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#13 RUSH HOUR / 04

 あら、ちょうどいいじゃない。


 まだ私達には気づいていない。


 男たちは、非常口の前で一度足を止めた。

 先に出た方が左右を見回し、消防車とは反対側を指差す。


「あっちか? とりあえず裏の道まで出れば」

「さっきそっち閉まってただろ」

「おいエリック、どうするんだよ!」


 エリックが舌打ちをした。

 その顔は、疲れと緊張で強張っていた。


 バッグもケースも持っていなかった。

 何を奪ったのか知らないけれど、あれだけのことをして、手ぶらで帰るのでは割に合わないでしょうね。


 私は隊員へ、二人を指して伝えた。


「強盗の関係者よ。警察に連絡して」


 彼が無線へ手を伸ばすのを確かめ、私は彼らの様子を見る。

 どうせ逃げ道は限られている。

 それより――


「離れていて!」


 消防隊員だった。


 搬入口の脇にある小さな管理室。その出入口へ、曲がった鋼材と外れた金属製の覆いが倒れかかっている。

 外側から隊員が長い棒を差し込み、歪んだ扉をこじ開けようとしていた。

 けれど扉は僅かに動くだけで、すぐに何かへ引っかかる。


「何か引っかかってますか!」

「よく見えない!」


 中から男の声がした。

 エリックも、そちらを見た。

 扉の上の割れた窓に、白いシャツの肩が見える。


 入口を押さえている鋼材には、塗装の剥げた黒い跡があった。

 先端が大きく曲がっている。


「行くぞ!」


 仲間が呼び、彼はそちらを向いた。

 仲間の先には、人のいない細い通路があった。あそこを曲がれば、ここからは見えなくなる。


「エリック!」


 もう一度呼ばれ、彼の足が動いた。

 一歩。

 仲間の方へ。


 その時、エリックが止まった。


「……くそっ」


 顔だけを、もう一度管理室へ向ける。


 仲間が何か言った。

 けれど今度は返事をしなかった。

 彼は踵を返し、扉へ向かって走った。


 あら。


「どいて。そっちじゃねえ」


 隊員が振り返る。


「下。そこで噛んでる」

「危ないから下がって!」

「分かってるって!」


 エリックはしゃがみ、斜めに押し潰された金属のカバーを見る。

 その下端が扉へ食い込み、動きを止めていた。

 鋼材そのものを持ち上げる必要はないらしい。


「棒、抜くなよ。俺が言ったら押して」


 隊員が答えるより先に、彼はカバーへ手を当てた。


 私は管理室の反対側へ回り、割れた窓から中を覗いた。

 男が一人、片足を床から浮かせて立っている。足元には破れたガラスが散っていた。


「扉から離れて。そっちの壁につかまって」


 私を見ると、男の目が見開かれた。


「RAUSCH(ラウシュ)……」

「そうよ。動ける?」


 男は頷き、片足を庇いながら身体を横へずらした。


「そこなら大丈夫。開くまで動かないで」


 外へ視線を戻すと、エリックはまだ、金属のカバーへ手を当てていた。


 肩が強張っている。

 一度手を浮かせ、歯を食いしばってから、また押し当てた。


 指の周りから細い煙が上がる。


 そう。

 熱くないわけではないのね。


 逃げればいいのに。

 自分とは何の関係もない人間のために、文字通りわざわざ手を焼いている。


「今! 押して!」


 隊員が棒へ力をかける。

 熱で軟らかくなったカバーの端がゆっくりと持ち上がり、扉へ食い込んでいた部分が外れる。


 隙間が開く。


「もう一回!」


 エリックが声を上げる。


 隊員がさらに押し、今度は、人一人が通れるだけの隙間ができた。


「開いた!」


 中の男が声を上げる。


「待って。足つかなくていいから」


 私は扉へ近づき、開いた隙間から腕を差し入れた。


 隊員が扉を押さえ、エリックはもう金属から離れていた。

 右手を左手で包み、少し離れた場所で背中を丸めている。


 男を外へ出し、近づいてきた別の隊員へ預けた。


「足を怪我してるわ。意識ははっきりしてる」

「分かりました」


 男は連れていかれながら、何度も頭を下げた。

 私へ。

 消防隊員へ。

 そして、エリックへも。


 エリックは顔を上げなかった。


