第一話:偉大なる母の背と、受け継がれし黒鉄の誇り(後編)
王立中央病院の最上階に位置する、最高幹部専用の特別集中治療室。
分厚い強化ガラスと魔道結界に守られたその無菌室のベッドの上で、かつて王国最強の武人と謳われた先代参謀・アルティグラの巨体が、無数の生命維持チューブに繋がれたまま静かに横たわっていた。
「……母上。しっかりしてください、母上……っ!」
ベッドの傍らに片膝をつき、黒髪の女将軍・ティーゲルは、母の骨ばった大きな手を両手で必死に握りしめていた。中庭で突然倒れてから、わずか二日。あの日、岩をも砕く剛力を誇っていたはずの母の肉体は、まるで砂の城が波に洗われるかのように、信じられない速度で衰弱しきっていた。
艶やかだった黒髪は生気を失って白くパサつき、背後に広がる誇り高き七本のトラの尻尾も、魔道力の灯火が消えかかって力なくシーツの上に投げ出されている。
ベッドの反対側では、銀髪の妹・ハクレイが幼い娘を抱きしめながら、声を殺して涙を流し続けていた。
「……お姉様、どうしよう……。お母様のお身体が、こんなに冷たくなって……」
「泣くな、ハクレイ。母上は不死身のアルティグラだ。これしきの病に負けるはずがない……!」
ティーゲルは妹を励ますように強く言ったが、その実、彼女自身の黄金の瞳も激しい動揺と恐怖に揺れていた。
その時、重厚な自動扉が静かにスライドし、純白の白衣を纏った医療局の最高責任者・ピューレル博士が、数匹の『医療キャレット』を従えて病室へと入ってきた。
「ピューレル博士! 母上の容態はどうなのだ!? 王国最高の医療技術をもってしても、まだ原因は特定できないのか!?」
立ち上がって詰め寄る百六十歳の若き参謀に対し、二百五十歳の成熟した落ち着きを湛えたピューレルは、インテリジェンスな眼鏡のブリッジを中指で静かに押し上げ、痛ましげに眉をひそめて首を横に振った。
「……誠に申し上げにくいのですが、ティーゲル参謀。先代アルティグラ様の病状は、極めて深刻です。長年にわたり、七本の尻尾から過剰な魔道力を引き出し続けて王国を守り抜いてこられた『金属疲労』のようなものが、引退によって緊張の糸が切れた瞬間に、全身の臓器へと一気に噴き出したとしか考えられません」
ピューレルの声は、どこまでも理知的で、深い哀悼の色に満ちていた。
「そんな……! では、治療法は……」
「私の医療局が持つすべての知識と新薬を投入していますが、細胞の寿命そのものが急速に尽きようとしています。……ご家族の皆様は、どうか今のうちに、お別れの心の準備を」
冷酷な宣告であった。だが、それがまさか目の前の白衣の女が五十年がかりで仕込んだ『遅効性・遺伝子崩壊ナノウイルス』による完全犯罪の結末であるなどとは、武一筋に生きてきたティーゲルには夢にも思いつくはずがなかった。
「お前たち、鎮痛剤の点滴パックを新しいものに交換しなさい。少しでもアルティグラ様の苦痛を和らげて差し上げるのです」
ピューレルが背後の医療キャレットたちに命じる。
「は、はいっにゃん! ただちに交換いたしますにゃ!」
ナース服を着た十歳前後の幼い医療キャレットたちが、小走りで点滴スタンドへと駆け寄った。しかし、そのうちの一匹――極度の緊張と、伝説の武人であるアルティグラの異様な衰弱ぶりを間近にした恐怖からか、小さな手元が狂い、取り外したばかりの使用済み点滴パックを床に落としてしまった。
チャポン、と音を立てて、パックの中に残っていたわずかな薬液が床のタイルに広がる。
その薬液には、アルティグラの体内から逆流した微量の血液が混じっており、そこにはナノウイルスが自己分解する直前の「特有の青い蛍光反応」がほんの一瞬だけ浮かび上がっていた。
「あ……っ、も、申し訳ございませんにゃ! すぐに拭き取りますにゃん……っ!」
