#12 RUSH HOUR / 03
消防車の脇を、担架が通っていく。
道を空けるように言われた人たちが左右へ寄り、救急隊員の呼ぶ方へ、別の隊員が走った。
地下には、まだ何人いるのかしら。
東口から上がってきた人間が、下にまだ大勢いると言う。
別の人間は、向こうの出口から出ているはずだと言う。
その出口が塞がったと聞いて、一度地上へ出た人間まで階段へ戻ろうとする。
「行かないで。今、確認してるから」
「でも、連絡がつかないんです!」
女性がスマートフォンを差し出してきた。
画面には、呼び出し中の表示が出ている。
「どこにいるって?」
「地下のパン屋です。母がそこで待ってるって、さっき」
横にいた隊員へ伝えると、彼はすぐに図面を確認した。
女性もその手元を覗き込む。
「ここ、ここです!」
指先が震えていた。
母親の居場所を示す丸が書かれると、彼女はようやく画面を自分の方へ戻した。
そして、また電話をかける。
そうよね、今度は出るかもしれないものね。
もし、このまま母親が出てこなかったら、この人はどうするのかしら。
「RAUSCH」
聞き慣れた声に振り返った。
オレンジと濃い灰色の救助服。その肩越しに、消防隊員が何人も続いている。
「来たのね」
「地下は?」
黒瀬宗志郎。
RETTARは、私の返事を待ちながら、煙の流れ込む階段を見ていた。
「ソフィアが情報を集めてるわ」
呼ぶより先に、彼女がこちらへ走ってきた。
息が上がっている。額に張りついた髪を払った指まで、黒く汚れていた。
「RETTAR、地下にまだ人がいる。東は煙、西は崩落。南口は生きてるけど、地下広場からそこへ行く通路が塞がった。地上の重傷者は北側」
「位置は」
「駅の警備室と連絡がついてる。カメラで見える範囲だけなら、地図に」
隊員が端末を差し出した。
RETTARはその画面を見て、今度は地下入口へ目を向ける。
「北から入る」
「北は煙が濃いです」
「入口だけだ。途中で店舗の裏へ抜ける」
そこで、端末の図面へ指を当てた。
「この先の防火戸は?」
「閉まっています。店員が内側に。開けられるそうです」
「連絡してくれ」
隊員が無線へ話しかける。
RETTARはもう、北側の階段へ歩き始めていた。
私たちもあとを追った。
階段の手前で呼吸器を受け取り、マスクをつける。
ソフィアは駅員に預けていた私のバッグを指して、あとで取りに来るから、と頼んでいた。
「イリス、まだ使える?」
「ええ。あなたは?」
「大丈夫」
ソフィアはそれだけ答え、RETTARのあとへ続いた。
STOSSAもスマートフォンをスタッフへ渡し、こちらへ走ってくる。
「配信は?」
「外で続けてもらってます。案内も更新するって」
「そう」
階段を下りる。
地上の騒音が遠ざかり、代わりに警報の音が大きくなった。
踊り場の先は煙で白く霞んでいる。足元へ目を落とすと、前を行く隊員の靴が、もうぼんやりしていた。
RETTARは足を止めなかった。
階段を下り切る前に横の扉へ入り、店員が開けて待っていた防火戸を抜ける。
扉の向こうは店舗の裏側だった。
段ボールの積まれた狭い廊下。流し台。床へ倒れた調理器具。
少し進むだけで、煙は随分薄くなった。
「ここを通れるの、分かってたんですか?」
STOSSAが尋ねた。
「ああ」
「図面だけで?」
「能力だ」
短い返事だった。
STOSSAはこちらを見る。
「あなた、RETTARとは初めて? 《WEGRA》よ。行き先までの、安全に通れる道が分かるの」
「……めちゃくちゃ便利じゃないですか」
「ええ。だから救助で張り合うのはやめた方がいいわ」
前を歩くRETTARへ、隊員がまた一つ、取り残された人の居場所を伝えた。
彼はそれを聞いて、分かれ道を右へ曲がる。
居場所まで見つけてくれる能力ではない。
それでも、行く先さえ教えてもらえば、この煙の中で道に迷うことなどない。
RETTARが足を止めた。
厨房の先。従業員通路へ出る扉の向こうに、床へ落ちた壁材が積み重なっていた。
右側には人一人が横向きに抜けられる隙間がある。
RETTARはそこをライトで照らし、向こうへ声をかけた。
「救助です。そこから動かないでください」
