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襲撃、ザ・ハンマー

 グレイはテーブルのフォークを逆手に持ち、振り向きざまに渾身の力で突き刺す。


「ッ!」


 が、


「思い切りがいいな」


 手首を掴まれ、簡単に受け止められた。


 影の正体は黒いコートの男。

 両手に革の手袋。頭髪は短く刈られ、眉骨が盛り上がり、目の周りが影になっている。

 背はグレイより一〇センチは低く、肥満体型だと誤解した。


「まだ南部だぜ。厚着すんのは早いだろ」

「迷いなく武器を振るう。お前は人殺しの目を持っているな」

「意味分かんねぇよ、クソ野郎っ」


 ギリギリと、凄まじい握力に絞られ、グレイの手からフォークが落ちる。

 そして理解する。コートの下の肉体にたたえるのは脂肪ではない。純然たる筋肉だ、と。


(なんて力だっ⁉ 人間じゃねぇっ⁉)


 ぞっとして右足を突き出す。

 放った全力の蹴りが男の腹に叩きこまれ、腕を離した男は数歩後ろに下がった。


「従えば危害は加えない。ダリア・ライツ。そこの少女を渡せ」


 黒いコートの男は抑揚の無い声で言って、一歩、間合いを詰めた。

 足運びは静かで無駄がない。左拳を顎の前に構え、弓を引き絞るように右肘を締める。様子を窺う三白眼が妖しく光る。完全にボクサーのそれだ。肩がわずかに揺れ、重心が前に乗る。


「少女を渡せ、と言った」

「嫌だね、ロリコン野郎。お前みたいなのが触れていい女じゃねぇよ」


 次の瞬間、男の身体がブレた、ように見えた。

 直線的ですさまじく速い。

 グレイは反射的に両腕を交差させて受けた——。

 はずだった。


「ぐぶぇ……っ!」


 衝撃が胸を叩き潰し、肺の空気が押し出される。

 足裏が床を離れ、視界が反転した。

 食器を割りイスを壊し、床に固定されたテーブルを歪めて、ようやく止まった。

 身体ごとぶっ飛ばされた現実に脳が追いつかない。

 左腕を素早く突き出しただけ。ボクシングのジャブ——そのはずだった。


「が、がぁっ……ぁ、っ……っ1」


 攻撃を直接受けた左前腕部に猛烈な痛み。虫が這いまわるような痺れが腕にまとわりついた。


(何……何が起きた⁉)


 考える間もなく、距離を詰めた男が右腕を振り上げていた。

 イスの木片を跳ね飛ばし、グレイは慌てて横に転がった。

 地面に着きそうになる膝を殴りつけて立ち上がる。胃がねじれて吐き戻しそうになるのを奥歯を噛みしめ耐える。


「お……お前、何でダリアを狙う? どこかの組織の殺し屋か、それともどこぞの工作員か。い、いやせいぜい殺し屋だろうな……人がたくさんいるこの状況で無理やり襲ってくるんだ。なりふり構ってられないテロリストかちんけな犯罪者に決まってるわな」

「よく喋る男だ。だが、それは自身の優位を示す余裕の表れではなく、過度なストレスに対する神経質な反応だ」

「言葉は通じてんのに会話が噛み合わねぇ野郎だ。二人っきりでバーには行きたくねぇな。お前は、何もんだって、聞いてんだよ」

「『ザ・ハンマー』、傭兵だ」


 ハンマーは右手で左手を揉みながら答えた。


「噛み合った会話なのに意味が分からねぇ、ニックネームじゃなくてキラーネームか? まぁいい、ミスターハンマー。傭兵のお前が何でダリアを狙う」

「理由なぞ、どうでもいい」

「眠った皆はちゃんと起きるんだろうな」

「オレたちはテロリストではない。理由も無く無辜の者を害する意図はない」

「昼間の踏切の玉突き事故。あれはお前が?」

「命令とはいえ、慣れない方法に頼るべきではなかった」

「もう少しで三人まとめて死ぬところだったぜ、誘拐目的にしては荒っぽい。生死は問わずってオーダーか」

「……殺すつもりはなかった。あれは俺のやり方ではない」

「んだよ、闇の組織には誘拐、殺人のマニュアルでもあんのか? それとも指導係の先輩にやり方を強要されたか?」

「……」


 男は何も答えない。

 正直な男だ、とグレイは思った。

 ハンマーはグレイの問いかけを無視することもできたはずだ。奇妙だが名を名乗り、複数犯だと匂わせ、殺人未遂を認め、その上で失敗を告白した。そうする必要などないのに。

 本職の殺し屋事情など分からないが、プロの殺し屋にそんな律義さがあるとは思えなかった。嘘をついている可能性も捨てきれないが、それでもこの坊主頭の傭兵にそんな器用な真似ができるとは思えない。