医療キャレットが慌てて床に膝をつき、雑巾でその液体を拭き取ろうとした瞬間。
「――待ちなさい」
ピューレルの冷ややかな声が響き、彼女の白衣の裾から伸びる七本のピューマの尻尾のうちの一本が、鞭のようにしなって医療キャレットの手首をピシリと弾いた。
「ひゃうっ!?」
「感染症の恐れがある患者の体液に、素手で触れようとするとは何事ですか。教育がなっていませんね。その汚れたパックと雑巾は、私が直々に特別焼却炉で処理しておきます。お前は下がりなさい」
ピューレルは一瞬で証拠となる点滴パックと雑巾を念動力で回収すると、怯える医療キャレットに「後で私の研究室へ来なさい。特別に指導してあげます」とだけ冷たく告げた。
(……フフフ。危ないところでしたね。ですが、これで外部に漏れる証拠は完全に消滅しました)
ピューレルは内心でほくそ笑みながら、「では、私はこれにて失礼いたします。最期の時間を、ご家族水入らずでお過ごしください」と優雅に一礼し、医療キャレットたちを連れて病室を後にした。
病室の扉が閉まると、すぐにまた重い沈黙が落ちた。
心電図モニターの電子音だけが、規則正しく、しかし少しずつ間隔を広げながら無機質に響いている。
「……ティー、ゲル……。ハク、レイ……」
かすれた、今にも消え入りそうな声がベッドの上から響いた。
「母上!! 気がつかれましたか、母上!」
ティーゲルとハクレイが同時にベッドへとすがりつく。アルティグラは重たげに瞼を持ち上げ、濁り始めた黄金の瞳で、自慢の二人の娘の顔をゆっくりと見上げた。
「泣くな、二人とも……。武人の娘が、見苦しいぞ……」
アルティグラは微かに口角を上げると、震える右手を伸ばし、まず銀髪の次女・ハクレイの頬にそっと触れた。
「ハクレイ……。お前は、その優しい心のままで生きなさい。その銀髪のように清らかで、穏やかな母として……その小さな娘を、大切に育てておくれ……」
「はい……っ、はい、お母様……っ!」
ハクレイは母の手に自分の頬を擦り寄せ、ポロポロと涙をこぼした。
そしてアルティグラは、残されたすべての力を振り絞るようにして、黒髪の長女・ティーゲルの手を強く握り返した。
「ティーゲル……。私の、誇り高き娘よ……」
「ここにおります、母上! 私はここにおります!」
「お前には、重い荷を背負わせてしまうな……。だが、お前ならば必ずやれる。私がお前に教えた剣と、この胸の誇りを忘れるな……。十本尻尾のライアライア女王陛下は、この国の光だ。お前は陛下の最強の盾となり、ハクレイたちのような弱き者たちを……このフェリディアの平和を、守り抜いておくれ……」
「はいっ! 誓います、母上! この命に代えても、ライアライア陛下への忠義を貫き、ハクレイと姪を、そしてこの国を必ず守り抜きます!!」
大粒の涙をこぼしながら力強く頷くティーゲルを見て、アルティグラは心から安堵したように微笑んだ。
そして彼女の視線が、ティーゲルの引き締まった下腹部へと向けられる。
「……そして、ティーゲル。いつの日か、お前も必ず……母におなり」
「……母上……」
「お前が幼い頃、私の七本の尻尾の中で眠っていたあの夜に約束したはずだ……。自分の命よりも大切な『光』をその胎に宿し、産み落とす喜びを、お前にも必ず味わってほしい……。お前ならきっと、私など足元にも及ばぬほど、強くて、優しい母親になれる……」
それが、アルティグラが紡いだ最後の言葉であった。
スーッ……と、握りしめられていた母の大きな手から力が抜け、ベッドのシーツの上へと滑り落ちた。
ピーーーーーーーーーーーーッ……。
病室に、心停止を告げる無機質な電子音が長く、残酷に鳴り響いた。
「母上……? 母上ッ!! お目を覚ましてください、母上ェェェェェッ!!」