 その前へ立つ。

 私の靴が見えたのか、ようやく顔が上がった。


「……うわ」

「こんにちは」


 今度は、走らなかった。

 私を見たまま、眉間に皺を寄せる。


「いつからいた?」

「少し前から」

「なら先に声かけろよ」

「あなたがどうするのか見たかったのよ」


 口が開いた。

 それから、呆れたように息を吐く。


「……やっぱお前、ネットで見るよりヤバいな」

「ありがとう」

「褒めてねえよ」


 知ってるわよ。


 彼は傷めた手へ目を落とした。

 指を曲げようとして、すぐにやめる。


 私に気づいていたら、わざわざこんなこともせずにお仲間と逃げていたかしら。


「それ、冷やしてもらいなさい」

「分かってる」


 私は手を差し出した。

 彼はそれを見て、それから私の顔を見る。


「何?」

「行きましょうか」

「どこに?」

「警察よ」


 露骨に顔が歪んだ。


「……助けたじゃん」

「ええ。偉かったわね」


 彼の視線が、助け出された男の方へ向いた。

 まだ近くにいる。隊員に何か聞かれ、小さく頷いていた。


「それと強盗は別でしょう?」

「……最悪」


 後ろで、足音が近づいてきた。

 警察官が二人。

 エリックはそちらを見て、次に、もう誰もいない細い通路を見る。


 仲間は待っていなかった。


「置いてかれたわね」

「行けって言ったんだよ」


 そう。

 なら、そういうことにしておきましょう。


 警察官へ引き継ぐ際、火傷をしていることを伝えた。

 エリックは大人しく両手を見せたけれど、そのうち片方を見た警察官が、救急隊を呼ぶ。


「名前は?」

「……エリック・ザンダー」

「能力は」

「《GLUTAR(グルタル)》。触った金属を熱くする」


 なるほど。

 見た通りね。


 警察官が無線で報告している間に、エリックがこちらを見た。


「STOSSA(シュトッサ)は?」

「まだ地下よ」

「……え? それ大丈夫なの?」


 少し、返事が遅れた。


「RETTAR(レッタル)とソフィアが一緒よ」

「そっか」

「デッキが崩れたのは、あなたが鋼材を熱したからよ」


 エリックの顔が止まった。


「……分かってるよ」

「ならいいわ」


 そう答えると、彼は少しだけ目を伏せた。


「好きなのね、STOSSA(シュトッサ)」

「……普通に見るだろ」

「私はあまり見ないわ」

「お前は見られる方じゃん」


 それはそうね。


 エリックは何か言いかけ、やめた。

 少し先で、地下から出てきた人たちが誘導されていく。

 その列へ目を向け、また自分の手を見る。


「こんなことするつもりじゃ、なかったんだけどな……」


 小さな声だった。


「そう。何をするつもりだったの?」

「……荷物取って、帰るだけ。ほんとに、それだけだったんだよ」


 傷めた手を、もう片方の手で包む。


「バンの扉を塞いでた鋼材だって、熱くして曲げればあいつらが出られると思っただけで……まだ上を支えてるなんて、知らなかったんだよ」

「そうね」

「……あれ、俺がやったんだよな」


 エリックは少し俯いたまま、地下から出てくる人たちを見る。

 一人。

 また一人。


 隊員に肩を貸されている人もいれば、自分で歩いている人もいる。


「……俺、そこまでやるつもりじゃなかったんだよ」

「ええ」

「誰か巻き込もうとか、そんなこと考えてたわけじゃないし」

「そうでしょうね」


 エリックが顔を上げた。


「……信じるのか?」

「こんな大それた被害を出そうとするタイプには見えないわ」


 少しだけ目を細める。


「それでも、あの鋼材を熱したのは、あなたなのよ」


 エリックは何も言わなかった。

 また視線を落とす。


「……分かってるよ」


 今度の声は、さっきより小さかった。


 救急隊員が来ると、エリックはそれ以上何も言わなくなった。



 事情を聞かれるのは、私の方も同じだった。


 最初に男たちを見た場所。

 エリックを残して逃げたバンが、バスの進路を横切ったこと。

 バスがトラックに衝突し、そのトラックがデッキの支柱へ突っ込んだこと。

 そのあと、バンの扉を塞いでいた鋼材をエリックが加熱していたこと。


 見た範囲のことを順に話している間にも、駅前には人が出てきた。

