居候教師エレナ
南通りから東通りへ抜ける道。
午前の市場は活気づき、露店の客引きの声が響く中、エレナは堂々と胸を張って歩いていた。
その後ろで、クラウドとリィンが少し離れてついて行く。
「……エレナ先生、少し待ってください。まだ出会って一日しか――」
「いいえ、まずは行動よ!考える前に動く。動きながら考える!それが炎の教えなの!」
「……なにその教え…。燃え広がっていく感じがしてヤバい」
エレナはまるで聞いていない。
「だってさ、クラウド君!ギルドの資料室のあの狭い空気で、火の精霊が宿ると思う?無理無理!」
「お金が無いから勝手に住み着いていたと聞いてますが…」
「そうなのよ不幸だわ!生きる環境は魔法力に直結するの。寝床も火力のうち!」
「話を聞かなすぎてヤバい…」
リィンがくすくす笑う。
「せんせー、ギルドにすんでたの?」
「んー、住んでたというか……居座ってた?」
「いいなー、リィンもギルドにすみたいなー」
「可愛い子ねリィン。火に愛されてるだけじゃない、人に愛される才能もあるわ!」
クラウドが思わず額を押さえる。
(思考が奔放過ぎる……母さんと似たタイプかもしれない)
──ギルドに着いた。
昼前のギルドはまだ静かだ。
受付のシェリーが、入ってきた三人を見て目を丸くする。
「あら?戻ってきたの、エレナ?」
「戻ってきたというか、卒業報告よ!」
「……は?」
そのままカウンターに身を乗り出し、エレナは高らかに宣言した。
「本日をもって、私はギルド資料室を卒業します! そして――家庭教師エレナとして再出発するの!」
ギルド中の視線が一斉に集まった。
奥のドアから、ゴルドが出てくる。
「おいおい、何の騒ぎだ……って、お前かエレナ!」
「ゴルド!私クラウド君の家に行くから。引き払いに来たわ資料室」
彼は頭を掻きながらため息をつく。
「クラウド。エレナの奴、今度はお前んとこに住み着く気だぞ?大丈夫か?返品は受け付けんからな」
「えっ!ダメなんですか?」
「こらこら、クラウド君!冗談キツいわよ、メッ!」
片目をつぶって、可愛いらしく拳を持ち上げるエレナ。その拳には炎が握られている。
「……しょうがないのでウチで引き取ることにします」
「ふふふ、わかればいいの!だって運命がそう言ってるのよ!」
ゴルドはじろりとクラウドを見る。
「ふむ。お前さん、本気でこの女を雇うつもりか?」
「……はい。少なくとも、火を絶やさないタイプだとは思います」
「上手いこと言ったな」
リィンが手を挙げて元気よく言う。
「せんせーがきたらなんかリィンたのしくなった!」
「……そうか。そいつは良かったぜ」
ゴルドは目を細めてリィンの頭を撫でる。
「よし!仲介料はロハにしてやる。エレナのことよろしく頼むぜ」
シェリーが呆れ顔で書類を取り出す。
「じゃあ、このまま“居住兼任登録”しておくわ。エレナ、ここに住所ちゃんと書いてね」
「わかったわ!クラウド君!家の住所は?」
「……エレナ先生から、ちゃんと父さんと母さんに説明してくださいね?居候の件。僕が怒られちゃうんですからね?」
「大丈夫だいじょうぶ。このエレナ先生に、大船に乗った気持ちでドーン!と任せなさいな」
クラウドの冷たい視線を受け流しながら、エレナは胸を張った。
「よし、これで正式に“居候兼家庭教師”ね!」
「そんな肩書き聞いたことないです!」
その場の笑いと呆れが一通り収まるころ、ゴルドはにやりと笑った。
「まあいい。クラウド、せいぜい気をつけろよ。炎は、放っとくとすぐ燃え広がる」
「……はい。水魔法の準備はしておきます」
リィンが笑いながらエレナの手を取る。
「せんせー、うちにもどろ!」
「ええ!今度はお昼ごはんね!火の芸術を見せてあげる!」
大した荷物も無く、カバン一つで資料室から出て来たエレナの足取りは軽く、もう完全に“我が家”へ帰る人のそれだった。
