革命の一歩
「あれが、マトワール軍?」
「はい。間違いありません」
俺の疑問に、隣に立つフィナリアがそう答えた。
今俺たちはカーナイル領の西端、つまりはマトワールとかいう奴が治めている領地のすぐ近くに布陣している。
その場所にて俺とフィナリアは獣人たちをまとめた義勇軍を率いていた。
なぜそんなことをしているのか。それはカーナイル領正規軍の斥候部隊がマトワール軍の接近を報告に来たためである。
「……とはいえ、なんで俺たちだけなんだ?」
獣人族の義勇軍はかなりの人数が揃っているが、フィナリア曰く1000人前後程度らしい。
対して敵の軍勢は5000近くいるとの報告が挙がっているそうだ。
「いくつか理由がありまして、私が推薦したんです」
「どんな理由があって?」
「一つは、これまで戦闘経験のない獣人たちの実戦経験のために。二つ目は、この戦いで彼らの力を人間界に知らしめるためにですね」
「……理屈は分かったけど、五倍近い兵力差だぞ?」
「ファーレンベルクと獣人たちにかかればその程度の差はあってないようなものです」
あっさりと断言するフィナリアに、俺はそんなもんかと考えた。
この場にトリストスがいたりしたら俺ももう少し落ち着けたのかもしれないが、フィナリアから見ればそんなふうに見えるのかもしれない。
「油断はしない方がいいぞ」
しかしそんな俺たちにヌーアが声をかけてきた。
「ヌーア? 何か懸念でもあるのか?」
俺とフィナリアのやり取りを隣で聞いていたヌーアが口を挟んできた。
俺たちと面識があるので、ヌーアは俺たちの隣に陣取っていたのだが、そんなヌーアの忠告に俺は耳を傾ける。
「いや、又聞きになるんだが、マトワール領にはとんでもない強さの同族がいるらしいんだよ」
「とんでもない強さの、獣人族ですか?」
「ああ。俺たち獣人族の中でも飛び抜けた戦闘能力の持ち主らしく、マトワールの野郎の親衛隊にまで上り詰めた怪物がいるって聞いている」
「……そいつの名前は?」
俺の質問に、ヌーアは答える。
「バストラング。2mを越える巨漢、樋熊の同族らしい」
「バストラング…」
俺の隣でフィナリアがそうつぶやく。
「フィナリア。その、マトワールってやつの親衛隊に獣人族がなるのはすごいことなのか?」
「…獣人族が貴族の正規軍に加えられるという例は、マトワール卿に限らず私は聞いたことがありません。そのバストラングという獣人は、前例がないほどの戦闘能力を持っているのかもしれません」
フィナリアの言葉に、俺は思わず眉を寄せた。
「獣人族ってことは、そいつも当然」
俺の頭に打感が疑問に、フィナリアとヌーアは首肯して応じた。
「間違いなく、隷属魔法で自由意思を奪われています」
「……やっぱりか」
そのバストラングという相手は気になる。
気にはなるのだが…。
「いまさらと言えば今更だな。作戦は?」
「……変わりはありません。よろしくお願いします」
「了解。ヌーア、進軍開始だ」
「分かった。行くぜ野郎ども! これが俺たち獣人族解放の第一歩だ!!!」
『オオオオオオォォォォォォ!!!!!!!』
響き渡る怒号を背に、俺はファーレンベルクと共に空へと舞いあがった。
「クルド様。敵の部隊が進軍してきました」
「ふん。所詮は獣どもを率いた部隊。我らの敵であるはずもない」
クルドと呼ばれた男は、部下からの報告に鼻を鳴らしながら手にした骨付き肉を頬張る。
一人だけ他の者とは明らかに異なる豪勢な食事に、報告に上がった配下は思わず喉を鳴らした。
そんな配下の様子など目もくれず、クルドは隣に立つ巨漢の獣人へと目を向けた。