「じきにパットビルに着く」


 ハンマーがゆっくりとした動作で拳を作る。メキメキと大木が呼吸するような音が響いた。猛牛が突進の前に前足で砂をかく仕草に思えた。


「はっ」


 乾いた笑いがグレイの口から飛び出す。

 会話に乗ってくれたおかげで身体を休めることができた。

 手近にあったワインボトルを手に取り、剣の切っ先を突きつけるようにボトルの底をハンマーに向ける。


「その怪力、体質特性だろ? ヘビー級世界チャンピオンだって左ジャブで人間を何メートルもぶっ飛ばすのは無理だ。今までその怪力で裏社会を渡ってきたんだろうな」

「だからどうした」

「当たりか、分かりやすい野郎だ」


 ハンマーがファイティングポーズを取る。

 応じたグレイが一歩前に踏み出す。


「残念だったな、俺はお前みたいやつとの戦闘に慣れてる。訓練したんでね」


 乗客全員が寝静まった食堂車。全長約一八メートル。当然、唯一の通路はすれ違うのがやっとの一本道。二人の距離は全力で踏み出せば二歩で詰められる程度しかない。


 グレイは身を低く沈め、バネを解放するように一気に飛び出す。

 ワインボトルを脳天目がけて振り下ろす。


「っ!」


 同時にハンマーも動く。

 バックステップで距離を作ると、再び踏み込み、左を放つ。

 グレイが振ったボトルが空を切る。

 だが、目の前に伸びる腕を冷静に見た。瞬き一つせず。

 放たれた左がグレイのみぞおちにごく浅く触れ、命を刈り取る右ボディフックが迫るも、後ろへ飛んで、直撃を回避する。


 二度、三度、必殺の拳がグレイに襲い掛かるが、その全てを皮膚一枚のところで避け続ける。

 列車がカーブに差し掛かったところで、車体が揺れ、ハンマーの攻撃が一瞬止まった。

 すかさず、ハンマーの顔面にボトルを投げつける。


「っぐぅっ……っ!」


 ゴキン! と骨を打つ鈍い音がして、大きく裂けたハンマーの額から夥しい量の血が噴き出した。

 たたらを踏む間に、ハンマーの右側面へ飛び込んだ。


(こいつの特性は)


 懐に潜り込む、距離が詰まった。

 左腕を、男の右足の付け根へ落とす。同時に、右手でふくらはぎを掴み、引く。

 重心を崩され、ハンマーは通路の床に後頭部を強かに打ち付けた。


「——ッ」


 転がるようにハンマーの身体を飛び越え、グレイは速やかに立ち上がって優位を取る。口の端から血を垂らして見下ろした。


「……テメェの怪力は大したもんだけどよぉ。肉体の耐久度は常人と変わらねぇんだろ」

「が、ぐっ……」


 悶絶するハンマーは何とかうつ伏せに転がって立ち上がろうとする。


「ボクシングの構えは馴染んでるのに、コンビネーションが繋がってねぇ。露骨にボディ狙いばかりで、顔面をほとんど狙わないのは不自然だ。あまりに力が強いもんで、頭蓋骨みてぇに固い部分を殴ると自分の拳の方がイカレちまうんだろ? 最初のジャブの後、拳骨気にしてたもんなぁ。圧倒的なパワーに身体が耐えられねぇなんて哀れな話じゃねぇの、自分の臭いで気絶するスカンクみたいで笑えるぜ」


 グレイの両手には食事用のナイフとフォークが収まっていた。それぞれハンマーを倒した一瞬の間で拝借していたのだ。

 姿勢を低く保ち、身体の近くで逆手にナイフを構える。


「お、まえは……何者なん、だ」


 左手に掲げたフォークが鋭く光る。


「イーサン・グレイ。ただの探偵だ」


 銀色の軌跡となったテーブルフォークが、ハンマーの首筋に突き刺さった。

 深く深く、枝の部分が完全に皮膚に埋まるほど。


「がああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!」


 血濡れの獣が猛り吠える。絶叫が車内の窓ガラスを震わせた。

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