ティーゲルは動かなくなった母の胸元にすがりつき、子供のように声を上げて泣き叫んだ。隣ではハクレイと幼い姪もまた、冷たくなっていくアルティグラの身体に抱きついて号泣している。
偉大なる先代参謀アルティグラの死。
その悲報は、瞬く間に王宮中へと駆け巡った。
数時間後。涙に暮れるティーゲルたちのもとへ、ピューレル博士が再び静かに歩み寄った。彼女は深々と頭を下げ、痛ましげな声色を取り繕いながら告げた。
「ティーゲル参謀。お母様の急逝、痛恨の極みに存じます。……ですが、アルティグラ様は王国のナンバー2として多大な功績を残された偉大な御方。三日後には女王陛下直々の御前で、盛大な『国葬』が執り行われることが決定いたしました。つきましては、お身体が傷む前に、我が医療局にて最高ランクの防腐処置とエンバーミングを施させていただきたく存じます」
ティーゲルは腫れ上がった目を向け、低く掠れた声で応じた。
「……ピューレル。母上の遺体は任せる。王国最強の武人に相応しく、最も美しく整えてやってくれ」
「ええ、お任せください。必ずや、最も美しく、誇り高きお姿で送り出してみせましょう」
恭しく遺体を引き取ったピューレルは、防音壁に閉ざされた王立科学開発局の地下最深部『深層ラボ』へとアルティグラの亡骸を運び込んだ。
外界の光が一切届かない、冷たい金属の壁に囲まれた実験室。
分厚いステンレス製の解剖台の上に、一糸纏わぬ姿で横たえられたアルティグラの遺体を見下ろし、ピューレルの口元が三日月型に歪んだ。
「フフッ……アハハハハッ! 見事な最後でしたよ、アルティグラ。まさか娘の叙任式まで生きてくれるとは、私のナノウイルスの調整も完璧でしたね」
ピューレルが冷酷な笑みを浮かべているその後ろで、ガタガタと激しく震えている小さな影があった。
先ほど病室で、使用済みの点滴パックを床に落としてしまった幼い『医療キャレット』である。彼女はピューレルに命じられ、たった一人でこの極秘ラボに連れてこられていた。
「さあ、お前も近くへ来なさい。私がこれから行う神聖な儀式の『助手』を務めてもらうのですから」
「ひ、ひぃっ……! ピ、ピューレル様、どうかお許しを……にゃーは、なにも見てにゃいし、誰にも言いませんにゃ……!」
「口封じ? 勘違いしないでください。これはお前に与えられた名誉ある仕事ですよ」
ピューレルは白衣の袖をまくり上げ、医療用の超高周波レーザーメスを医療キャレットの震える小さな手に握らせた。そして、アルティグラの背後から力なく垂れ下がっている『七本のトラの尻尾』を指し示した。
「あの強靭な七本尻尾の生きた細胞と馬尾神経の束こそが、私が『十一本尻尾の神』へと至るための最高級の素材。……さあ、そのメスでアルティグラの尻尾を根元から切り離しなさい。お前が切るのです」
「え……っ!? にゃ、にゃあぁぁっ!?」
医療キャレットの顔から一瞬にして血の気が引いた。
王国において、上位者の、それも王国のナンバー2であった大英雄の尻尾を切り落とすなど、神を冒涜するに等しい絶対の禁忌である。ましてや、一本尻尾の最下層民である自分が貴族の尻尾を触ることは重大な不敬であり、死後の魂すら地獄の底で焼かれると信じ込まされていた。
「で、できませんにゃ! そんな恐ろしいこと、絶対に……っ!」
「……やらないのなら、今ここでお前の両手足を溶かして生きたまま廃棄槽へ捨てますよ。それとも、私の偉大な研究の礎になる光栄を選びますか?」
ピューレルの七本の尻尾から放たれる圧倒的な殺気と魔道力の重圧に、医療キャレットの脆弱な精神は完全に屈した。
「うぅぅ……ごめんにゃさい……アルティグラ様、ごめんにゃさい……っ」
少女は滝のような涙と鼻水を流し、恐怖で自身の尻尾を股の間にきつく巻き込みながら、震える両手でレーザーメスをアルティグラの仙骨の根元へと押し当てた。
シュイィィィィンッ……!!
