存在がいた。
三人の家族である。
父、母、妹の三人は、言葉を話すことができないバストラングにも自然に接してくれた。
そんな家族たちを、少年は誰よりも深く愛した。
ある日、少年は父の仕事を手伝うために森へと入った。
父は木こりであり、少年は父についていったのだ。
身体能力に優れる獣人とはいえ、木こりという仕事は一筋縄ではいかない。
木を切り倒すためには同じところに幾度も正確に斧を当てなければならないという作業が必要になるためだ。
当然少年も父と同じように幾度も斧を木に叩き付けた。
ある日、少年は不思議なことに気が付いた。
自分の一振りで入る切れ込みが、日に日に深くなっているのだ。
それに気が付いた少年は、斧を振りながらどうすれば切込みが深くなるのかを自分なりに探究した。
そんな日々が幾年も続き、少年が青年となり、大人たちをも見下ろすほどの体躯となったある時、その斧の一振りが、何の抵抗もなく一本の木を切断した。
誰もが幾十、幾百もの回数を行うことによってできるその作業を、青年はたったの一振りで行うことが出来るようになっていたのだ。
幼いころから人並み外れた体躯を持っていた青年は、村人たちから重宝される存在となった。
大木を斧で一刀両断するという芸当を持つ彼は、狩りに出れば大物を仕留め、森に入れば大木を担いで運ぶことが出来た。
神児。
何時しか村人の誰もが彼をそう呼んだ。
気が付けば彼は村人たちから畏敬の念を抱かれるような存在となっていたのだ。
しかし彼のことをそう呼ばず、変わらぬ愛情を注いでくれる存在がいた。
それが彼の家族である。
変わらぬ愛情を注ぐ家族に、彼も変わらぬ愛情を注いだ。
唯一無二の理解者として。昔から変わらずに自分を愛してくれる家族として。
しかしそんなある日、その家族に不幸が訪れる。
領主マトワールが、その息子であるクルドに奴隷の補充を命じたのだ。
マトワールに限らず、貴族と呼ばれる者達のほとんどは奴隷民族である獣人族を道具としか見ていない。
当然、道具の数が減れば再び補充する。
そしてマトワールはそういった道具のように扱い数を減らす類の貴族なのだ。
獣人族のだれもが知っていた。
マトワールの館に連れて行かれた獣人たちが、誰も帰ってこなかったことを。
その日、人族の兵隊たちがやってきて、村の中を物色し、さながら人さらいのように彼の母と妹を連れて行こうとした。
目の前でそのようなことをされ、彼は混乱した。
『なぜ嫌がる自分の最愛の家族達をこいつらは無理やり連れて行くのか?』
ひとたび浮かんだその疑問が、彼を動かした。
気がつけば、家族を取り戻そうと手を伸ばしていた。
そんな彼に向かって、人族の兵士は手にした武器を振るった。
しかし当時の時点で彼は素手で魔物の群れを屠れるほどの力を持っており、軟弱なマトワール軍ではまるで相手にならなかった。
家族を取り戻そうと、彼はその腕を伸ばした。
しかし、突然彼は強烈な激痛に襲われその場に膝をついた。
そこにはクルドと呼ばれる男がいて、その手の甲に魔法陣が描かれていた。
激痛にさらされながら、彼はそれでも手を伸ばした。
家族がいない生き方など考えたこともなかった。
それがなくなることを考えれば、立ち上がることが出来ないほどの激痛の中でも動くことができた。
そんな彼に、兵士たちは一丸となって襲い掛かった。
そんな兵士たち相手に、バストラングは戦った。
言葉にならぬ雄たけびを上げながら、彼はその拳を振るった。
体は激痛に苛まれ、腕を持ち上げるだけで意識が飛びそうになりながらもその拳を振るった。
当然そんな状態で加減などできるはずもない。
加減を忘れた彼を相手に、マトワールの兵士は次から次へと屠られた。
まるで熟れた果実のように、一人また一人と兵士が屠られていった。
その最中、一人の兵士が何かを喚きながら彼の母に刃を突き立てた。
半狂乱で拳を振るう彼の目の前で、あっさりと、母の首に刃が沈み込み、そこから鮮血が噴出した。
(あ、あああアアアアア!!!!!)
