#05 ON CAMERA / 01
ヘリが現場上空へ差しかかる前から、黒煙は見えていた。
高層複合施設の中層階。その一角から濃い煙が絶えず吐き出され、風に煽られながらビルの壁面を舐めるように流れている。
周囲の道路はすでに封鎖されていた。
何台もの消防車と救急車が建物を囲み、赤色灯が昼間の街に絶えず明滅している。規制線の外には避難してきた人間や野次馬が集まり、そのさらに外側では、当然のようにスマートフォンがいくつもこちらへ向けられていた。
窓越しに下を覗くと、崩落した建物の一部がよく見えた。
中層階の外壁が大きく失われ、内部の床や柱が剥き出しになっている。その下には瓦礫が積み重なり、ところどころから白い粉塵がまだ立ち上っていた。
完全に崩れたわけではない。
むしろ、その途中で無理やり止まっているように見える場所がある。
「……あれね」
思わず呟いた言葉に、向かいに座っていたスタッフが聞き返す。
「何です?」
「あの固定されてるところ」
窓の向こうを指す。
本来ならもう落ちているはずの鉄骨が、空中で斜めになったまま止まっている。
その鉄骨に引っかかるように、半分崩れた床の一部まで不自然な角度で留まっていた。
「HAFENですか?」
「でしょうね」
バスの映像では見ていたけれど、こうして実際の崩落現場で見ると、思っていた以上に分かりやすい。
面白い能力。
ヘリが着地する。
ドアが開いた瞬間、機内へ熱気と騒音が一気に流れ込んできた。
すぐに一人の消防隊員が駆け寄ってきた。
「応援助かる!」
「状況は?」
「東側の通路が一部崩落。上階にもまだ残ってる。こっちは固定してもらってるが、あいつもずっとあのままだ。長くは持たない」
「上から見たわ」
崩れかけた通路の手前で、一人の若い男が露出した梁へ手を当てている。
ノア・マティアス・エヴァンス。確か、二十歳。
高架から落ちかけたバスを止めて、最後の一人が降りるまで残っていた新人。
画面越しではもう少し落ち着いて見えたが、実際には、額に汗を浮かべて、呼吸を乱しているように見える。
ずいぶん無理な姿勢ね。
そう思いながら近づいていくと、向こうもこちらに気づく。
一瞬だけ目を見開いて、それから手を梁に置いたまま軽く頭を下げた。
「RAUSCH……ですよね。応援、ありがとうございます」
「ええ。あなたはHAFENね」
「はい。……あの」
「何?」
HAFENの視線が、私ではなく、その少し後ろへ向いた。
「なんでカメラ回してるんですか」
「ああ」
振り返ると、スタッフが少し距離を取ってこちらへレンズを向けている。
「カメラNGだった?」
「え?」
「この子今から映さないで。あとアーカイブからもカットしてあげて。映り込んでるところの処理お願い」
「分かりました」
「違います」
スタッフの返事に重なるように、HAFENの声が飛んできた。
思ったより強い声だった。
もう一度彼を見ると、眉間に皺が寄っていた。
「僕が映るとか、そういう話じゃなくて」
「違うの?」
「人が死ぬかもしれない現場ですよ」
「ええ」
「そんなところまで撮って、配信して、コンテンツにするのがおかしいって言ってるんです」
「ああ」
なるほど。
やっと意味が分かった。
「……何ですか」
私の反応が気に入らなかったらしい。
随分まっすぐな顔をする。
映像で見た印象そのままね。
いや、実物の方がもう少し分かりやすいかもしれない。
「あなた、ヒーローは清廉潔白じゃないと駄目なタイプ?」
「何ですか、それ」
「別に」
少しだけ笑う。
その程度のことで、ここまで露骨に顔に出るのは嫌いじゃない。
「そうね。人が死ぬかもしれないものね」
「だったら――」
「でも、そういう時の方が数字は跳ねるわよ?」
そう答えると、HAFENの表情が止まった。
一瞬、本当に聞き間違えたのか確認するようにこちらを見る。
「……は? 本気で言ってるんですか」
「ええ」
後ろでスタッフが小さく息を吐く気配がした。
嘘をつく理由もない。
少し離れた場所では、消防隊員が怒鳴りながら人を動かしている。
その向こうでは、崩れかけた通路がHAFENに固定されたまま、不自然な角度で止まっていた。
いつ落ちるか分からない。
誰かが死ぬかもしれない。
だからこそ、見る。
「何も起きない映像より、誰かが死ぬかもしれない映像の方が気になる」
「イリスさん」
スタッフが声を上げる。
少しだけ振り返ると、彼女は明らかに嫌そうな顔をしていた。
「駄目だった?」
返事を待たず、もう一度カメラを見る。
「でも、そうでしょう?」
レンズへ向かって、少しだけ笑う。
「みんな」
「イリスさん!」
今度はさっきより強い声だった。
仕方なく視線を戻す。
HAFENはもう、さっきまでの戸惑った顔をしていなかった。
眉間に皺が寄り、梁に添えていない方の手は固く握られていた。
「……最低ですね」
HAFENは露骨に眉を寄せたまま、こちらを見ている。梁に触れている手は動かさず、もう片方の手だけがわずかに握られていた。
怒っている。
分かりやすくていい。
そう思いながら、視線だけを少し横へ流すと、崩れた通路の向こうから、消防隊員に誘導された避難者たちがこちらへ歩いてきていた。
通れる場所は狭い。
一列になった人間が、瓦礫を避けながら少しずつこちらへ近づいてくる。その中に、女性に手を引かれた小さな子供が一人いた。
その足元に、細い亀裂が走っているのが見えた。いつからあったのかは分からない。
ただ、見ている間にも少しずつ伸びている。
嫌な動きね。
万が一に備え、立ち位置を半歩ずらす。
女性と子供はそのままこちらへ近づいてきて、あと数歩でHAFENの脇を抜ける位置まで来た。
HAFENはまだ私とカメラを見ている。
「それより」
「……何ですか」
「いいの?」
「何が――」
子供が一歩踏み出す。
足元の床が、わずかに沈んだ。
「ほら」
HAFENが視線を横へ向けたと同時に、亀裂が一気に開く。
彼は慌てて空いている方の手を伸ばしたが、その指先は子供の袖を掠めただけだった。
掴むより先に床の縁が砕け、小さな身体が横へ傾く。手を引いていた女性も足を取られ、膝をついた。
私はもう踏み出していた。
子供の脇へ腕を差し込み、そのまま胸元へ引き寄せる。
間に合った。そう思うのとほとんど同時に、右足の下から床の感触が消えた。
あら、ここも落ちるのね。
「手を離さないで」
梁に触れたまま身を乗り出しかけたHAFENへ、それだけ言った。
あなたまで離したら、もっと落ちてくるでしょう。
子供を抱え直す間にも、視界の端を通路の断面がせり上がっていく。
剥き出しの鉄筋。その向こうに、こちらへ伸ばされた誰かの腕が見えたが、もう届く距離ではなかった。
その直後、上でもう一度コンクリートの砕ける音がした。
さっき膝をついていた女性の足元まで崩れたのが、一瞬だけ見えた。




