完了
ホテルの裏通りは直ちに人払いが行われた。
一応交通事故の現場なのだが、そこは流石の連邦警察、地元警察を撥ねつけて血痕含め全てを綺麗にしてしまった。事件に巻き込まれたシルバーの高級車の運転手も見当たらない。
この動きの迅速さを見ると、やはり彼らはジョンのことをあらかじめ掴んでいたのではないかとグレイは勘ぐる。素早く片付けて不始末をうやむやにし、早々の幕引きを図っているのだ、と。地元警察には、フリスカ王女の移動ルートだから早く片付けました、とそれらしいカバーストーリーで納得させるに違いない。
(やっぱり俺達は巻き込まれたんじゃねぇか……こいつらが早くジョンを捕まえていれば誘拐沙汰もなかったのに……この国は本当に)
このホテルにいることを掴んでいながら、どうしてすぐに踏み込まなかったのか、という点には疑問が残るが、頭を悩ませても分かることではないので、グレイは思考を切り替えた。
捜査官らしき男とゴリラ顔のボディガードが小声で何かを話している。
その様子を遠巻きに眺めながら、グレイ、ライツ、クロフォードが大勢の王室職員らと共に地下駐車場で整列する。
待つこと二分。
——ついにその時が来た。
職員通用口の扉を従者が開ける。
フリスカ王女はスイートルームを出た時と何も変わらない完璧な微笑みを浮かべていた。
伸びた背筋も凛とした歩き方も、一六歳とは思えないほどの威厳を周囲に感じさせる。
最後の公務である式典のスピーチを終え、五日間の合衆国訪問もこれにて終了。
職員らの拍手の中、王女が公用車までの道を歩く。
「フリスカ……」
ライツが遠慮がちに列から一歩踏み出た。
王女は気づいていない。
グレイはそっとライツの背を押す。
頷くと、ライツも頷いた。
今度は大きな声で、その名を呼ぶ。
「フリスカ!」
王女が顔を綻ばせた。
少女が親友に会う時の、歳相応の満面の笑みだ。
「ダリー⁉ ダリー!」
王族としての作法も忘れ、ドレスの裾をばたつかせて王女が駆け寄る。
「本当にダリーなの⁉」
「もちろん! 二年でアタシの顔忘れちゃったとか言わないでよ?」
「あぁ、あぁ、本当に来てくれたのね、本当に本当に久しぶり!」
「うん、久しぶり! ちょっと痩せた? テレビで見るより細く見えるよ」
「むしろ太ったくらいよ、こっちの食事が懐かしくて食べすぎちゃった……ふふ、ダリーは日焼けしたのね、すごく素敵だと思うわ……本当にあの頃よりもずっと大人になった感じがして……」
「ほ、ホミアは……日差しが強いからね、バイトしてるだけでも焼けちゃった……」
二人の少女の声が震える。
ライツがしゃくり上げて泣き出すと、王女も泣いた。
王女はライツと違って、声を上げて泣くことはしなかったが、それでも従者達は、ハンカチを当てメイクが崩れるほど泣く王女の姿を初めて見た。
「あ、アタシ、ずっと……ずっと謝りたかったの! あの時、フリスカが帰っちゃうなんて知らなくて、アタシ、自分の事ばっかりで……もっともっと一緒に遊んでおけば良かったって、ずっと後悔してた! ごめん!」
「何言ってるの! そ、それは言わなかった私が悪いに決まってるじゃない! ダリーのせいじゃないわ! 謝りたいのは私の方……ひぐっ……伝えなくてはならなかったのに、何も言わずに去ってごめんなさい」
二人は大粒の涙を零して抱き合った。
二人の声が地下駐車場に響く。
些細なすれ違いから生まれた溝。
その溝を埋め、少女達が仲直りするだけの旅が今ようやく終わりを迎えた。
ふと、隣を見ると、クロフォードが二人の少女達よりも派手に泣いていた。
「よ、良かったでずね……二人とも、仲良しが一番でず」
緊張の糸が切れたのか、感情のダムが決壊したクロフォードが豪快に涙を流す。
「うお、お前、泣き過ぎだろ! ハンカチくらい持ってねぇのか」
「は、ハンドバッグにありまじだげど、う、うぅ、バッグ自体どごにやっだのがも覚えでないでず」
「汚ねぇ! 俺の袖で拭うな! ああ! 鼻水も⁉」
「ぐず……どっぢにしろ血と汗でグッチャグチャなんでずがらこれ以上汚れようが何の問題もないでじょう……」
「汚す側の人間が言うな! 申し訳ありません殿下。ご学友との久しぶりの再会ですのに、お邪魔してしまって。我々は気にせずどうぞご乗車ください」
ライツと王女は顔を見合わせ、同時に大きく笑った。
「イーサン・グレイ、コリン・クロフォード様。私の大切な友人を連れてきてくださり、ありがとうございます」
グレイは頭を下げ、クロフォードも倣った。
「勿体なきお言葉、恐れ入ります」
「お、おぞれいりまぁず」
歪なスパイ、イーサン・グレイの仕事は終わった。
「これから空港へ移動し、離陸まで約二時間。力及ばずこれだけしかご用意差し上げることができませんでしたが、どうか少ないお時間、ライツ様とお楽しみくださいませ……それと、こちらを」
手に持った紙袋を王女に手渡した。
一度地面に落としたものを渡すのは気が引けたが、中身には問題なければ良しと判断した。
「これは……?」
がさごそ、と袋を確かめる二人の少女は、中身を取り出すとパッと顔が明るくなった。
チョコ、ストロベリー、フィリング、グレーズド、その他色々。
「まぁ、ドーナツですか!」
「イーサンこれって⁉」