赤い閃光が走り、肉が焦げる異臭がラボに立ち込める。
医療キャレットは「ひぃっ、ひぐっ」と泣きじゃくりながら、ピューレルに手首を掴まれて無理やり刃を動かされ、かつて優しく接してくれた大英雄の肉体を切り刻んでいった。
ズバッ、ゴリゴリゴリッ……!!
七本の尻尾がすべて根元から切り離され、青白い保存液の満ちた培養槽へと放り込まれる。
「素晴らしい……! なんて太く、密度に満ちた神経束でしょう! よくやりましたね、可愛い子猫ちゃん」
ピューレルは歓喜に頬を紅潮させながら、血まみれのメスを取り落として床にへたり込んでいる医療キャレットを見下ろした。
「はぁ、はぁ……っ。ぴゅ、ピューレル様……これでお許しを……」
「ええ、助手としての役目は終わりです。ですが、お前にはもう一つ『被検体』としての重要な任務が残っていますよ」
「……え?」
次の瞬間、ピューレルの念動力が発動し、医療キャレットの小さな身体は空中の拘束具へと磔にされた。
「お前には、私の未完成の『多尾化細胞マトリクス』の試験細胞を埋め込んであげましょう。一本尻尾の脆弱な身体が、急激な細胞分裂にどこまで耐えられるか……見物ですね」
ピューレルは、赤黒く蠢く粘液状の細胞塊を注射器に吸い上げると、泣き叫んで暴れる医療キャレットの仙骨(尻尾の根元)へと容赦なく突き刺し、全量を注入した。
「ぎにゃあああああああああああっ!!? い、痛いにゃ! 体の中が、熱いにゃあぁぁぁっ!!」
投与直後、医療キャレットの身体に異常な拒絶反応が襲いかかった。
「痛覚」と「生命力」を無視して強引に細胞分裂を繰り返す未完成の細胞は、少女の華奢な骨格と神経を完全に無視して暴走を始めたのである。
「あガッ……! アババババッ……!!」
少女の背中、本来なら一本しかない尻尾の周囲の皮膚がボコボコと不気味に隆起し始めた。
メリメリッ、という不快な骨の軋む音とともに、皮膚を突き破って、おぞましい形をした肉の触手――奇形化した「尻尾のなり損ない」が次々と生え出してくる。
「マ、ママぁっ……! 体が、体が割れちゃうにゃあぁぁっ……!」
細胞の異常増殖は止まらない。背骨が歪な角度にへし折れ、少女の身体は人間の形を保てなくなり、ただ無数の肉の塊と不気味な触手が蠢く『異形の化け物』へと変わり果てていく。元の愛らしい顔の半分は腫瘍のように膨れ上がり、飛び出した眼球だけが極限の苦痛と恐怖を訴えていた。
「……やはり失敗ですか。高位の細胞を融合させるには、まだ触媒が不完全なようですね」
無残な姿で呻き声を上げる元・少女の化け物を前に、ピューレルはまるで失敗した料理でも見るかのように冷酷な溜息をついた。
「ギ、ギィィィ……にゃ……たすけ……て……」
「データは取れました。もう用済みです」
シュンッ!!