その獣人は2mを越える馬鹿げた体躯を薄い体毛に覆われており、その体毛の下には誰が見ても分かるほどに濃縮された筋肉が見て取れた。
太っているわけではないが、肩幅や腕周りと胸囲が凄まじいため、ただそこに立っているだけで言いようのない威圧感を放っている。
そんな獣人の男に向けて、しかしクルドは何のためらいもなく口を開く。
「よく見ているのだな。お前の同族が目の前で蹂躙される様を。ええ? バストラング」
「………」
それに対し、ヒグマの獣人は応じることなく戦場を睥睨していた。
「おい、何とか言ったらどうなんだ!!」
その様子を不満に思ったクルドの右腕に真っ赤な魔法陣が浮かび上がる。
その魔法陣が浮かんだと同時に、バストラングは顔をしかめてひざを折る。
「ふん。父上の命と、お前の腕を買って連れてきたが、自由を許した覚えはない。そのことをゆめゆめ忘れるな」
それに対し、バストラングは小さく頷いた。
それを見てクルドはその手の甲に刻まれた魔法陣を消す。
直後、バストラングは荒い息を吐きながら立ち上がった。
「ふん。魔法の一つで崩れおって、情けない」
罵倒を浴びせたクルドは、そう言って戦況を眺めるために正面を向いた。
その時、目に飛び込んできた光景に唖然とした。
「な、なんだあれは!?」
それは、全長4mを越える巨大な鳥に5000の部隊の一角が吹き飛ばされる光景であった。
「……予想以上に圧倒的だな」
目下、俺の視界の下では敵の兵士たちが大混乱に陥っていた。
フィナリアから告げられた作戦は単純明快。
『クウヤさんは、ファーレンベルクに正面から敵陣をかき乱すように指示をしてください』である。
そんな単純なので大丈夫か? と言い返したが、フィナリアは頑としてその作戦を変えなかった。
そしてそれは大いに成功。
ファーレンベルクは敵陣に向けて翼の爆風を起こすだけで見事に敵の陣形を崩していた。
ファーレンベルクはそもそも空を飛んでいるので、前衛部隊の攻撃など全く問題にならないし、後衛の弓部隊の攻撃もその爆風によって叩き落とされている。
いくつか爆風の合間を縫ってファーレンベルクに直撃するが、その矢は炎と共に焼け落ち、ファーレンベルクは無傷のままだ。
(こいつ、魔法以外について言えば本当に無敵だよな)
一度帝都にて魔法で翼を打ち抜かれたときは相当消耗していたが、今となってはその疲弊をまるで感じさせていない。
見事に敵の攻撃を無効化し、その陣形をかき乱している。
「おっと、もういいぞファーレンベルク」
俺がそういうと、ファーレンベルクは最後にひときわ大きく羽ばたき上空へと舞い上がる。
フィナリアの作戦は俺とファーレンベルクが陣形を崩して獣人族の主力部隊が乱れた陣形から突入して敵を討伐するというものだった。
ゆえに俺はファーレンベルクに爆風で前衛と中衛を吹き飛ばすように指示を出した。
今気が付いたのだが、ファーレンベルクは羽ばたくたびに両翼から薄緑色の魔力を放出している。
つまり、こいつは羽ばたくたびに大規模な風魔法を発動しているのだ。
まともな兵士ではそんなものを受けて立っていられるはずもなく、連続で襲ってくる爆風に陣形は見事にかき乱されていた。
そして俺は後方から近づいてくる獣人たちを見てファーレンベルクに退避の合図をしたのだ。
そんな俺の眼下にて、獣人たちが崩れた陣形に突入した。
「……うわぁ」
その直後、一方的な蹂躙が始まっていた。
元々ファーレンベルクにぶち壊されたせいで陣形もくそもなかったのだが、獣人たち義勇軍が文字通りマトワールの軍を飲み込んでいた。
「…やっぱり身体能力がまるで違うな」