「車の中で言ってただろ? ささやかなプレゼントってやつだよ。思い出の味なんだろ?」
「流石イーサン! 気が利くぅ!」
「おう、もっと言ってくれても良いぞー」
そして、二人は公用車に乗り込んだ。
スモークガラスのウィンドウを下げ、王女が顔を出す。目の周りが赤くなっている。
「私のワガママを叶えてくれて本当にありがとう、イーサン」
「それが私の仕事です。それに……孤児だった私を育ててくれた養護施設は王室の援助の上で成り立っていました。私は王室に育てられたも同じ。ですから、あなたのワガママを叶えることで少しだけその愛と恩に報いることができた気がするのです。これからもこき使ってください」
フリスカ王女は聖母のように暖かく微笑んだ。
「二週間の休暇を認めます。それが終わり次第、姉夫婦の監視を続けてください」
「ありがとうございます。承知いたしました」
「それと、クロフォード様には近いうちにお礼をいたします」
「え、あ、いや……そんな悪いですよ」
「いいえ、そう参りません。受けた恩に報い、愛するのがハーネリア人の誇り。ですよね? イーサン?」
「はい、仰る通りです。ここは受け取るのがマナーだぜ」
「じゃ、じゃあ……はい! 恩返し、期待しています」
王女は満足そうに頷いた。
「ではイーサン。たまには国へ帰って来るように。あなたのお話を久しぶりに聞かせてください」
「はい、喜んで」
グレイは謹んで答えた。
「それでは、失礼します」
「また会おうね、イーサン!」
王女の横からライツが眩しい笑顔を見せた。
「おう、またな!」
「さようなら、ダリアさん! もう家出しちゃダメですよー!」
グレイとクロフォードは軽く手を挙げた。
車は緩やかに発進し、スロープを登っていく。
少女二人が飛行機のタイムリミットまで何を話すのかは分からない。
分からないが、二人にとって幸福な時間であるように、とグレイは祈った。
「イーサン、家族がいなかったんですか」
「まぁな、俺はハーネリアって国に育てられたも同然。飯に家、教育、安心まで、多くを貰った。今はそれを返すのが仕事だ」
「あなたらしいです」
「……実は、国王陛下はもう長くない。かねてよりの病気で、ここ数週間寝たきりでな」
「え?」
「陛下が崩御なされたら、次の王はフリスカ様になる。あの若さでな。そうなれば簡単にダチに会うことも合衆国に来ることもできなくなる。この機会を逃せばスケジュールが空くのは早くて四年後。何としても会わせて差し上げたかった。女王なんて重過ぎる責任を負う前に、ただの友達として」
「そう、だったんですね」
二人は車の影が見えなくなるまでその場で見送った。
そして職員たちも解散し始めた頃、
「良かった……間に合って」
クロフォードがぽつりと言った。
「そうだな、間に合った」
相棒の横顔を見て答えた。
「んじゃ、ホミアに帰るか」
「はい! 今ならどんな仕事でも出来る気がします! 迷惑な酔っ払いから麻薬ギャングまで、どんな相手でも対処できる自信があります!」
「えらい自信つけたな……水を差すようだが、お前はまだ謹慎中だぞ」
「あ、あぁ……そうでしたー! で、でもホール課長がジョンの仲間だって分かったら私のキン……潰しもいい感じにうやむやになってくれるんじゃあ」
「悪徳警官め、お兄ちゃんが泣くぞ」
「誰のせいだと思ってるんですか! 絶対にこのめちゃくちゃな旅をしたから、私の心理に影響が出たんです! クビになったら責任取ってくださいよ!」
「ふざけんな、所帯持つ気なんか毛ほどもねぇよ」
「そういう意味じゃねぇです!」
かつての仲間、アランは死んだ。
人の死に償いなどない。死は取り返しがつかない。
それでも、彼に救われた命、持ち帰った経験はグレイの中で生き続ける。
グレイはたくさんの恩や愛を貰った時と同じように返し、与えるのだ。
ただ自分を慰めているだけかもしれない、意味のないことかもしれない。
それでも、
そのように生きるのだ。
それがイーサン・グレイの生き方だから。
(アラン、少しはお前に返せたかな……お前の妹は立派な警官になるよ、きっと)
グレイはクシャクシャになったタバコをジャケットの胸ポケットから取り出す。
その時、何かを忘れている気がしたが、それが何か思い出せなかった。
咥え、火をつけようとした時、ライターをクロフォードに奪われてしまった。
「何すん——」
シュボ、とオレンジの火がタバコの先で揺れた。
「つけてあげます。私なりの労いの気持ちです」
「ライターを奪ってまでやることかね、かえって恩着せがましいような……あぁあれか? 刑事ドラマとかで相棒同士が『火ぃあるか?』とか言ってライターを貸し借りする、そんな渋いシーンに憧れてる感じ? いやー確かにハードボイルドな俺だけども、相棒がお前じゃあ様にならないって」
「う、うるさい! 髪ごと燃やしますよ⁉」
タバコに火がつき、肺いっぱいに吸い込んで吐き出す。
疲れが溶けていくようだった。
「最高だ」
「どういたしまして」
二人は並んでスロープを歩き始めた。
昼の陽が差す地上に向かって。
「——気が抜けたらお腹が空きました。せっかくのニューリードですし何か食べませんか」
「じゃあ——ドーナツにするか」