クラウドは小さくため息をつきながらも、その横顔を見て思う。
(……確かに、この人がいると家の空気が温かくなるな)
そんな三人の姿を見送りながら、ギルドの面々は口々に言った。
「これでギルドも静かになるな」
「うん。ちょっと寂しくなるね」
「……あの家、たぶん一気に騒がしくなるな」
ギルド長室に引き返しつつ肩を回すゴルドの背中に、シェリーが声を掛ける。
「ギルド長、なんだか娘が出て行くみたいで、寂しくなってない?」
「は?馬鹿言え。やっとこさ厄介払いができて清々してるところだぜ」
「ふーん、そう。ならいいけど」
「ハッ!」
バタンと、ギルド長室のドアが閉じられた。そしてその日、正式でも非公式でもない“居候教師エレナ”が誕生した。
————
玄関の扉が開くと、家の中から柔らかな日差しと笑い声がこぼれた。
戻ってきたクラウドとリィン、それにエレナ。
リビングでは、先に訪れていたフィーネとケイトが談笑していた。
「あっ!クラウド、おかえり!」
「不躾ですが、ガランドさんにお通ししてもらってましたわ!」
二人が振り返った瞬間――
彼女たちの視線はクラウドの後ろに立つ“赤い存在”に吸い寄せられた。
陽光を浴びて燃えるように輝く長い赤髪。
腰まで流れる髪を無造作にまとめ、金の瞳がいたずらっぽく笑う。
白いブラウスに黒いタイトスカート、その上にかけた真紅のショールが炎のように揺れた。
健康的な曲線の体つきと長い脚、立っているだけで視線を奪う――そんな女。
(……なんて綺麗な人)
(……大人の女性って、こういうことを言うのね)
フィーネとケイトは、同時にエレナの魅力に目を奪われた。
エレナは二人の顔を見比べ、にっこりと微笑む。
「まあまあ!なんて可愛い子たちなの!クラウド君のガールフレンド?」
「えっ!?あ、そうかも」
「い、いえ……はい!」
クラウドが慌てて手を振る。
「ちがいます!こっちはフィーネで、こっちはケイト。僕の友達です」
「ふぅん、友達ねぇ……。可愛いお友達ね。目がきらきらしてる」
エレナは意味深に笑って、リィンの頭を撫でた。
「この家、なんだかあったかいのよね。やっぱり精霊に愛されているのね」
フィーネが小首を傾げて尋ねる。
「……あなたは…どなた?」
「私はエレナ・アルヴェーン。火魔法の専門家で、いまはリィンの家庭教師――兼、居候ってとこかしら?」
「い、居候……!?」
二人の声がハモった。
ケイトが瞬時に笑顔を作る。
「そ、それは……賑やかでよろしいですわね」
その笑顔の奥で、目だけが鋭く光っていた。
フィーネも微笑みながら、髪を耳にかけて言う。
「一つ屋根の下で、先生と一緒に過ごすなんて……ね。クラウド、ずいぶん楽しそうじゃない」
クラウドは額に手を当て、ため息をつく。
「……なんか、変な誤解してない?」
エレナはそんな空気もお構いなしに笑い飛ばした。
「誤解なんてないわよ。若い子と一緒に暮らすなんて、わたしも張り切っちゃうもの!」
その言葉に、フィーネとケイトの笑顔がぴくりと固まる。
「そ、そうですか……」
「……張り切る、んですね」
リィンが場の空気を読んだのか、両手を広げて言った。
「ねえねえ!みんなでおやつたべよ!」
「そうね!リィンちゃんの言う通り!」と、エレナは即答。
「お菓子を焼きましょう!クッキー!火魔法の練習よ!」
ケイトが小声で呟く。
「……“火魔法の練習”ってお菓子作りなんですの?」
「多分……そういう教え方なんだと思う」
「お菓子作りが魔法の練習なんて変なんだよ…」
フィーネがクラウドに囁くと、彼は苦笑した。
「まあ……エレナ先生はそういうものなんだよ」
赤髪の“炎の女”が笑い、
フィーネとケイトが同時にため息をつく。
――クラウドの家には、今日もまた新しい嵐が吹き荒れそうだった。




