第二百六十七話『突沸』
ゼントは通りを走っていた。全速力で、息が切れようと無呼吸で駆ける。
行くべき先など語るべきではない。何があったのかを自分の目で確かめるために。
両脚を千切れんばかりに動かしている最中、ゼントの頭の中は後悔の念で溢れていた。
セイラがおかしかったとはいえもっと注意を向けるべきだったのだ。特に昨日は特別におかしな言動があったというのに。
カイロスは一目散に走り行く彼を止めなかった。無駄足とは知りつつ、ゼントの気持ちも抑圧したくなかったから。
家に残っている者に会釈してカイロスも後を追う。しかし眼には諦めが宿っている。
ゼントが向かったであろう場所へ向くと、予見した通り彼は居て自警団の団員と揉めていた。
「なんでだ!? なぜセイラに会えないんだよ!!」
「同じことを言わせるな、事件の犯人は彼女で決まったのだ。もう収容場所も移して厳重な監視下に置かれている。防犯上の理由で何人も会うことは許されない」
「そんなん納得できるわけがない!どうせお前らがセイラを拷問して無理やり自白させたんだろ!?」
「何を失敬な! ……確かに自白させることも考えてはいた。確かに我々は尋問をしようとしたが、その矢先に被疑者の方から話があると自白してきたんだ」
ゼントはいつにも増して感情を露わにしていた。言葉遣いも荒々しく初めて見るゼントだ。
これは解れた二人の関係の証左か、番人との口論は次第に勢いを増し始め、下手をすれば殴り合いに発展しそうだった。
しかしあと少しのところでゼントが一歩引き、顔をしかめながらも再び交渉を始める。
「とにかくセイラに会わせてくれ。それで全ての誤解は解ける。昨日までは見張りも無しに面会ができたはずだ」
「それはもう許されない。以前は犯人を問い詰めるための証拠探しに人手を割いていたから仕方なく。だが我々は今後事件の捜査を打ち切る、最後の襲撃からもう二週間、住民からも文句は出まい」
「だからって……!」
「ゼント――」
もう少し大人な対応を期待していたが、このままでは埒が明かなそうだったのでカイロスは彼の肩を叩く。
咎めるつもりは毛頭ない。カイロスも一方的に怒鳴りつけたのだから。
脊髄反射のように瞬時に振り向いたゼント。一度は踏み止まりはしたが、目は血走って辺り構わず敵意をむき出しにしていた。
「ここは退こう。俺も交渉はしたが無理だった」
もはやここで強引に引かせても火に油を注ぐだけ。何とか諭そうと宥め、隙を作ってから腕を引く。
その後ろで団員はやれやれとため息を吐いて、深い帽子の裏側で面倒くさそうな表情をしていた。
先程の言い争いで人目を引いてしまっている。路地裏に、泥棒のように逃げ込んだ。
その途中もゼントは心を失っているのか、下の方を向いて必死に考え事をしているようだった。
引きずられながら零れた思考が独り言として漏れ出てきている。
「セイラ、どうして…………でも考えてみればセイラは事件の解明を追っていたのに、その情報提供に非協力的だったのはおかしかったんだ。今回自白したといっても何か事情があったからに違いない」
まだ諦めという文字は頭に浮かんでいないようだった。今にも団員ともう一度話に行きそうな勢いだった。
一方のカイロスはまだ信じられてはいないことがある。それはセイラが唯一といってもいい心を開いていたゼントに一言もなく。
「もう一度確認なんだが、昨日のセイラはお前に何か伝えようとしたとか無いよな?」
「何も……でも一人で考えたいことがあるからって言って追い出されたんだ。おかしくなっていた時よりはだいぶ真面目な雰囲気で、今思い返してみても何が何だか……」
「その前に何か事情があったから、と言ったな。思いつく限りでセイラが弱みを握られそうなことはあるか?」
「それはカイロスの方が詳しいんじゃないか? ずっと一緒に仕事をやって来たんだから、俺は何も」
それを聞いてカイロスは唸る。考えてみれば仕事以外のセイラを知らない上、ほとんど関わりすら持ち合わせてないことに気づいたから。
そして彼女の思考がますます分からなくなった。一体どうすれば彼女の行動を読めるというのだろうか。
ゼントを見ればカイロス以上に純朴に唸る様子が。今更彼を疑う余地がどこにあろうか。
そのまま怯えを含んだ口調でゼントは尋ねる。藁をも縋るとはまさにこのことだろう。
「カイロス、俺たちは……これからどうするべきだと思う……?」
「どうするも何も、もう終わりだ。そうでなくとも俺たちは時間を掛け過ぎた。これでもまだ持った方だろう」
ゼントの瞳が絶望に染まるのを知りながら、それでもカイロスはそう言うしかなかった。
嘘で何かが変わるわけじゃないし、真実に甘い蜜を付けて誤魔化せるわけでもないから。
予想通り彼の瞳からは光が失せ、しかし単純に闇に堕ちたわけではなかった。
いや、その方がまだましだったかもしれない。黒く染まり切ったというよりは淀んでいたのだから。
「そうかそうか…………なら、俺のやるべきことは決まっているな……」
脈絡もなく、亡霊のようにそう呟いた。誰に聞かせるでもなく、自分に言い聞かせるように。
八方塞がりの状況が背水の陣となって、彼の決断を早まらせてしまったのだろうか。
「おい、まさか! 正気か!?」
「違う! まだ、まだだ……俺に考えがある。平和的な方法だ。少なくともカイロスが心配するようなことじゃない」
そうは言うが、ゼントの目はあっちこっちに動き回っている。常識的な思考をしていないのは明らかだった。
カイロスは当然思い留まらせようとした。だが彼は既に路地の更に奥へと消えていた。
まるで猛獣を相手にしているかのように身を屈め、忍び足で遠ざかる盗人のように。