ピューレルが指を鳴らした瞬間、不可視の念力の刃が化け物の首を正確に両断した。
悲鳴は途絶え、異形と化した医療キャレットの残骸は、ドサリと冷たい床に崩れ落ちて動かなくなった。
「さて、掃除は後回しにして、アルティグラの処置を急ぎましょうか」
すべての尻尾を奪い取り、ぽっかりと大穴が開いたアルティグラの臀部。
ピューレルはそこに、あらかじめ用意しておいた「精巧なダミーの尻尾」を当てがった。最高級の人工毛皮と形状記憶合金の骨格で作られたそれは、外見上は本物の尻尾と全く見分けがつかない。
「フフッ、丁寧に縫い付けてさしあげますよ。国葬の場で、尻尾なしの惨めな死体を晒すわけにはいきませんからね。……ええ、約束通り、外見だけは最も誇り高き姿にしてあげますとも」
ザクッ、ザクッと、太い縫合糸でフェイクの尻尾が死肉に縫い付けられていく。
王国の盾として生涯を捧げた偉大な武人の亡骸は、狂気の科学者の手によって無残に凌辱され、単なる実験材料としてその魔道の源を奪い取られたのであった。
三日後。
天帝聖獅城の裏手に広がる、王族および上級貴族専用の地下大墓所。
松明の炎が厳かに揺らめく中、先代参謀アルティグラの国葬が執り行われていた。
女王ライアライアをはじめ、漆黒の喪服に身を包んだティーゲル、ハクレイ、そして数千に及ぶ貴族と兵士たちが参列し、深い哀悼の祈りを捧げている。
墓所の中央には、底が見えないほど深く巨大な縦穴が掘られ、その最も奥底に、アルティグラの亡骸を納めた黄金の棺が安置されていた。棺から覗くフェイクの尻尾は美しく整えられ、誰一人としてそれが偽物であることに気づいていない。
そして、いよいよ葬儀はクライマックス――フェリディア王国における最も神聖にして、最も狂気に満ちた儀式へと移った。
『猫柱の儀』。
それは、高位の貴族が死亡した際、その者が死後の世界である極楽浄土でも不自由なく暮らせるよう、生前身の回りの世話をしていた侍女キャレットたちを「生き埋め」にして同行させる、古き血塗られた習わしであった。
巨大な縦穴の底。
黄金の棺の周囲には、すでに二百匹にも及ぶ『侍女キャレット』たちが、身分と役割に応じた緻密な陣形を組んで整列し、静かに「その時」を待っていた。七本尻尾の重鎮たるアルティグラの威光を示すため、動員された侍女の数は過去最大規模である。
年齢は七歳から十代半ば。彼女たちが今日纏っているのは、いつもの動きやすいメイド服ではない。死出の旅路に相応しい、最高級のシルクと分厚い純白のレースがふんだんにあしらわれた、まるで舞踏会にでも行くかのような豪華絢爛な特注のドレスメイド服であった。
本来であれば、生きたまま何十トンもの土砂に押し潰され、暗闇の中で窒息死させられるこの儀式は、本能的な恐怖からパニックを起こして泣き喚くのが当然である。
だが、アルティグラに仕えていた二百匹の侍女たちの様子は、完全に異様であった。
最も棺に近い最内周。生前、アルティグラの食事や寝所の世話をしていた最側近の数十匹は、黄金の棺に直接すがりつき、その冷たい金属の表面に頬をすり寄せて恍惚の溜息を漏らしていた。
「あぁ……アルティグラ様。大好きな、アルティグラ様……っ」
「ヴァルハラでも、にゃーたちがずっとずっと、お背中をお流ししますにゃん……♡」
その外側を囲む中周の百匹は、互いに固く手を繋ぎ合い、幾重もの美しい円陣を組んでひざまずいている。さらにその外側、縦穴の壁面に背を預けて立つ外周の数十匹は、両手を胸の前で組み、うっとりと天を仰いでいた。
二百匹の少女たちの顔には、死への恐怖など微塵もなかった。
