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壊れた兵士達

 手負いとはいえ、わざわざ敵の射程圏内に入るリスクを負うことはない。

 グレイはこのままカトラリーの投擲を続けようと、テーブルに目を向けた。

 その時、

 突然、咆哮が止んだ。


「オレは……ザ・ハンマー……この拳で生きてきた」


 立っていた。

 唾液に濡れて光る犬歯をむき出しに、目に血が入るのも気にせずに、いっそ感心するほど愚直にファイティングポーズを取っていた。

 ボンッ、と床材が爆ぜた。いや、ハンマーの桁違いのダッシュ力に耐え切れず、吹っ飛ばされたのだ。

 一瞬で距離が潰れた。今までよりもずっと速い。


「シッ」


 短い呼吸音があった。

 助走をつけたステップインからのジョルトブローがグレイの鼻っ柱に沈む。

 筋肉のついたグレイの身体が交通事故の如く弾き飛ばされ、テーブルの上を跳ねて壁に叩きつけられる。手足を投げ出して通路に転がった。


「……がはっ、ちくしょうめ……やりやがったなぁ」


 だが、血をまき散らしながら立ち上がる。吹き出す鼻血がシャツを真っ赤に染め上げた。

 散らばった食器の破片を踏みつけ、ハンマーがやって来る。


「何故、何故立てる。骨を折った感触があった。いやそれより……なぜ立ち上がろうとする?重傷を負ってまでそこの少女を守りたいのか? それほどまでに大事か⁉」

「……あぁん? 何いきなり興奮してんだよ。別にそのガキは特別でもねぇよ、依頼じゃなきゃ会うこともなかっただろうぜ」


 ただ、とグレイは付け加える。


「必ず連れて行くって約束した、だから死んでも約束を守る。俺は義理堅く人情に厚いセクシーでホットなナイスガイだからな……あぁ、口が痛ぇからあんま喋らせんな」


 ギリ、とハンマーの歯ぎしりの音が聞こえた。


「拳が当たる瞬間に自ら後ろへ飛んで衝撃を和らげたな⁉ 命を絶つ手ごたえが無かった。異常、極端なほど思い切りのいい男だ! それほどの胆力をどこで身に着けた⁉」

「極端、ね」


 深呼吸をしてハンマーは続ける。


「オレは兵士だった。ハーネリア東西戦争だ。つい数分前までジョークを言っていた仲間が脳漿ぶちまけて死に、機銃掃射で血の霧となった。現地民に扮して襲い掛かる敵、殺されまいと殺すオレ達。全員が人殺しだ。オレは見た。人を殺すことを躊躇わない者には特有の目がある。安全な日常にいては決して身につかない人殺しの目だ! お前はそれを持ってる! 言え! お前は何者だ⁉」


 ハンマーの盛り上がった眉が震える。

 怪力の傭兵には似合わない。 臆病で感情の制御が利かない子供のようだった。


「人の話を聞かねぇ奴だな、探偵だって言っただろ……」


 グレイは激しい眩暈の中でハンマーの話に耳を傾ける。

 次はどうしかけて来るか、それにどう反撃するか。そんなことを短い時間でまとめていたのだが、一向に追撃がない事態に様子を見ていた。


「戦場に行く前、オレはボクサーだった。連戦連勝、ランキングにも載ってチャンスがあればすぐにでも世界戦で勝つ自信があった。だが——」


 錯乱しているのか、ハンマーは目に涙を浮かべる。


「クソ親父が急死してクソな母親が病気になった。いつ貰えるかも分からないファイトマネーを待っていられなかったんだ。すぐに安定して金が稼げて、学のない奴でも働ける環境は軍隊以外なかった! 平和だの反戦だの、テレビを点けりゃ決まってそんなことを言いやがった! 合衆国は東西戦争には関わらない⁉ 平和の先導者として国際社会を導く⁉ そんな綺麗ごとばかり言いやがるから! 俺は入隊したのに! クソッ!」


 ハンマーがテーブルの淵に指をかける。木の天板が砕け、固定されていた金属脚が床ごと引き剥がされた。ボルトが千切れ、床材がえぐれる。

 テーブルは、ただの障害物のように横倒しになった。

 グレイはゆっくり顔を上げる。鼻から赤黒い液体が滝のように流れ出た。


「戦争から帰ったオレを褒めてくれた人は一人もいなかった。殺人者、親不孝者、子供殺し。母親さえも俺を罵倒し、ついには一人になった。戦場の塵が原因で視力が弱まり、リングにも戻れず、復員兵だからとレジ打ち一つ任せてもらえない! オレは戦争に全てを奪われた!」


 血の唾を吐き棄て、グレイはねばつく口を開く。


「……俺も、俺も東西戦争に参加した」


 ビクッと、パニックになっていたハンマーが硬直した。


「やはり……。どこだ、どの隊にいた⁉」

「……東側占領地で現地レジスタンスと協力して情報収集、及び破壊工作を主とした作戦を遂行していた。仲間が死んだ光景は今でも夢に見る」

「……特殊部隊。そ……そんな最前線にいて、どうしてお前は平気な顔をしている。オレにはそれが分からない。どうしてまた命を懸けられる⁉ 黙っていれば無事でいられるのに、オレに恐怖しないのか⁉」