低めに飛んでいるため、戦場で何が起こっているのかは一応見て取れる。
マトワール軍の中にはすでに戦意を喪失して逃げ惑っている者も大勢いるのだが、そいつらが逃げ惑うよりもはるかに速く義勇軍は相手を飲み込んでいる。
それにほとんどの獣人が走りながらキレイに一撃でマトワール兵を倒しているのだ。
義勇軍はほとんどが狩人の出で、魔物と戦うことに慣れている連中が多いが、こういった戦闘経験のあるやつらはいないと聞いていた。
ゆえに一縷の不安があったが、それは些細な問題に過ぎなかったようだ。
元々魔物相手に狩りを行っていた義勇軍の兵の練度はかなりのもので、マトワール軍と比べると文字通り大人と子供並みに身体能力の差がある。
以前ヌーアの村で狩人2人が50人近い盗賊を蹴散らしていたが、どうやらあれは獣人族から見て珍しい戦闘力ではないらしい。
現に1000人近い義勇軍は、ほぼ全員がマトワール兵を一方的に蹴散らしている。
「これなら、フィナリアが大丈夫だと太鼓判を押したのも納得か」
今もなお、義勇軍は真っ直ぐに敵陣の旗印目指して真っ直ぐに突入している。
その勢いは全く衰えておらず、このまま蹂躙できるのは目に見えている。
「……え?」
そう思っていた俺の目の前で、予想を裏切る事態が発生した。
突撃していた前衛が、何者かによってその勢いを殺されてしまったからだ。
「ファーレンベルク! 先頭へ行ってくれ!」
「ピュアアア!!」
猛烈に嫌な予感を覚え、俺は敵の本丸へと向かった。
「せりゃ!!」
叫び声と共にヌーアは棍棒を振り回す。
振り回すたびにマトワール軍の兵士が数人巻き込まれてはじけ飛ぶ。
ヌーアはフィナリアに任命され、義勇軍の先頭を走る切り込み隊長に任命されており、その実力を発揮していた。
ヌーア自身、クウヤやフィナリアには恩がある身なのでその申し出を断る理由はなかった。
「はああぁぁぁ!!!」
そんなことを頭の片隅から追いやり、ヌーアは手にした棍棒をさらに振り回す。
先頭を走るヌーアが止まらなければ後続も止まらない。
それに、ヌーア自身獣人族の中でもそれなりに腕が立つほうだとおもっているが、義勇軍に加わっている面々はヌーアに一歩劣るものの人族相手であれば文字通り一騎当千の強者ぞろい。
止められるはずなどないのだ。
ヌーアは全身全霊で敵陣を突破していた。
ファーレンベルクにかき乱されているため、侵入そのものは全く難しくなかった。
加えてマトワール軍はヌーアから見てもお粗末としか言えない程度の練度しかなく、身体能力は自分たちの村の子供たち以下なのでほとんど抵抗なく突破できてしまう。
「ん?」
棍棒を振り回して敵陣の本丸を見つけたヌーアは、そちらの方を向いてそんな怪訝な声をあげる。
いつの間にか敵陣の奥に一人、異様に目立つ体躯の男が立っていた。
その獣人の男は他の兵士より頭二つ以上飛びぬけて大きく、全身を薄い体毛に覆われており、背に巨大な斧を背負っている。
その男を見た瞬間、ヌーアの狩人としての経験と本能が警鐘を鳴らした。
すなわち『あの男と決して戦うな!』と。
容姿、体格から言ってあれがうわさに聞くバストラング。
獣人でありながら、マトワールに飼われる異端者。
それを見て、ヌーアはほぼ無意識的に視線を横にそらす。
その視界の端に、自分と同じように苦虫をかみつぶしたような表情を浮かべる仲間の姿が映った。
隣を走る獣人は、ヌーア同様にフィナリアに先陣を任された精鋭だ。
ゆえに彼らも自分と同じようなことを直感的に察したのかもしれない。
(しかし、だからと言って止まるわけにはいかない!)