 地下から上がってきた人間が家族を見つけて走り出し、その場で泣く。


 さっき何度も電話をかけていた女性も、その中にいた。

 年配の女性の肩を抱いて、今度は何か怒っている。


 心配した、と。どうして電話に出ないのか、と。


 もし出てこなかったら、どうしていたのか。

 それは、もう見られない。


 私は親子の様子を見ながら受け取った水を飲み、次の質問へ答えた。



◇◇◇



 それから、随分時間が経った。

 空はすっかり暗くなり、広場には仮設の照明が並んでいた。


 地下の避難が終わったと聞いたのは、私が二度目の聞き取りを受けている時だった。

 RETTAR(レッタル)はまだ、消防と一緒に残っているらしい。


 さっきまであれほど上がっていた煙も、今は薄くなっている。

 駅員の案内放送が、運転を見合わせている路線を繰り返していた。


「イリス」


 声に顔を上げると、ソフィアがいた。


 髪も顔も、随分ひどいことになっていた。

 袖の血は乾き、頬には拭いた跡が筋になって残っている。

 彼女は私の手元を見た。


「何食べてるの?」

「パン」

「それは見れば分かる」


 袋を差し出すと、一つ取った。

 隣へ腰を下ろし、包みを開ける。


「終わった?」

「この人たちの質問が終われば」


 そばの警察官が、苦笑した。


「もう大丈夫です。ありがとうございました」

「こちらこそ」


 ソフィアがパンへ齧りつく。

 それから、長く息を吐いた。


「……疲れた」

「よく働いてたわね」

「今日、まだ撮影あったんだけど」

「その顔で行くの?」

「延期になったよ!」


 笑っていると、少し離れたところを歩いていたSTOSSA(シュトッサ)が足を止めた。

 手にしたスマートフォンへ目を落とし、それからこちらへ近づいてくる。


「まだ配信してるの?」

「もう切りました。バッテリーも少ないし」


 そう言いながら、画面をソフィアへ向けた。


「ソフィアさん、これ、もう見ました?」

「何?」


 私も横から覗いた。


 二枚の写真が並んでいた。

 上は、駅前のビジョンに流れるソフィアの広告。

 下は、そのすぐ下で怪我人を背負っているソフィア本人。

 ライトを受けた顔に、煤と汗がはっきり写っている。


 誰か、撮っていたのね。


『同じ人なんだぜ、これ』


 添えられていたのは、それだけだった。

 けれど、その下には既に何万もの反応がついている。


 ――下の方が好き

 ――普通に泣いた

 ――事故現場まで広告にするなよ

 ――顔ひどいとか言ってるやつ同じことやってから言えよ

 ――LUMEA推しててよかった

 ――上のリップどこの?

 ――救助の画像見て購買意欲湧くの草

 ――構図よすぎて逆に仕込み疑う

 ――俺もこの人に背負われたい

 ――被害者の顔ちゃんと隠せよ

 ――LUMEA今日ほんとお疲れ


「うわ、最悪。顔ひどい」


 隣から、本人の感想が聞こえた。

 私は笑ってしまった。


「でも、伸びてるわよ」

「そこ?」

「あなたなら気にするでしょう?」


 ソフィアがもう一度画面を見た。

 指先で少し拡大し、自分の顔を確かめる。

 それから、表示数へ目を落とした。


 少しだけ黙る。


「……まあ、伸びないよりはいいけど」


 そうでしょうね。


「これ、撮った人に連絡してもらおうかな」

「使うの?」

「背負ってる人の顔は隠す。あと、もう少し別の写真がないか聞く」

「顔が綺麗に写ってるもの?」

「せめて目を開けてるやつ!」


 STOSSA(シュトッサ)が吹き出した。

 ソフィアは彼を睨んだけれど、その口元も、もう緩んでいた。


 画面の中では、まだ数字が増えている。

 私たちの向こうでは、規制線を張り直している警察官がいた。

 帰れなくなった人たちが、駅員の前に列を作っている。


 そのうちの何人かが、こちらを見つけた。


 スマートフォンが上がる。


「ソフィア」

「何?」

「撮られてるわよ」


 彼女が顔を上げた。

 向けられたカメラを見つけると、食べかけのパンを膝へ置き、いつものように笑った。

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