#02 HERO
機体が地面へ触れ、ドアが開いた瞬間。
機内を満たしていたローター音とはまるで違う種類の騒音が流れ込んできた。
サイレン、怒号、拡声器からの避難指示、泣き声。
その中に、私の名前まで混じっている。
「RAUSCH!」
「来た!」
「こっち見て!」
普段なら手くらいは振る。それで喜ぶ人間がいるのなら、別に減るものでもない。
けれど今はそれよりも優先すべきことがある。
「RAUSCH!」
消防隊員の一人が大きく手を上げている。
「こっちだ!」
簡易的に設けられた現場指揮所では、複数の消防隊員と施設関係者が図面を囲んでいた。テーブルの上には地下階の平面図が広げられ、いくつもの箇所に赤い印が書き込まれている。
「状況は?」
「地下二階で二次崩落。東側の避難路が完全に潰れた。西側は火災で通れない。今、南の搬入口から救助路を確保してる」
「取り残されてる人数は?」
「確定できてない。最後の報告では二十人前後」
「行くわ」
「待て!」
歩き出した背中に、鋭い声が飛んだ。
「今は入れない。二次崩落で内部の構造が変わってる。南側も安全確認が終わってない!」
建物を見上げる。
正面入口の向こうは粉塵に霞み、非常灯の明かりが辛うじて見える程度だった。時折、建物の奥から低い軋みが響いてくる。
さっきまで使えていた避難路が崩れたばかりだ。内部のどこが生きていて、どこが次に落ちるのかも分からない。
「あとどれくらい?」
「早くても五分は――」
「それは待てないわね。私なら大丈夫よ」
「何を根拠に――」
最後まで聞かず、走り出した。
「おい!」
背後から声が飛んでくる。
そのまま規制線を越え、建物の正面入口へ向かった。
ガラスの割れた自動扉を抜ける。
外を満たしていたサイレンや人の声が一気に遠ざかり、代わりに火災報知器の甲高い音と、どこかで何かが燃える音が耳についた。
照明の大半は落ちている。
非常灯だけが、粉塵の漂う通路を薄い緑色に照らしていた。
床には商品や案内板、割れたガラスが散乱し、ところどころ大きな亀裂まで走っている。
目的の地下区画は、さっきまで配信で見ていたから大まかな位置なら分かる。
「RAUSCH!」
後ろから足音が追ってきた。
振り返ると、消防隊員が一人、こちらへ走ってくる。
「来たの?」
「一人で入らないでください!」
少し笑って、そのまま二人で走る。
「位置分かりますか?」
「大体は」
「大体で《STOVAR》ぶち込んだりしないでくださいよ!」
「しないわよ」
「しそうだから言ってるんです!」
ずいぶん信用がない。
そう思った直後、頭上から何かがひび割れるような乾いた音が響いた。
「上!」
隊員の声につられて顔を上げると、すでに天井の一部が崩れ始めていた。
固定を失った照明設備がコンクリート片を巻き込みながら落下し、その真下には、私。
少し後ろに隊員がいる。
逃げる代わりに一歩だけ前へ出て右腕を上げる。
「RAUSCH!?」
次の瞬間、数十キロはあるコンクリートと金属の塊が、右腕へまともに激突した。
砕けたコンクリートの破片と粉塵が一斉に飛び散る。
それほどの衝撃をまともに受ければ、普通なら腕一本では済まない。
けれど、私は別。
瓦礫が腕に触れた瞬間、そこに込められていた落下の衝撃を《STOVAR》が吸収する。
骨を砕くはずだった勢いが消え、その力は私の中へ蓄えられた。
勢いを失ってしまえば、ただ重いだけの物体だ。
横へ落とし、軽く右腕を振った。
「ちょうどよかったわね」
「……何がですか?」
答えず前を見る。
先ほどの崩落で落ちてきたらしい瓦礫が積み重なり、通路の半分以上を塞いでいる。
このままでも身体を横にすれば通れそうだったが、一人ずつ抜けていては時間がかかる。
「少し退いてて」
「え?」
「危ないから」
隊員が戸惑いながらも数歩下がったことを確認する。
瓦礫の前まで進み、その中でも特に大きなコンクリート片へ右手を添えた。
《STOVAR》。
受けた物理的な衝撃を吸収し、蓄積する。そして、蓄えた力は好きな時に、触れているものへ、好きな方向で返すことができる。