あるのは、極限まで瞳孔を見開き、頬を異様に赤く紅潮させた『狂信的な多幸感』である。
王国において一本尻尾のキャレットは、虫けらのように消費されるのが常識である。そんな世界で、アルティグラは彼女たちを「同じ国の民」として慈しみ、その命を尊重した。その大きすぎる愛と恩義が、元より知性の低い彼女たちの脆弱な精神を、狂気的なまでの忠誠心へと書き換えてしまっていたのだ。
「あははっ……早く、早く土をかけてほしいにゃん……!」
「アルティグラ様がお待ちだにゃ。にゃーたち、永遠に一緒だにゃ……!」
死を「至高の誉れ」と信じ切った二百匹の少女たちが放つ異常な熱気。狭い縦穴の底には、高級な香水の甘い匂いと、極度の昂揚感によって括約筋が弛緩した少女たちが垂れ流す「失禁のアンモニア臭」が混ざり合い、淫靡で狂気じみた死の匂いがむせ返るように充満していた。純白のドレスの裾は、彼女たち自身が漏らした黄色い尿の水たまりで濡れそぼっているが、誰一人として羞恥すら感じていない。
穴の上からその光景を見下ろしていたティーゲルは、感動に肩を震わせ、静かに目頭を押さえた。
「……見ろ、ハクレイ。あれこそが、母上が一代で築き上げた忠義の極みだ。一本尻尾の者たちですら、母上のためならばあのように喜んで命を捧げるのだ」
「はい、お姉様……。お母様は、本当に偉大な方でした……」
ハクレイもまた、侍女たちの狂気的な忠誠心を「美しい殉死」として受け入れ、涙を流して祈りを捧げている。フェリディア王国の、あまりにも歪みきった狂気の常識であった。
「……土を落とせ。母上のお世話を、どうか頼む」
ティーゲルが右手を振り下ろすと、縦穴の真上に設置されていた巨大な土砂のゲートが開かれた。
ズザァァァァァァァァッ!!!
何十トンにも及ぶ大量の乾いた土砂が、一気に穴の底へと雪崩れ込む。
それは、少女たちの細い身体を容赦なく押し潰す、圧倒的な質量の暴力であった。
「きゃははははっ! きたにゃ! きたにゃあ!」
「アルティグラ様、バンザイにゃ〜〜っ♪」
美しいドレスが、純白のレースが、どす黒い泥と土塊に汚されていく。降り注ぐ土砂は、彼女たちの華奢な身体を打ち据え、鎖骨や肋骨をメキメキと砕き、酸素を奪い、光を奪っていく。
だが、土に埋もれていく穴の底から聞こえてきたのは、悲鳴ではなかった。
「〜〜♪ にゃにゃ、にゃにゃにゃ〜〜♪」
土が口の中に入り込み、気道を塞がれていく中でも、二百匹の少女たちは満面の笑顔のまま、アルティグラを讃える賛美歌を合唱し続けていたのだ。
「ゴボッ……あはは……っ、ぐるじいにゃん……でも、しあわせ……にゃ……」
「アルティグラ、さまぁ……っ♡」
生き埋めにされる絶望的な圧迫感の中で、少女たちは互いの手を強く握り締め、狂気の笑みを浮かべたまま、その指先から徐々に無慈悲な土の下へと消えていった。
何十トンもの土砂が巨大な縦穴を完全に埋め尽くし、地鳴りのような音が止んだ。
地下墓所には、もう狂った笑い声も、土が崩れる音も響かない。
はるか深い土の下では、二百匹の幼い少女たちが、黄金の棺を幾重にも囲み、抱きしめた陣形のまま、土に埋もれた巨大な「肉の柱」となって永遠の眠りについたのである。
「……母上。どうか安らかにお眠りください」
完全に平坦に埋め立てられた地面を見下ろし、ティーゲルは静かに目を閉じた。
そのすぐ背後で、純白の白衣を着たピューレルが、自身の陰謀によってすべてを奪い取った女の墓標を見下ろし、インテリジェンスな眼鏡の奥で悪魔のように嘲笑っていることなど、誰も知る由もなかった。
(第一話 完)




