↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
9/15

#09 DROP BY

 ヴィクターから連絡が来たのは、WUTAR(ヴータル)を取り逃がした翌日の朝だった。


『時間があるなら顔を出せ』


 相変わらず短い。

 挨拶もなければ、何の用なのかも書いていない。


『午後なら空いてるわ』

『じゃあ二時』


 端末を置く。

 たぶん、楽しい話ではない。




 約束の時間に着くと、建物の奥から、床を踏む音が聞こえていた。

 靴底の擦れる音。それから、何かを打つ軽い音が二度。


 まだ教えているのね。

 廊下を抜け、半分開いていた扉を軽く叩く。


「入れ」


 顔を出すと、ヴィクターはテーブルの前に座っていた。

 後ろへ流した灰色の髪も、こちらを見る目も、相変わらずだ。


「久しぶり」

「ああ」

「これ、お土産」


 紙袋を置くと、中を覗いた彼がこちらを見た。


「何か後ろめたいことでもあるのか」

「お菓子を買ってきただけで疑うの?」

「座れ」


 仕方なく椅子を引く。


 ヴィクター・ディーター・ハーグレイヴ。

 元VORANT(ヴォラント)と言った方が、通りはいいかもしれない。引退してしばらく経つが、昔の映像は今でもよく流れてくる。


 私も、若い頃はここで随分世話になった。


 手合わせをして、ようやく一発入ったと思ったら、殴る前に戻っている。


 彼の能力、《ZEITKEHR(ツァイトケア)》は、自分に起きた直前一秒間の物理的な出来事を取り消す。


 続けては使えないと聞いて、なら二度当てればいいと思ったものだ。


 言うほど簡単ではなかったけれど。


「これ、どういうつもりだ」


 テーブルの上でタブレットがこちらへ向けられた。


 崩れた通路。梁に手を置くHAFEN(ハーフェン)。

 その手前で、楽しそうに笑っている私。


『でも、そういう時の方が数字は跳ねるわよ?』


 ああ。


「間違ったことは言ってないでしょう」

「正しけりゃ、どこで何を言ってもいいのか」

「そうは言ってないわ」

「じゃあ、余計なことを言うな。あそこで助けを待ってる人間に聞かせる話じゃないだろ」


 ヴィクターが映像を止める。


「お前が気にしないからって、周りまで同じだと思うなよ」

「分かってるわよ」

「分かっててやるから言ってるんだ」


 口を閉じる。

 彼はしばらくこちらを見てから、短く息を吐いた。


「……お前に愛想よくしろとは言わん。だが、仕事中くらい口を慎め」

「気をつけるわ」

「その返事も何度目だろうな」


 数えてないわね。

 そう答えるのは、やめておいた。


 扉が叩かれたのは、その時だった。


「失礼します」


 女の子が一人、顔を覗かせる。

 顎の辺りで揃えた黒髪に、暗い紫のトレーニングウェア。こちらへ目を向けた途端、扉に掛けた手が止まった。


「あ……すみません。まだ、お話し中でしたか」

「終わったところよ」

「勝手に終わらせるな」


 ヴィクターに言われ、口を閉じる。

 女の子の視線が、私と彼の間を一度だけ往復した。


 あまり嬉しくないところを見られたわね。


「どうした」

「片づけ、終わりました。鍵はここでいいですか」

「ああ。入れ」


 彼女が近づいてきて、テーブルへ鍵を置く。

 それから、もう一度だけ私を見た。


「イリス。橘澪(たちばなみお)だ。最近、時々ここへ来てる」

「初めまして」

「初めまして。澪(みお)です。WIEDRA(ヴィードラ)で活動しています」

「ああ、名前は見たことがあるわ。いくつだったかしら」

「十七です」

「若いわね」


 ヴィクターが立ち上がり、棚からカップを出した。


「お前と違って物覚えがいい」

「何よ、私だって悪くなかったでしょう」

「この子は一度教えれば覚えるからな」

「それは、能力のおかげです」


 澪が少し遠慮がちに口を挟む。

 私は彼女へ顔を向けた。


「どんな能力?」

「《NABILT(ナビルト)》です。一度見た身体の動きを、覚えて再現できます」

「へえ。一度で?」

「はい。ただ、筋力や速度まで同じにできるわけではないので、できない動きもあります」


 なるほど。

 それなら、ヴィクターに習うのは随分と効率がよさそうだ。

 この人の動きを全部覚えられるなら、私だって少しくらい欲しい。