「極端な奴はこれだから始末に負えねぇ、自分中心でしかものを考えられねぇのかよ」

「何だと」

「今の俺があるのは、色んな人に助けられたからだ。その大きな愛と恩を少しでも返してぇ。その為なら命だって張れる」


 ハンマーは一瞬何かを考えるように視線を上げ、そして痛そうに、悲しそうに眉間にしわを寄せる。


「イーサン・グレイ。お前はあの戦争を経て尚、希望を失わなかったんだな。羨ましい話だ」


 ハンマーはコートを捲り、腰の後ろに手を伸ばす。


「俺にはもう何もない。こうしてロクでもない組織の暴力装置としてしか生きられない」


 取り出したのは黒鉄の筒。


「兵士イーサン・グレイよ。これを食らって立っていられるか?」


 ガシャン、と金属部品が擦れる無機質な音がグレイの背筋を寒くさせる。

 銃身や銃床を切り落としたショットガン。

 トリガーに指がかかる。


「それはズルいだろ」


 腕の折られたことも、拳銃で腹に穴を開けられたこともある。だが、至近距離でショットガンをぶち込まれたことは一度もない。あるわけがなかった。


(死ぬ)


 グレイが覚悟した時——


 あり得ないものが視界に入ってきた。


「クロフォード……?」


 今まさに引き金を引かんとするハンマー、その後ろ。


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「動くな!」


 言い放たれたその言葉に、グレイはハッとして、ハンマーは動きを止めた。


「銃を置きなさい!」


 ハンマーはほとんど首を動かさずに言う。


「女、人を撃ったことがあるのか?」

「トリガーから指を離し、銃を捨てなさい!」

「震えているな。訓練は受けていそうだが心が決まっていない。新人警官か」

「黙れ! 本当に撃つぞ!」


 クロフォードは動揺を隠せない。角度が悪い。彼女の位置からではハンマーとグレイが直線上に重なる。外せばグレイに当たるかもしれない上に、ハンマーに当てても貫通してグレイが被弾する可能性があった。


「犠牲になるのはこの男一人で十分だ」

「武器を捨てろ!」

「女、警告の前に背中を撃つべきだったな」

「っ……ごちゃごちゃうるさい! 今すぐ武器を置け!」


 ハンマーの口角が上がった。彼にとって状況は悪化したはずだというのに、グレイ一人を相手にしていた時よりも余裕がある顔をしている。 

 この膠着は長く続かない。グレイはすぐに判断した。


「撃て、クロフォード」

「何を……」

「最悪なのは俺達二人が死ぬこと。ダリアを助け、ニューリードへ連れて行け。お前だけでも生きろ」

「あ、う……!」

「撃て!」

「ちっ」


 コンマ数秒後には事態が動く、そんな局面で、第四の影が動いた。

 ハンマーはやはり殺し屋としては二流ですらないのかもしれなかった。一流ならばこんなカオスな盤面にはならないはずだから。


「な、なななななな何ですかこれぇっ! きゅ、急に眠くなって起きたら、どういう状況⁉ ひ、ひいいぃっ、ショットガンだ!」


 サンダースが起きた。


 グレイは一歩でハンマーの懐に入り込む。

 身を屈め、ハンマーが気を取られた隙に、思い切りショットガンを蹴り上げた。


「今だ、撃て!」

「!」


 いくつかの発砲音が列車を震わせた!


「……?」


 ショットガンを弾き飛ばされたハンマーが不思議そうな顔で自分の身体を触っていた。

 グレイは1秒で理解した。


「下手くそっ! この距離で普通外すかっ⁉ 目ぇつぶっても当たるだろうが!」

「ううううううるさい!」


 弾丸はハンマーに命中していない。

 直後起こるであろう、暴力の嵐を予期し、グレイは思い切りハンマーに突っ込もうとした。

 ところが。


「ウィドウッ!」


 ハンマーはグレイを押しのけ、クロフォードとは逆方向に走り出し、どういうわけか喪服の女の元へ駆け寄った。


「無事か⁉」

「あ、ああ……ああ……ああ」


 ベールをかけた喪服の女はうわ言を繰り返すばかりで要領を得ない。

 女が持っていた白地に金の模様の壺が粉々に割れ、周辺に散らばっている。


(あの女、ハンマーの仲間だったのか)


 喪服の女が持っている壺。当然誰かの遺灰が収まっているはずだった。


「機械……?」


 だが、陶器の破片の中心に、金属製の缶のようなものがあった。そこから指ほどの長さのノズル? が伸び、台座から数本のケーブルが生えていた。何らかの装置に見えた。


「撃たれてない。ウィドウ、噴霧器に当たっただけだ! 君は撃たれてない!」


 ハンマーは硬直した喪服の女を片腕で抱きかかえると、グレイ達の方に向き直る。


「乗客はじきに目覚める。これは強力な睡眠作用のある粉薬で、目や鼻、口の粘膜から吸収される。特別の害はない、眠る花粉と思えばいい。お前には全く作用しなかったがな」

「そういうことかよ……ここ数年は睡眠薬を飲んでもまともに眠れないのが幸いしたわけだ」

「タフな兵士は不幸だな、苦痛が長引く」


 ハンマーは女を抱えたまま肘で窓ガラスを叩き割り、窓の淵に足を掛けた。


「おっと待ちな。何勝手にシンパシー感じてくれちゃってんの? はいそうですか、って逃がすわけねぇだろボケ」

「全ての兵士に心の安寧を」


 コツン、とグレイのブーツのつま先に何かが当たる。

 くすんだ緑色の缶、「WARNING」「SMOKE」の文字だけハッキリと見て取れた。


「そう願うんなら、大人しくしとけよ」


 ガスグレネードだった。


 炸裂。

 吹き出す煙幕に瞬時に視界を奪われた。


 めちゃくちゃに荒らされ、昏倒した乗客と白い煙で満たされた食堂車を連結させた寝台特急は停車駅、パットビルのホームに滑り込む。

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