自分たちは、今長い長い奴隷民族としての歴史を打ち破る第一歩を踏み出したところなのだ。
その機会を与えてくれたカーナイルに報いるためにも、先陣を任せてくれた将である白銀の騎士のためにも、そして何より自分たちの背に続く決起した同胞のために、ヌーアは決して自分が止まってはいけないと決意する。
その決意に満ちた表情に、隣を走っていた獣人二人も小さく頷いた。
そしてヌーア達はマトワール軍を突破し、三人がかりで同時に巨漢の獣人に攻撃を仕掛ける。
「獲った!」
三者三様の攻撃が放たれたとき、ヌーアはそう叫ぶ。
目の前に立つ巨漢の獣人は先ほどからなぜか一歩も動いていない。
棒立ちのままこちらの攻撃を見ているだけだった。
ゾクリ。
だが、武器を振りながら、ヌーアは背筋が凍るような悪寒に囚われる。
と同時に自分が振るっている武器が、まるでスローモーションのようにいつまでたっても目の前の大男に届かないよう錯覚を抱く。
なぜ?
そんな悪寒の正体を、直後ヌーアは身をもって体験した。
目の前のヒグマの獣人が、同時に攻撃を仕掛けた三人を目にもとまらぬ速さで突き飛ばしたからである。
「がっ!!!」
直後、ヌーア達三人は大きく後方に突き飛ばされ、背後から接近していた仲間たちに衝突する。
そのせいで前衛部隊の勢いがそがれてしまった。
突如飛んできた仲間をとっさに受け止めてしまったからだ。
「野郎!」
「よ、よせ」
その光景に、他の前衛部隊が巨漢の獣人に向かって踏み込みだした。
ヌーアはそれを止めようと声を張り上げようとしたが、突き飛ばされたばかりでまだ腹に力が入らない。
そんなヌーアの眼前で、再び同胞たちが巨漢の獣人に突き飛ばされる。
次から次へと突き飛ばされる獣人たちが、その後方に迫っている獣人たちに衝突するということが繰り返されてしまっているために義勇軍の勢いは目に見えて落ちて行ってしまっていた。
「ば、化け物め」
そのせいで戦線は押し戻され気味にさえなっている。
たった一人で身体能力に優れる獣人部隊を突き崩すなど、化け物以外に何と呼べばいいのか分からなかった。
「くそ」
倒れ込みながらヌーアは悪態をつく。
今も目の前の巨漢にたくさんの仲間が挑んでは返り討ちにあり、その先で他の仲間を巻き込みこちらの勢いをそいでいる。
その最中、局所的にマトワール軍の兵士たちが息を吹き返している光景も目に入ってきたのだ。
獣人族解放のために動き出したつもりであったっというのに、それを獣人の手によって阻止されてしまうなど、たちの悪い話以外の何物でもない。
「ひ、ひひひ、獣の分際で人様に楯突きやがって。死ね!」
気が付けばヌーアのすぐ傍まで数人のマトワール兵がやってきていた。
その目には狂気が浮かんでおり、自分に対して何のためらいもなく手にした武器を振り下ろすのが見てとれた。
絶体絶命。
そんな言葉が頭をよぎった時、ヌーアは脱力して目を閉じた。
しかしそれは諦めから来る行動ではなかった。
『今助けます』
ヌーアの耳にそんな声が響いたからである。
「ひははは! ぐはぁ!!」
しかしそんなヌーアの耳に響いたのは、自分の眼前まで近づいてきた敵兵士の悲鳴だった。
恐る恐る目を開けてみると、先ほどまで自分の目の前で武器を振り上げていた兵士が、凄まじい勢いで樋熊の獣人のもとへ弾き飛ばされる光景が目に飛び込んできた。
その兵士を、大男は難なく掴み取り地面へと下ろす。
その眼光はヌーアを、否、その奥を鋭く見ていた。
首を回して振り返ると、ヌーアは大男が何を見ているのかを理解した。
そこには白銀の長髪を風にたなびかせ、凛々しい姿でその場に立つ騎士の姿が見て取れたからだ。
「あなたが、バストラング殿ですか?」
白銀の騎士の質問に、巨漢の獣人は無言で向かいあう。
その二人の迫力に、義勇軍もマトワール軍も固唾をのんで見守っていた。
獣人の手によって止められた革命の狼煙は、こうして一人の人族の手にゆだねられた。