その光景に、彼の中の何かが切れた。
その光景に、彼はひざを折った。
痛みに抗うだけの気迫が、掻き消えてしまったのだ。
「ち、余計な損害を出させやがって!」
目の前に、人族の兵士がそんなことを口にしながら剣を振り上げた。
抵抗しようとしたが、無理をした体を再び動かすにはあまりにもその目に映った光景が凄惨過ぎた。
目の前に刃が迫る。
静かに、彼は死ぬのかと思い目を閉じようとして、その目に再び信じられない光景が飛び込んできた。
誰かが、自分とその兵士の間に身を踊りだしたのだ。
否、誰かなどではない。その姿は、今まで誰よりも長い時間を共に過ごした父親の姿だった。
自分よりもはるかに大柄な息子を守るために、両手を広げながらその斬撃を背に受け、バストラングの父は立っていた。
「!!!!!」
再び、彼は言葉にならぬ叫び声を上げる。
目の前でこちらを見た父は、最後に一言『生きろ』と口にしてその場に倒れ込んだ。
(あ、ああああああアアアアアアア)
気が付けば、再び体が動いていた。
体を苛む痛みなど、最早気にもならなかった。
最愛の父と母を一度に失った理不尽に対する怒りと悲しみが、彼の体を突き動かしていた。
「きさ!」
頭の中に言葉にならない叫び声が響き渡る。
叫べないがゆえにその声は何よりも大きく響き渡った。
ただその怒りと悲しみに身をゆだね、彼は拳を振るった。
父と母を切り殺した兵士はあっさりとその首と胴が分かれてしまった。
「あ、きゃああああああ!!!!」
そんな彼は、その叫び声を聞き再び冷水をかけられたように我に返る。
自分の目の前で、最後に残った家族である妹が悲鳴を上げていたのだ。
クルドと呼ばれていた男の手には変わらず魔法陣が浮かんでいる。
つまり、今妹が自分と同じ痛みに苛まれていると彼は気が付いた。
強靭な体を持つ自分はかろうじて動くことも出来たが、妹は違う。
隷属魔法は命を奪うことも出来るような代物なのだ。
それが今、最後の家族に向けられていることを知り、彼は焦った。
その様子に、クルドは口元を歪めた。
「この娘を死なせたくないか?」
そしてその口から悪魔のささやきが漏れる。
彼はそのささやきに頷く。
その様子に、クルドはさらに口元を歪めて答えた。
「ならば我らに傅け。お前が忠誠を誓うなら、この娘を生かしておいてやろう」
馬鹿な!
そう思いバストラングは敵意をもってクルドを睨みつけた。
父と母を殺す手引きをした張本人の言葉に、再び怒りと悲しみが湧き上がる。
しかし、目の前の悪魔は目の前で口元を歪めた。
「いいのか? お前の最後の家族が死ぬぞ?」
「キャアアアアアア!!!!」
そんな彼の様子をみたクルドが、再び笑みを浮かべる。
直後、魔法陣が怪しく輝き、再び妹が悲鳴を上げた。
その光景を目にし、バストラングは大きく狼狽した。
片手を前に突き出し、やめてほしいと全力で伝えた。
それを見て、クルドは満足そうに口元をさらに歪めた。
「さあ選べ。俺たちに服従するならその場で土下座しろ。さもなくば」
再びその手の魔法陣を指さし、クルドはあざ笑う。
その光景に、バストラングの心は完全に折れた。
最愛の両親を失った悲しみもあった。
二人を殺した目の前の敵への怒りも憎しみもあった。
そんな怨敵に服従を誓わされる屈辱もあった。
しかし、それ以上に彼は怖れた。
最後に生き残った肉親を失うことに。
気がつけば、彼の体は地に伏せられていた。
一度折れた心が、彼の体を動かしていたのだ。
「ふ、フハハハハハハ!!! それでいいのだ。ハハハ!!! 全く、とんだ掘り出し物があったものだ。父上もさぞかし喜ぶことだろう」
目の前の男は高笑いをしながらそう言った。
しかし最早そんなことは彼の耳には届いていなかった。
両目はありとあらゆる負の感情が綯い交ぜになった涙が滝のように流れていた。
そして、彼同様に兵士に捕らえられた妹も、声を殺しながらいつまでも嗚咽をもらしていた。
(アイル)