返事があった。
一人ではない。
彼はもう一度通路の両側を見て、STOSSAへ顔を向けた。
「あの塊を右へ。左には人がいる」
「右ですね」
「担架が通る幅まででいい」
STOSSAがしゃがみ、床へ斜めに落ちたコンクリート片を見る。
押した先は、無人の搬送用の窪みだった。
後ろを確認してから、片足を引く。
「ちょっと下がってください」
RETTARと隊員が離れた。
STOSSAの掌が、瓦礫へ向く。
一度目の衝撃波で、塊が少しずれた。
靴底が床を擦り、彼自身も後ろへ滑る。
すぐに立ち位置を戻し、もう一度。
今度は、通路の中央が空いた。
「このくらい?」
「ああ」
RETTARが隙間を通り、向こう側へ出る。
隊員に何か伝えたあと、こちらへ振り返った。
「南の階段まで抜ける。こっちへ出してくれ」
その先から、人の声が近づいてきた。
照明の落ちた通路に、ソフィアの光が入る。
隊員のライトが、彼女の指先の動きに合わせて足元へ広がった。
私たちが通ってきた厨房の段差まで、細く明るくつながっていく。
その手前で通路は二つに分かれていた。入ってきた北の階段ではなく、厨房脇から南の階段へ抜ける方へ、隊員が人を送っていく。
「この明るいところを通って! 走らなくていいから!」
最初に現れたのは、子供を二人連れた女性だった。
その後ろから、制服姿の店員。腕を押さえた男。
何人もの人間が、肩をすぼめるようにしてこちらへ来る。
ソフィアの顔を見た女の子が、歩きながら口を開けた。
「LUMEA……?」
「そう。足元見てね」
「え、ほんとに」
「本当。本物だから、ちゃんと歩いて」
女の子は頷いた。
それでも数歩進んでから、また振り返る。
私と目が合うと、今度は足まで止まった。
「RAUSCHもいる」
「ええ。いるわよ。だから大丈夫。前を見て歩いてね」
後ろの母親らしい女性が頭を下げ、女の子の肩を押した。
去り際、その女性も私を見た。
口が少し動いたけれど、何も言わずに歩いていく。
あなたも何か言いたかったのかしら。
通路の向こうでは、STOSSAが歩けない男を背負っていた。
さっきまで空を飛んでいた人間が、今度は頭をぶつけないように、ゆっくりと腰を屈めている。
「揺れます。痛かったら言ってください」
「大丈夫大丈夫」
男が小さく笑った。
STOSSAも笑い返し、そのまま一歩ずつこちらへ進んでくる。
RETTARは道を確かめ直し、隊員の一人を違う通路へ向かわせる。
やっぱり、この人が来ると速い。
私は通路の奥へ入り、二人の隊員と一緒に、足を怪我した女性を担架へ移した。
その脇で、小さな男の子が私の袖を掴む。
「おばあちゃんも来る?」
「一緒よ」
「歩けないって」
「だから、これに乗るの」
担架を指すと、男の子はそれを見た。
しばらく見てから、ようやく私の袖を離す。
「押していい?」
「押さなくていいわ」
張り切ってるわね。
怖がっていたのに、自分にできることが見つかると急に元気になる。
「そっちの隊員と一緒に歩いて。おばあちゃんから離れないでね」
大きく頷いた。
その頷き方があまりに真剣だったので、少し笑ってしまった。
担架を送り出したあとも、しばらく同じことを繰り返した。
担架が通り過ぎるのを待って、壁際へ寄せた荷物をもう少し奥へ押した。
戻ってきたSTOSSAがその反対側を持ち、狭いところだと全然飛べないっすね、と小さくぼやく。
ようやく最初の区画の確認が終わる頃には、肩に呼吸器の重さを感じるようになっていた。
RETTARはまだ先へ行くつもりらしい。
無線で地上と話していた隊員が、彼へ近づいて何かを伝えた。
「地上に戻ってくれ。北の搬入口側で手が足りてない」
私へそう言い、近くの隊員を呼ぶ。
「ここから上がれる。案内を」
「分かったわ」
ソフィアはこちらを見て、短く手を上げた。
私も同じように返してから、隊員のあとを追う。
厨房脇の階段を上がり、外へ出た。
マスクを外すと、冷たい空気が頬へ触れた。
商業施設の北側だった。
広場の方からは放水の音が聞こえてくる。消防車の陰を抜けたところで、少し先の非常口が開いた。
男が二人、出てきた。
一人は、赤茶色の髪。




