第二百六十九話『接敵』
ゼントにしては珍しく、決断を下すのが早かった。判断の速さは去ることながら行動も素早い。
彼は一線を越えられる覚悟を持っていた。いや、感情任せの勢いと言うべきか。
かといって彼が愚かとも言いきれない。ただ立ち尽くして嘆くよりも大事なことを必然と理解しているのだから。
中にどれくらいの人間が待機しているのか分からないがもう彼には関係ない。それは高く昇った感情が雷となって落ちるかの如く。
明らかに別に居る犯人を見向きもせず、堕落する奴らなど知ったことではなかった。
セイラと数人の命、ゼントは間違いなく前者を選ぶだろう。
自身の力量も垣間見られず、完全に感情だけで突き動かされていた。
「――大馬鹿野郎ッ!!!」
それはゼントが武器を抜こうとした瞬間だった。近くにあった茂みから巨体の何者かが飛び出てくる。
ゼントはおろか門番の男も驚きのあまり腰が抜けた。だがゼントには更なる追い打ちが。
「わぶッ?!」
みっともない奇声を上げ、ゼントは何かの衝撃を受け横に吹っ飛ばされる。
防御をする間もなく、また突然の出来事で受け身を取ることもできず、地面にむざむざ叩き付けられた。
ゼントが受けた行為は一つ。単純に頬を殴られたのだ。唐突に、力強く。
謎の顔に走った痛みと不意打ちをくらった不満で、殺意すら弁えずに周囲に放った。
そこに居たのは――カイロスだった。協会の長がわざわざこんな回りくどい時間に。いつからそこに居たのか、誰も真面な思考ができるはずもなく。
大男はそのままゼントに近づくと衣服の胸元を荒々しく掴み、鋭い眼光で睨みつけると……
「おい、これだけで済むと思うなよ。後で二度と立ち上がれないようにしてやる」
「カイロス……なんで」
大男の勇姿はさながら猛獣の如く。見る者を全て恐怖させ、人間としての理性を持ち合わせているのかも怪しい。
自慢の腕力でゼントの体は宙に浮き、一通り発揚を削ぐと今度は掴んでいる者を無視し始める。
今度は腰が引けている門番の男に話しかける。ゼントには無い敬意と謝意と温かさ、同時に威容を持って。
「そこのお前、冒険者の一人が悪かったな。よぉーく言って聞かせて占めておくから、今日のところは……今度何かあれば協会も全面協力すると団長に伝えておいてくれ」
「あ、あ、ああ、つ、次は無いからな……!!」
目の前で繰り広げられた劇的な一幕に門番の男は成す術なく、小物のように腰を引きずりながら後退り。
ゼントは空中で一部始終を見ていた。体には力が入らずこれから自分がどうなるのか考える余裕すらなく。
カイロスは人一人を抱えたまま少し離れた路地に足早に入り込んだ。
先程の様子から彼の並々ならぬ立腹の様子が窺える。このままゼントに制裁を追って加えるのかと思いきや。
「はぁ、お前は少し短絡的やしないか。この国で追われる立場になってどうする。あんな面倒な演技は二度とごめんだからな」
どうやら彼の一連の行動は門番の男を欺くためのものだったらしい。ゼントは頬を一発殴られるだけで済んだ。
しかしゼントはカイロスが全ての力を使って止めてくれた、とは考えていない。単純に救出の邪魔をされたとしか。
殴られた痛みと自分の思い通りにならなかったことが合わさって、ゼントはついに泣き出す。
ただ、あまりにも稚拙な原因で涙した自分が心疚しくて、押し殺したように鼻を啜った。しかしどうにも隠しきれていない。
「だったら……どうすればいいんだよ、このままセイラを見殺しにしろってか……」
「前にも言っただろ。俺たちは時間を掛け過ぎた。どちらにせよ力不足だったんだ。だから……」
「俺に言わせるなら、見殺しにするのが最善になってしまう……」
事態は深刻を極める。そして落ちた声で捻りつぶすように叩き付けられる現実。
だがカイロスは一つ勘違いをしている。ゼントは元々この町を出ていくつもりだ。お尋ね者になったところでセイラが救えるなら些細な問題でもあった。
しかし、それをカイロスに言ったところで変に諭されると知っている。
それは長年付き合ってきたからこそ。だから言い出せなかった。
ゼントが泣き腫らした目のまましばらく考え込んでいると、何を履き違えたかカイロスが苦し紛れの慰撫を押し付けてくる。
「ゼント、勘違いするな。俺はまだあきらめたわけじゃねえ。やれることは全力でやるつもりだ。ただ、ここまで来た以上腹を括っておいてくれ」
その言葉が姑息であることをゼントは気づいている。でも言わない。
カイロスに担がれた状態でただ死体のように脱力して静かに聞いていた。
「そして俺は警告する。今度お前が同じようなことをしたら個人的に独房に入れるからな。セイラを殺したいわけじゃなく、俺はゼントに犯罪者になってほしくないからだ。……今夜のところはもう帰れ、できるならしばらく家からも出るな」
黙っているとカイロスは努めて覇気のある声で続ける。その後ようやく地面に下ろされ、しかし有無を言わさず従わせられた。
ここを離れたところでどこまでも渇いた絶望しかないというのに。