地に伏し、滂沱の涙を流しながら、彼は心の中で最後に残った家族の名を口にした。
「………」
ゆっくりと、巨漢の獣人バストラングは眼を開けた。
マトワールの奴隷となってからはや数年、眠りにつくたびにこの光景を思い出す。
妹とは7日に一度は合わせてもらっているため、その身の安全は確かめている。
今も地下牢につながれながら生き繋いでいるはずだ。
「…………」
あれから数年間。妹を人質に取られた自分は、ただひたすらにマトワールとその息子クルドにいいように扱われてきた。
それ自体は苦ではなかったが、両親の敵に従わなければならないという状況に憤慨しない日はなかった。
「………ッ!」
気が付けば地面に拳を突き立てていた。
この数年間、一体幾万回あの屑どもに拳を、斧を突き立ててやろうと思ったことだろうか。
しかしそれができない。
自分の命よりもはるかに大事な妹の死がちらつくたびに、その体が金縛りにあって動かなくなるのだ。
その大きな手で目元を抑え、バストラングは声にならぬうめき声を上げた。
先日戦った獣人の部隊は、うわさに聞く獣人解放を謳ったカーナイルという名の領主が率いる義勇軍だろう。
あの者達は自分たち獣人族にとっての希望のはずだ。
あの義勇軍に加わることが出来れば、妹の身の安全は保障され、自分はあの怨敵を相手に、存分に拳を振るうことができたはずなのだ。
それを、人質と隷属魔法という事情があったとしても、事もあろうに自分の手で押し止めてしまったことに対してバストラングは強く後悔していた。
ドゴン!
行き場の無い憤りは、ぶつける場所を求めてバストラングの腕を動かした。
鈍い音をたて、先ほどまで背を預けていた大木を殴りつける。
大きな音を立てながら、その大木が倒れ去った。
その事実を目の当たりにしながら、しかしバストラングの心はまるで晴れなかった。
このような地獄があってなるものかと叫びたく思ったが、幼いころから言葉を紡げぬ口からは、その思いが発せられることは無かった。
「……それが、バストラング殿がマトワール軍に所属している理由ですか」
「あくまで俺から見たらですが、多分大きく外れてないと思います」
カルシオは元々バストラングと同じ村で生まれ育っており、その一部始終を目撃していたのだという。
あの時、本来であればカルシオの家族や親族も連れて行かれても何の不思議もない状態だったが、バストラングという規格外の玩具を手にしたクルドはその場で引き返したのだ。
ある意味ではバストラングはカルシオをはじめとした村人たちの恩人であり人身御供なので、ずっと気がかりだったのだという。
「そうだったのですか」
カルシオの話を聞き、フィナリアはそうつぶやいた。
そんなフィナリアを見て、カルシオが話を続けた。
「あいつはすごいやつです。昔、ガキの頃の俺には分からなかったけど、今ならそう断言できる。あいつは、神児と呼ばれるような馬鹿げた力を一度だって私利私欲に使ったことが無かったんです。あいつはいつだってその力を家族や俺たちのために、だから……」
途中でまとまらなくなったのか、カルシオの言葉が途切れた。
しかしその思いだけはこれ以上ないほどに伝わってきた。
そして、その話を聞いたフィナリアが、恐らくカルシオが最も望んでいたであろうことを口にした。
「策が固まりました。バストラング様と妹のアイル様を解放しましょう」
「本当ですか!?」
フィナリアの言葉に、カルシオは立ち上がって身を乗り出した。
そんなカルシオを片手で制し、フィナリアは話を進めた。
「バストラング様はいくつかの制約から私たちと敵対しています。ならばそれを取り除けば自然と敵対する理由はなくなります」
「……で、具体的には何をすればいいんだ?」
俺がそう問いかけると、フィナリアはこちらを向いた。
「クウヤさん。あなたにやっていただきたいことがあります」
「何でもやってやろうじゃないか」
そうして、フィナリアは俺たちに作戦を伝えた。




