第二百六十八話『純粋』
ゼントにとってのセイラは、時期によってその存在が大きく異なる。
第一印象は奇麗なお姉さんくらいか。正確な歳は分からないが自分よりも年上で包容力のある。そして凛とした佇まいに埋もれた影も見落としていなかった。
だがそれ以上でもそれ以下でもなく、ただただ端正な顔立ちだと遠くから思っている。
恋人が存命の時期は眼中になく、亡くなってからも接触があるわけでもなく。
しかし最近は見方が劇的に変わった。ライラがいなくなってからは特に。
やはり彼は人肌恋しかったのだ。寂しさを埋めるための話し相手を、頭ではだめと知りつつも心はいつでも求めていた。
単純に新たな恋人がほしいという意味ではない。でもユーラでもジュリでも賄えない欲求を満たしたかった。
ライラが消えた後の精神的に不安定な時期、そういう意味でセイラの存在は非情に条件が整っていた。
ユーラにサラ、そしてジュリ。節操もなくとっかえひっかえというわけではない。ただ本人の意図することなく翻弄されているだけ。
ともかく、心を許せる相手が。冒険者協会支部の長であるカイロスとはまた違った意味で、悩みなどを気兼ねなく打ち明けられるような存在を求めていた。
ユーラは精神が壊れ、サラは町を去って……そしてセイラもまた、他の人たちと同じのように消えてしまうのではという予感がゼントにはあった。
なぜ自分の周りだけ。いや、卑屈になりすぎて他がよく見えてないのだろう。きっとそうだと彼は自分自身を丸め込んだ。
しかしまさか、よりによってこんな一番惨い形になるとは誰が想像できただろうか。
だが当然、ゼントは彼女を殺させたりはしない。そのために今までになく悪知恵を働かせ行動しているのだから。
具体的には……セイラから預かっている金を使う。自警団の何人かに賄賂を渡して、それでどうにかするのだ。
彼女の財産を使ってこんなことをするのは申し訳ないが本人の命を助けるためだ。それにセイラも必要な時は使っていいと言っていたような気がする。もしや、こうなることを予見して資金を寄こしていた?
……戯言はよそう。とにかく好機は今夜、今夜一度きりしかない。成功しても失敗しても、明日になれば町に居づらくなるだろう。
ゼントは家で夜の帳が下りてくるのを待って行動に打って出る。
自宅では何気なく過ごしていたつもりだったが、ジュリが神妙な面持ちで近寄ってきた。
もしかして、いやきっとゼントが何をしようとしているのか気づいているのだろう。悪事に手を染めることを止めるさせるではなく、ただただ心配しているのだ。
ゼントは彼女の頭を優しく撫でるだけ。その手は目に見えないほど小刻みに震えているのだが。
ユーラが眠りに就くのを待って、床下に隠しておいた金の袋を一人持ち出す。
そして持ち物はそれだけかと思いきや、何を思ったかゼントは懐に小さい刃物を忍ばせた。
いつもの詰め所に彼は向かう。町に点在する薄明かりを盗人のように抜け、建物の正面まで。
幸いなことに見張りは一人だけ。害意はないことを伝えるため、遠くから気さくな声を掛ける。
「おーい!」
寝静まった町に響く掛け声。内心は慄きに満ちて、吐き気を催すほどに緊張していた。
だがそれを全て自分の中で押し殺し、相殺するために精一杯の笑みを携えて。
見張りをしていた男は当然警戒心を持って睨み返してくる。
だが心配することはない。強引に警備を突破するつもりは然程ないのだから。
「こんな時間にどうした。ここに用があるなら昼間にしてくれ。それとも急用か?」
「要件は一つだ。今ここに連続殺人犯が収容されているだろう。彼女を解放してもらいたい。もちろん報酬はたんまりと出す。十年くらいは遊んで暮らせるくらいの額を」
それは単刀直入に、自分でも落ち着いて話せたことに驚いた。まるであくどい商売を持ちかける薄汚い商人のように媚びを売りながら。
右手にははちきれんばかりの金袋。大きな代償と引き換えに、容易に協力者へありつけると踏んでいたのだが。
「……お前、自警団を舐めているのか。我々も安くみられたものだな、金なんて言う分かりやすい餌に釣られる者が我が組織に入るものか」
「信じてないのか? ほら、この袋の中身を見てくれれば……」
予想と大いに違う反応を見せられてゼントは酷く焦る。そのせいで、思わず会話を脳内で巻き戻して支離滅裂な言葉を返してしまう。
まだ上手く行くと思い込んだのだろうか。だが門番の男は靡かず、首を縦に振らない。それどころか逆に強迫してくる始末。
「さて、お前の顔は知っているぞ。生かすも殺すも俺次第だな。金は要らんのだが、どうしてくれようか」
不機嫌になったかと思えば自分の立場が上と知るや否や人が変わったように横柄になった。
状況は非常にまずい。想定していなかったわけではないが、どうやら楽観的に捉え過ぎていたようだ。
男の意地の汚らしい眼光。ゼントだって罪を犯した。だから真っ当な要求が聞こえてくるはずがない。
――だからここは一つ、考えていた最後の手段を選択することにしよう。
そうためらうことなく感じたゼントは、自身の懐の小さな刃に手を掛けた。