「便利ね」

「はい。すごく助かってます」

「そう便利でもない。覚えたあと、使えるまでは相応に努力がいる」


 カップを置きながら、ヴィクターが言った。

 澪は少し目を伏せ、それから小さく頷いた。

 私は隣の椅子を指した。


「座ったら? お菓子もあるわよ」

「あ、ありがとうございます」


 椅子を引き、彼女が腰を下ろす。

 ヴィクターは私の持ってきた箱を開けていた。


「買ってきてよかったでしょう?」

「これで話を帳消しにするなよ」

「まだ言うの?」


 隣で小さく息が漏れた。

 澪を見ると、口元を引き締めている。


「笑っていいわよ」

「すみません」

「謝らなくていいのに」


 皿へ出された菓子をひとつ取る。


 澪も礼を言ってから手を伸ばした。


 しばらくは、ヴィクターと最近の仕事の話をした。

 WUTARに会ったこと。結局逃がしたこと。相変わらず、人の話をきかないところ。


「お前も大概だろ」

「私はちゃんと座って聞いてたじゃない」


 ヴィクターは答えず、コーヒーを飲んだ。


 その間にも、隣から何度か視線を感じた。

 見返すと目が合う。けれど、澪は何か言いかけて、結局カップへ視線を落としてしまう。


「何か聞きたい?」

「え?」

「さっきから、こっちを見てるから」

「あ……すみません」


 また謝られた。

 怒っているわけではないのだけれど。


「この子、お前の映像をよく見てるぞ」


 ヴィクターが言った。

 澪の背筋が少し伸びる。


「そうなの?」

「はい。動きとか、勉強になるので」

「私、普通なら受けちゃ駄目なものまで受けるわよ」

「それはそうですけど、参考になる部分は多いです。避ける時の足の運びとか、掴まれた時の外し方とか」


 話し始めると、言葉はすらすら出てきた。

 随分よく見ているらしい。


「それで、実物はどう?」

「……え?」

「映像と違う?」


 澪は私を見た。

 それから、なぜかヴィクターを見る。


「怒られてるところは、あまり流れてないものね」

「いえ、そういう意味では!」


 声が少し大きくなり、ヴィクターが笑う。


 その時、テーブルの端でスマートフォンが短く震えた。

 澪が画面へ手を伸ばす。


 通知を確かめ、すぐに伏せたけれど、その一瞬に見えた写真には覚えがあった。


 私とソフィア。

 先日、食事へ行く途中に撮られたものだ。


「あら、それ」


 澪の手が止まる。


「この前の写真よね」

「……はい」


 伏せたスマートフォンへ視線を落としたまま、彼女は答えた。


「ソフィア好きなの?」


 小さく頷く。

 それから、少し間を置いて声が続いた。


「お二人とも、好きで……。一緒の配信も、よく見てます」


 さっきまで足の運びについてはあんなに話していたのに、今度はそれだけ言うのにも時間がかかっている。


 ふふ。

 そういうこと。


「ありがとう。ソフィアにも伝えておくわ」

「えっ」

「駄目?」

「いえ、駄目じゃないです。あの、でも」


 言葉が続かず、澪はカップを持ち直した。

 ヴィクターがこちらを見る。


「そのくらいにしとけ」

「何もしてないでしょう」


 まだ少し赤い顔を眺めながら、コーヒーを飲む。

 彼女はようやくこちらを見て、ぎこちなく笑った。


「ありがとうございます」


 今度は謝られなかった。




 澪が帰ったあと、テーブルに残った菓子をもうひとつ取った。


「いい子ね」

「ああ」

「また会えるかしら」

「お前が来ればな」


 ヴィクターは空いたカップを重ねた。

 私は時計を確かめ、椅子から立ち上がる。


「そろそろ帰るわ」

「仕事か」

「打ち合わせ。遅刻したら大変よ」

「早く行け」


 バッグを肩へ掛け、扉へ向かう。

 廊下へ出ようとしたところで、名前を呼ばれた。


「イリス」

「何?」


 振り返る。

 ヴィクターは菓子の箱へ蓋を戻していた。


「呼ばれなくても、たまには来い」


 少しだけ、口元が緩んだ。


「来たら怒るじゃない」

「怒られるようなことをするな」

「それは難しいわね」


 顔が上がったので、今度こそ扉を抜けた。


「また来るわ」


 背後で、短く返事がした。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。