エレナの神託
翌朝。
南通りの石畳に、朝日が静かに降り注いでいた。
鍛冶場の煙突からは薄い煙が立ち上り、早起きの商人たちが通りを行き交う。
ミリィは少し早めに目を覚ました。
二日目の出勤。昨日の緊張も少しほぐれ、気持ちに余裕がある。
寝室で支度を整え、階段を下りながら思った――
(さて、朝ごはんの準備をしないと)
ところが。
台所に一歩足を踏み入れた瞬間、香ばしい香りと共に聞こえてきたのは、見知らぬ鼻歌だった。
「るんるんる〜ん♪ 焦がさない焦がさない……はい、完璧!」
赤色の髪をタオルでまとめた女が、軽やかにフライパンを振っている。
ミリィは目を瞬かせた。
「……え?エレナ、なんで――」
「あっ、おはようございますミリィさん!」
エレナが振り向き、まるでこの家の主のように明るく挨拶した。
「朝は熱と匂いが大事なの!家の空気が起きるのよ」
ミリィは目を丸くしてエレナを見る。
「すごい…!ご飯作ってくれてるの?」
エレナはにっこり笑い、まるで自分の家のように明るい声を上げた。
「はい!朝ごはん作っておきました!昨日の勝負で少しお邪魔しすぎたから、せめてお礼をと思って!」
ミリィは一瞬、言葉を失った。
勝負の翌日にお礼の朝食――そんな発想、初めてだ。
ミリィは呆気に取られながらも、フライパンの中身に目を向けた。
見事な焼き色のオムレツに、香草のスープ、焼きたてのパン。
手際も、盛りつけも完璧だった。
そこに階段の上から声が響いた。
「おはよう、母さん!」
「おはよー!」
クラウドとリィンが降りてくると、テーブルいっぱいの朝食に目を丸くする。
「わあ、すごい! にーに、パーティー?」
「まさかエレナ先生が?」
「その通り!」と、エレナは胸を張る。「朝は炎と水のバランスが大事なの。魔力も料理も同じよ!」
リィンがパンを手に取り、かじって目を輝かせた。
「おいしいっ!これ、せんせいのごはん!?」
「ええ!おかわりもあるわよ!」
ミリィは思わず溜息をついた。
「すっごく嬉しい……けど、なんだかもう完全に家の人みたいね」
「え?だって今日も来る予定だったし?」
エレナはさらっと言いながら、パンを切り分ける。
「泊まれて私も楽しかったし……まあ、結果論?でもほら、朝ごはん作ったからチャラでしょ?」
「チャラって……どういうこと?よくわからないけど」
「エレナ先生の理屈はよくわからないんだよ」
クラウドが肩をすくめてミリィが額を押さえる横で、ガランドが鍛冶場から顔を出した。
「なんだなんだ、朝からえらく賑やかだな……って、おい。えらく立派な朝飯じゃねえか」
「おはようございます!今日もよろしくお願いしまーす!」
「おう……なんかもう、当然みてえに居るな……」
ガランドは苦笑して席に着いた。
「まあ、うまいなら文句ねえ。いただくか」
焼きたてパンの香ばしさに、全員の顔がほころんだ。
食卓を囲む家族の中で、エレナだけがひときわ明るく笑っている。
誰も「いつまで居るの?」と聞けないまま、朝は過ぎていった。
その笑顔の勢いに押されるように、彼女の居場所が自然と“できて”いったのだった。
「じゃ、いってきます。エレナ先生リィンのこと、よろしくお願いしますね」
ミリィが上機嫌で家を出て行く。首尾よくエレナの就職は、ここに決定したようだった。
「えへへ〜、母上殿に認められたみたいね」
「…まあ、これで決まりですね。エレナ先生、これからよろしくお願いします」
手を差し出すクラウド。その手を握り返し微笑むエレナ。「よろしくね〜、エレナせんせー!」リィンもご満悦だ。
「じゃあ、さっそく家事をやるわよー!お掃除……はこの家妙に綺麗なのよね。食器洗い?お洗濯からかしら?」
「あ、食器洗いと洗濯は僕が得意なのでやりますよ。洗ったあとの片付けをリィンと一緒にお願いできますか」
「あら?私も洗うわよ?」
「まあまあ、少し見ていてください」
そう言ってクラウドは、油汚れを魔法で取り除きつつ、水魔法と念動力を使って、洗い場の食器を一気に洗い出した。
「え?え?ええ〜〜!?」
ものの数十秒で洗い終わる、皿やカトラリー。仕上げに水気も除去されて積み重なっていく。
「な、な、何今の魔法……?」
「ふふ、名付けて洗浄魔法、ですかね。さあ次は洗濯です」
「すごいわ……。名前はそのまんまだけど……」
ガクッとずっこけるクラウド。気を取り直して、裏庭で大きな水球を作る。洗濯物をどんどん水球に入れ、回転させる。昨日と同じ要領だ。
エレナは、洗濯の様子を呆然と見つめる。
「クラウド君…。君、一体何者なの!?…ハッ……まさか、水の精霊がついているの!?」
「残念ながら。僕は精霊が見えたことは無いですね」
「…あ、ありえない!こんな大きな水球も、それをこんな精緻に制御していることも」
パッと水を消し去り、すでに乾燥した衣服を浮かべ、クラウドは振り返る。
「よく驚かれます。さ、畳んで収納しますから、手伝ってください」
「……」
無言で立ち尽くすエレナ。「さ、たたんでしゅーのーするよー」と、リィンがエレナの手を引く。
リビングに戻り洗濯物を終えると、エレナが震える声で言った。
「…すごい……」
「……え?」
「すごいわ!ここよ!ここだわ、運命よ!天佑よ!いや、これは神託?」
興奮して立ち上がるエレナに、クラウドは恐る恐る声を掛ける。
「……大丈夫ですか?」
「せんせーだいじょうぶ?」
「いいえ!大丈夫!あー!なんて、幸せなの!火に愛された子と水に愛された子。その教鞭を取ることになるなんて!時代の運命を握る重責に押し潰されそうだわ!」
捲し立てるエレナに、クラウドは冷静に伝える。
「あの、僕は水に愛された子ではないし、エレナ先生に教鞭を取って頂く予定はないのですが……」
「そうと決まったらさっそくギルドに行くわよ!ギルドの資料室も、名残惜しいけれどしょうがないわ!だって運命だもん!」
「…あの?先生?聞いてます?」
「ん?クラウド君、リィン出掛けるわよ!準備してちょうだい。聞いてたでしょう?」
「きいてない…」
「ふふふ、リィンはまだ小さいからわからなくて当然よ!でもね、これはすごいことなの!早くしなくちゃね」
慌ただしく出掛ける準備をさせられた二人は、エレナに引っ張られるようにギルドに向かうのだった。