今私の身体には、先ほど吸収した衝撃が、十分に蓄えられている。
右手を握り、軽く腰を落とした。
拳そのものは、それほど強く打ち込まないでいい。
必要なのは腕力ではない。
接触した瞬間、蓄えていた衝撃の一部を解放した。
腹の底まで響くような重い音とともに、拳が触れた一点からコンクリートへ亀裂が走る。巨大な塊は一瞬遅れて内側から割れ、いくつもの破片となって通路の奥へ弾き飛ばされた。
粉塵が舞い上がる。
その向こうには、人が十分に通れるだけの空間が開いていた。
「……映像では何度も見てましたけど」
「何?」
「《STOVAR》。目の前で見ると、だいぶ無茶苦茶ですね」
「便利でしょう?」
「それは認めますけど――」
そこで隊員は何かに気づいたように、砕けた瓦礫の上へライトを向けた。
「ちょっと待ってください。まさか、この先もこうやって進むつもりじゃないですよね?」
「その方が早いわ」
「むやみに壊さないでください! ここ、崩落現場ですよ!? どの瓦礫が何を支えてるか分からないんです。壊せるからって片っ端から吹き飛ばしたら、上までまとめて落ちてきます!」
「大丈夫、わかってるわよ」
足を止めることなく、瓦礫を跨いで先に進む。
「この先は?」
「あ、はい。地下への通常階段はこの先です。ただ、さっきの崩落で――」
隊員が端末を確認しながら走る。
「地下二階へ降りる直前で閉塞してる可能性が高いです」
「別ルートは?」
「従業員用通路が右奥にあります。ただ、そっちも状況確認できてません」
「近い方から行くわよ」
「はい」
『――誰か!』
足が止まった。
警報音と建物の軋みに紛れ、聞き逃してしまいそうなほど微かな声。それでも確かに人間の声で、どこか遠くから壁や床を伝って届いている。
『誰かいないのか!』
「下ね」
隊員もすぐに端末へ視線を落とし、現在地と地下二階の図面を照合する。
「配信があった区画は、この真下から少し北です。声が反響してる可能性はありますけど、たぶん間違いない」
「なら、こっち」
通常階段へ向かっていた進路を変え、声のする方向へ走る。
『助けて!』
近くなった。
今度は一人ではない。男の声に重なるように別の声も聞こえ、その奥には子供の泣き声らしきものまで混じっている。
生きている。
自然と足が速くなった。
通路の先には、さっきまで小規模な催事でも行われていたのか、倒れたパネルや展示台が散乱した広い空間があった。その中央を大きな亀裂が横切り、一部は床そのものが数センチほど沈み込んでいる。
「この辺り?」
「待ってください」
隊員が図面を拡大し、周囲の柱と照らし合わせながら位置を確認する。
「もう少し奥です。あの柱の向こう」
近づくにつれて、声ははっきりしていった。
『聞こえてるなら返事してくれ!』
「聞こえてるわよ!」
声を張る。
直後、床の向こうからいくつもの声が上がった。
『いた!』
『誰か来たぞ!』
『助けてくれ!』
その反応だけで、かなりの人数が残っていることが分かった。
「そこから動かないで!」
答えながら周囲を見回す。
地下へ降りることだけを考えるなら、床を抜いてしまうのが早い。ただし、どこでもいいわけではない。生存者の真上を抜けば瓦礫を浴びせることになるし、梁の位置を間違えれば自分たちが立っている床まで落ちる。
隊員も同じことを考えたらしく、すでに図面を確認していた。
「ここです」
数メートル先を指す。
「この両側に梁が通ってます。少なくとも図面通りなら、ここを小さく抜く分には荷重への影響が一番少ない。真下は地下二階の通路です」
そこへ片膝をつき、拳ではなく手のひらで数回強く叩いた。
「聞こえる!?」
『聞こえる!』
「今叩いた場所の真下に誰かいる!?」
下で確認しているらしく、少しの間を置いて返事があった。
『いない! こっちから見える!』
「そこから離れてて!」
『分かった!』
立ち上がる。
「開けるわ」
「一気に抜かないでください。周りの亀裂を見ながら――」
「分かってる」
床へ拳を当てる。
さっき瓦礫を砕いた時点で、吸収した衝撃のすべてを使ったわけではない。身体の中にはまだ十分な量が残っている。
この程度なら、それほど要らない。
拳を押し当てたまま、ほんの少しだけ力を流す。
鈍い音とともに、コンクリートの表面へ細い亀裂が走った。
「どう?」
隊員がすぐにライトを向け、周囲の床や柱へ視線を走らせる。
「問題なさそうです。もう少しいけます」
「分かった」
二度目は少し強く。
拳の下で亀裂が枝分かれし、砕けたコンクリートの欠片がぱらぱらと下へ落ちていく。
そこでまた止める。
急いではいるが、ここで床ごと落ちてしまえば意味がない。隊員が確認するのを待ち、合図を受けてからもう一度。今度は拳一つ分ほどの範囲を狙って衝撃を流すと、中央部分が抜け落ち、その向こうに暗い空間が現れた。
下は暗く、舞い落ちた粉塵でほとんど何も見えない。隊員からライトを受け取り、その光を差し込むと、数メートル下に地下二階の床が見え、そのさらに奥で何人もの人影が動いた。
「見える?」
『見える!』
「怪我人は?」
『何人かいる! 歩けない人もいる!』
「意識がない人は?」
少し間があった。
『一人! でも息はしてる!』
「分かった」
ライトを隊員へ返し、穴の周囲を見た。
この大きさでは救助には使えない。
「もう少し広げるわ」
「お願いします」
私が壊し、隊員が確認する。それを何度か繰り返すうちに、穴は人一人が通れるほどまで広がっていった。
「これならいけそうですね」
隊員が穴の縁を確認しながら言う。
「ロープは?」
「すぐ出します」
隊員が背負っていた装備へ手を伸ばした、その時だった。
『……もしかして』
下から声が聞こえた。
『今の、RAUSCH?』
穴を覗き込む。
差し込んだライトの光は地下まで届いているものの、こちらの顔まではよく見えていないらしい。
「ええ、そうよ」
一瞬静かになり、それから歓声が上がった。
『えっ!?』
『RAUSCH!?』
『マジで!?』
『RAUSCH来たの!?』
それまで助けを求める声しか聞こえていなかった地下が、急に騒がしくなった。
奥にいた人間まで何事かと近づいてきたらしく、人影が次々とこちらへ集まってくる。
「ちょっと、穴の下には来ないで。危ないから」
『す、すみません!』
『RAUSCHだって!』
『本当に!?』
『助かった……』
まだ穴を開けただけで、誰一人として地上へ出していない。それどころか、建物そのものがいつまで持つのかさえ分からない。
それでも、私が来たというだけで彼らの声は明らかに変わっていた。
「私、随分信用されてるのね」
思わず口元が緩む。
「そりゃそうでしょう」
ロープを準備しながら隊員が答えた。
「誰だと思ってるんですか」
そうね。
《RAUSCH》だ。
戦闘、知名度、人気、実績。評価基準も媒体もばらばらだが、主要な総合ランキングを見れば、ここ数年ほとんど一位か二位に名前がある。
客観的な立場で考えてみれば、確かに《RAUSCH》が来たと聞いて安心するのもおかしな話ではない。
『RAUSCH!』
下から声が飛んできた。
『本当に助かる!?』
穴の向こうへ視線を落とすと、暗闇の奥に、こちらを見上げる人影がいくつもあった。
私なら何とかしてくれると、本気で信じている人たち。
ずいぶん勝手な期待。
ーーでも、嫌いじゃない。
「そのために来たのよ」
地下からもう一度歓声が上がった。
救急車の周りには、助け出された人たちが集まっていた。
毛布をかぶって座り込む人。誰かを見つけて手を振る人。差し出された水を、両手で受け取る人。
その中に、見覚えのある顔があった。
配信で子供が家で待っていると叫んでいた。
そして、誘導する若者を突き飛ばしたあの中年男だ。
少し離れた縁石に腰を下ろし、電話を耳に当てている。
「大丈夫だよ。ほら、ちゃんと声、聞こえるだろ?」
ずいぶん優しい声だった。
あの若者にも、その声で話せるのかしら。
男は何度か頷いてから、口元を手で覆った。肩が一度、大きく上下する。
「うん。帰るから。ちゃんと帰るから」
……ふふ。
向こうから隊員に呼ばれ、顔を上げる。
私は手を挙げて応じ、その場を離れた。




